事件篇
女刑事、孤島へ
ハンプティ・ダンプティ孤島に
ハンプティ・ダンプティが砕け散った
犯罪王と、その従者が全部かかっても
ハンプティたちを元には戻せなかった
§§
断言してもいい、あの出会いは偶然だ。
絶海の孤島で発生した空前絶後の不可能犯罪――いや、かの美少年なら超常犯罪と呼ぶところのそれを、彼らが鮮やかに〝ぶち壊した〟のは、言い訳がましいかもしれないが私とは何ら関係ないロジックによるものだったのだ。
無関係。
そう、私達は圧倒的に無関係だったのに。
彼らが介入するきっかけを与えてしまったのは――他ならぬ私だった。
そのことに大きな困惑を抱えつつも、私はいま、あの日のことを回想する。
あれはそう。
もう、5年も前の話だ――
◎◎
面積は0.9平方キロメートル。
この国の最果て
日本海にぽつねんと浮かぶこの島は、物珍しい動植物があるわけでもなく、資産的価値はとにかく低い。
そんなあっても無くても同じような島を、
それからの数十年間、真子島は紅奈岐一派御用達の避暑地として、港が作られたり館が作られたり庭園が出来たりと、まあ、それなりに真っ当な利用をされていたのである。
そう、数十年間は真っ当だった。
だから、真っ当じゃなくなったのは――紅奈岐
紅奈岐という、この国でも有数の財力を持つ名家の、その本来ならば
言ってしまえばブラックボックス。
彼らにとっての暗部。
しかし、その闇を覗き見るだけの資格と、偶然と、運と(どう考えてもそれは不運だが)、何より権力を握ってしまった者は、みな例外なくその事実を突きつけられることになるのだ。
即ち、
紅奈岐美鳥は人殺しであり――
――故に、20歳のバースデイを迎える2042年の今日この日まで、真子島に幽閉され続けているのだと。
少なくとも私は、そんな風に上司からきつく言い含められて、この島を訪ねてきたのである。
どれだけ心を奪われようとも、その容姿、思想、立ち振る舞いに同調したとしても、同情だけは決してするなと。
惑わされるなと、そうきつく。
……しかしその助言も、はっきり言えば役に立たなかったと、いま彼女を前にして私は思うのだった。
「歓迎します、斑目壬澄さん。あなたのご勇名、こんな
造形の妙というか、どうすればそんな
どうせあることないこと聞きかじっているに違いないので、わざわざ訂正はしない。誤解してくれるというのなら、そのほうが、都合がいいときだってあるのだから。
だから、問題だったのは私の精神、メンタルのほうだった。
紅奈岐美鳥。
その容姿に、私は一瞬にして圧倒されてしまっていたのである。
腰までもあるようにみえる長い髪は、あまりに特徴的な燃えるような茜色。この一族は皆、生来からしてそんな髪色だとはいうが、私が出会った中でも美鳥嬢のそれは際立って鮮やかだった。
瞳の色も同じように赤みがかかっている。これも一族共通。
顔のつくりも柳葉の眉にすらっとした鼻立ちだし、身に
人形的とは違う、
美しいというのは、それだけで人間関係に強いバイアスをかける。
この場合は、私という存在に卑小感を植え付けることに成功したと言えるだろう。
すこしばっかり自分の容姿にコップレックスを抱える私にしてみれば、紅奈岐美鳥の唯一無二ともいえる恵まれた美貌はあまりにも眩しかったのである。
その美しさに敬意を表して頭を下げた――というのが理由のひとつ。
そして下手に出る理由のもうひとつは、身につまされたとか同情したからとかではなくって――彼女が協力者であるからというのが、むしろ大部分のウェイトを占めているのだった。
「というか、それが本題なのですよね」
「……? なんでしょうか?」
ポロリとこぼれ出た本音を、私はよそいきの笑顔で隠す。
そうして、
「それで、紅奈岐さん」
「美鳥で結構です」
「美鳥お嬢様」
「……美鳥で結構です」
案外強情だな、このお嬢様。
「強情と言いますか……あなたも名字で呼ばれることは嫌うのでしょう? でしたら、わたくしとて同じような理由を胸に秘めていたりもするのです」
痛いところを突かれて、私は苦笑いする。
飲み込んだ溜め息の代わりに、心中でのみ使っていた「美鳥嬢」という呼称を引っ張り出し、私は気を取り直し問い掛けた。
「この島に形川リナが滞在しているというのは本当ですか?」
「ええ、間違いありません」
美鳥嬢の端正な顔に浮かんだのは再びの典雅な微笑み。
なるほど、これは一筋縄ではいかないぞ、と私は更に苦笑を深めるしかなかった。
それは、いまこの国を騒がせている
もっと正確に言えば――不可能犯罪者の名前だった。
〝不可能犯罪〟――或いは〝超常犯罪〟。
……果たしていつから、そんな戯けた呼称がまかり通るようになったのかは解らない。しかし、零年代の終わりには、確かにそう呼ばれるものたちがいた。
例えば、遠隔殺人。
遠く離れた場所から、触れることなく相手を殺す。
例えば、白昼窃盗。
衆人環視のその真っ只中で、誰にも気づかれることなく
例えば――密室殺人。
物理的にも概念的にも、完璧に密封された空間で殺人を犯し、
そんな、ありえないような犯罪を犯す者たちが――不可能犯罪者が、いつしか世界には溢れていた。
分など弁えず、大手を振って
曰く――
その超常犯罪者のひとり、数週間前、本土で70人ものメディア関係者をTV中継のさなか、一瞬にして殺戮した大量殺人犯、指名手配中の女優〝形川リナ〟が、この島に滞在していると、そんな情報が永崎県警に
タレこみを行ったのが、ほかならぬこの島の主にして紅奈岐家からほとんど断絶されるようにして幽閉されている彼女――紅奈岐美鳥その人だと判明したのが、いまからほんの4時間前のことだった。
「それで」
私は、至って真剣そうな表情を浮かべて尋ねた。
「どうして、彼女を
美しい女主が微笑を絶やさずに返答する。
その答えは、どうにもずれたものだった。
「あなたに、お会いしたくって」
……この答えを、予想していなかったといえば嘘になる。
ほとんど時間がなかったとはいえ、紅奈岐家の構成員と接触する時間は存在した。だから彼女がどんな人となりなのか、先に述べたように私は知っていたのだ。
急な連絡に応じ、永崎県警に顔を出してくださったのは紅奈岐
その彼が、「美鳥は日常に飽き飽きしている。だからわざわざあなたに
だから、私は肩をすぼめてこう言うしかなかった。
利用できるにしても、正すべき部分を正しておく必要はあった。
「勘違いを、されてはいませんか」
私は、あなたたちのような選ばれた人間ではないのだと。決して特殊な人間ではないのだと。日常を愛するただの――そうただの女刑事に過ぎないのだと。
私は彼女にそう告げた。
説得力はなかったかもしれないが、とにかく告げた。
それをどう受け取ったのか。
あるいは道化と受け取ったのか。
美鳥嬢は口元を押さえ、
「うふ、うふふふ」
「…………」
「あはははは――斑目刑事は」
「ご存知なのでしょう。なら、私も壬澄で結構です」
「ええ! やっぱり、壬澄さんは面白いわ。さすが〝
彼女は興奮も露わに、歌うようにそう言った。
対する私はといえば、渋面で黙り込む以外に選択肢はなかった。
確かに、私は〝曲芸殺人集団事件〟の生存者だ。だが、唯一ではないし、そもそもあの忌まわしい犯罪者どもを無力化したのもまた、私ではない。
なにより私は――全員逮捕などできなかったのだ。
そうであったにもかかわらず、私はその事件以来、超常犯罪者専門の刑事として永崎県警で扱われている。時には、別の県にまで出向することもある。場合によっては成果を上げてしまうこともある。彼女の言う〝ご勇名〟というのは、それに尾びれ胸びれだけでなく背びれや足までついたような話に違いないのだ。
警察が、超常犯罪抑止のために故意にばらまいている情報操作の一環に、私は利用されているに過ぎない。でなければ、20代そこそこの私が警部などという立場にいることも、そして今日この島を訪ねることもなかっただろう。
そう言った意味で、私はたぶん不運だった。
間違いなく不運だった。
続く美鳥嬢の言葉を聞くまでは。
「明日になれば、リナさんの身柄は壬澄さんにお引き渡しますわ」
「――え?」
「そもそもが退屈しのぎ。あなたに逢いたいがため、お話をしたいがために迎え入れた客人ですもの。あなたを招くことに成功した時点で要済みです。今日いっぱいは、ええ、客人という立場ですから厚遇しましょう。しかし明日には――ただの犯罪者として扱うことにしますわ。そうなれば、あなたに引き渡すこともやぶさかではありません。なにせ、警察に協力するのは市民の義務ですから」
「…………」
「どうしました?」
何か、不都合でも?
そう言って、また小首を傾ぐ彼女。
嗚呼――と、私は実感する。
やはり、この女性は私のような凡人とは違うのだ。
産まれた瞬間に母親を殺し、物心ついたときには父親を殺したというその噂は、きっと間違いではないのだろうと、私は彼女の赤い瞳を見て、そう納得せざるを得なかった。
そうしてそういった人間にばかり目をつけられる自分は、不運なのではなく、もはやそういった宿命なのだろうと、一種悟りの境地に達するほかなかった。
まったく、この世に神はいない。
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