05.Back in the nest.

彼杜かのと。』

 微かに懐かしく感じる呼び名を示すかのように、己の為だけに作られた細身の白い二丁銃を握り、暗闇に一番栄える白いコートを翻し彼杜は振り向いた。

『あぁ、今行く。』

 目の前で震えながら椅子に縛り付けられている男の顎を銃の先で持ち上げて、彼杜はファーに埋もれた顔でにっこりと微笑んだ。

『この間はどーも。禁薬中に鉄パイプで殴るなんて激しすぎ。まぁお蔭で目ぇ覚めたわ。たっぴりサービスしてやるよ。』

 笑顔を貼り付けたまま彼杜は男の肩のまだ血を含んでいる銃痕に、黒く塗った爪先を這わした。


  ―OTHER SIDE ― 05.Back in the nest.


『お前サァ、あの人の持ち物に手出して無事で済むと思ってんの、笑っちゃう。』

『糞が。持ち物と自覚してるとは、お前も終わってんな。』

 男の言葉に彼杜は冷たく眼を細め、噛み付くように耳に口元を寄せ笑った

『…そう、お前じゃあ、なれねぇんだよ。あの人にも、あの人のモノにも。』

 そのまま、彼杜は噛み付くように男へと舌を絡ませ、男の口を塞いだまま銃痕に爪を押し込み、口の中で必死に上がる悲鳴に彼杜は満足そうに喉を鳴らした。

『アァ、もっと鳴いてくれ。喉の奥まで届く振動がキモチいい。』

 椅子の上で男に跨るように覆い被さり口を塞いだまま、彼杜は首元を締め上げた。唾液が男の顎を伝い落ち彼杜の腰骨へ垂れ落ちる、男が不自然に震えはじめた様子にくっくと喉を鳴らし、男が意識を失う寸前で彼杜は手を放した。

『裏に居る奴の名前を言え。』

 彼杜は拳銃を男の眉間に突き立て、凍り付いた瞳で見下ろした。

『遠征中に過剰服薬オーバードースし帰還移送中だった貴方を奇襲するなんて、内部の反抗としか思えませんからね。』

 冷静な声色で奥から静かに表れた男は、静かに煙草を彼杜の口に運んだ。

『テメェはハニーの一匹ぐらいちゃんと家まで持ち帰れよ、祐次ゆうじ。下僕失格だ。跪け。』

 もう一方の銃口を男、笠原かさはら 佑次ゆうじへと向ける。気にした様子もなく静かに笠原は足元へと這い蹲り、彼杜の革張りのロングブーツの爪先へと口づけをした。

『お許し下さい、彼杜。』

 言葉とは裏腹に期待に満ちた表情を返す佑次の胸元を足で踏みつける、佑次は縋るように彼杜の足を撫で上げ抱き寄せながら、彼杜の煙草へ火を灯した。絡ませた足を悪戯に絡ませ、煙草の煙を吐きかけ唇が触れ合う寸前で彼杜は牙をむいた。

『忠誠心の薄っぺらい言葉なんざいらねぇんだよ。骨の髄まで俺に尽くせ。殺すぞ。』

『えぇ、承知致しました。』

 満足気に微笑む佑次に舌打ちをし彼杜は靴底で佑次の胸元を押し返し振り解いた。意識も虚ろにその光景を眺めていた男は息も絶え絶えに彼杜を見上げた。

『彼杜、そろそろ時間です。』

『あぁ、今行く。』

 彼杜は男の頬を抱きべろりと血の涙の滲む男の目玉を舐め上げ、白い銃を軽く振った。

『バカンスは終わりだとよ。残念、もっと泣き縋るまで遊んでやりたかったんだけどなぁ。』

 立ち上がり彼杜は二丁の白い銃を男の両目に向かって押し込み顔を歪ませた。

『ま、待ってくれ!!俺はただ、斎藤の奴等に―ッ――』

 男の悲痛な叫び声を塞ぐように、一方の銃口を口へ押し込んだ。

『さぁ、ヴァイスの復活だ。もう一回逝かせてやるよ。』

 悲鳴と共に銃声が響きわたる。頬に飛ぶ返り血を愛しそうに舐め白猫が鳴いた。



 自宅に帰っても用意するのは自分の分のコーヒーだけですみようになった。帰り際に菓子を持つ習慣もなくなり、甘ったるい匂いに悩まされる事もなくなり、ゴミはいつもゴミ箱に収まり、いつもどおり部屋に戻る朝が繰り返される、

 その日常のリフレインに、僅かなノイズのような違和感が蔓延っている。

『お前ん家のプシーは自分の巣に戻ったらしいな。』

 集合場所の狭いバーカウンターにコロナ、と言い捨てスキーターはりょうの隣に座った。

『お得意様の為に、と少し鼻を効かせたら、流石の俺でも金玉縮み上がるようなタレこみ発見、と。あーあ、まさか自分所の飼い犬の小屋に、ビッチマフィアの愛猫が居たとは、軍部も頭撃って死にたくなるだろうな。』

『…調べたのか。』

『調べたも何も、あんな悪趣味な残り香振り撒かれたら、ハイエナじゃなくても後を追いたくなるね。』

 一杯目を飲み干し大きく舌打ちしたスキーターはラム、とさらにカウンターに叫んだ。

『結局、何?正体分かって利用されただけって分かった?それとも信じてやろうと思う?返答次第じゃ俺はお前をブチ殺すね。拾いヌシ君。今度デートする時にゃもっと人目に付かないプランにするんだな。大体自分の立場を―――』

『―――スキーター、鬼頭きとう 彼杜かのとの情報が欲しい。』

 言葉を無視するように出されたラムの入ったグラスをいっきに飲み干し、スキーターはグラスを思い切り机にたたき付けた。

『プラナドの幹部だぞ。それがテメェの家にいたってだけでも軍法会議ものなのにお前は、』

『だから、何だ。』

 了の跳ね退けるような態度に、ムースは頭を抱えて唸った。 

『あーあもう嫌だ。クソが。相手があのファッキン猫じゃなけりゃ俺だってノッてやるよ。軍部の誇る生物兵器キリングマシーンが愈々迎えた初潮だ。赤飯炊いてやりたい。』

 オーバーにのけ反るポーズでスキーターは中指を突き立てバーボン、とカウンターに叫んだ。

『俺も若い頃はマフィアの女にぐらいいくらでも手出して死にかけた。バット、テメェがツッ込んだのは違うんだよ。プラナドのボス、クラウズの持ち寝子ねこだ。ヴァイスに手出して生きてる野郎なんざ今ん所お前だけだろ。あーあ、お前との最後の酒だと思うとサイコーの酒だ。毎日死ねよ、そしたら安酒でも妥協してやる。』

 ふっきれたように鼻で乾いた笑いを上げムースはウオッカ!とたたみ掛ける。

『何?何?そんなにイカれちゃったの?わんちゃんキモち悪いよ?ホットなドッグなんて下品なギャグさえ笑えない。キモイ。超キモイ。』

『別に、何もない。』

『三文芝居はお前ん所の間抜けな大熊にでもしてやるんだな。ヘドが出る。』

 カウンターに出されたウォッカを奪うように受け取り喉に流し込んだ。了は静かに自分の手の中にあるジンバックに口を付けた。沈黙の間をがちゃがちゃと騒がしい店内の喧噪が間を取り持つ。

『…俺は、アンタを。軍時代から知ってる。』

 声のトーンを下げ目を細めたスキーターは斜めに崩れた姿勢で話を続けた。

『カッコよかった。チビるぐらい、最高だった。俺はアンタじゃないから好き勝手言うけど、アンタ達の強さは俺達の憧れだった。苦しみなんか知るかよ。俺達だって苦しかった。そんなクソみたいな世界が終わっても、バカみたいにまだドンパチやってやがるオマエ等の気が知れねぇ。』

 ま、それのオコボレで生きてる俺もクズだがな。と、肩が沈む。

『でも、仕方ねぇよな。俺達そういう生き方しか知らねぇし戦って人殺すコトぐらいしかよく分からねぇし。そんな野良猫の事なんざ忘れて、俺とクソマズい酒呑んでりゃいーじゃん。バカらしいにも程がある。人間らしい死因でお前の死亡記事が上がったら、お前の無残な死体をもう一回犯して殺してやる。』

 螺子が切れたかのようにムースの動きが止まった。ようやく酒が回ってきたのだろう、店の中に響いていた喧騒は徐々に大きく騒ぎに成って行く。

『―――たちばな。お前は俺の事を殺せるか。』

 了はスキーター―――たちばな 直春なおはるへと顔を向けた。

『は?何言ってんだ。あと本名呼ぶなヤメロ。それはお前なりのジョークか?不合格!返り討ちにあって俺の方が死ぬわボケ。』

『そうだな。』

 了は目を閉じ依頼の件頼んだ、と席を立とうとした。その腕を掴みスキーターはぎりりと拳を握った。

『俺は右目を負傷して第一線から退いてから、お前等の面倒見る為に頭がおかしくなりそうな実験をしまくった、本当に最悪な地獄だった。今もその時の悲鳴が網膜の裏にこびり付いて視界がすぐ淀んじまう。だがそれでも、終わったんだ。』

 スキーターは立ち上がり了の胸倉を掴み上げた。目を剥き出しに笑う彼の義眼が嵌っている左目は微かに右目と色合いが異なり、不自然な鳶色の瞳が揺れた。

#000000ノワールは死んだ、お前は相模さがみ りょうだ。』

 目を逸らす事もせず無表情にスキーターを見返す了からは何の感情も伝わってこない、空洞のような黒い瞳から逃れるようにスキーターは目を逸らし耳打ちする

『ヴァイスには近づくな、死にたがるんじゃねぇよ。』

『――――そうだな。』

 自分に言い聞かせるように呟いた了はスキーターを振り解き店の扉を開けた。

 ―――明日になったら、忘れろよ。最初で、最後だ。

 猫の言葉を思い出す。

 浮かび上がる断片的な記憶は纏わり付いてくる違和感でしかない、了は感じた事のない苛立ちに足を速めた。世闇に薄く切れ目を入れるような三日月に、灰色の煙が舞い上がる。



 腐敗した夜はこの身を啄ばむくせに、その無残な四肢を照らし出す様に月の光がまっすぐにこの身を射抜く。生温い熱気と己から沸き上がる淫らな吐息に、甘い薫りが舞い上がり少しづつ自我が失われていくのを彼杜は感じていた。

『…あっ…んっ……っぁふ―――』

 漏れ落ちる快楽に己の輪郭は曖昧になり、痛覚は甘く苦い愉悦へと代わる。溢れ出す妖艶な吐息に答えるように鋭い衝動音と痛みが体中を襲う。

『彼杜―――。』

 細胞の隙間を縫い脳髄に響き渡る、主の声。

 それだけで、この身はずくずくと疼き、意識が膨張する。

『ァっ、やッ―――クラウズ、』

 拘束具が皮膚に食い込み赤く滲む手首に汗が赤い滴となり白い肌を流れて行く。クラウズはその滴に口付けをし血の味を愛しそうに舌で転がした。皮膚の薄い筋張った頬が皺を作りながら笑う、その口角を吊り上げたまま彼は手にした鞭を振り下ろした。

 鮮烈な刺激、そして血の気が引いた窪みに血液が戻る際のふっくらとした痛み。久々に味わう身に沁みついた快楽の味に思わず生唾を呑み込む。物欲しそうに淫靡に見上げる彼杜を灰色の冷えた瞳が捕らえる。

 全てを見透かされているかのような絶対的な瞳を今己だけが独占している満足感に、彼杜は喉の奥を鳴らしながら挑発的な目線を送った。革張りの鞭は彼杜の白い背に走る赤い線をそっとなぞり下ろしながら双丘の窪みへと降ろされていく。焦らされるような刺激に腹の奥底から熱がうねり始める。

『…っ―――はや、く。』

『堪え性のない奴だ。』

 打ち付けられる烈激に背が反り跳ねる、瞬間、顎を掴み上げられ状態を起こされそのまま、深く、熱を穿たれる。

『―――ッひアぁッ!』

 息が止まる、奥まで突き上げられた熱に身体が支配される。身体がぞくぞくと疼き、貫かれる痛みに落下するような絶望感と、震える程の期待が腹の底で唸る。少しづつ律動が加速する、痛みが突き上げられる振動によって刺激になり、幾重にも重ねられ涙が溢れる。

『はっ…んぅッ…やっだ―――まだッ…―っひうッ』

 そして、痛みが恐怖に変わる寸前で、快楽となり甘く蕩ける。奥の内壁を抉る衝撃が与える快楽に眩暈がした。全身に走る痺れに、己の主の身体を思い出す。響き渡る卑猥な水音はその痛みを強請るかのように大きく音を立てる。

『…ぁひっ…やっ―――ぁっ…――ぁああッ!』

 溢れ出た声に己を捨て縋る様な喘ぎ声を上げる、痺れのような痛みが背筋に走り膝が震え彼杜は堪らず崩れ落ちた。クラウズは手にした乗馬鞭で彼杜の顎を持ち上げた。

『何だ。』

 後ろから抱きかかえられるようにクラウズの灰色の瞳が近づけられる。縋り付くように涙の滲む目の端を擦り寄せ、

『ぁん―――ッもっと………』

 唾液を滴らせながら枝垂れかかるような角度で、

『痕が付くぐらい、深く―――強く。』

 舌を出し零れる唾液を満足そうに舐め、彼杜は淫靡に微笑む。

『彼杜。』

 鞭が撓る度、絶頂のような喘ぎ声が上がる。

 何度も穿たれる熱の深さに、間違えてこれが愛だと錯覚する。

 全身に刻まれる、己の主人の熱量。

 動きを加速させながらクラウズは彼杜を抱き寄せた。

『もう、どこにも行くな。』

『あっ、はぁッ、ひあっ―――ッぁんあっ!!』

 一層深く穿たれた躍動に己も限界に達する。

 目が眩むほどの快楽に絆され気づけばその痛みを執拗な程に請う。

『…愛しているよ、彼杜。』

 思考が散り散りになり崩れ零れる理性を犯するような主の声が頭蓋骨の内側でじくじくと染み渡り己を埋め尽くす。

 白い皮膚に滲む鎖のような赤い痕を、クラウズの筋張った指先が愛おしそうに這う。そのじんと滲む痛みに腹の底からぞくぞくとした悦楽が沸き上がるのを感じて、彼杜は縋るように理性を失った瞳で満足気に笑い、クラウズへと唇を重ねた。




『おい りょう、最近どうだ。』

 事務所で銃の手入れをしていた了は ぜんに探りを入れるような声をかけられた。

『お前ん家にいた、その、アイツだよ。』

 了は銃を置き漸の方を見ずにだいぶ前に出ていった、とだけ答えた。

『出てったって…』

 心配そうに覗き込む漸に怪訝な顔を返す。

『別に、何もない。』

 何も関係がない唯の猫だったと言うようにあの猫はどこかに消えてしまった。

『そうか、ん。それなら良いんだが…』

 そこへ部屋に入ってきた理佐りさが漸に何かを耳打ちした。

『そりゃお前、』

『でも嘉縫かぬいさんの所からのご依頼で、』

『何の話だ?』

 漸はばつが悪そうに何でもないと了を跳ね除けた。その反応にすぐ察しが付く。

『受れば良い、プラナドだろう。』

『…あぁそうだ。嘉縫ん所が次戦でマッチされて、出撃要請が来た。』

 別にお前の腕を心配してんじゃあねぇんだよ、と頭を掻きながら

『お前ん家に何で白猫ヴァイスがいたのか知らねぇが、第一線は流石にゴメンだ。おい理佐、違う所からも依頼来てただろ、嘉縫には悪いが今回はパスだ。』

 すぐに頷き理佐は返信を出そうとしたが、

『プラナドとの対戦クリーク、それも嘉縫少佐からの依頼を断る理由がない。』

『…ある。お前にゃ関係ないかもしれねぇがどこで何が漏れてるか分からん。』

 関係ない、了は少し強く言い切った。

 ―――何でこんな事を。

 漸相手にこんな風に抵抗する言葉が自分の口から出た事に己自身が少し驚く。多少不可解な表情で見つめる二人にゆっくりと視線を戻しながら、

『何もない。いつも通り、戦うだけだ。』

 了の口ぶりに諦めたように漸が理佐に頷いた。銃に残る弾の数を数えるふりをしながら引っ掛かった自分の言葉をもう一度なぞる。

―――いつも通り、

 あの猫はただの野良猫だった、

 もしも、あの猫が鬼頭 彼杜ヴァイスだったとしても。

―――いつも通り、戦うだけだ。

 了は組み上がったガバメントの銃弾をリロードした。

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