第23話 手袋と肉まんとリップクリームと1
二月二十一日金曜日。時は既に放課後になっている。
将人は宝杖学院の校門を出たところで、見知ったおかっぱ頭の少女を見掛けた。雪の残る足下を気にしながら、少し早足で彼女に近付く。
「長月」
名字を呼ぶと、肩口で切り揃えられた黒髪をさらさらと揺らして彼女――長月光は振り向いた。すぐに微笑んで立ち止まる。
「あらあら、珍しいですね。今、下校なんですか?」
光はにこやかに問いかけてきた。彼女が珍しいと言うように、帰宅部の連中が帰るピークはとうに過ぎている。
「あぁ、ちょっと野暮用で」
将人は適当にごまかすことにする。あまり誉められるようなことではない理由で、帰りのホームルームから一時間以上経っていたからだ。
視線を外したのがまずかったのか、光が小さく笑う。
「うふふ。その様子ですと、補講か再テストをやっていたようですね」
ズバリと言い当てられて、将人は面白くない。ムスッとして、三〇センチ程度の身長差がある彼女を見下ろす。
「別に、何してようが良いだろ」
「将人くんはせっかちさんですからね。もっと落ち着いて挑めば、ちゃんと成果を出せるでしょうに」
「余計なお世話だ」
短く告げると、将人は歩き出す。光はそれに合わせるようについてきた。自分よりも背の低い彼女の歩幅を意識して、将人はさり気なく歩調を緩める。
「――あんたは部活の帰りか?」
「はい」
光が一人で帰るときは、部活で友人たちと帰宅時間がずれるときだと知っている。
「紅とは帰らないのか?」
二人の共通したもう一人の幼なじみの名前を出す。
「紅ちゃんは、この残雪で送り迎え付きの身ですから」
送り迎え付きと聞いて、将人は大嫌いな人物の顔を思い出す。家族ぐるみの付き合いがあって、小さな頃からよく知る少年の顔を。
「星章蒼衣の仕業か」
吐き捨てるように告げると、左手にあるお屋敷をちらりと見やる。そこは自分たちが通う宝杖学院を経営している星章家の屋敷だ。
そして、星章家の長男である蒼衣は紅の婚約者。将人にとっては憎たらしい相手である。
「星章先輩は心配性ですから。自転車通学の紅ちゃんを案じているだけでしょう?」
宥めるように光は言う。
――そりゃ、そうだろうよ。
わかっていると心の中で呟きつつも、ついイライラとしてしまう。
蒼衣は生まれたときから有り余る財産を持ち、容姿端麗で勉強もスポーツもできる男だ。その上で、好きな女をまんまと婚約者に仕立てた。紅の心は他の男に向いているようだが、このままでは確実に彼女は蒼衣の妻になる。それはやっぱり納得できないし許せない。ただの嫉妬だと一笑されそうだとも思うが、気持ちはどうにもならないのだ。
「……そんなに紅ちゃんのことが好きなのですか?」
ぼそりとした呟きとも取れる問いに、将人は光を見る。彼女は俯いていて、表情が前髪に隠れてしまっていた。
「紅が蒼衣にいと結婚するのを阻止するために、こっちに戻ってきたようなもんだからな。当然だろ?」
ありのままを伝える。
家出してまで単身で日本に戻ってきたのは、紅と蒼衣が婚約すると聞いたからだ。紅を想う気持ちに変わりがなかったのはもちろんだが、相手が将人にとって一番気に食わない蒼衣だと知ったらなおのこと邪魔をしてやりたくなる。たとえ、そうすることが紅のためにならなくても、だ。
「そう……ですよね……」
「なんだ? あんたは紅と蒼衣にいが結婚するの、賛成なのかよ。紅が好いているのは他の男だってのに」
将人が紅の好いている相手を知っているように、光も当然のように知っているはずだ。たかが十六で望まぬ結婚を応援するほど、光が蒼衣を評価しているとは感じられないし、紅の幸せを考えていないとも思えない。
「そういうことではなくって……」
彼女らしくない、なんとも歯切れの悪い返事。
「ん? あんただって紅を好いているんだから、似たようなもんだろ」
「……本当に鈍い人ですね」
「……?」
光の呟きの意味がわからない。将人は素直に首を傾げる。
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