第26話 手袋と肉まんとリップクリームと4
光を近所まで送り届けると、将人は独り暮らしの狭いマンションに帰ってきた。誰もいないだけあって、外ほどじゃないにしろ寒い。エアコンをつけてコートを脱いだとき、ポケットにゴミを入れっぱなしにしていたのを思い出す。
――捨てそびれたな……。
分別が面倒だから外に捨ててくるつもりだったのにと思いながら、将人は肉まんが入っていた袋をポケットから引っ張り出した。その拍子にフローリングの床に何かがカタンと落ちた音がする。
「ん?」
硬い物をポケットに入れていた記憶はない。ボタンでも外れたのかと思って音がした辺りを見れば、緑色のパッケージのスティックが転がっていた。リップクリームだ。
――光のやつ……。
拾い上げて、キャップを開ける。やはり新品ではない。彼女が持っていたものだろう。いつの間に入れたのかは不明だが、器用なことをしてくるものだ。
――ゴミと一緒に捨てちまうか?
くれると言っていたのだから、彼女には不要なものなのだろう。こうしてポケットの中に入れられているわけだから、所有権は自分のところにあるのだと将人は考える。ならば、使おうが捨てようが、それは将人の自由のはずだ。
「…………」
ゴミ箱に投げ入れようとして、手を止める。リップクリームなら自分で買えばいい。光がくれたものにこだわる必要はない。そう思ったのに、簡単には捨てられなかった。
「……一発でゴミ箱に入らなかったら使う」
心の中で決めたルールをあえて口で言う。気持ちが変わらないように。
先に肉まんのゴミを投げて軌道確認。ゴミ箱までは一メートルはあったし、軽いゴミで投げにくかったがあっさりと入った。
――ま、こんなもんだよな。
コントロールは良い方だ。無精なのでゴミをゴミ箱に投げる習慣があるが、滅多に外さない。
――次はこれだ。
将人は普段やるのと同じ要領でリップクリームを放った。
きれいな放物線を描き、やがてカツンと音を立てる。ゴミ箱の内側に当たったそれは、想定外に跳ねて外に落ちた。
「…………」
まさかの展開に、将人は呆然とした。無意識に捨てたくないと感じていたということなのだろうか。
面倒だと思いながらもゴミ箱の近くに拾いにいく。
――しゃーねぇな。
キャップを開けて、唇にさっと塗る。スッとした香りは昔から変わらない。
「……次は本当にキスするぞ」
迂闊な接し方をしてくる彼女への警告は、少しずつエスカレートしているはずだ。でも、当人はけろっとしていて警戒している素振りはない。光を傷つけたくないと思っているのに、肝心の彼女があのペースなら、うっかり一線を越えてしまうのも時間の問題だろう。引き返せるレベルのうちに去って欲しいと変な願いをしてしまう。
リップクリームをスクールバッグに突っ込もうとして開ければ、光が作ってくれた手袋が顔を出した。シンプルな黒で構成された既製品と変わらない精度の手袋。目が詰まっているので、想像以上に暖かいのだ。
――こういうものなら、使いやすいのに。アイツが何を考えているのかわからんな……。
小さくため息をつくと、将人はリップクリームと手袋をきちんと片付けたのだった。
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