第27話 短冊に想いを込めて1
七月七日月曜日。八王子市内は生憎の雨で、星空を拝めそうにない。
――星に願いを、みたいなこというけど、梅雨のこの時季に天の川を見られる方が珍しいよな……。
将人は真っ黒な傘を傾けて空を見る。天気予報が伝えていた通り、雨が止む気配はなかった。
「――あら、将人くん。紅ちゃんを待っているのですか?」
恋い焦がれる人の名が含まれた台詞で声を掛けられて、将人は視線を向ける。
声の主はさらさらのおかっぱ髪を揺らしてこちらを不思議そうに見ていた。長月光だ。
「いや、あんたを待ってたんだ」
将人は背を預けていた校門から離れて光の前に立つ。平均身長よりも高いはずの彼女だが、一九〇センチを超える背丈の将人から見ると小さく感じられる。
「わたくしを?」
意外だったのか、彼女は将人を見上げて目を瞬いた。
「前もって連絡していただければ、こんなところで待ち伏せしなくてもよろしかったでしょうに」
「スマホを家に置きっぱなしにしてきたからな」
ちょっとした事情で四月から通知がうるさいスマホは、学校に持って来ないことにしている。それでも別段困っていない。落ち着ける環境を作るのが一番だ。
「同じクラスになったのですから、帰り際に言ってくだされば調整しましたのよ?」
「それだと、あんたに迷惑がかかるだろ?」
「……?」
光はきょとんとしている。どうして彼女に意味が伝わらないのか将人にはわからない。宝杖学院で最も恐がられている自分が、品の良いお嬢さんといった雰囲気の彼女に話し掛けるだなんて、迷惑以外のなにものでもないだろうに。幼なじみという関係で互いが了承しているとしても、周りの視線や声は気になると思うのだが。
――立ち話してちゃ、意味ねぇな。
帰りのホームルームからはだいぶ時間が経っている。すでに三〇分以上は校門前でずっと立ちっぱなしだ。
だが、そんなことはどうでもいい。
「まぁ、家まで送るから付き合え」
「はい」
光はにこやかに返事をすると、将人の隣に並んで見上げてきた。
「ずいぶんと大きな傘ですね。相合い傘がしやすそうです」
「あんたとはしねぇよ」
ぶっきらぼうに答えて、将人は歩き出す。光が焦らなくていいように、歩幅は狭めてゆっくり足を進めるのは忘れない。
「紅ちゃんとなら、考えますか?」
「あいつは嫌がるだろ。傘を持ってなけりゃ、走って帰る」
――あるいは……。
将人は思う。紅の婚約者がこの学校の隣に住んでいるので、そこに傘を借りに行くのかもしれない。
「うふふ。それもそうですね」
しばらく黙ったまま歩いた。傘を跳ねる雨音が鼓膜を振動させる。
駅が見えてきたところで、将人は本題を切り出した。
「……あんたのところの病院、笹の葉を用意してるんだな。短冊がかかっているの、昨日見たぜ」
「えっ?」
将人が何を言おうとしたのか、光に伝わったらしい。彼女にしては珍しい動揺の声がした。
将人は続ける。
「おれに会えますように――毎年、短冊に書いていたんだって、あんたの姉さんから聞いたぞ」
「…………」
言い訳をしてくるかと思ったが、光は傘で顔を隠したまま黙って歩いている。これでは探れない。
次の台詞に悩んでいると、小さな声がした。
「どうして病院に?」
まだ彼女は表情を隠している。声も事務的な感じで、気持ちが透けてはこない。
「おれの兄貴とあんたの姉さんの結婚式も近いだろ? 家出の用事も落ち着いてきたから、連絡取ったんだ。そしたら、病院に顔出せって」
紅の婚約を阻止するために、海外赴任中の両親のところから家出してきた将人だが、そろそろこの生活に見切りをつけようと思っていた。その第一歩として、日本に残って医者を目指している兄と連絡を取ったのである。
「なぁ、どうしておれに会いたかったんだ?」
特に会おうと思わなくても、いずれは自分らの兄と姉が結婚するのだから親戚になる。願うほどのことでもあるまい。
「……将人くんは……」
「ん?」
彼女の声が震えている。足が止まった。
「将人くんは、ご両親のところに戻るつもりなんですか?」
光の顔は悲しげだった。
「はぁ? ってか、おれが訊いてんだが――」
「わたくしは、嫌です」
泣き出しそうな、そんな顔を彼女はしていた。
「嫌って言われてもだな……」
何が彼女を泣かせようとしているのか、よくわからない。
「それに、こんな形で約束が無効になるなんて思いませんでした」
「それはもういらねぇだろ」
光と交わした約束――それは将人の居場所を家族に教えない代わりに、紅を泣かせないこと。
将人が自分で家族に居場所を伝えた今、この約束は成立しない。弱みが弱みでなくなってしまったのだから。
「将人くんはひどいです。鈍感です」
今にも涙が溢れそうな瞳を切りそろえられた前髪で隠すと、光はすたすたと歩き出す。
「あなたは本当に鈍い人です」
すれ違いざまに告げて、光は駆け出した。
将人は追いかけようとしたが信号に阻まれてしまう。彼女の背は下校途中の他校の生徒たちに紛れ、見送ることしかできなかった。
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