第四の魔法

はじまりの恋と、ある世界の終焉

 ……昔話を、しよう。



 とても、とても昔の話だ。

 僕がまだ、行火否人でありながら行火否人ではなかったころの――いまのように歩き出す、その前のお話だ。

 あの頃、世界にはたくさんの不思議がちていた。

 どうして鳥は空を飛べるのか。

 何故、魚は息継ぎなしでもおぼれないのか。

 なんで、獣はあんなにも速く地を駆けることができるのか。

 そして、どうして。


 ――使


 世界は、神秘に満ちていた。

 僕の周囲の人間は、誰しもが魔法使いと呼ばれる存在だった。

 皆が皆、自由に魔法を使うことができた。

 それを、神秘と呼ばずになんと呼べばいいのだろう。

 当時の僕はそれを不思議だとは思わなかったけれど、少なくとも、、それでも、世界には奇蹟が、神秘が充ちていることを知っていた。



 世界には魔法という名の神秘が溢れていた。



 人は箒で空を飛ぶことが出来たし、泡の膜をつくって海に潜れて、風よりも速く地を走ることが出来た。

 魔法は万能だったのだ。

 万能の魔法によって維持される世界は、きっと平和で、平凡で、平常通りで。

 だからこそ〝彼女〟は、あまりに異端だった。

 結城ゆうき哀理あいり

 こちらではなく、以前の世界の彼女。

 かつての僕がいた場所で、彼女は魔法を使うことが出来なかった。

 世界でただひとり、たったひとり奇蹟を起こせない憐れな少女だった。


「魔法など、いらない」


 そんな風に強がる彼女を、誰もがあわれんだ。その名にならって、哀れむべき理ストレイ・シープと呼んだ。

 可哀想だと言った。

 憐憫れんびんの情に絶えないと嘆いた。


 惨めだと――わらった。


 劣性における劣性。当たり前もこなせない愚か者。憐れで愚劣ぐれつ愚昧者ぐまいもの。彼女に与えられた烙印らくいんは数知れず、そして彼女も、それを受け入れていた。

 涙とともに、み込んでいた。

 ……正直な、とても正直な話をしよう。

 僕もまた、彼女をさげすんんでいた。

 駄目な奴だと思っていた。

 そして同時に――これ以上もなく共感していた。

 彼女が一切の魔法が使えない非魔法少女であったように、僕はたったひとつの魔法しか使えない、きわめつけの落ちこぼれだったからだ。

 彼女が愚蒙ぐもうなら、僕は無能だった。

 彼女が何一つ持っていないとしたら、僕は必要なものを一つとして手中にしていなかった。

 僕は落第生で、彼女は劣種。

 だからだろうか、僕らは共感し、気が付くと友人になっていた。


「これがあるべき世界だと、行火否人は思うか?」


 何時いつだったか、彼女は僕にそう問うた。

 灰がかかった瞳で、そう尋ねてきた。

 いつの間にか親しくなっていた僕たちは、密会の場所である大きな木が生える丘の上で、そんなことばかり話していたように思う。

 彼女は、いつだって自分には魔法なんていらないのだと強がった。

 そうして、僕の結論はこうだった。




「世界なんて――滅びてしまえばいいのに」




 正当化するつもりはない。

 だけれど、幼い少年の願いだ。

 とても幼稚な、稚拙な願いは、だけれど何よりも純粋であるが故に――〝世界〟によって承認される。

 僕が持っていた唯一の魔法とは、世界への接続。


 常世界人理。


 この世の常識を、当たり前を、日常を形作る権能へのアクセス権限。

 僕はそれに、こう望んだのだ。

 こう、願いを託したのだ。



 ――世界なんて滅びてしまえと。


 姿



 ……初めに何が起きたか。

 世界は、まずは色を失った。

 何もかもがモノトーン。

 海は黒に、大空は白に、森の緑はセピア色に。

 僕たちのいた世界は、あっという間に色彩を失った。

 彩りを失った。

 感情を、亡くした。

 魔法使いのすべてが、想いを失い、思いやる心をなくし、絶望すらできないほどに心の動きが停止した。

 哀理は真っ先にすべてを剥奪はくだつされ、彼女は黒と白の二色に切り分けられた。

 僕の目の前で、〝闇〟の中に呑み込まれて消えた。消えたんだ。

 そうだ、次にやってきたのは暗闇だった。

 空間がほころび、時間が歪み、世界の端々からにじみ出るように暗黒が溢れ出し、森羅万象をその混沌の内側に取り込んで無為むいに帰していった。

 魔法使いは万能だ。

 おおよそどんなことでもできる。

 だけれど彼らは誰も、その世界の滅びにあらがえなかった。

 魔法は万能でも、全能ではなかった。


 なにより、既に彼らの心から、そんな意欲は失われていたのだ……


 そして、世界は混沌に沈んだ。

 空は暗黒、陽光すらが漆黒。

 僕はその世界で。

 絶望の世界で、たった一つの残された丘の上の、大きな木の下で、顔を覆って泣いていた。

 愚かな僕は、今更になって恐れおののいていた。

 恐怖し、戦慄した。

 自分が何をやらかしたのか理解して、怖くなった。

 瀕死のクマゼミの声が、ひとびとの最後の泣き叫ぶ声が、とても恐ろしくて怯えていた。

 そんな僕を救ってくれたのが、他の誰でもない、純白の魔法使いだった。

 否――世界で唯一、魔法使いではない魔法使い――白き魔女、





 初夏・I・アーデルハイト、その人だった。





 あの世界の、彼女だった。


「はっはー、剣呑けんのんだね少年くん。見た限りは大ピンチだ。どうだい、あたしが助けてあげよっか?」


 何処からともなく突然現れた彼女は、とても明るい声で、お気楽そうな声音で、そんなことを言い出した。

 すべての惨状が視えているはずなのに、なんでもないことのように、容易なことだとでも言うように、助けるなんて言葉を口にした。


「見えてるかって、そりゃあ見えてるさ。この世界の異変――いや、既にと呼ぶべきかな。これをやったのは少年くんだね? あっはー、隠さなくたってイイよ、おねーさんは何でもかんでもお見通しだからね」


 で、どうだい? とか、彼女は言う。

 助けてほしくはないかと、僕に問う。


「……たすけて……たすけて、くれるんですか……?」


 恐る恐る。絶望に、悲嘆に暮れていた僕が問うたなら、彼女は「もちろんさ!」と気安く請け負ってみせる。

 苦しくて、苦しくて、いまにも僕は縋りつきそうで。

 だけれど、こんな災禍さいかを招いてしまった僕だから、


「どうして?」


 と、何を思うより早く、たずねていた。

 僕は疑心暗鬼だった。

 また過ちを犯してしまうんじゃないかって怖かった。

 だから失礼極まりないそんな問いかけを投げたのに。


 なのに、彼女は、笑ってみせた。


 快活に、突き付けられたと命題があまりに簡単だと笑い飛ばすように。

 彼女は、告げた。

 これ以上なく、絶対的で明瞭な答えを。




「あたしが、初夏・I・アーデルハイトだからだよ」




 白き魔女。

 それは、世界を護る概念。何らかの要因によりこの世が滅亡に瀕したとき、その原因を解消するための存在。

 あの世界の初夏さんは、世界の守護者だった。

 概念、条理、法則、日常を護るものだった。

 だから、泣き続ける僕に、こう言ったんだ。



『むむー……そんなに泣くなよ少年くん。君は別に、悪いことなんてしていない。君は悪くない。自分とちがうものを追いだそうとする。それは、ひとの世の常でしかないんだからさ』


 だから泣くな。


常世界人理Usual Anchor Law――すべて人間がこの法理ほうりの中で生きている。君たちが日常と呼ぶものの正体がそれだよ。少年くんはね、たまたまそこから一歩、滑り落ちてしまっただけなんだ』


 世界の修正力。人の世を平定しようとする力。

 きみは自分の中の常識を、それが正しいと信じてしまっただけなんだ。正しい日常を願ってしまっただけだった。


『君は悪くなかった。世界も、君の友達だって悪者じゃなかった。ただ、ほんの少し……そうだね、ほんの少しきみの――〝運〟が悪かった』


 この悪夢を叶える力を持っているという不運だけが悪かった。


『だから――あたしが君をあるべき世界に送り届けてあげよう。少年くんに、踏みとどまる機会を上げよう』



 否を告げる君にこそ――人理は誰よりも相応しいのだから。



 そうして彼女は、世界を救った。

 僕を、助けてくれた。

 自らの身が引き裂かれる対価に耐えながら、行火否人を使、世界の均衡を保った。

 かくして、僕はただの人間に、凡庸な一般人に、行火否人となって、新たな一歩を踏みだした。


 この世界で。


 こちらの世界で、生きていくことになった。

 邪魔でしかない常世界人理にアクセスする力は、僕から失われた。

 魔法を見えるという当たり前の感覚は残ったけれど、それ以外のちからは、彼女がこの右手に刻んでくれた〝ルーン〟によってすべて修正された。

 僕は、初めて真っ当に生きることが出来た。


 ――いや。

 それは少し違う。


 真っ当に生きようと誓うことが出来た、とするのが正しい。

 誰も傷つけないように、沢山の人を笑顔に出来るように、少しでも恩に酬いられるように誠実に生きたいと、そう願うことが出来たんだ。

 それは、そう思えたのは、すべて初夏・I・アーデルハイトのおかげで。

 だから、あの瞬間。

 矛盾するようにあの日。

 救われたあの日――



 ――僕は、白魔女に恋をした。



 紛うことなき、ひと目ぼれだった


 以来、こちらの世界で生きながら、僕は彼女を求め続けた。

 求めて、探して、そして純白の初夏・アーデルハイトと再会して――当然彼女は僕のことを知っている様子ではなかったけど(当たり前だ、別人なのだから)それでも、僕は彼女を信頼することができた。

 揺るぎない信頼があった。

 それはあまりに当然、あまりに当たり前のことだった。

 だって――



「初夏さんは、かつて僕を救ってくれたのだから」



 それで十分。矛盾なんてない。

 理由はほかに、必要じゃなかったんだ。


「で――あったか」


 僕のその、長広舌ちょうこうぜつを聞き終えて、青臭いを聞き終えて。

 彼女は。

 黒魔女、アーシェラル・アイリーン・ヘカテリーゼは、ひどく沈鬱な面持ちで、そう呟いた。

 いまにも泣き出しそうな、罵声を吐き出しそうな、だけれどそれを、奥歯を噛み締めてこらえているような表情を僕へと向けて。

 それから、くいりと帽子を引き下ろし、顔を隠す。

 そうして。


「で、あるなら。吾も思うところがある。汝の求めるものを、与えてやろう」


 アイリーンは、言った。


「保証をくれてやる。汝が友を、必ず救ってやる。魔女の名に誓って確約しよう。代わりに――」


 ――お前は、吾のものになれ。吾の願いを、叶えよ。



 黒き魔女は、震える声で、そう訴えた。



 ◎◎



「〝呪い〟とは、人の想念そうねんが形を得たものだ。〝呪詛〟。相手を呪わしく思う心の形を、吾は利用したにすぎん。つまり、〝呪い〟を成立させたのは吾だが、汝の友、叢雲香澄を呪ったのは別の人間ということだ。その者の絶望的な怨念だということだ」


 早朝の通学路を走りながら、アイリーンは呪いの概念を簡単にまとめてみせた。

 彼女の言によれば、〝呪い〟を解く方法は大きく分けて三つ。

〝呪い〟の術式を破壊するか、〝呪い〟を成就させるか、或いは〝呪った〟本人に諦めさせるか。

 この中で、彼女が行おうとしているのは一番目の方法だった。


「吾の構築した術式ぞ? 破戒はかいできぬ道理があるものかよ。依頼主の想念は、吾の意思より乏しいものだ。これは確認している」

「依頼主って、誰なんですか?」


 叢雲香澄を呪う相手。

 誰にでも好かれ、誰にでも分け隔てなく接する彼女を呪うような人間。そんな人間に、僕は心当たりがない。彼女を好いている人間ならいくらでも列挙れっきょできるけれど、恨んでいる人間なんて想像もできなかった。

 が、そんなことを言うと、アイリーンは笑う。


「この世に恨まれることがない人間などおらんよ。どれほど真っ当に生きたところで、逆恨みというものもある」

「…………」

「ふん……気にするな、魔女の言うことなど話半分に聴いておけ」


 ただでさえ、人を惑わすのが魔女なのだからと、彼女は言った。

 だけれど、僕は思わずにはいられない。

 恨まれるというのなら、僕以上に恨まれている人間もいないはずだ。

 なにせ、一度世界を滅ぼしかけている。

 その出来事は無かったことになっているけれど、だからって僕の罪が消えるわけではない。

 その罪は、ずっと感じていなければいけないものだ。

 だからこそ、僕は誠実に生きようと思えるのだから。


「とにかく、アイリーンなら香澄ちゃんを救えるんですね?」

「ああ、吾ならば救える。だが、吾の編んだ術式、その呪力がピークに達するのは今日このとき。いかにアーデルハイトのサシャが有力でも、それで防ぎきれる代物ではない」

「だったら!」

「だから! いま、こうして急いでいるのだ……っ」

「っ……箒に乗るという選択肢は、ないんですか」


 初夏さんはルンバで空を飛ぶけれど、あの人曰く「もともと魔女は乗り物を選ばない。なら、なんでもいんだよ」と、適当極まりないことを言っていた覚えがある。


「それはなぁ、アヤツは大魔法以外ならなんでもありだからのう……吾は箒でしか飛べぬ。が、いま箒に乗っても」


 ちらりと、彼女のオニキスの瞳が僕を見る。


「汝を同伴させる以上、二人乗りになる。それは……何だかいやだ」


 そう言った。

 …………。

 嫌われたものである。まあ、仕方がない。あれだけチンチクリンだなんだとからかっておいて、いまさら好かれようとするのは虫が良すぎる。

 それにこの少女が魔女だというのなら、僕が起こした世界の崩壊と無関係でもないのだろうし。


「やっぱり、好かれようとするのは虫が良すぎるね」

「……ほら、もう一息だ!」

「は、はい!」


 ぱすんと小さな手で背中を叩かれて、僕は走る速度を速める。

 角を曲がる。

 校門が視えた。

 私立翠城学園高等部。

 その無駄なまでに大きな校門の前を、ちょうど横切る影があった。


「叢雲――香澄!」


 クラス委員長。ショートカットの似合う眼鏡な才媛さいえん。幸せだと言ってくれた彼女が、今まさに登校しようとしていた。


「え? あ、行火君だわ。おはようなのだわ」


 同じ時間に登校するなんて奇遇ねと微笑みかけてくる彼女。

 いや、これは奇遇でもなんでもない。偶然じゃない。出会えるように、かちあうように、計算して僕らがやってきたというだけのことなのだ。


「行火否人、これをその娘に渡せ。渡して、顔を描いて完成させよ」

「えっと……このちっちゃな女の子はどちらさまかしら? 行火君の、親戚かなにか?」

「ちっちゃくないわい!」


 そんなことを言っている場合ではない。

 僕はアイリーンから渡された顔のない人形と――その厄除けポペットは、初夏さん謹製の代物をちょろまかし、さらにアイリーンが魔法を重ね掛けした特別なものだった――そして、油性マジックを香澄ちゃんに押し付けるように渡す。


「これに、顔を描いて欲しいんだ」

「い……いきなり何かしら。びっくりするのだけれど?」

「香澄ちゃんを強く守ってくれると、そう願いながら顔を描いて」

「えっと……」

「「いそいで!」」


 僕とアイリーンの声が唱和した。

 香澄ちゃんは驚いたように目を丸くして、


「……解ったわ」


 だけれど、こちらの必死さが伝わったのか、真剣な顔つきになって油性ペンの蓋をあける。

 彼女の達筆な筆が、ポペットに顔を描いて――





























「ふ ざ け る な!!!」


























 響き渡ったのは、胸を引き裂くような悲痛な絶叫。

 金切声。

 怒りの叫び。


 いた。

 一斉にその声が聞こえた方へと振り返る僕らの視線の先に、その人物は立っていた。


「~~~~ッ!」


 手の平に爪がめり込むほどに、指先が白くなるほどに力を入れて、ギュッと両の拳を握りしめ。

 仁王立ちして、小刻みに身体を激情に震わせて。

 暴走する感情に染まる真っ赤な顔は、いまにも圧し折れそうなほど噛み締められた歯が剥き出しになっている。

 そして、その瞳は。

 そのは――



「行火否人は、もう誰にも渡さない。そいつは――私のものだぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」



 瀧宮悠希は、絶叫した。

 瞬間、僕は天啓のように理解する。

 このクラスメイトが。

 






















 ――あのとき僕がうしなった友人、結城哀理、そのものであるのだと。



























 世界が/反転する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る