第7話 恋する月長石の強かな戦略3

 どうしてこんな状況になったのか思い至らない。黒曜将人は頭痛を感じて額を押さえた。

 昨夜まで熱が続いていたが、今朝は平熱に戻っている。咳も落ち着いていたから学校に行けたのだが、身体がだるくて面倒だったために休んだ。

 ――それがあだになったのか……。

 部屋を片付け終えた頃、キッチンで料理をしていた長月光がお盆に小さな土鍋を載せて顔を出した。彼女はこちらの状況を確認すると、お盆を運んできてくれる。

「顔色は良さそうですけど、体調はいかがですか?」

 部屋の中央にあるローテーブルにお盆ごと置くと、光は将人の顔を見て訊ねた。

「明日から普通に登校するつもりでいるくらいには元気だ。――ってか、来るつもりがあったなら、連絡くらいしろよ。電話番号知ってんだし」

「あら。もし前もって連絡していたら、将人くん、逃げてしまいますでしょう?」

 にこにことしながら、光は告げる。

 ――まぁ、言うとおりなんだが。

 光は小学校時代のクラスメートだ。小学五年に上がる前に両親の都合で海外に引っ越すまで、わりと仲良くしていた女の子である。幼稚園に通っている頃から既に悪ガキとして名をはせていたせいで、将人の周囲にはあまり同世代の友だちはいなかったのだが、彼女は例外的に世話を焼いてくれていた。それはたぶん、彼女の姉と自身の兄が幼少期から仲が良く、今や結婚間近という関係であることも影響しているのだろうと将人は思う。いつかは義理の弟妹となるのだから、仲は悪くない方がいい。

 ――あんまりわかられちまうのも、ちょっととは思うがな……。

 何も応えずにいると、光は何か納得した様子で話題を切り替えた。

「食べさせて差し上げましょうか?」

「だから、おれは元気だっつってるだろ。――あんたは何をしにここに来たんだよ」

 ほうっておくとやりかねないので、将人はお盆から箸とレンゲを取り上げる。

「看病ごっこをしに来た訳じゃないんだろ?」

「うふふ。それはそうなんですけどね。少しくらいごっこ遊びをしても良いじゃありませんか」

 彼女は楽しげにそう答えて、土鍋の蓋を開けてくれた。その瞬間に空腹を刺激する美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。

「お腹に優しいものよりは、がっつりと栄養になりそうなメニューがよろしいかと思いまして。口に合えば良いのですが」

 湯気が落ち着いて、土鍋の中身が姿を現した。味噌煮込みうどんらしい。うどんの上に牛肉とネギがたっぷり乗っている。

 じゅるりと口の中が唾液ですぐに潤った。

「見た目は美味しそうだし、この香りもたまらないな。これ、本当に食べていいのか?」

「はい。お好きなだけどうぞ。お好みで七味唐辛子を振り掛けてください」

「では、有り難く」

 両手を合わせたあと、将人は土鍋から取り皿に牛肉とうどんを取り、口元に運ぶ。

 ――久し振りにまともなものにありつけたな。

 うどんは適度に煮えていて、程よくコシがある。牛肉も硬くなく、一口大になっているのもあって食べやすい。ネギと一緒に頬張れば、なおさら旨味が増す。汁が甘く感じるのは砂糖だけではなくニンニクが入っているからだろう。彼女が勧めるように、七味を掛けても悪くなさそうだ。甘めの味噌の風味が食欲を駆り立てて、すぐにおかわりが欲しくなった。

「……いかがですか?」

 黙々と箸を進めていたからだろう。光が不安げな顔でこちらを見ていた。

「これだけ勢いよく喰っていて不味いわけがないだろ?」

 土鍋の中身は半分以上減っている。空腹だったからお腹に入るというだけではあるまい。

 将人が答えると、光はほっとしたように微笑んだ。

「良かった。気に入っていただけたようで」

「あんたがこんなに料理上手だとは思ってなかった。看病でこんな飯を出されたら、手放したくなくなるんじゃないか?」

「手放したくなくなる?」

 光が首を傾げる。どうもうまく説明できていなかったらしい。将人は説明し直す。

「だから、カノジョにしたくなるっつー意味だ。おれなんかにこの腕をふるってないで、好きな男にだけご馳走してやればいいのにと思ってさ。幼なじみというだけで喰わせてもらえたことには感謝しきれないくらいだが、おれが喰うには勿体ねぇよ」

 言い方が悪かったのだろうか。光は僅かに表情を曇らせたが、すぐに笑顔に戻った。

「あんまりほめないでください。このくらい、誰でも作れますわ。材料を余らせないようにいくらか工夫はしましたけど、その程度のことですし」

「そうか? 紅だったら、ここまでできないんじゃないか? あんたみたいに道具とか調味料とか用意して来ないだろうし」

 紅ならば、一度ここに来て確認してから買い出しに行くのだろう。前もって準備するのではなく、行き当たりばったりで対処していくのが火群紅という少女だ。その性格が将人には危なっかしく映り、故にほうっておけないのである。

「訪ねてきたのがわたくしで良かったですね」

 その台詞に少しだけ苛立ちが混じっている気がした。

「――ところで、あんたは食べないのか?」

 今更ながら、取り皿がもう一つあることに気付く。将人が問うと、光は立ち上がった。

「わたくしも食べます。箸、用意してきますね」

 告げて、さっさと彼女は部屋を出て行った。まるで逃げるみたいに。

 ――なんか地雷でも踏んだのか?

 光の様子がおかしいことは感じ取れたが、原因がさっぱりわからない。

 ――ま、変だといえば、こんな場所に一人で来ること自体が妙だからな。おれの胃袋を満たしたところで、何を企んでいることやら……。

 少し想像を巡らせてみたものの、特にこれだというものが浮かばない。考え込んでも不毛だと結論付けて、将人は土鍋に箸を伸ばした。

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