亀松丸元服
義昭と長政、亀松丸父子が毛利家に来てから2年が経とうとしていた天正6年の春、輝元から長政の亀松丸の元服の儀を執り行ってはという提案があった。
これは全国の大名に信長打倒を呼びかける手紙を出している義昭の、人材を増やすためという考えによるもので、11歳という当時としても早い元服の提案だった。
長政は当初これを断ったが、将軍直々の頼みということもあり承諾、輝元を烏帽子親とし元服することになった。
「これより浅井亀松丸の元服式を行う」
輝元の居城、吉田郡山城で行われた元服式には、父・長政、烏帽子親である輝元を始めとして元服の提案をした将軍義昭、毛利両川といった毛利家臣などが参列した。そして元服と共に、新たな諱を付けた。
「今日からそなたは『浅井加賀守輝政』という名前だ」
烏帽子親の輝元と父・長政の名前を取り、輝政という名前に決まった。
「私、浅井亀松丸の元服式を盛大に執り行っていただき、とても光栄でございます。これからは浅井輝政として、父と共に毛利家を、そして将軍足利義昭様を支えていく決意でございます」
こうして元服した輝政は、一人前の武将としての第一歩を踏み出したのだ。
天正6年の3月のことだった。
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