第4話 ザイオンを手に入れろ

 人生はおっぱいに似ている。山もあれば谷間もある。県内東地区に聳え立つ険しい霊山の頂上付近にその財音神社ざいおんじんじゃはある。おっぱいで例えれば乳首に当たる部分である。山麓全体が鬱蒼とした森林に囲まれ、人が歩けるような道はほとんどなく、参拝客の行く手を阻む。異様に切り立った稜線を描く歪な風貌の山が県全体を睥睨へいげいしている。県内に住んでいる者からも畏怖されている神社で、実際に辿り着いた、と話す者すらわずかしかいない。

 しかし、その財音神社に辿り着いた者の口からは「神様がいた」だの「天狗に出会った」だの美談が語られたせいか「神秘のパワースポット」との触れ込みでマスコミにも大々的に取り上げられる事になり、それがきっかけで、好奇心だけで無謀にも登山に嘗試しょうしする者が後を絶たないのである。

 そういった迂闊な登山客に限って途中で道に迷い引き返したり、遭難してヘリコプターで救助されたりする事が多いのだが、そういった禍々まがまがしいニュースが地元の地方新聞で取り上げられる度にますます財音神社の神秘性はかさむのだ。

 映斗、理奈、源一郎、吉田の4人はこの山の登山口に早朝から集合した。4人は簡易式テントや寝袋や缶詰やチョコレート等の食料やらがたっぷりと入ったリュックサックを背負い、登山用のトレッキングシューズで厳格な装備をしている。登山客を悉く拒む霊山だ、何があるのかわからないので念には念を入れるに如くはないだろう。途中で熊と遭遇する可能性だってあるので、熊避けの鈴、それに万が一道に迷い下山出来ない事も念頭に置き闇を照らす為のランタンだって用意されている。そんな危険を冒してまでも、まだ見ぬザイオンを手に入れる為に入山する事を決意したのだ。源一郎が上気しながら息巻く。


「日が暮れるまでには下山するぞ! この地図通りで行けば昼頃までには目的の神社に辿り着けるはずだ!」


 源一郎が地図と宣う、誰が書いたかもわからぬ手書きの紙切れを広げる。小学生が殴り書きしたような簡素な線のみで描かれたルートだ。それにしても源一郎はこんな巨体で登山なんて出来るのだろうか、下山する頃には源一郎は3kgくらい痩せてるんじゃないだろうか、と映斗は思った。


「こんな地図で辿り着けるのかよ、ゲンちゃん?」

「ああ、大丈夫だ。これはノトーリアス学園で唯一、財音神社で参拝した先輩が残した地図だ。先輩はその後、ザイオンの力を身に纏いラッパーとして大成したんだよ」


 4人は山道に入る。最初はアスファルトで舗装された道だが、進むにつれ砂利道となっていく。その後、すぐに人が通った形跡すら無いような獣道となる。草むらを掻き分けながら獣道を進むとほうぼうから鳥の囀る声やばさばさといった羽音やらが聴こえてきて、いっそう薄気味悪い様相を呈す。森林全体が闖入者の介入を快く受け入れていないのだろう。薄暗い茂みの中から野生動物たちの眼が光る。

 下山の時間の事を考えると、なんとか昼までには辿り着かなければならない、4人は懸命に歩き続ける。もうすぐ季節は夏だというのに、山の気温は低くひやりとした空気が辺りに充満していた。さすがに天真爛漫な理奈も怖気付いたのか足取りは重い、男子3人に後れを取らないように必死に付いていく。


「なあ、理奈、大丈夫か?」

「う、うん、平気よ、映斗!」


 そうは言っても理奈の表情は狼狽していた。額から汗が溢れ出ている。えっさこらと登っているのかと思ったら、今度は下りだったり、道はくねくねと複雑に入り組んでいる。そもそも「道」と呼べるような標もなく、湿った葉っぱや雑草で足元がぬかるんでいる。足を滑らせないように慎重に歩を進める。スマートフォンの電波すら入らない深い山なので、今どこらへんにいるのかわからないが、恐らく中腹くらいまでは登って来たのだろう。


「映斗、あれを見ろ!」


 源一郎が指差す方向を見上げると赤い鳥居が眼に飛び込んできた。距離にするとまだまだありそうだ。だが、目的地の位置をしっかりと見定めた。


「なあ、ゲンちゃん、あれが、その神社か?」

「そうだ。俺たちはあそこに向かっているんだ! 映斗、理奈、吉田、もう目的地は迫っている。この勢いで一気に登るぞ!」


 4人の眼の前を1匹の狸が通り過ぎた。がさがさと落ち葉を掻き分け狸は藪の中に消えていく。手付かずで荒れ放題の原生林の中、道なき道を歩んでいく。見た事もないような鮮やかな緑色のキノコが生えている、ああ、これは絶対に猛毒を持っているキノコだろうな、絶対に口にしてはいけないヤツだな、映斗はそんな事を考えながらもずんずんと歩く。鳥居の赤が徐々に近付いて来る。4人の鼓動は飛び跳ねていた。薄い靄がかかって視界は冴えないが、鮮やかな鳥居が徐々に大きくなってくるのだけはわかった。それを目印に4人は草を分け突き進んでいったのだ。

 源一郎がおもむろに左手のG-SHOCKに眼をやった。


「今、正午を過ぎた頃だな、ちょうどいい時間だな」


 眼の前には霊験あらたかな鳥居がそこにあった。ようやく辿り着いたのだ。鳥居の奥には威風堂々たる社があり、その奥の岸壁には荘厳な滝が落ちており神聖な雰囲気を存分に醸していた。

 振り返って眼下を見下ろすと県内が誇る街全体の素晴らしい眺望がありありと見渡せる。灰色に煙る町並みの先には白く輝く西海岸の砂浜が見え、その先には蒼い海が広がっていた。4人の額から汗が滴り落ちた。

 映斗は再び赤い鳥居を見上げた。貫と笠木の間にある額束には「財音神社」と書かれていた。鎮守の杜に囲まれている。これがヒップホップの神様を祀っている神社なんだな。4人は一礼をしてから鳥居を潜った。鳥居を潜ると脇に龍を模った狛犬が左右両側から睨みつけていた。その奥には手水舎がある。手水舎で手を清めていると仙人のような男がぬわっと現れて、4人に声を掛けた。


「これはこれは、この険しい山道をよくここまで辿り着けたもんじゃ、ご苦労、ご苦労、若いのに大したもんじゃのう」


 そう仰せられる仙人じみたこの男こそ、この財音神社の神主、阿磨瑠尊あまるのみことなのであった。そのぼうぼうに生えた真っ白な髭は腰の辺りまで伸びており、鼻はまるで天狗のようにぴーんと伸びきっていたのである。彼はひとりでこの霊山に籠り下界の生活とは隔壁した自給自足を営み、代々受け継がれてきたこの神社を律して守ってきたのであった。


「この神社は日本にひとつしかないヒップホップの神様を祀った神社なのじゃ。ヒップホップの起源は80年代のアメリカのスラムとも言われておるが、実はその原型となるつづみのリズムに乗りながら和歌を唄う音楽は古来、鎌倉時代の日本から発祥しており、その証拠にこの神社には数々の絵巻や銅鏡等の文化財が残されておる。それは全国各地で俗化しておる音頭や盆踊りの原型にもなったとも言い伝えられておるのじゃ。そしてこの神社に納められた銅鏡はターンテーブルの原型とも言われておる。従ってこの社で身を清めると、自然とザイオンの霊力が宿り、それを得た者は自然と音楽に合わせて己の意思ひとつで自在に言霊を操る事が可能になるのじゃよ、おほほほん」


 そうだったのか、音頭や盆踊りの原型はヒップホップだったのだな、そんないにしえから歴史がある音楽だったなんて… てっきり不良がやる音楽だと色眼鏡で見ていた映斗は自分自身を恨んだ。これからは誇りを持とう。

 しかし、賢明な読者諸賢はお気付きであろうが、ヒップホップのルーツが日本にあるというのはあくまでもフィクションである。もちろん、ヒップホップはアメリカの黒人文化から発祥した。アフリカの先住民族を参照すればお分かりであろうが、祭事で催される音楽やダンスは打楽器中心のリズムによって形成されている。旋律(メロディ)を奏でる笛などの楽器は後世に登場した。日本の雅楽においてもやはり太鼓や鼓などの打楽器が重要な役を担っている。音楽や踊りがリズムから発祥したのはあながち見当違いなわけでもないのである。映斗は神主に問いただした。


「俺たちは、その銅鏡を目指してここまで参ったのです。ぜひ我々に見せて頂けないでしょうか?」

「ふむ、よかろう。その前に参拝料の500円を頂こう」


 なんだよ、金を取るのかよ、全然律していないのではないか、と思いながらも4人は阿磨瑠尊あまるのみことに500円ずつ渡す。阿磨瑠尊は神殿に戻り白い布で丁寧にくるまれた大義ある銅鏡を4人の眼の前に差し出した。


「ほれ、これをご覧になるのじゃ」


 阿磨瑠尊が布を開けると眩いばかりの銅鏡が光を放った。これがヒップホップの鏡か… 4人は銅鏡に釘付けになったのである。4人の顔が映し出された、それは神秘的でご利益のある銅鏡なのだ。見た目は何の変哲もない社会の教科書に出てくるような銅鏡。だが、この銅鏡には古からの歴史が刻まれているのであって、全体に錆がこびりついている。


「この鏡に祈りを捧げなさい。祈りがヒップホップの神に届いた時には、その御姿を具現化するのじゃよ」


 映斗は鏡に向かって念じ続けた。俺はフリースタイル・ラップの道を精進するんだ、そしてザイオンの力を手に入れてバビロンを制圧するんだ。悪が蔓延る世の中が隆盛した例なんかない。そう祈り続けた。

 すると荒々しく水飛沫を爆ぜていた滝の流れがピタッとやんだ。滝壺は二手に分かち中央の空洞になった部分から、ごごごごっという轟音と共に砂埃を巻き上げ竜巻が天空に昇っていくのが見えたのだ。黒い竜巻は当たりの木々を揺らし、蝙蝠の大群がばさばさと羽音をたてて飛び立った。暗雲が立ち込める。凄まじい轟音を立てて竜巻は滝の水圧を爆ぜながら一直線に昇っていったのである。映斗ら4人は、その竜巻の風圧に吹き飛ばされないように身を寄せ合って、地面に踏ん張った。顔や身体に砂埃や石礫が弾丸の雨のように降り注ぐ。

 竜巻が昇った空を映斗が見上げると、そこに黄金色に輝く龍の姿があったのだ。龍は雲間に身を委ね、琥珀色の眼を見開いて上空から映斗を睥睨していた。


「神主さん、あれはなんだ?」

「ひょっとしてそなたには神の御姿が見えると言うのかのう?」

「ああ、見える。光輝く龍だ」

「おほほほ、大した青年じゃ、神の御姿が見えるとはのう…」


 ――俺には見える、はっきりとその姿が――

 映斗は天空に舞い上がった龍の姿に眼を細めた。龍が放つ光は山全体に温かい光をもたらした。辺り一面が黄金色に包まれた。その温かな光の中に包まれた源一郎が静かに呟く。


「映斗、お前には見えるのか? ドラゴンの姿が」

「ああ、見える、はっきりと見えるんだ。それは眩い光を放っていて神々しい」

「そうか。残念ながら俺には見えない、なんとなく景色が明るくなったような気はするけど…」

「なぁ、ゲンちゃん。あれは一体何なのだ?」

2PACツーパックだ」

2PACツーパック? なんだ、それ?」

「ヒップホップの神様だよ。正式にはツーパック・アマルと言うんだ。古代インカ帝国の言葉で『輝ける龍』を意味する。インカ帝国最後の皇帝の名前でもあるんだ」

「そうか、インカ帝国の時代から継承されたドラゴンなんだな。あのドラゴンがザイオンの力を俺に与えてくれるんだな、ゲンちゃん!」

「その通りだ、ドラゴンに祈りを捧げろ! チェンジズ! お前は生まれ変わるんだ、お前はもうただの『真面目くん』なんかじゃない! 『フリースタイルの鏡』に生まれ変わるんだよ!」


 龍の放つ光を跳ね返し理奈のツインテールも明々と黄金色に輝いている。理奈が映斗に助言する。


「ねぇ、映斗。2PACに向かって祈りを叫ぶのよ!」

「わかった。ありがとう、理奈! 俺は生まれ変わるんだ!」


 映斗は天空に向かって雄々しく、張り詰めた弓の弦を弾くように龍に向かって言霊を放った。


「2PAC! 俺の声が聞こえるか? もしも届いたのなら俺にザイオンのパワーを与えたまえ!」


 映斗の言霊は白い球のようにまっすぐに龍の頭上を翳めた。それに驚いたように天空で龍は大きくうねり、蜷局を巻いた。そして大きく開けた口から一筋の閃光を放ったのだ。その閃光は落雷のように映斗の体を貫き、電流のような衝撃が体内を駆け巡った。うおぉぉぉぉ、パワーが漲ってくる、映斗の体に得体の知れないパワーが漲ってくるのだ。体内に言霊が白い塊となって増殖していく感覚をしっかりと映斗は確かめていた。記号が文字に、文字は言葉に、そして言葉には魂が宿り躍動する。映斗の口からピンポン球のような白い言霊が零れ落ちた。


「どうやら、この青年はザイオンの力を手に入れたようじゃな、おほほほほん」


 ひとしきり登り龍は天空を舞った後、遠くの連峰の尾根に姿を消したのであった。それは一瞬の出来事だったのかも知れない。だが、間違いなく映斗は龍の姿を瞼の裏に投影したのであり、間違いなく体内にザイオンの力を宿したのである。


「映斗、お前は凄いな。お前はザイオンを手に入れたんだよ、これも努力の賜物だよ」

「凄いわ、これでバビロンに勝てるわ」

「やったじゃん、映斗!」


 源一郎と理奈と吉田が映斗を祝福した。しかし、日が暮れるまでに下山しなければならない。阿磨瑠尊に礼を言うと一行は急いで下山したのであった。山の天気は変わりやすい。さっきまでは澄み切った青空だったのに、急に豪雨に見舞われた。辺りは白い靄で煙った。遮られた視界の中、辛くも4人は下山する事が出来た。遠くの山の向こう側に稲光が走った。ゴロゴロと不穏な音色を奏でている。雨に濡れてずぶ濡れになりながら転げるように駆け下りた。何度か濡れた落ち葉に足を取られ理奈が滑って転倒した。映斗は雨の中、理奈を負ぶって山道を下っていった。

 4人はなんとか無事に下山する事が出来た。下山すると不思議な事に雨はピタッとやんでいたのである。その頃にはすっかり日は傾いでいたのであった。





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