第25話 手袋と肉まんとリップクリームと3
「――男女のペアだと、付き合っているんかな、とか思っちまうな」
明らかにカップルだとわかるくらいイチャイチャしている高校生もいるが、もちろんそうでない二人組もいる。基本的には他人に興味がない将人であるが、今日はなんとなく意識していた。
「わたくしたちも、付き合っているように見えるのでしょうか?」
扉に近いところで向かい合って立つ光が、上目遣いに見つめながら尋ねてくる。
「さぁな。そう見えたとしても、釣り合わねえなって思われるんじゃね?」
「あら、釣り合いませんか?」
意外そうな問い。
「美女と野獣だろ?」
光の外見は、将人の美的感覚に当てはめると中の上はかたい。性格やスキルを含めると、彼女は自分が相手をしたら申し訳なく思えるレベルの人間だ。兄の繋がりや幼なじみという腐れ縁があるからこうして交流があるが、そうでなければ話すこともない種族だと、将人は心の底から感じていた。
「それはそれで素敵な組み合わせだと思うのですが……。あ、いえ、そもそもわたくしは美女ではありませんけどね」
はにかみながら、光は答える。
「……あんた、もうちっと自分を評価した方が良いぞ? 紅が目立つ女だから薄れがちなんだと思うが、あんただってそれなりなんだ。しっかりアピールして、彼氏くらい作れ」
家に料理を作りに来てくれなくなるのは寂しいが、いつまでもそれを期待するのは間違っている。光の幸せを思うと、トラブルメイカーである自分と関わらない方が賢明なのだ。他の男にその有り余る家庭的スキルを振る舞うべきである。
光は将人を見つめ、瞬きを数回した。
「わたくしは、ちゃんとアピールしていますよ?」
「え? 誰に?」
「うふふ」
駅に到着して、将人たちが立っていた方の扉が開く。降車する駅だったので、将人は光の手を引いてすぐに降りた。
「おれが知ってるヤツ?」
気になって、思わず問う。笑顔でごまかされてしまうのは、なんとなく嫌だった。
「えぇ、そうですね。きっと、将人くんが一番存じているんじゃないかしら」
くすくす笑いながら、光は楽しげに答えてくる。
「へぇ……アピールしているのに気付かないとは、そいつ、ずいぶんと鈍いんだな」
ふと、先週のバレンタインでの自分の質問を思い出す。彼女に好きな異性のタイプを訊いたとき、返事は「鈍い人」だった。光にとっては、その鈍さが好ましいと感じられるのだろう。
――おれは焦らされるのは好きじゃないけどな。
短絡的で言葉足らずな自分は、紅に対し気持ちを伝えるよりも先に行動に出てしまった。衝動を抑えられなくて、結果として未遂ながら好きな相手を傷つけた。
答えを急ぎたがるせっかちな性格は損をしているとはわかっている。でも待てないし、のんびり構える余裕など持ち合わせない。それが思わぬ行動力を生み、だから今、こうして日本に戻ってきている。光が良い意味でストッパーの役割を果たしてくれているお陰で、適度な距離を保ったまま様子を窺うこともできているが、それは別の話だ。
「あらあら、相手が誰なのか思い当たらないのですか?」
うふふと微笑みながら、光は尋ねてくる。
「そもそも、詮索するつもりはねぇよ」
「知っている人物なのかどうか訊いてきたのは将人くんの方なのに、面白いことを言うんですね」
「あんたの恋路の邪魔はしねぇから、そんで充分だろ?」
言って、繋いだままになっていた手を解く。こんなところを知人に見られたりしたら誤解される。それは光にとって迷惑になるはずだ。好きな相手がいるなら、なおさら。
彼女の手のひらは小さくて冷たかったが、外の気温の方がもっとひんやりとしている。手袋が恋しくなった。
「そうですね」
手を離すと、光は少しだけ寂しそうな表情を見せた。彼女の気持ちがよくわからない。
「――さっさと暖かい家に帰ろうぜ」
いつまでもホームで立ち話をしているのは得策ではない。息が白くなっているのが目に入って、将人は大股に歩き出す。
「あ、将人くん。ちょっと待ってください!」
慌てて引き止めてくる光の声に応じて、将人は振り向いた。
「あぁ?」
「これ、付けた方がいいですよ」
小走りで追いかけてきた彼女は、スティック状の何かを手にしたまま将人の唇に向かって伸ばしてくる。
つんっと乾いた唇に当たって、将人はとっさに光の手を掴んだ。
「なっ!?」
「リップクリームです。唇、荒れているみたいなので」
確かに彼女の手に握られていたのは、有名なメーカーのリップクリームだった。
――ん? これ……。
キャップが開けられているその先端は、少し減っているように見えた。今の突撃で削られたのだとしても、いささか減り過ぎに感じられる。
「わたくしのお古ですけど、よろしかったらどうぞお使いください」
「いや、それは……」
どうしてにこやかにそんなことを言えるのだろうか。
将人が受け取りを拒否すると、光はキャップを閉めたところでスクールバッグの中から別のリップクリームを取り出す。
「今は薄く色がつくものを使っているので、こちらは使わないのです。遠慮せず、どうぞ」
「あ、あんたなぁ……」
なおも勧めてくるので、将人は片手を頭に当てた。
ちらっと彼女の小さな唇を見て、ちゃんとケアをしているだけあって柔らかそうだな――などと一瞬思ったが、それよりも重要な問題がある。
「……間接キスだろ。気にしろよ」
それだけの台詞を言うのに、すごく照れた。声が必然的に小さくなる。
「あらあら。紅ちゃんとはキスをするのに、わたくしでは間接キスも嫌なのですか?」
人差し指を自身の唇に軽く当てながら、光が不思議そうに問う。
「そういうことじゃ――」
「わたくしは、相手が将人くんなら構いませんのよ?」
小首を傾げた拍子に、彼女のおかっぱ髪がさらさらと揺れた。
「間接じゃなくても」
「……馬鹿」
将人は光の頭に手のひらを乗せて、無理やり俯かせた。どんな顔をすれば良いのかわからなかったし、どんな反応をしてしまっているのかわからなくて怖かったから。
「あんまりおれをからかうんじゃねぇよ。それなりに欲求不満なんだ。油断してると襲いかねねぇんだぞ?」
ポンポンと軽く叩いて、将人は光の頭から手をどける。
「わたくしにはそういう気遣いができるのですね。紅ちゃんにも同じような接し方ができていれば、寂しい思いをせずに済んだかもしれませんのに」
光は顔を上げないまま、ぼそりと告げた。そこには複雑なニュアンスが含まれているように感じられて、将人には彼女が何を言いたいのかピンとこない。ひとまず言葉通りに受け取って話を続ける。
「どうだかな。そもそも、あいつはおれの見た目を恐がっているようなところがあるし。――それに、紅を見ると余裕がなくなっちまう。意味がないイフの話だな」
将人は歩き出す。光からリップクリームを受け取るつもりもない。このまま立ち話を続けていたら次の電車も入ってくるだろう。邪魔にならないうちに外に出てしまいたい。
「ほら、途中までは送ってやっから、帰ろうぜ」
置いていくつもりはないので、歩幅はいつもの半分ほどに。肩越しに光を見やると、顔を上げていた彼女は残念そうに微笑んで小さく駆け寄ってくる。
「はい」
隣を歩く彼女の手の中にリップクリームの姿はなかった。
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