09.Paradise Lost.

『スキーター。情報や武器などの売買を営む仲介屋のK9元傭兵ですね。』

 奥の方から神経質そうな声が聞こえる、長い髪を少量束ねた目の細い男―――佑次はスキーターのマシンの中身を漁りながら静かに告げた。

『彼杜、これを。』

 佑次に促され彼杜の見上げたメインモニタに映されていたのは既に送信されていたヴァイスの調査報告書だった。

『あーらら、プライバシーの欠片もねぇなぁ』

 報告書を読み進めて行く彼杜の視線が一瞬止まる、そこには三カ月前、了と共に街に出た際の彼杜の隠し撮りの姿が映されていた。

『へぇ、よく調べてるじゃあねぇか。』

 スクロールされていく先にはプラナドでの戦歴や武器、戦闘傾向等の観測データが記載されていた。

『…あぁクソッタレ・・・・・が大体把握してやがったのは、お前の入れ知恵か。』

 巻末に付けた高周波ブレードの注文書に舌打ちをしながら、察しの良い彼杜の銃口がぎりりと皮膚に食い込んで来た。

『俺の用意した高周波ブレードムラサマは役立ったみたいだな。』

『そう、だな。』

 突然、銃のグリップで頬が殴られた。脳への衝撃、それから遅れて痛みがやっと伝わって来る。驚いた内臓がげほげほと間抜けに咳き込んで見せた。

『その軽口でこの後も調子良く吐けよ。』



  ―OTHER SIDE ― 09.Paradise Lost.



 彼杜は短くなった煙草を口から離しすぐさま手を差し出した佑次の掌に躊躇いもなく押し付けた。煙草の煙が上がる所を見るとまだ火は付いていたはずだが彼は微塵も表情を変えず吸い殻を仕舞った。少し驚き改めてその男を見上げる、モニタに照らされた顔をまじまじと見て、スキーターは息を噤んだ。

『お前、まさか、#000アウラ、か。』

『その名で呼ばれるのは、久しいですね。』

 薄い笑顔を張り付けた佑次は微かに瞳孔を小さく驚いたように見せた。

『アウラっ!おまえはっ!!死んだはずじゃぁア!!』

『ん?祐次こいつと知り合いか。』

 祐次は少し考えるように首をかしげスキーターを見下ろしていた。

『お前、オレだ、橘だ!!あぁ畜生、この名前もお前の名前も、その時の記憶も、二度と思い出したくねぇってのに!!何で、亡霊ばかりが出て来やがる!!』

 スキーターは声を荒げ佑次の視線から逃れるように顔を捻った。

『あぁ?一体何の話だ。』

『第十三部隊時代の、話です。』

 佑次は彼杜の口元に新しい煙草を運び火を付け縋るように彼杜へ顔を擡げた。行間を引き伸ばすように深く紫煙を吸い込んだ後、彼杜は凍てついた声色でスキーターと視線を合わせた。

『一語一語、よく言葉を選んで昔話を聞かせろよ。』

 彼杜の銃口が喉ぼとけを抉るように押し付けられる。痛みと恐怖で引き攣るような呼吸になるも何かを覚悟したのか、スキーターの喉からは笑いがこぼれ落ちた。

『何てこった、これじゃあまるでクソ同士の同窓会じゃねぇか…いいぜぇ全部話してやる。』

 スキーターは喉を引きつらせるような声で下品に笑った。

『かの内紛を一夜で終結させた機密組織“第十三部隊”の元は、パパママが培養液の試験管ベイビー達を幼少期から胸クソ悪い人体実験や薬物投与とかをして身体能力向上をさせた次世代のソルジャーを作るために組織され、宇都木大佐を頭に据えた戦争狂達による天地創造計画"Project;GeNESiS"の研究結果だ。何のサプライズパーティなのか、今宵ここに居る俺達は全員その関係者だ。』

 スキーターは煙草を促す仕草をした、彼杜に目配せした佑次が了解を経てスキーターに煙草を運んだ。火の灯された煙草を一息吸いスキーターは身を乗り出し咥えた煙草でキーボードのエンターキーを押した。

 GeNESiSの実験データがモニタいっぱいに展開される、プラスチックの焦げる匂いを出しながらスキーターはキーボードを一つ一つ、叩いた。

『俺は金目当てで軍に入り十六でヘマして左目損傷、研究機関GeNESiS送りになった。GeNESiSに配属されてからは兵士向けの麻薬""禁断の木の実"フリュイデファンデュ"の研究を担当した。これがなかなかうまく適合しないんで片手じゃ足りないぐらいの脳漿炸裂させてたその頃"禁断の木の実"フリュイデファンデュと完全融合んし飛躍的な身体能力を持つ人間が隣国で捕獲された。嫉妬で狂った研究機関は国家の最高機関と思えない短絡的な方針を出し、捕獲された宿主のサンプル量産をする事にした。さぁここまで話せばテメェにも分かってきただろ。』

 PCのコマンドプロントにシャープの記号とゼロを一つ打ち込む。

『その宿主がな、お前だヴァイス。いいや、宿主 #0アイン。』

 プロジェクト全容と実験体のデータと観察記録が再生される、監視カメラのざらつく映像の奥でギラついた瞳で監視カメラを睨みつける、白い獣のような少年が映し出されていた。

『アインを用いた実験は約半年続いた。機関は特殊訓練兵達にお前の血を媒体とした投薬を開始、被験者達は確かに身体能力の向上が認められたが副作用も絶大だった。その笠原 祐次もGeNESiSの被験体の一人、EbNo.3、―――コードネームは#000アウラ

 僅かに佑次を見上げるスキーターの瞳、焦点の合わない左目の義眼が同じように空虚で無感情に見える佑次の瞳を覗き上げていた。

『私が得た副作用は"無痛症"。身体能力は向上しましたが痛覚そのものを無くし肉体損傷に気づけなくなった私は兵としては失敗、私はEbに成りそこなった。結果、そこの戦争狂達によって、考えうるありとあらゆる痛みの実験が行われた。』

『やめて、くれ。…やめてくれ。だから、お前は、俺がっ!』

『えぇ。私は貴方に殺されました。』

 裕次の言葉にスキーターは歯を食いしばり耳をふさいだ。

『私はありとあらゆる痛みに関する実験を繰り返された後、彼の手により殺され投棄されました。しかし貴方方の予測を上回る回復力を有した身体は生き延び、研究所を脱出した。』

 そして貴方に会ったんです、裕次は彼杜の手を取り甘えるように頬を寄せた。

『貴方のEbに成りたかった。』

 冷たく手を振り払う彼杜ははいはい続けて、とスキーターへ手を振った。

『…この実験では多くの被験体Ebへの血の投薬が行われた。血管破裂させた奴、アウラのように特異体質を得た奴、自我が崩壊して精神病棟送りになった奴。様々な要因で多くが失敗していった中、たった1名、"禁断の木の実"フリュイデファンデュと適合し今尚生きている奴がいる。』

 スキーターは短くなり口元に微かに熱が届くようになってきたタバコを必死に噛み口の端を持ち上げた。

『プロジェクトGeNESiS唯一の適合者EbNo.6、―――コードネーム#000000ノワール

 無感情を湛えた黒、現在と然程変わらぬ幼少期の了の黒い瞳がゆっくりと画面越しにこちら側を覗き込む。

 どこまでも続く深淵を映し出すような、黒い瞳。

『…了。』


 ―――瞬間、スキーターはタバコを彼杜の顔面へ吐き出し腕を振り上げた、一歩下がった彼杜と裕次を狙い天井から銃口を傾げる重火器、間髪入れず銃弾の雨が降り注ぐ。棚や備品も巻き込み暴れた鉛玉でスキーターの周りは瓦礫だらけになった。慌ててデスク脇の金庫からナイフとアンプルを掴み上げスキーターはすぐさま向き直った。

『俺だってナァ、死にたくねぇよこんな所で。マジで、最悪だ。最悪だ!!』

『何だよ、ツレない事言うなよ。』

 先程の鉛の雨をどう避けたのか検討も付かないが、何事もなかったように彼杜は舞い上がる粉塵の中でにこやかに笑った。後ろから大きな瓦礫を持ち上げる裕次が、通常ではあり得ない方向に曲がっている腕を払い顔色一つ変えず立ち上がる。

『あーあ裕次、またか。だからそれヤメロって言ってんだろ。見てるコッチが痛くなるわ。』

『お許し下さい、彼杜。』

『後でお仕置きだ。先戻る準備をしろ、ここにあるデータは抜いておけ。』

『承知致しました。』

 裕次の口の端に口づけをした彼杜の目が、さて、とスキーターへ向き直る。

『正直言ってクソボンボンよりも、お前ずっとイイよ。気に入った。』

 瞬間、彼杜が一歩踏み出した。首目掛けて落とされる手刀をガードし素早くスキーターは手にしていたアンプルを振り翳し横殴りに突き立てた、が軽く彼杜の手に払いのけられ、彼杜の右フックがみぞおちと顔面に入り、目がくらんだ一瞬で首を掴み上げられた。

『ハッタリも、度胸も焦らしも及第点、なかなかのテクニシャンだ。ただし、』

 彼杜は壁際にスキーターを押し付け、義眼のハマる左目へと唇を近づけ―――そのまま喰むように舌を差し入れ食い千切るように義眼を抉り出した。

 己のものとは思えない悲鳴が鼓膜を震わせる。

『相手を間違えてる。』

 くすりと笑う彼杜の口の端から飴玉を転がすように含まれた己の瞳と、目が合う。

 

 瞬間、スキーターは己がこの後、生きる事が出来ない事を悟った。

 彼杜の目は了の持つ目と同じ彼岸を超えてしまった者の目をしていた。それは普通では持つことのできない、死を見つめ続けてきた獣の瞳だった。

『…ヴァイス。さっき、何でテメェを殺そうとしやがったか、聞いたな。』

 スキーターは彼杜に縋るように手を伸ばし、力なくもたれ掛かるように耳元へと口を寄せた。

『テメェの血が、ノワールを殺すからだ。』

 彼杜の息が一瞬、微弱に揺れる。

『…何で、解体を命じられた軍の残党であるノワールが今まだ生きていられると思う。普通の兵ならまだしも特殊機密部隊の、それもGeNESiSのEb被験体だ。良心で救える程簡単な命じゃねぇんだよあれは。反乱軍やお前らに取られただけで国家転覆の危機を抱えた核と同じ、あれは兵器だ。』

 再び瞳を失い空洞となった左目が、過去の忌まわしい事ばかりを脳に映し出す。痛み、痛み、耐え難い、傷み。

『しかし、ノワールは所詮コピー。禁断の果実の侵食と、度重なる軍部の洗脳によって――相模 了の自我は、そう遠くない未来、消滅する事が予測されている。』

 スキーターから伝い落ちた血が彼杜の微弱に揺れ動いた掌へとこぼれ落ちる。

『記憶も思考能力も失われ、喋る事はおろか己の意思で立つ事も出来ない、真っ白な抜け殻になるんだよ。だから秘密裏に嘉縫に引き取られた、研究の結果を見届けるためだ。熊達や俺は経過観察の任を軍から課されている。俺は軍の任なんざ知った事じゃねぇが、アイツが止まるのを研究者として見届けてやるつもりだった。』

 嘉縫上官に何の意図があったかなど自分には知る由もないが、新たな名を受け生きる事を命じられた人形が人に成っていく様を観察するのは動物か何かを飼育している気分だった。人工的に造られた戦闘兵器から戦う意義を取り上げられた姿は、ただの弱々しい生き物だった。少しづつ変わって行く彼の様子を見ている事に、いつの間にか愛着を持っていた事は、偽りではない。

 ―――それなのに。

『お前の血は今や"禁断の木の実"フリュイデファンデュそのものだ。血中濃度が想定範囲を超えてる。その血は人間の自我を失わせ本能を研ぎ澄まし、獣と化す禁断の果実そのものになる。』

 スキーターは縋るように彼杜の腕を掴んだ。

『だから…テメェだけは殺しておかねぇといけなかったんだよ!!!』

 言葉を押し込むように、スキーターは彼杜の腹に何かを突き指した。

『…何だ、これは。』

 痛みとも感じられないびじゃく刺激に目を下ろすと彼杜の腹には、緑色のアンプルが突き刺さっていた。

『ペルデレ、実験中偶然出来たアンチ"禁断の木の実"フリュイデファンデュだ。ただ、なんせそもそも適合者が出なかったから、お披露目する機会がなかったんだが、な。』

 瞬間、スキーターの顎に俊足の蹴りが入った。もう二、三発、顎骨が砕ける音を聞いた後、スキーターは頭を掴み上げられ宙に持ち上げられた。

『言える事は、これで全部か。』

 アンプルを抜き捨て瞳孔の完全に開いた瞳で彼杜はスキーターを見上げた。

『カハッ…はっ、ははっ、はははははっ!!あぁっ!!テメェの存在は、ノワールを殺す!だからっ!!ノワールには!了にはっ!!、近づ、ぐなッ!!!』


 叫ぶスキーターの懇願の言葉に、彼杜の中で何かが千切れる音が響いた。


 尚もナイフを取り斬りかかるスキーターの手を捻り上げ嫌な音を響かせる、そのままカウンターに身体を叩きつけ、彼杜はスキーターの腕を上げ束ね上げ、奪いあげたナイフを手の甲に付きたて拘束した。

 そのままもう一つのナイフを振り上げ、スキーターの喉元に向かい振り下ろす―――寸前で、彼杜の手が止まった。

 獰猛な獣の、息遣いがスキーターの鼻先にかかる。

『…アイツは、俺のモノだ。』

 次の瞬間、彼杜は己の腕を切り裂いた。

 果実に食らいつくように口に血を含んだ彼杜は、スキーターの唇に口移しで流し込んだ。舌を伴い流し込まれる"禁断の木の実"フリュイデファンデュの血。

『ゥグっ…ヤ"、メロォヲおぉ!!』

 力の限り抵抗してもどうしようもなかった、流し込まれる血独特の味が深まる程、チリチリと頭の奥で熱が火花の様に散り脳髄に痺れが走った。合わせて滑り込む柔らかくうねる舌の感触に背筋の裏から嫌悪感が滲む。全身を這い回る沸々とした恐怖、引き伸ばされ歪む視界が鼓動と共に大きく歪む。喘ぐ呼吸の不規則さに自分が見てきた多くの被験者の姿が重なり巡り嫌な汗が滲んだ。

 わざと音が立つように唇を離し、彼杜は髪をかき上げた。

『俺が、奴を、殺す?そんなの、』

 爪を砥ぐ猫のようにスキーターの身体にナイフが這わされる。薄皮を舐めるような歯のすべりが、嬲るだけの傷を作りジワジワと躙り寄る痛みに早くも奥歯が軋んで行く。服と共に引き裂かれて行く刃先が下腹部へと降ろされていく。膝を掴み上げ乗りかかるように彼杜はスキーターへと顔を寄せた。

『分かってんだよ。』

 喉の奥まで銃口を突きつけられる。

『舐めろよ。』

 耳元に低く響く獣の唸り声のような、彼杜の声。

 死が目前に迫っている、それだけが朦朧とする意識の中で唯一確信を持って認識される事だった。口の中を嬲るように上下する鋼鉄のバレル、恐怖に頬が引き攣り間抜けに唾液が溢れて行く。

 もう一方の手に握られるナイフは腰骨をなぞり恥骨に向かい降ろされ、布を引っ掛けて裂いていく。湧き上がる嫌悪感に足を蹴り上げようとした瞬間、太ももに開いた銃痕に指を押し込まれた。痛みで思考が飛び散り、非れもない悲鳴が上がる―――瞬間、 

 身体を貫く異物の感覚に、全身の血が凍りつくような恐怖が全身を襲う。

『ぅ゛ぁあぁあっ!!い゛ぃぃああああッ!!!』

『俺は。物心付く頃には、隣国に一人で居た。母親は死んだのか逃げたのか知らねぇが、俺の記憶は、こうやって何処の誰かも分からない糞野郎に銃とナニを突っ込まれた所から始まる。その後も、何もかもがぐちゃぐちゃになるまで、やって、殺って、ヤりまくった。』

 全身から流れ落ちている血か、局部が避けて出ている血なのか、いらない水音がじゅぷじゅぷと汚らしく立ててる音が聞こえてくる。吐きそうな痛みと恐怖で口元が震え、咥えている銃をカチカチと鳴らした。

『生きた。生きた、しぶとく、生き残った。周りがバタバタ死んでいく中、どんな手を使ってでも生き延びた。見捨てられて、裏切られて、同じ事をして。周りの奴らの命を喰らうようにして、生きた。生きるためにしていた行為は、生きる手段になり、仕事になり、俺は隣国の傭兵として全ての行為を正当化して行った。そうして隣国でお前ら軍に会った。出生を知り本国に戻されて、初めてあの親父の存在を知って、そして―――俺はもう二度と裏切られないように、あの男に、飼われる事にした。』

 次の瞬間、彼杜はねっとりと舐めあげる熱っぽい視線を寄越し、銃を引き抜くと、代わりに吸い付くように舌を絡ませ、いたずらに舌を噛みながら―――入り口で弄ばれていた熱を奥深くへと突き上げられた。

 絶句、呼吸が出来なくなり体中全ての痛みに凍りついた。

『ははっ、おいおい、まだ、続くんだよこの話は。ちゃんと感じてろ。』

 あやすように目尻にキスをし彼杜は、足を掴み上げ体重をかけ更に奥へと押し進めた。息ができない、背筋から這い寄る恐怖に目尻に涙が滲む。恐怖から逃れようと助けを求めるように無意識にスキーターは彼杜の唇へと舌を自ら絡ませた。

『大丈夫。痛みも、恐怖も、絶望も』

 わざと焦らすように舌を絡ませながら、彼杜の腰が少しづつ動き始める。引き抜かれる局部の摩擦に落下するような気色の悪い浮遊感が足の先から染み出す。喉がからからに乾いている。頭の奥底で白い光が乱反射する、思考がボロボロと形を失い崩れ落ちていく。息が、苦しい、痛みで気が遠くなる、恐怖、その寸前で―――

『甘く蕩ける。』

 再び突き上げられた痛みに、全身を痺れるような快楽が駆け巡り破裂した。

『―――ッぁああっ!!ひっ――ぅっ!っぁは、ぁあッ!!』

『もっと甘く、鳴け。』

 どんなに屈辱的だと思っていても淫靡な声が止められない。自分から上がっているとは思いたくない強請るような上ずった声に応え彼杜の動きが加速する。疼く欲望がみっともなく溢れ、既に達している中心部は未だに蜜を溢れ出させていた。

『ぁっあっ…ん、んぅんっ!ふぁっ、っはッ、ァァあ』

 欲しくて、欲しくて、欲望が止まらない。

 熱に浮かされ全身を柔らかい心地よさがピリピリと這っていく。こんな刺激は久しぶりだった、いいや、初めてだった。短絡的で雑念のない、生きる事への快楽。

 ―――左目を失った時、以来だ。

 生きている事を実感している。

 ノワールのようには生きられず、漸のようにも振り切れず、死体を貪るように残り滓を喰らい続け、ずっと、彷徨っていた。

 無表情に見上げてくる瞳の罪悪感が拭えず、この世界はいつも淀んで見えた。

 彼杜の肩越しに、戻ってきた裕次の姿が見える。

『彼杜、準備が出来ました。』

『あぁ裕次、来いよ。』

 ―――彼は、死んだはずだった。でも、彼は生きていた。

『…アぁッ、アウラッ―――生きてたん、だな。』

 涙で滲む視界から目を背けるように瞼を下ろし、スキーターはすべてを諦め自ら強請るように腰を押し付けていた。

『あぁ、生きてる。他人の命を奪って、甘い快楽を貪って、誰かに飼われて。でも、それで、良かった。今までは、それで良かった。』

 彼杜の声が低く響き顎元に突きつけられる、銃口。

『俺は見つけてしまった。俺と同じ形をした、生き物を。』

 撃鉄が、下ろされる。

 その音で辛うじて我に返る。

 でも、死を目前にしてももう―――恐怖も何も感じる事が出来ない。

 瞳の失われた左まぶたに口づけをし彼杜は律動を早めた。その後ろから擦り寄り子供のような手つきで甘える裕次が彼杜を抱きしめる。

 モニター越しに散々見ていた無表情の彼の表情がやわらかく笑う様を見て、スキーターの瞳からは涙がこぼれ落ちた。

『ァっ、あぁっ、アウ、ラっ……!お前はッァアッ…』

『なぁ、スキーター。こんな生き方をしてでも、生きていたいと思っていた俺だがな、今初めて―――』

『ぁっ、あはっ、ひぅっ!あぁぁっ―――ッ!!』

 最後に見た瞳は、海のように深い深い、透き通るような絶望を湛えて、


『死にたいと、思っているよ。』

 

 銃声の鳴り響く音。

 はじけ飛ぶ赤い飛沫に混ざり合う白い雫が、裕次の頬へと飛び散った。


『なぁ、裕次。』

 血と愛液でぐちゃぐちゃになった彼杜は裕次へと腕を絡ませ、カウンターに乱雑に置いてあったライター用のオイルをいくつか床に投げ捨てた。

『骨の髄まで、俺に尽くせ。』

 裕次は彼杜の口元へと煙草を運び火を点けた。

 静かになった乱雑な店内に、ゆっくりと紫煙が浮かぶ。

『えぇ、承知致しました。』

 裕次の言葉を確かめるように口づけを強請った彼杜は手にした煙草を力なく指先から、落とした。

 小さな火種は輪を描き羽を広げるように燃え盛る炎へと変わって行く。

 燃え上がる木材やガラクタがぱちぱちと音を立てる。急速に身体を大きく翻しうねり上がる赤い狂気が、血にまみれた肢体も、モニターに映し出される過去も飲み込んで行く。

 炎の行く末を眺めるように彼杜は椅子に座り足を組み首元のスカーフを外した、その足元に傅き裕次は彼杜の臍へまるで血を舐め洗うように口づけを落とす。

『何もかもがなくなって、俺だけになったら、その時は―――』

 まるで独り言を漏らすように微かな声で

『俺を、殺してくれ。』

 白い瞳に赤い炎の揺らめきが反射していた。

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