第21話 ハッピーバレンタイン2

 帰りのホームルームが終わって少し経過した十六時過ぎ。

 将人は一年A組の下駄箱の前で待ち構えていた。将人を避けるように一年生や二年生が早足で通り過ぎる。こういう反応はいつものことだ。

 ――紅はあちこち寄り道をしているんだろうな。

 朝に見かけた彼女の手には大きな紙袋があった。どこかのメーカーやブランドの袋ではなかったから、今年のバレンタインも手作りなのだろう。

 ――おれの分があるとは限らんが、絶対に奪ってでも食う。

 実のところ、彼女の作るバレンタインの品には良い思い出がない。だが、こういう機会でもなければ手作りの料理を食べることはできない。他に食べる人がいることに嫉妬して、こうして彼女が来るのを待ち構えているのである。

 多少時間はかかったが、通行人が減ってきた頃に目的の人物――紅が階段を下りてきた。今は一人のようだ。たいていの時間を一緒に過ごしている光の姿がない。好都合である。

 向こうも将人に気付いたらしい。将人は逃げられる前に声をかけた。

「ここで張っていれば会えると思っていたぜ」

「将人……」

「一応幼なじみなんだし、何の挨拶もなしだなんて冷たいじゃないか」

 思わず立ち竦んだ紅へと、将人はつかつかと歩み寄る。そして壁際に追いやった。

「おれへのクッキーがないって言うなら、あんた自身でも構わないんだぜ?」

 頭一つ分以上背が違うと、見下ろすだけで威圧感が出る。片手を壁に置いて、将人は紅を舐めるように見てやった。

 彼女は怯えながらもゴソゴソと動いている。

「クッキーならあるわよ。ちゃんと将人用にね」

 紙袋から黒い紙袋にルビー色のリボンをかけた物を取り出す。押し付けるように渡されると、将人はおとなしく下がった。これで目的は達成できた。光に見つかる前に撤収しよう。

 すると、紅が意外な言葉を口にした。

「あんたのためにアーモンド抜きを用意しているんだから、感謝しなさいよ?」

 その台詞に目を見開く。

「紅……おれのアレルギー、覚えていたのか?」

 黒い紙袋をまじまじと見つめたあと、将人は紅に視線を移す。自分のために手間をかけてくれたことにびっくりしていた。

「まぁ、軽いトラウマだからね……」

 六年前、まだ将人が海外に行ってしまう前のこと。紅が初めて作ったクッキーを将人は口にして蕁麻疹を出した。そのときのことを覚えていてくれたようだ。

「きっちり分けて作ったつもりだけど、所詮は自宅で作ったものよ。体調がおかしいと思ったら捨ててちょうだい」

「お、おう」

「じゃあ、あたしは次に回るところがあるんで」

 立ち去ろうとする紅を、将人は咄嗟に肩を掴んで引き止めた。特別扱いをしてもらえたことが嬉しくて、それがきっかけでクッキーだけでは満足できなくなったのだ。

 紅の体勢がくるりと変わる。将人は彼女をその長い腕で支え、額に口付けを落とした。

「ひゃっ……」

「今日はこれで我慢しといてやるよ」

 手も離し、将人はさっさと行けとばかりに手を振った。もっと触れたい。その肌に自分を刻んでやりたい――その気持ちをぐっと抑え込んで。

 何故なら、視線を感じたから。

 紅は将人を睨むと、何も告げずに昇降口を出ていった。

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