真相篇

講義終了 ~ QED.~

 あの事件が、すでに五年も前の出来事だというのは、正直、考えたくもない事実だ。

 何故って、5つもよわいを重ねて喜ぶ女はいない。

 激動のような五年間。

 不可能犯罪・超常犯罪との戦いの連続だったこの五年間。

 その全ての始まりはあの日にあったのだ。

 それを……待ち合わせた人物の来訪で、私は否応なく突きつけられることになる。


 まったく、誰も彼も、あのときは好き勝手に――私をたばかってくれたものだ。



◎◎



「――簡単な理由ですわ。鳥籠から、逃げ出したかったの。小鳥だって、いつかは巣立つものよ」


 紅奈岐美鳥。

 彼女は確かに肉体を持って、そこに存在した。

 あの魅力的な笑みが、気品ある笑みが、黒髪の下に浮かんでいる。


「鳥羽瀬、ご苦労様。よくやってくれたわね?」

「はっ、有り難き幸せに御座います」


 彼女に声をかけられて、壮年の執事はうやうやしく礼をしてみせる。


「お、お嬢様……なんで、自分は、心配した……っすよ」


 呆然と呟く楽田さんに、美鳥嬢はたおやかな笑みで答える。


「ありがとう楽田。あなたのおかげで、真実味がましたわ。三田も、よくやってくれたわね。その忠義、確かに見届けましたよ? マスターキーの所在不明をしっかり説明してくれて。そして鳥羽瀬が隠したマスターキーの事実に到達できなかったあなたは、本当に優秀で、有益で、愚直な従者だったわ」

「――――」


 三田さんと楽田さん、二人が同時に言葉を失う。

 状況についてこられていない。ついてこられるわけがない。

 そして、すべてを置いてけぼりにして、事態はさらに加速する。


「淑女よ淑女、麗しき乙女レディー。紅奈岐美鳥よ。招待に応じ、この森屋帝司郎、確かに参上した。しかしこの茶番、あまりに醜いな」

「あら、気に入ってもらえなかったかしら? これは主催者失格ね」

「ああ、君は失格だ。僕は君を不可能犯罪者として認めない。芸術以外の理由でひとを殺した君を、ゆるしはしない」

「こわい、こわい。許さないというのなら、どうなさるのかしら?」


「こう、するのだよ!」


 金色の少年が、その手を振り上げた瞬間だった。


「――――!」


 それまで沈黙を守っていた少女――純白のメリー=メアリー・スーが、凄まじい勢いで床を蹴った。そして、弾かれたように美鳥嬢に襲いかかる。


 その先で起きたこと。

 その全ては恐らく、その場にいた常人にとって、完全に想像の埒外らちがいの出来事だった。

 純白の少女が、なにかに弾き飛ばされる。

 空間を何かが姿を現す。

 それは、ずんぐりむっくりとした胴体に、短い手足を持つ、卵状の怪物で――


「罪を苗床に生まれる異形――名付けよう――その犯罪詩ナーサリークライムの名は『ハンプティ・ダンプティ=エクスチェンジ入れ替わる破砕者』!」


 御伽噺に出てくる卵の具現。

 ハンプティ・ダンプティが、美鳥嬢の横に並び立つ。


「素敵な名前ね。では、それにならって命じましょう。私の罪、ハンプティ。その少女を〝らしくだけ〟」


 ハンプティ・ダンプティが咆哮する。

 その声に合わせ、純白の少女の前方の空間が歪む――次の刹那、



         裁断され/

       細断され/

 分割されていた/



「その程度?」


 嘲笑する美鳥嬢に、金色の少年がさげすみの眼差しを向ける。


「君も馬鹿か? 僕の罪――唯一にして最大のご都合主義がこの程度のものか――違うかい? そうだろう、メリー?」


『Yes.Master――御意ぎょいのままに』


 気が付いたとき、純白の少女はすでにそこにいた。

 美鳥嬢のすぐ横に立ち、存在していた。

 そうして


「殴れ」

『Yes.』


 美鳥嬢の腹部を殴りつける。令嬢のその腹部が、


「けふっ」


 喀血かっけつする美鳥嬢を見て、少年は悪魔的な笑みで問うた。


?」

「――――!」


 美鳥嬢の瞳が怪しく輝く。ハンプティ・ダンプティが再び咆哮をあげると、彼女の爆散した腹部に変化が生じた。

 バラバラになった肉塊が、じわりじわりとにじり寄って、やがてもとの形に再生したのである。

 彼女の腹部は、衣服からしてすべて元に戻っていた。


「見たかね、ミス・ミスミ。これが真のナーサリークライムだ。これが真実の、超常犯罪の原因だ。罪が先にあったのか、或いは〝犯罪詩〟が先にあったのかは解らない。だが、――今回程度の不可能犯罪など、容易く再現できるとは思わないかな?」


「――――」


 なんだ、なにを言ってるんだこの少年は?

 ナーサリークライム?

 犯罪詩?

 不可能犯罪を可能にする異形?

 そんな、そんなものが存在するなら――



「どんなありえない犯罪だって、可能になってしまうじゃないですか!?」



「そうだ。そのとおりだよ、ミス・ミスミ。壊れた喉を癒し、ぶちまけた臓物も再生する。元通り、。それは堪らなく異形だ。だから、僕はそれを許容しない。犯罪はひとの手による芸術でなければならない。だというのに、それ以外が介在する犯罪など、とても赦すことはできない。そんな人殺し、僕が赦さない!」


 刑事でもなく。

 裁判官でもなく。

 被害者自身でもなく。


「この森屋帝司郎が――世界最初の〝犯罪王〟――その曾孫ひまごたる僕が、絶対に赦さない! 故に、僕は命じる。僕の罪よ、メリー=メアリー・スーよ」


 ――存分に〝ぶち壊せ〟。



『Yes――Yes!Yes!Yes!! My Master!!!』



 世界でもっと有名なを教えよう。

 それは羊飼いの少女の詩。

 雪のように白い、小さな羊。彼女を愛し、彼女が愛する、どこまでも付いてくる――規則すらお約束すら破壊する異形のライム。

 それが、その場に顕在化けんざいかする。


 純白の少女が、その眼を開いた。


 白のなか、潔白の中、


 卵の怪物が吠える。

 吠えた瞬間には純白の少女がいた場所がズタズタに砕かれる。

 でも、そこに少女はいない。

 いつのまにか、美鳥嬢のすぐ側に。


「くっ」


 美鳥嬢が逃げる。ハンプティが純白を攻撃する。

 だが、届かない。

 砕け散るのは屋敷の床、壁、天井だけ。

 何処に逃げても、何処まで逃げても――メリー=メアリー・スーはついてくる!


 そして――


『あたしはかなしい。あなたを愛しているのだから。重ねる罪の重さは重く。だからいま、少しでも軽くなるように、あたしは砕くの――常理を超えた〝罪〟でさえ』


 その歌声と同時に、すべては〝ぶち壊されて〟いた。

 紅奈岐美鳥が、ハンプティ・ダンプティ=エクスチェンジが、

 ――すべて粉微塵に、純白の少女に破壊された。



証明終了QED.。これをもって、此度こたびの講義を終了とする」



 愛すべかざる黄金、犯罪王の曾孫、森屋帝司郎は、すべてに終止符を打つように、そう宣言した。

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