第9話 恋する月長石の強かな戦略5

 十月二十五日金曜日、朝。

「おはよー、光。昨日の用事は無事に済んだの?」

 上履きに履き替えたところで、背後から声を掛けられる。振り向くと紅がいた。駆け寄る足音は彼女のものだったのだろう。

 彼女らしい素直な詮索の言葉に、光は意識的に爽やかな笑顔を作った。

「おはようございます、紅ちゃん。その台詞、そっくりそのままお返しいたしますわ」

 光がそう答えると、紅は何かを思い出したらしく一瞬顔が引きつった。仲良しな彼らのことだ、ここでは明かせないような展開があったのかもしれない。

 ――紅ちゃんって、処女なのかしら?

 ふと湧いた疑問はきっと余計なお世話であるものだろうし、親友であっても言いたくないことだろう。胸のうちに秘めておくことに数瞬で決めて紅の言葉を待つ。

「――って、あたしのことはどうでもいいのよ。昨日はどこに行っていたのよ? 口裏を合わせたんだから、聞く権利くらいあるでしょ?」

「うふふ、内緒ですわ。ご想像にお任せいたします」

 ここで終えても良かったが、まだ説明が足りなそうな顔をする親友のために言葉を付け足すことにした。

「ですが、これ以上詮索なさるのでしたら、わたくしが黙っているあれやこれやをしかるべき人たちに告げ口しますわよ?」

「う……」

 口を噤む紅の背後に、大きな影が現れる。

「おはよ」

 気怠そうでやる気のない低い声。紅はその声の持ち主が誰なのか瞬時にわかったらしく、びくりと身体を震わせたのが見えた。

「おはようございます、将人くん」

「おはよう」

 光が紅の背後にいた大柄の少年――将人に挨拶したのに合わせて、紅も振り返って挨拶する。

「そうビクビクされると、いじめたくなるだろうが。虚勢でも普通にしてろ」

 大きな手のひらが紅の頭を雑に撫でる。だがそれだけで、将人はすぐに立ち去った。

 紅が乱された髪を撫でつけながら、将人の広い背中を見送っている。彼女の顔には珍しいものを見たような表情が張り付いていた。

「なんなの、あれは」

「いつも通りではありませんか」

 ――約束は有効ってことですね。

 ちゃんと意識してくれていることが光には嬉しかった。

「いつも通りねぇ」

「さぁ、紅ちゃん。いつまでも立ち話をしていないで教室に向かいましょう。秋も深まってきたのか、ここは寒いですし」

「ええ、そうね。行きましょ」

 納得しかねるといった表情の親友を促すと歩き出す。紅も少し先を歩く光の後を追って階段を上った。

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