第五の魔法

祈りと希望のエンゲージ

 たった一つ、誤解があった。

 僕は、そして、かつて僕がいた世界の人間はみな、大きな誤解をしていた。

 あの世界の人間は、すべてが魔法使いだった。

 例外なく、全員が魔法使い。

 そう

 落ちこぼれの僕がそうであったように、落ちこぼれでも一つだけ世界を揺るがすような魔法が使えたように、結城哀理も――瀧宮悠希も、魔法を行使することが出来たのだ。

 ただ、それは自分が他の魔法を使えなければ、何の意味も持たない魔法であり。

 故に、アーシェーラル・アイリーン・ヘカテリーゼが彼女に〝呪い〟という魔法を与えたことで、それは初めて真価を発揮したのだ。



 つまり――〝増幅〟の魔法が。



「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 叫ぶ。

 割れんばかりに、結城哀理は叫ぶ。

 血走らせた目で、僕らを睨みつけながら、何もかもを呪って叫ぶ。


「何故!? 何故!? 何故!? どうして、どうしてだよっ!! 行火否人は、私だけの味方だった! 行火否人だけは、私の仲間だった! お前だけは、私を理解してくれたのに!!」


 どうして? という呪いが世界を蝕む。

 何故? という呪詛が、光を呑み込む。


「こ、こ、これはなに、いったい何が起きて――きゃっ!?」

「香澄ちゃん!」


 短い悲鳴に振り向けば、叢雲香澄の肉体が闇に包まれていた。

 呪いのもや、黒いもや! それが、尋常ではない濃度で、彼女の全身から噴き出しているのだ。


まずい! このままでは呪いで溺れ死ぬぞ――いや、この世界が、終末の日の二の舞になるか!」


 逼迫ひっぱくしたアイリーンの声に、僕は否応なく状況を理解する。

 かつて僕が、常世界人理に接続したことで世界に新たな定義を作り滅ぼしかけたように、いま結城哀理は憎悪で世界を塗りつぶし、崩壊の世界を作り上げようとしているのだ。


「にくい、ニクイ、憎い、憎い、憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い――にくい! 私のものを奪う世界が、憎悪にくい!!」


 憎しみの言葉が、魔法に変わる。

 憎悪の叫びが、魔力を拡大する。

 彼女のそれを、僕は理解する。

 彼女が叢雲香澄を呪った理由は、それは――


「世界のすべてが――ねたましい!」


 

 結城哀理は嫉妬した。自分に同調してくれていた人間が、自分のことを忘れて楽しそうに生きていたことに。

 そして、

 叢雲香澄に掛けられていた呪いとは、嫉妬だったのだ。

 僕をうらやむ呪いだった。

 僕の安楽をさげすむ絶望だった。

 怒り。

 憎悪。

 それは、孤独の朋友ほうゆうと思っていた僕に裏切られた慟哭どうこくだ。

 世界を超えて、滅びから救い上げられてなお――彼女は愛されることがなかったのだ……っ!

 それは、なんという悲劇だろう。

 最悪の恐怖劇だろう。

 誰にも愛されない辛さが、いまの僕には解る。人を始めて、真剣に好きになった僕だから理解できる。

 だから。

 だから!


「哀理! やめよう! こんなこと……こんなことを、繰り返しちゃあ、いけないよ!」

「行火ぁぁぁ……行火ぁ否人ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

「!?」


 叢雲香澄だけではない。結城哀理の身体からも、暗黒が溢れ出す。

 そのすべてが世界を呑み込み、黒一色に染め上げていく。

 かつてのような白と黒モノクロームですらない。

 完全な闇に、世界が包まれようとしていた。

 僕は、アイリーンを見る。


「なんとかできないのですか、あなたは、魔女なのでしょう!?」

「――っ」


 彼女は悔しげに下唇を噛み締め――そして、顔を跳ね上げる。

 縞瑪瑙の瞳には決意の色。

 黒魔女が、走る。


「吾は真なる黒魔女の名をもって、吾がちから、吾が権威を解き放つ。は疾走する魔力を此処に断ち切り、破壊するものなり! とくあらわれよ――破術断斬――かいじゅのほう!!」


 中指と人差し指で作られた剣指が宙を疾走、尾を引く赤色の粒子となって空間に複雑な魔方陣を描き出す!

 それは、自らより発生したあらゆる魔法を破却する対抗術式。

 大魔法。

 だが。

 だがそれは、あくまでも支配権が己にあるものにのみ作用するもので――


「重ねて命じる。アイリーンの名を以て更に命じる。その根源を砕け! くだけちれ――起源断裂――そのおもい!!」


 重ねられたのは因果を断ち切る魔法。

 アイリーンは、呪いの主に物理的に断念させることで――結城哀理という存在の意味自体を消滅させることで、呪いを強制的に停止させようとしていた。

 意味消滅。

 それはつまり、この世界に居なかったことにされるということで。


「そ――」


 そんなこと。


「駄目だ……」


 駄目に決まっている。


「だって」


 だって、結城哀理は――


「消え去れ。此度こたびも願いを叶えてやれなんだ吾のことを、因果いんが那辺なへん彼方かなたで恨むがいい……っ」


 放たれる、深紅の閃光。

 暗黒が、迎え撃つようにその腕を広げ――

 そして。

 そして――
































「そんなの、駄目に決まってるじゃない。だって彼女は――」


 ――救いを、求めてるんだから。



















 暗黒と深紅が相克そうこくするその中心に、純白の光が差し込んだ。




◎◎



「そんなの、駄目に決まってるじゃない。だって彼女は――救いを、求めてるんだから」


 なにより気軽に、誰よりも気楽に、軽やかな言葉と共に放たれた白柄のナイフが、その純白が、闇と紅の中間に突き刺さり極限の衝突を受け止める。


「ういか、さん……? ――初夏さん!」

「やっほー、少年くん。また難儀してるねー」


 初夏・アーデルハイト。

 人々を救う白魔女が、陽光のような笑顔と共に、闇色の空より舞い降りる。

 ……ルンバに乗って、舞い降りる。


「ごめん、ごめん。事態の把握に手間取っちゃってさー」

「そ――」


 そういえばどうして。

 どうしてこのひとは、ここにいるんだ?

 僕とアイリーンが香澄ちゃんに会いに来たのは突発的な出来事で、そしてそこに結城哀理が現れたのだって偶然なはずだというのに。


「あー、それはね。理由は二つあるのだよ。ひとつは、ミネルさん」

『ホゥルー!』


 彼女の肩の上で、ここ数日ですっかり見慣れた使い魔の梟が、得意げな顔を見せる。


「ミネルさんが、してたヘカテリーゼと少年くんの会話を教えに来てくれたわけ。知ってる? 梟ってすごい速度で飛べるんだよ? で、ふたつめは――」

「初夏さん、いまはそんな解説なんてしている暇は」


 そう、彼女が得意げに語っているいまでさえ、アイリーンは暴走する魔法を抑え込むのに必死で声すら上げられず、香澄ちゃんは闇に呑み込まれて姿すら見えない。そして結城哀理に至っては、怨嗟えんさの絶叫を続けている。

 だから。


「だからだよ、少年くん」


 初夏さんは、笑みを消して真剣な表情を浮かべた。

 そうして、〝彼女〟の名を呼んだ。


「アーシェラル・アイリーン・ヘカテリーゼ。もう、いいんじゃないかな?」

「――――」

「もう、充分なんじゃないかな?」

「――――」


 初夏さんが問う。

 アイリーンは答えない。

 いったい、何の話をしているんだろうと、場違いな疑問すら浮かんでくるほど、その時の初夏さんの問いかけは奇妙なものだった。

 だって、


「贖罪は、もういいんだよ」


 そんなことを、言うのだから。


「――――ッ」


 アイリーンが、唇を噛む。

 噛み切る。

 その端正な口唇に真っ赤な血のたまが浮かび、やがて溢れる。

 それでも、彼女は口を開かない。

 むしろ固く閉ざす。

 だから、語ったのは黒き魔女ではなかった。

 白き魔女が、すべてを暴露する。


「世界の守護者。白き魔女。魔法世界の番人。本来の正統なる魔女。平和を司るものIRENE。そんなにも、すべてを救えなかったことを後悔しているの?」


 ――え?

 何を、いったい何をあなたは言っているんだ?

 アイリーンが。

 アイリーンが――先代の白魔女……だって?


「そうだよ、少年くん。彼女は、紛れもなく白き魔女だ。かつて君を救った白魔女だ。。そして、結城哀理を救うことが出来なくって、後悔の塊となった、旧世界の残滓ざんしだよ」

「旧世界の、残滓……?」


 そうだよ、と。初夏さんが、首肯する。


「いまこの世界に、魔法は大っぴらには存在しない。それは君が常世界人理にアクセスし、その認識を書き換えたからだ。それを、アイリーンが固定化したからだ。滅びるサダメの世界を救うために、彼女は世界の転移シフトという大魔法を行った。そして、ほとんどすべての人間を救い――代償として己の存在を維持できなくなった」


 ほとんどすべて。

 それは救われなかったものがいたということ。

 その救われなかった存在が。


「行火否人、アンカ、イな、ヒト、あ、あああ? アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!?」


 いま世界を滅ぼそうとする、結城哀理。


「厳密には、彼女もシフトすることには成功した。でも、その心までは救えなかった。だから白き魔女は二つに分裂した。護れなかったから、純粋な守護者でいられなくなって、余計な部分を切り離した。ひとの望みをかなえようとする部分。つまり――それが黒き魔女アーシェラル・アイリーン・ヘカテリーゼ」


 じゃあ、あなたは。

 当代の白魔女である、初夏・アーデルハイトは。


「言ったよね、あたしは幸せを運ぶ者。癒すもの。世界の修復者。……アイリーン平和を切り捨てた、醜い魔女。それが、あたしの正体だ」


 幻滅したかな、少年くん?

 彼女はそう言った。

 哀しそうな顔で、困ったような顔で、そう言った。


「あたしは、別に清廉潔白でも、きみが憧れるような奴でもなかったんだよ。全部、全部計算づく。

「やめろ!」


 アイリーンが、叫んだ。

 いまにも泣き出しそうな表情で、口を開いた。


「やめるのだ、アーデルハイト。行火否人に、それを告げる必要はない。吾が結城哀理を消し飛ばせば、片が付く。この銀のナイフさえ汝が消せば」

「無理だよ。だって、結城哀理の絶望は、あたしたちが想像したよりも、ずっと大きなものだったんだから。、幾らなんでも傲慢だったんだ」

「……ッ」


 少年くん。

 そう呼ばれ、右手を握られる。

 見上げた僕が目にしたのは、初夏さんのその瞳。

 碧い、どんな宝石よりも深いその瞳が、いまはとても沈鬱ちんうつな色に染まっていた。

 アイリーンの瞳も、同じ色を帯びる。


「――――」


 状況に追いつけない僕の頭が、だけれど駄目だといっていた。

 そんな顔をさせてはいけないと、そういっていた。

 そうして、解った。


「お願いするよ、少年くん。たった一つのお願いだ。力を貸して頂戴」


 僕には解った。


「私達を再び一つにして――世界を」


 自分が、するべきことが。





























「世界を――救って」































「……接続アクセス常世界人理Usual Anchor Law。上位管理者権限により、常理改変魔法アキシオン・コラーポス・マジックの執行を許可し、その権利を――」



 僕の右手に、鋭い熱が走った。

 はじけ飛ぶのは、かつて施されたルーンの封印。

 僕は、右手を世界へと掲げ。


「――ッ!」


 涙を噛み殺し、宣言した。





「魔法殺しの魔女マギカ・イミテクス――に委譲する!!」





 弾けるのは、碧い燐光。

 僕の右手から溢れ出した無数の術式が碧い文字列の鎖となって、初夏さんとアイリーンを繋ぐ。

 そして。

 そして――


「……汝を、吾のものにしたかった。吾が、誰よりも救ってやりたかった。結城哀理の願いを、汝と愛しあいたいという願いを叶えてやりたかった。だが、それは、人の心をもてあそぶような真似は、すべきではなかったのだ。半端なことをしてしまって、本当にすまなかった。大好きだ、行火否人。あとを、頼む――」


 アイリーン。


「……少年くんには苦労を掛けるね。本当なら、こんなことにならないためにあたしたちがいるのに。ごめん、代わりに救ってあげてよ、少年くん。結城哀理を救うんだ。だって君、男の子だろう?」


 初夏さん……。


「「やれ、やるのだ、やらなきゃいけない。それは君が、行火否人が――」」


 そう、僕だけが。
















 ――結城哀理の、唯一の友達なのだから。

















 これは、その友情にむくいるために、白き魔女が用意してくれた最後の機会。

 だから。




再構築リビルド――アンリミテッド・ニューワールド」




 白と黒、かつての世界と同じように二分されていたそれが、いまひとつなって再構築される。

 そして。


 そしてすべてが、光に包まれて――





「ひとを好きだと思える君が、あたしも好きだったよ――否人くん」





 消えゆく狭間に、そんな声を、何処かで聴いた。





 ――そんな気がした。

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