第13話 鈍感な黒曜石の気ままな元旦2

 約束の時間になる前に、将人は外にいた。将人が住むマンションにはエレベーターもついているが、古さ故かそこに行くまでに段差が多い。振袖姿ではさぞかし動きづらかろうと配慮して、外に出たわけだ。光が待たせるような女ではないこともよく知っていたので、外で待つことをあまり苦には感じなかった。

 天気は快晴で風もなく、冬にしては少し暖かい。初詣にはちょうど良さそうな気候だ。

 ――そろそろ来るか?

 彼女の家がある方向に目をやると、振袖姿の少女が歩いて来るのが目に入った。濃青地に桜の花を流した落ち着いたデザインは、彼女の雰囲気にとても溶け込んでいる。全身を見るためにも、外に出ていた甲斐はあっただろう。

「おはよ」

 驚いた顔をしている光に、将人は声を掛けた。続けて、提げている紙袋の中身はおせちなのだろうなと思いながら目を向ける。空腹だからそうしたのもあるが、振袖姿というのが妙に色っぽく見えて照れたからというのが理由としては大きい。

「おはようございます、将人くん。今年もどうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ、光サン」

 沈黙。将人が俯いてみたところで、三十センチ近い身長差があればあまり意味がない。

 光が覗き込むみたいに見上げてきた。紙袋を持ち上げる。

「こちらにおせち、詰めておきました。日持ちするとは思いますが、早めに召し上がってくださいね」

「…………」

 差し出された紙袋を、将人はすぐに受け取らなかった。

「将人くん?」

「あ、いや……振袖姿を褒めようと思ったんだが、言葉が浮かばなくて」

 クリスマスに訪ねてきたときのような扇情的な格好は彼女に似合わない。着るならこういう格好をして欲しい――と伝えたいだけなのだが、女の子を褒めるようなことをしてこなかった所為か、どうしたら喜んでくれるような台詞になるのか思い浮かばなかった。いつも通りに告げたのでは、ただのお世辞になってしまいそうで、そうじゃないという気持ちが伝わる方法を考えあぐねていたら、つい固まってしまったのだった。

 たどたどしく答えると、光は小さく笑った。

「うふふ。将人くんのお目当ては振袖姿だったようですね」

「違っ……」

 図星で狼狽える。いつだって光にはお見通しだ。

 光はなおも楽しそうに笑って続ける。

「早起きして着付けてもらった甲斐はありましたね。少しは喜んでいただけたようで嬉しいです」

「少しなんてもんじゃねぇよ。すげーテンション上がってんだ」

 妙なところで謙虚なことを言うので、将人はすかさず本心をぶつける。珍しく熱が台詞にこもった。

 光の顔をきちんと見ると、戸惑いの気持ちが瞳に表れている。

 ――困らせたか?

 彼女の反応から気持ちを察することができない。感情の機微を捉えるのが苦手だと感じているだけにもどかしい。

 将人が困っていると、光がくすっと笑った。手で口元を隠すくらいにはおかしそうに笑っている。

「――わざわざ言葉にしなくても、将人くんのことならわかりますよ?」

「おれが言いたいんだよ」

 恥ずかしさや照れを押し殺してでも、言葉で伝えたいことくらいあるだろう。光がお見通しであることはわかっていても、自分の言葉で、自分の口で、ちゃんと台詞にするのとは意味やニュアンスが違うはずだ。

「いつもと違うことをしたくなるくらい、振袖姿は魅力的なのですね」

 やんわりと上品に微笑んで見上げてくる彼女は本当に美人で、そんな姿を見ることができた幸運が素直に嬉しい。意中の相手に会ったときと同程度には、今日の彼女にはそそられるものがある。

「あんたが着ている、ってことが大事なんだからな。他の女の振袖姿を見ても、こうはならん」

 振袖姿の女性が好みというわけじゃないのだと強調しておく。彼女を褒めたことにはならないだろうが、本心であることには違いない。

「……嬉しいです。ありがとう」

 頬を赤くしてはにかんだように笑む光は、普段よりもずっと綺麗に見えた。元々美人だと思っていたが、今日の彼女は輝きが増している。

「ん……」

 もう言葉は出てこない。将人は光が持っていた紙袋に手を伸ばす。

「誰かを待たせているんだろ? 行かなくて良いのか?」

 おめかしをして会う相手が自分であるだなんて自惚れてはいない。初詣に行くなり、親戚まわりをするなり、予定は詰まっているはずだ。

 ――他の人にも、見てもらった方が良いだろうしな。

「そうですね。これから家族で初詣なのです」

 腕時計で時間を確認して、にっこりと微笑んだ。

「変な男に捕まるなよ?」

 今日の彼女にはいつもより魅力が備わっている。心配して言うと、光は意外そうな顔をした。

「うふふ。大丈夫ですよ」

「おせち、ありがたく喰わせてもらうからな。礼はするから、何か考えておけよ」

「わかりました」

 礼をすると言ったことに対してやんわりと断られるんじゃないかと予想していたのに、彼女は素直に頷いた。

「今日はこの辺で失礼いたします」

「あぁ。家まで送ってやれなくてわりぃな」

「とんでもないです。その優しい気持ちだけで充分ですわ」

 しなやかな動作で頭を下げると、光は来た道をゆっくりと歩いていく。途中で振り向いて小さく手を振るのに応じたりして、彼女が見えなくなるまでそこに立っていた。

 ――やっぱり和服が似合うな。もっと自分の容姿に自信をつけて、自分らしい格好をすれば良いのに。そしたら、イイ男を捕まえられるんじゃねぇかなぁ。

 余計な心配かもしれないが、光の将来が心配だった。あんなイイ女が幸せになれないのは何かが間違っている。

 ――恋人がいたとしても、それが幸せだとは限らんか。

 紙袋の中身が寄らないように大事に抱えると、将人はマンションのエントランスに向かって歩き出す。

 ――おせちのお礼、何が良いと言ってくるかな?

 長い付き合いだが、光の考えていることはさっぱり読めない。向こうがお見通しという態度で近付いてくるだけに、不公平だとも思う。

 ――そのときになって考えりゃ良いか。

 考えるのが面倒になって、将人はおせちを食べることだけを考えることにする。

 新年は始まったばかりだ。

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