第5話 決戦の金曜日

 映斗はザイオンの力を手に入れてからも、放課後になると毎日のように西海岸でおこなわれる源一郎のフリースタイル道場に足繁く通った。漲るようなエネルギーの奔流を体の奥底に感じていた。体内を龍がうねるがごとく言霊が泳いでいるようだった。ステレオから2PACの「CHANGES」のビートが流れて、そのリズムに合わせて言葉が跳躍する。口から吐き出された言葉が白い球となって、ピンポン球のように海面を弾んでいった。面白いように次から次へと矢継ぎ早に言霊が連射されていく、それはさながら機関銃のように。自由自在に言葉を操る事が出来るようになった、俺はもう寡黙な男じゃないし、「真面目くん」なんかじゃない。映斗は一心不乱に没頭した。源一郎の怒号が飛び交う。


「よし!映斗、もっと激しく喧嘩するんだ、バビロンを倒すために喧嘩するんだ! もっと自由に言葉を吐き出すんだ!」

「わかった、ゲンちゃん俺は、着たアサシンと、俺が財音神社で、こんなRHYMEを、バビロンもろとも吹き飛ばす、そしてあいつに贈ってやろうか…」

「いいぞ! せっかく財音神社でしたんだ! その調子だ!」

「俺はヒップホップの神様に、残されていない、だからこうやって練習する、理奈が、扱う指先は、だけどラップ・バトルは言葉と言葉の、なんかしなくてもアサシンの弱点を、西海岸はまるで、あいつの、見破ってやる、頭上に投下する!」

「OK! 映斗、見事だ! もう俺から教える事は何もない。お前はザイオンを身に纏ったんだよ、もうお前は自由に言葉を操る事が出来るんだよ」

「ああ、ゲンちゃん、俺もわかる。自分でも漲っているのがわかる。得体の知れないパワーが漲っているんだ!」


 海から心地よい潮風が吹いてきてふわっと磯の匂いを漂わせる。風に吹かれ理奈のツインテールが左右に揺れる。理奈は満腔の笑みを湛えている。


「これで、きっとアサシンを倒せるわ! だって映斗にはザイオンの守り神が宿っているんだもの」

「ありがとう、理奈。俺は必ずアサシンを倒す。そして軽音部の部室を取り戻して秩序と調和のある学園生活を取り戻すんだ!」

「うん、映斗にならきっと出来るはずよ!」

「待っていろよ、アサシン! 軽音楽部の命運を賭けて。俺は必ずあいつの首を狩ってやる」





 西海岸高校ではますますバビロンが勢力を拡大しており、ついには完全に学校中の生徒を制圧していた。校内に金属バットで武装したバビロンが蔓延しており、ついにはメンバーは100名を優に超える規模となった。バビロンは下級生から金を巻き上げ支配下に置き、反抗する勢力には有無を言わさず粛清していった。そして学校中にフリースタイル・ラップの布教活動をしていった。まるでイスラム国のようではないか。

 学校中が混乱の戦禍にあった。授業も妨害するようになり真面目に勉強する生徒たちは彼らの姿を見ると蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。バビロンは徒党を組み傲慢不遜に廊下を闊歩する。その先頭に立っている朝日奈神と映斗は廊下で対峙した。


「アサシン! こんな事して学校の風紀を乱しやがって一体どういうつもりなんだ!」

「おやおや、久しぶりだな、鏡映斗。ボンボクラッ! フリースタイルの練習はしてきたのかい? いよいよ来週の金曜日が決戦の日だぞ」

「ああ、準備万端だ! 絶対に俺はお前を倒す!」

「フッ、面白いな。まあ、精々そうやってイキがってろ。俺はそうやって、を、と、ラップでお前を制圧そして俺に負けて、お前はすでに、俺がお前を制す通り魔スタイル!ハッハッハッ!」

「何が切りだ! 俺がアイドル時代の西、お前は、ただの腰痛持ちの害虫だバカヤロー」

「ほほう、なかなか腕を上げたじゃねぇか、鏡映斗よ、これはこれは面白い試合になりそうではないか」

「ふんっ。俺にはザイオンの力が宿っているんだ! お前なんかに負けるもんか!」

「何がザイオンだ。お前にそんな力があるわけないだろうが、ハッハッハッ! まあ、ともかく来週金曜日の放課後、屋上で待っているぞ!」


 そう言い残すと朝日奈は映斗の眼の前を去っていった。背中には悍ましい龍の刺繍。ふんっ、何が龍の刺繍だ、あんなもの作り物の龍に過ぎない、俺には本物のドラゴン、そうだザイオンの力が宿っているんだ、映斗は自信に漲っていた。






 映斗は丘の上のお花畑に迷い込んで、草原を転げ落ちていく。ケラケラと楽し気な笑い声が聞こえてくる。麦わら帽子と白いワンピース、爽やかな風が髪を揺らす、悪戯な風がスカートの裾を捲り上げてにやけ面で通り過ぎて行く。突然の風には罪は無い、まったくもって理に叶ったご都合主義な突風に理奈は顔を桜色に赤らめる。


 いやいや、そんなメルヘンな展開は待ち受けていないはずだ、映斗は自らを律した。これは決して高校生特有の破廉恥な妄想に足を引っ張ってつまずいているわけではない、映斗は純粋な気持ちで音楽と真摯に向き合いたい、そのような紳士的な考えで理奈を家に招いた、そういう事にしておいてあげよう。少なくても小学校時代からの幼馴染。理奈だって映斗の家に遊びに行った事くらいあるし、小学校の頃は一緒に手を繋いで登校していた。その頃を想い出すとなぜか映斗は顔を赤らめてしまった。


 だけど映斗も理奈も高校生になったのである。やはりお互い異性として意識するようになり、いざ距離が狭まるとぎくしゃくする。


「あら、久しぶり、理奈ちゃんもすっかり大人っぽくなったねぇ」


 母の美奈代が、そう言ってオヤツのクッキーを部屋に差し入れた。部屋には甘い香りが充満する。クッキーの甘さではない。それとは別の甘ったるい誘惑が映斗を苛ませていたのであった。これは一体なんだ、これがもしかして恋というヤツなのだろうか。セーラー服の上から駱駝の瘤のように隆起する理奈の胸に見とれている、考えれば理奈も成長したな… いやダメだ、何を考えているのだ俺は。映斗は律して自らの頬を引っ叩く。


「なあ、理奈…」

「何? 映斗?」

「俺がさ、アサシンに勝ったらさ、今度、西海岸の海に行こうよ、もうすぐ夏休みじゃん」

「え、うん。いいよ、わかった、約束する」

「夏の海は冷たくて気持ちいいぞ」


 小学校の頃を想い出した。あの頃は無邪気だったなぁ、と思う。映斗はクラスに馴染めなくていつも休み時間はぽつんとひとりぼっちで教室の隅っこにいた。だけど、理奈はそんな映斗に分け隔てなく声を掛けて向日葵のような笑顔を見せた。雨の日も風の日も、毎日、一緒に手を繋いで学校に通った。クラスのみんなからは「あいつらラブラブじゃねぇの?」なんて冷やかす声も聞こえた。でも、そんな事は気にせず理奈は映斗の傍にいつもいた。いつでも理奈が傍にいてくれた、それが当たり前のような日々に思えた。だけど、そんなふたりもいまや、同じ目的を持っている。必ずや、アサシンを倒す。それだけの為に今まで源一郎と一緒にフリースタイルの特訓に励んだのだ。映斗は心に誓った。これは俺だけの戦いじゃない、理奈の想いも、源一郎の想いも背負っている、応援を無駄にはしたくねぇ。 






 決戦の金曜日は訪れた。雲ひとつ見当たらない澄み切った青空だった。決戦に相応しい晴天に恵まれたのだ。放課後、噂を聞きつけた全校中の生徒や教師で校舎の屋上は溢れ返り犇めき合っていた。その数は優に百名を超え、校舎の屋上は騒然となっている。


「鏡とアサシンがラップ・バトルで決闘するんだってよ」


 集まった観衆は口々に騒いでいた。その人だかりの中央で映斗と朝日奈は相対する事になった。この大勢の観衆の眼が証人となる。理奈は観衆の中に埋もれ、両手を組み閉めて2人の戦いを見守る。佐野、小林、青木の軽音楽部のメンバーも駆けつけて映斗を応援する。


「映斗、やっちまえ!」


 審査員は公平を期すために中立の教師の中からランダムに5人が選ばれた。審査員の手には赤い旗と、青い旗が用意されており、挙げられた旗が多かった方が勝利となる。場は騒然とした雰囲気に包まれている。映斗と朝日奈は睨み合っている、まさに一触即発の状態である。2人の間には緊迫の糸が張り詰めている。

 バビロンの下っ端の構成員がビートを流す。オジロザウルスの「AREA AREA」がバトル・ビートとなった。日本語ラップのクラシック・ビートだ。朝日奈は眼を真っ赤に滾らせている。眼には焔が投影されている、地獄の業火のような煮え滾る火の海。鏡映斗よ、お前を地獄に陥れるのだ、朝日奈は怒りの沸点に達していたのである。


「鏡映斗! いざ勝負だ!」

「望むところだ! アサシン!」


 ジャンケンの結果、朝日奈が先攻、映斗が後攻となった。バトルは8小節3本、1本勝負だ。いよいよ、決戦の時。ザイオンよ、我に力を与えたまえ、今こそ、その渦巻くパワーを解放する時が来たのだ! 解き放て! ザイオン! 映斗は心の中で宣誓した。教頭先生が掛け声で合図する。


「先攻の朝日奈が赤い旗、後攻の鏡が青い旗、審査員の皆さん、準備の方をお願いします。それではふたりとも始めてもいいかな? 8小節3本ずつの1本勝負です。それじゃ、準備が出来たようなのでカマセー!」


「HEY YO 鏡映斗、俺はレペゼン・バビロンを背負ってこの場に立っているぜ!

お前の見た目は、ラップも? 食らわす

お前のスキルはどんなもんか知らんが、俺のスキルに

お前は無様な姿でこの場で倒れる、発見される頃には ハッハッ」


 朝日奈はフロウに合わせて変幻自在のダンスで幻惑する。そんな、動きに惑わされてはいけない、映斗は眼を瞑りしっかりと朝日奈の攻撃を受け止めた。よし、やってやんぞ!


 理奈は祈りながら唾をごくりと飲み込んだ。組みしめた両手は汗ばんでいる。

 ――映斗、大丈夫、普段通りのスキルをぶつけたらきっと勝てるはず。まずは的確にアンサーを返すのよ! 毎日、西海岸で練習したフリースタイルを出せれば勝機はきっと訪れるはずよ――


「アサシン、で発見されるのはお前の方だ、それも全部、

お前のラップには驚かない、さながら、俺がここまで来たのは

お前はもはやを失い墜落寸前だ、すでにお前は

俺の、すべてフリースタイルに費やしてきた、ゴールネット揺らす!」


 ――いいわ、的確にアンサーがヒットしたわ! 映斗、集中して五感を研ぎ澄ますのよ、恐れるものは何もないわ、あなたにはザイオンが味方している、ひとつひとつのバースに集中するのよ!――


 しかし、朝日奈は微動だにしない。それどころか不敵な笑みを浮かべながら気功のような構えで凛として立ち塞がっている。そして攻撃を放った。


「フハハ、お前の、ゴールネットに突き刺さらないように

LINEも、つまり俺がキャッチするゴールキーパー

俺はもっとビート上で、お前みたいなに負けるか!

追い風受けてる学生さん、お前はしっかり読んでろ!」

「俺は、お前ら校則も、バビロン全員やってやろうか

だけど、そして、俺は真珠を持った、お前は

俺はレペゼン、お前は速攻で、俺は貧乏

ふざけんなこれは、俺も読んでる!」


 ――さあ、映斗! 最後のバースよ! 集中して全神経を研ぎ澄ますのよ、大丈夫、映斗には絶対出来るから! これですべての決着が付く… さあ、解き放つのよ! 荒ぶるドラゴンを今こそ解放するのよ!―-


「おいおい鏡映斗、読んでるかも知れないが勝負は俺が

まるで乗りこなす、お前のラップは、ハッハッ

お前は安売り、俺のフリ-スタイルはだぞ!

お前なんて、そんなスキルじゃ俺は!」

「アサシン、お前の方が、この場危険な

お前にぶちまけてやろうか? 俺が? 2? 違うぜ!

何度でも、さながらオリンピック・

俺が金星を上げる、そして最後に!」


 最後まで歌い切った。その時、確かに映斗の背後には龍の幻影が宿っていた。2人のバチバチの熱戦が終わった。どちらも一歩も譲らない接戦だったのである。教頭先生が「それではただ今のジャッジをおこないます」と言って審査員の方を振り返った。5人の審査員が一斉にバッと旗を上げた。5人の審査員は全員青い旗を上げたのである。完全勝利コンプリート・ヒット


「勝者! 鏡映斗!」

「やったぁ! 映斗、勝ったぁ! やったよ! うわー!」


 理奈が駆け寄って来た。軽音楽部のメンバー全員が駆け寄り映斗の勝利に愉悦した。メンバーは輪になって囲み映斗を胴上げし、体が中空を舞った。宙に舞った映斗は青空と西海岸の海の蒼さをなぞらえて源一郎の過酷な日々を想起していた。毎日のように西海岸に通った。この結果は練習の賜物。努力は決して裏切らない。

 そんな歓喜の輪を遠巻きに見つめながら朝日奈は悔しそうにほぞを噛んでいたのである。


「鏡映斗よ! 随分とスキルを上げたじゃないか」

「ああ、俺にはザイオンが宿っているからな」

「ふっ、お前がザイオンの継承者というわけか、このアサシンを倒すなんて大したもんだな」

「約束通り音楽室は軽音楽部に返してもらうぞ、アサシン!」

「わかった。音楽室はお前らに返してやる」


 理奈は満腔の笑みを湛えている。その眼には涙がじんわりと浮かんでいる。鼻の奥にツンとした痛みがこみ上げてくる。


「やったね、ありがとう、映斗!」

「理奈、俺は約束を果たしたよ」


 理奈と映斗は抱き合って喜んだ。理奈の胸が当たり、映斗はちょっぴり恥ずかしくなって耳が赤くなってしまった。風船のように柔らかい感覚だ、そのふわふわとした感覚をしっかりと胸の中に映斗は抱いた。バビロンの集団は悔しそうに俯きながら階段を下りて行った。その中で朝日奈の制服の背中に刺繍された龍が心なしか淋しそうな蛇のように縮こまっているようにも思えた。朝日奈は振り向きざまに映斗に言った。


「鏡映斗よ、また良かったら再戦してくれ!」

「わかった。いつでも受けて立ってやる。俺はフリースタイルの鏡、唯一無二のスタイル、挑戦者がいればいつでも待っているよ!」

「鏡映斗!」

「ん? なんだ? アサシン?」

BIG UPビガップ!」


 朝日奈と映斗はがっちりと握手をし、それから拳と拳をぶつけ合った。昨日の敵は今日の友。立場は違えども2人はフリースタイル・ラップという共通の音楽で弔慰する事が出来たのである。


 それからというもの、バビロンが校内を跋扈する事はなくなり、秩序と調和のある学園生活が取り戻されたのは言うまでもない。愛と平和ラブ&ピース。理奈は元気に音楽室でフェンダーのギターを掻き鳴らし練習に没頭した。ヘッドバンギングに合わせて理奈のツインテールが揺れる、軽音楽部は一丸となって演奏をしている。その演奏に合わせて、ラップを熱唱しているボーカルの姿があった。そう、他でもない鏡映斗であった。彼は軽音楽部に入部したのであった。ラップを取り入れたミクスチャー・バンドとして理奈と一緒に練習に励んだ。高らかなフリースタイル・ラップが音楽室に響き渡った。その歌声は風に乗って西海岸まで運ばれていったのである。

 この町の海は麗らかな蒼さが眼に染みる。澄み切った青空に白い雲がゆっくりと流れていく。その雲間から太陽よりも光を放つ龍がこの町を守っている。夏休みになれば、この町に海水浴で訪れる観光客で賑わう事だろう。その頃になれば、映斗は理奈と一緒に海に出掛けるだろう。そして、素直な気持ちで理奈と向き合えるのかも知れない。俺は、理奈が好きだ。映斗がそう告白出来るようになる日もそう遠くはないのかも知れないのであった。

 

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