08. Peeping Tom.

 スコープから圧倒的な悲劇を目撃する数分前、スキーターは腹立たしげに眼下に広がる夜の街に向かい唾を吐き捨てた。

 柄じゃあない、こんな事。雪の溶け残る屋上の片隅で超遠距離用のスナイパーライフルを組み立てたスキーターの身体は久々の外出業務への抗議と骨がぽきぽきと乾いた音を立てている。

『ったく、女日照りが続き過ぎて母性本能でも目覚めたのかよファック、最低だ。』

己への罵倒の言葉に改めて依頼主の黒い瞳を思い出す。

 ―――スキーター、鬼頭 彼杜の情報が欲しい。


 ―OTHER SIDE ― 08.Peeping Tom.


 #000000ノワール。あの男との付き合いは自分への烙印スティグマのようなものだ。あの時代に散々覗き込んで来た無表情な黒い眼と対峙する度、身体のあちこちにぽっかりと穴が開いたように身体が疼き、それは誰かの頭蓋骨やどてっ腹に穴を開けていた時の自分といつも重なり左目の奥が重く痛む。左目を負傷し戦線を離れられると知った時には生き延びたと安堵していたが、あの研究所は正直地獄だった。洗脳、薬物投与、人体実験。俺達が見た戦場は人同士の最低行為だったが、研究所で行われていたのは人間には到底出来るはずのない悪魔のような所業だった。何度地獄は終わったのだと自分に言い聞かせても左目のない視界に慣れる事はない。

『まァ、俺はプロのクズだからな、金を貰ったら大統領のケツ毛の数だって調べてやる。』

 気付けにジンを一口飲み下しスキーターはスコープで約1km先のホテルで行われているプラナドの傘下組織である“ルスツオ”の血の掟の儀式が行われる会場を覗いた。カポ・ルスツオは時代遅れの古臭い歴史を振りかざした鼻持ちならない集団で表面上プラナドに与しているもののプラナドを出来て日の浅い成金マフィアだと卑下し水面下では小競り合いが続くと聞いている。更に若頭の斎藤はどこからどう見ても親の七光りを被った無能ボンボンで、本人も自覚をしているのか、どうにか手柄を立てようと躍起になっており最近は過激な行動がよく目立つ、短絡的な下衆だ。

 先日のヴァイス不在の原因も俺がやってやったと仲間中に触れ込んでいるらしく、本人の預かり知らぬ所でルスツオとプラナドの全面戦争に10、ルスツオの一方的な壊滅に90のオッズがかかっている。つまり、話にならない。

『で、その血の掟の場にあの猫を招いちゃうっつータレこみ、な。本当だったらあの男は本物のバカだな。そこにのこのこと現れる方もバ、カ―――』

 斎藤の嫌味なウェーブ髪の後ろ姿から軽くスコープを振ると、ホテルの前に一台の車が止まりそこから細身の白い髪の男が降り立ったのが見えた。

 白スーツに赤ベスト、襟を立てたシャツの首元にはスカーフを巻き髪型は右サイドだけオールバックに流している。手には真っ白な薔薇の花束を持ち、男は同じく車から出てきた深い青髪の男から白いコートを羽織った。

 あの白髪は間違いない、 鬼頭 彼杜ヴァイスだ。

 先程飲んだジンがやけに喉を焼く、スキーターは彼杜の後頭部をスコープで追いながらスコープに取付けた撮影用カメラの電源を確かめた。

 もう一人の薄い目の男は恐らく―――プラナドのNo.3笠原かさはら佑次ゆうじだろう。有力な戦闘員だがもっぱら彼杜のお目付け役のように動いている底の見えない男だ。佑次と彼杜の2名がエレベーターに乗り最上階のルスツオのパーティー会場へ降り立った。


 一斉に緊張が走る中、彼杜は悠然と会場内を歩き斎藤の元へと歩み行く。豪勢なシャンデリアが店内に蠢く黒いスーツの男達を照らす、その中を進む白い彼杜だけがはっきりと視界に映った。華奢ながらも芯のしっかり通った整った体躯、愛想笑いを浮かべたホストか何かにしか見えない整った面構えにスキーターは鼻を鳴らしシャッターを切った。

 斎藤が軽く手を広げる、彼杜はその腕に出迎えられ軽く頬を合わせ合った。その時斎藤の口が何かを告げたように動いたのが見えた、会話の内容までは分からない。微かな沈黙後、周りを見渡しながら鼻を鳴らした彼杜は斎藤の手を取り、上目遣いで跪きその手の甲へと―――キスをした。


 瞬間、薔薇の花束から放たれる銃弾の嵐。


 場は戦場と変わった。予めそうなる事が予想されていたかのようにルスツオの戦闘員が次々と湧いて出て来る。しかしそれをもろともせず彼杜は左右に別れた花束から音速の二丁銃シルバージギィを振り回し、ダンスをするように舞い上がった。フラッシュライトのように銃口が瞬く合間を駆け抜け、クラッカーのように弾ける柱や家具の粉塵を祝福のように撒き散らしながら、翻すコートは歓喜するように赤く色づいて行く。

 後ろから湧いて出る敵を佑次のショットガンが冷静に薙いでいく。重力の枷を持っていないかのように体勢を変え跳ねまわる彼杜に引き摺られるように場を乱され、

 花も、飛び散るグラスも、人も、薬莢も、それは滑稽に舞い上がる。


 己の額に汗が滲んだのが分かった、喉がカラカラに乾いて酒を飲みたかったがスコープから目を離せない。

 目の前の惨劇の光景は4年前、同じようにスコープから眺めていた第十三部隊の反乱軍制圧ミッションと重なった。圧倒的、予めシナリオが敷かれているように次々と地に落ちて行く戦闘員達の間を駆け抜ける特殊部隊、その中でも一際存在感を見せつけた黒い災厄チェルノボーグの姿。

『ノワールは訓練され軍という集団の中で最も効果を発揮する戦闘技術だ、それに対しヴァイスのアレは死の瀬戸際を生きて来た、生存本能の戦闘技術、だな。』

 ―――ノワールとヴァイス、対決をしたらどちらが勝つだろうか。

『全盛期のお前だったら勝てたかもしれないが、今は―――』

 スキーターの脳裏にアーカイバ化していた忌まわしい記憶が徐々に解凍されていく、その中に“ノワールと同じ戦闘力を持つ被検体”―――妙に魅惑的で野性的な瞳を持つ、白髪の少年の存在がフラッシュバックする。

『…禁断の木の実フリュイデファンデュを愛用者、ノワールと同年代の子供、圧倒的な戦闘力、まさかアイツは―――』


 次の瞬間、会場の窓ガラスが派手に割られ窓際には斎藤の顎を掴み上げた彼杜の姿があった。

 完全に沈黙をし終えた会場、クリスマスの飾りつけのように赤と光でごちゃごちゃと埋め尽くされたホールに動く影はない。残っているのは、返り血で毛皮をぐっしょりと濡らした捕食者と、そのハントの行く末を薄い瞳で見続ける猛禽類の二匹だけだった。

 彼杜は挑発的に斎藤に何かを告げた。威厳も尊厳もなく命乞いする雑魚、その姿に口が裂けるような角度で彼杜は口の端を持ち上げ笑った。風に煽られ彼杜のコートが窓の外へと投げ出される、それを追うように彼杜は斎藤を窓の外へと放り投げ手向けのように銃弾を二発、脳天と心臓に送った。


 きらきらと硝子の破片を纏いながら落ちて行く男の姿、弛緩した身体を重力に任せ折り曲げながら―――その様を見送る彼杜の薄い瞳はスキーターの脳内の奥底で忘れられていた忌まわしい記憶とぴったりと照合した。

 ―――被検体、#0アイン

『クソッ、最悪だなっ!!!』

 スキーターは使うつもりの無かったライフル弾を装填しスコープを覗き直した。彼杜は未だ窓際で何かを眺めるように虚空の闇へと視線を落としている、佑次が近づき煙草を彼杜の口元へと寄せ、スカーフを緩め彼杜は煙草を咥え銃を仕舞った。

 ―――今なら、

 このライフルで確実に狙うなら800kmだがここから会場への距離は1km、今の自分で狙えるか微妙な所だが最悪な事に今宵は環境が良い。風もほとんどなく自分の地点から狙うのはあまり難しい事ではない状況にある。

 ―――行ける、今しかない。

 指先に緊張が走る、彼杜が佑次から煙草を受け取り火を灯そうとした瞬間―――


 ―――スコープ越しに、微かに傾ぐ彼杜の獰猛な瞳と目が合った。


 直後、弾道は僅かに逸れ彼杜の額を弾き赤が宙に向かい飛び散る、少し遅れて風を切るライフル弾の音が追い付いた。

『ッそ、外したかっ、もう一発―――』

 再びスコープを覗き込んだ時、スキーターの背筋から血の気が引いた。額から血を流しながらまっすぐにこちら側を見上げている彼杜の瞳が見える、人間の道理など一切通じない圧倒的な―――獣の瞳。

『っチッ、1km離れてんだぞクソがっ…!!』

 それでも確実にバレている。一発目のも外れたんじゃない、避けられた。すぐさま足の付かない装備品をその場に投げ捨てスキーターは一目散にビルから退避した。

 甲高い音を響かせる螺旋階段、息が上がる、冷たい空気が肺に入り込み全身を凍り付かせるようにどんどんと熱を奪って行く。それだけではない、ここから3分はかかる距離に彼杜はいるはずだが彼の視線が今も尚背を追ってくるかのようので嫌な汗が止まらない。

 スキーターは前もって用意していた逃走ルートのうち一つを選び、裏路地を駆け抜けた。

『居場所はバレている、なら正当法のルートはアウト、かと言って裏路地を進んだんじゃ奴等に追いつかれちまう。だったら、』

 スキーターは身に纏っていた防護系の装備品を脱ぎ捨て一般人に紛れ込むようなごく普通の恰好となり駆けるのを止め通行人と同じ歩幅で歩き出した。

『なるべく迂回しつつアジトに…クッソ早くこの事を、アイツに、』

 駅へ向かう人混みに紛れ移動する。いくら何でも顔までは見えていないだろう、下手に走ったりせず目立たずに移動する方が確実だ。逸る鼓動を抑え付けながら角を曲がる、そのすぐ先に彼杜の姿が見えた。ツイていない、震えそうな唇を噛み締め余計な事をせずそのまま通り過ぎて―――

 スキーターは素知らぬ様子で行き交う人に紛れ、彼杜と正面からすれ違った。

 彼杜はスキーターに気付く様子もなくすれ違いそのまま向こう側に―――


『―――やっぱり、見過ごせねぇなァ。』


 彼杜の声がした。反射的に背筋が凍る。

『あのビルからの逃走ルートは主に3つ、他の二択を取るような雑魚なら見逃してやろうかとも思ったが、このルートを選べる度胸を持ち且つ俺と正面からすれ違ってその心音で居られるような奴なら、構ってやらないと行けない気がしないか。』

 聞こえぬフリをしてそのまま歩みを進め、膝が震え走り出しそうになるのを必死で抑え込む。

『なぁ、スキーターハイエナ君。』


 瞬間、スキーターは放たれた銃撃を避け裏路地に飛び込んだ。

 アジトへと一直線に向かい走り出す。後ろから足音が幾重にもなり近づいて来る、瞬間上からの射撃が足を掠め裏路地のゴミ箱に転げ込んだ。

『クッソ、柄じゃねぇッなァぁあ!』

 鎮痛剤の医薬アンプルを足に突き立て牽制にコート裏に仕込んでいたサブマシンガンを上空に向け撃つ。すぐさま足を引き摺り裏道から己の店へと駆け込んだ。気休め程度にドアノブをぶっ壊し中へ入り血と汗でぬかるむ指先で慌ててキーを叩く。

『こんな所で過去の亡霊に合うなんざ、何の因果だ…』

 アーカイバの奥の奥、厳重に仕舞って脳内からも葬り去ってやりたかった過去の極秘研究データのフォルダを解凍して行く。いくつかのフォルダがチンされた時見たくもなかったファイル名「GeNESiS」が目に入った。

『おいコンピューターラルヴァ、“Project;GeNESiS”のデータ丸ごとをあのクソッタレん所に送れ!』

 クソッタレ、の機微が分からないマシンは俺にクソッタレ候補のリストを示してきやがった。まったくこの愛しいポンコツちゃんには頭が下がるが、

『―――アンタに聖書創世記を愛読する趣味があったとはね。』

 名前を撃ち込む寸前でこめかみに突き付けられる細身の銃身。

『何だよ人がせっかく褒めてやったのに一目散に逃げやがって。撃ち逃げかよ』

『クソがっ…普通発砲されたら、逃げるに決まってんだろうがッ!!』

『ははっ、まぁそれもそうだ。』

 軽口を叩き笑った彼杜は俺を深く椅子に座らせた後、躊躇いなく太ももと手のひらに銃弾を撃ち込んだ。

『――――っぃいあぁああっ!!』

『で、オレのナニを調べてた。』

 いっそ優美にすら思える程冷えた瞳に谷底に突き落とされるような絶望が滲む。銃口をゆっくりと降ろしながら彼杜は煙草の煙を吐き出した。

『人の事覗き見るだなんてエッチ。それとも御仕置きが欲しくておイタでもしちゃったのかな?どちらにしても脳天一発狙いとは良い度胸してるじゃあねぇかトム。』

 見てくれよこれ一張羅なのに、と額から流れる血とその血によって汚れたワイシャツを見せ付けてくる。それ以外にも返り血でびちゃびちゃじゃねぇか、というツッコミを口の中で嚙み殺しスキーターは目を逸らしていた。

『ルスツオの血の掟オメルタに俺が行く事自体は別に隠してもいない事だからそこで狙われようが盗み見られていようが、そんなに不思議じゃない。だが―――』

 彼杜は銃口を眉間に突き付けながら乳白色の目を細める。

『スナイパーじゃない情報屋のお前が、何で俺を殺そうとしやがったか、だ。そのリスクでどんなリターンを得るつもりだった。』

 スコープ越しに見ていた獰猛な獣は今、俺の目の前にゼロ距離で立ちはだかり、ハントし終え捕食する瞬間を舌舐めずりている。

 柄じゃあない、こんな事。

 スキーターの脳内は己への罵倒の言葉を何度も何度もサイレンのように叫びあげた。

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