第三の魔法

白き魔女、黒き魔女

 僕の華麗な二重生活について話をしようかと思う。

 ……いや、正直どうしてこうなったのかと、本気で頭を抱えているのだけれども。


「いいこと、行火君。彼氏というのは常に彼女をエスコートするものなの。例えるなら列車の動力源は先頭車両トップ・オブ・ザ・ピーキーということね!」

「つまり、金魚の糞だね」

「とぅっ!」


 夏休みに入って以来、毎朝、僕を訪ねてくるようになった香澄ちゃん。

 理不尽な暴力を「正義的に執行」すると、彼女は僕を、引きずるようにして自分の家へと連行していく。

 間違いなく動力装置は彼女の方だったし、良く考えたら列車は電車をも含む概念だから、一概には先頭車両だけが動力源とは言えないとか、いつも通り翻訳がエキサイトすぎる、とか。

 そんな限りなくどうでもいいことを考えている間に部屋へと連れ込まれ、宿


「夏休みの宿題は最初の週にかたづける! これが人生の鉄則よね」

「毎日少しずつやる方が無理はないよね」

「遊べないじゃない。少しでも一緒に居たいのに」

「……なんで?」

「彼氏と彼女だからよ!」


 いつから僕らはそんな関係になったのだろうと、正直困惑を隠せないけれど、それを口にすると殴られることが初日で判明していたため、僕はそれ以来、彼女の部屋で唯々諾々いいだくだくと勉強を頑張っている。

 そう、

 そして午後、香澄ちゃんは僕を街につれだす。


「ドーナツ! ミセドのフレンチクルーラーが食べたい!」


 あるときは、コック帽に老女の姿が印象的なロゴの、全国チェーンドーナツショップ、ミセスドーナツで食事をし、お土産にドーナツを持って帰ってまた勉強する。


「プールよ! ウォータースライダーで、その時、蒼穹へフライアウェイよ!」


 あるときは市営プールに出向いて、ごった返す人混みをかき分け泳いだりはしゃいだり。健康的な肌をこれでもかと露出するパレオを身にまとって、彼女はその豊満な胸を揺らす。

 そして帰ってお勉強。


「流しそうめんよー!!」


 夕方、この街で最大のショッピングモールで催された流しそうめんイベントに参加して、そのモール内を突っ切るように流れるそうめんを思う存分に食べる。

 彼女は、ずっと笑顔だった。

 とても、とても幸せそうだった。

 僕を急き立てるように、自分が生き急ぐように、夏休みの序盤を駆け抜けた。

 件のサシャが効力を発揮しているからか、もう彼女が事故に遭うことはなかった。傷を負うことはなかった。誰かを助けて傷つくことはなかった。

 僕は、それが嬉しかった。

 これ以上なく、嬉しかったんだ。


「今日も……ありがとう。その、行火君、私……幸せよ」


 別れ際にそう言って、名残惜しそうな表情とともに彼女は家路につく。

 もちろんエスコートを任された僕は途中まで送るけれど、それも途中までだ。

 彼女と別れた僕を待っているのは――日常から乖離かいりした、夜の世界だった。


「さあ、今日も店番頑張ってちょーだい」


 そんな気の抜ける言葉をかけられて、僕は店番を任される。

 言いつけるのは初夏・アーデルハイト。

 そして僕がいるのは彼女の住まいの四畳半――祈望堂だった。


 そう、日中を香澄ちゃんと過ごした僕は、日暮れとともにこの妖しげなお店のバイトとして働くサダメを負ったのだ。

 ……両親には、好きな人が出来たのでプレゼントを買いたいからバイトを始めたと嘘を吐いている。そんな稚拙な嘘でも疑うことなく信じて、朝方までバイトするのを黙認してくれる両親には素直に頭が下がるけれど、本当のところを言えば止めて欲しいぐらいだった。


「とはいえ……やめるわけにはいかないんだ」


 やめるわけにはいかない。

 何故なら、僕が祈望堂ここで働くことが、初夏さんが提示した香澄ちゃんを救う条件だったからだ。

 叢雲香澄。

 彼女はいま、幸福だと言った。

 だけれど、ほんの数日前まで、彼女は不幸だった。

 それは、魔女に〝呪い〟をかけられたゆえ。

 白魔女である初夏さんは、その〝呪い〟を解くために現在、奔走してくれている。

 当然、その間このお店はすっからかんになる。

 だから、お飾りだとしても店番のバイトが必要だったのであり、白羽の矢が突き刺さったのが僕だったのである。

 これが、僕の華麗なる二重生活の、その実態だった。


「でもね。だけれどさ……人間以外がやって来るとは……さすがに聴いていなかったなぁ……」


 部屋の中央に突っ立ったまま、目を細め、独白する。

 そう、魔法のお店〝祈望堂〟は、なにも人間だけを対象にしたお店ではなかったのである。


「〝呪い〟というものがあるのだから、


 自分を納得させるために、そう呟くのはたやすい。

 が、目の前の情景を完全に理解できるかどうかは、また別問題だった。

 影がうごめいている。

 部屋の四隅から這い出してきた、むしのような形としか言いようのない〝影〟が、あちらに数匹、こちらに数匹と壁や天井を這いずっているのだ。

 二足歩行する紳士帽の蛙がいる。

 彼(或いは彼女?)はステッキを器用に回転させながら、薬品が無数に並ぶ棚の上を行ったり来たり物色している。

 他にもネズミ、ミニブタ、狸、アリクイのようなもの、蟹のあしをもつ猿、小さな城を背負った飛蝗バッタなど、多種多様な人外の輩がかわるがわるひっきりに無しにやってきて、この店の商品を品定めしていく。

 半額セールと書かれた手書きのポップが飾られているのはハーブの棚だ。

 大特価! の安っぽい文字が躍っているのは、明らかに近づきたくない妖気を放つ大判の本――魔導書の類が納められた書架。

 金運UP 魔除け 恋愛成就 エトセトラエトセトラ……僕が香澄ちゃんにプレゼントしたものと同じようなサシャも、そんな風にレッテル張りされて幾つも売られている。

 人間(少なくとも外見上は)が来ない訳ではないのだけれど、この店の怪しげなラインナップに手を出すのは、同じように奇妙なお客様ばかりだった。

 通貨――というものはあまり意味をなさないようで、みなさん好きなものを選ぶと、おおよそ等価値の代物をかわりに置いていかれる。

 初夏さん曰く、たぶん正確、らしいので、僕はそれを受け取るのが目下の仕事だった。

 受け取る代物があまりに怪しげな場合は、部屋の隅にある止まり木で監視を続けている梟のミネルさんに尋ねれば「ホゥールッ!」という肯定か「ホッホゥ……」という否定がかえって来るので、それを参考にさせて貰っている。

 出会い方が出会い方だっただけにお互い最初は気まずかったのだけれど、さすがに毎夜毎夜根を詰めていると慣れてくるもので、いまでは何となくアイコンタクトが出来るまでに関係性は改善されていた。


 さて、そんなバイトの6日目。

 初夏さんのほうにろくに進展がなく、内心に焦りを抱えつつも店番を続けていた僕は、殆どのお客さんがはけてしまった時間帯――つまりは早朝を迎えたため、帰宅の準備を始めていた。

 店内にいた最後のお客、天牛虫かみきりむしのカップルが帰ったところで、僕は大きく伸びをした。


「さて。これで帰れ――る?」


 ギュッと目を閉じ、んー! と身体をほぐして目を開くと、店内に新たなお客さんの姿があった。

 別段、珍しいことではない。

 この店の客は、神出鬼没でないほうが珍しいのだ。

 お客さんは猫だった。

 額のひと房だけが白い、鉤尻尾の黒猫。


「――――」


 何か強烈な既知感を覚え、思わず額を押さえる。


「な~ご」


 僕がそんなことをしている間にも、妙に毛並みのよいその黒猫は、ある棚の前で立ち止まると、こちらを振り向いて可愛らしい鳴き声を上げた。

 そうして、カリカリカリと戸棚をひっかく。

 僕は眉根をひそめながらも、しかしお客さんの前でいつまでも渋面をさらしている訳にもいかないのでどうにか平常を装い、その黒猫へと歩み寄る。


「なー」


 シュッシュッと、猫パンチで催促された戸棚の引き出しを開ける。

 中には……顔のない人形のようなものがたくさん詰まっていた。


「な、なんだっけ、これ……?」


 その不気味な見た目に軽く引きつつ、僕は事前に渡されていた目録をとりだし急いでめくる。御情け程度のマニュアルはあるのだ。

 えっと、これは、ぽ、ぽ――


『――ポペット。或いはパペット。日本でいう憑代よりしろのようなものだ。基本的に万能だが、制約の一つとして自分の為に作らなくてはならない。未完成品は譲渡できるので、これを購入した相手が手順通りに仕上げれば、そのものを護る強固なお守りと化すだろう』

「へー、そう言うものですか」


 納得しつつ、そのうちの一体を取り出そうとして


「――って、喋った!?」


 ……これ以上なく、僕は普通に驚愕した。


『む……なんだ、われが喋って、何か不都合があるのかえ?』


 とても不服そうに、そんなことを足元の黒猫は言う。

 猫特有の口元を、器用に動かして、その黒猫は人語を喋っていたのである!


『いや……のう。そんな衝撃の事実! みたいに語られても、吾、普通に喋るし……』

「この世界の猫は普通喋らないです!」

『む、む。なるほど、それもそうか。いや、この店の客が、みな無口なのは知っておったがそれ程とは……では……これならどうかな?』


 混乱に支配される僕は、さらなる混沌へと突き落とされる。

 その黒猫は後ろ足だけで直立すると、その手を巧みにこすり合わせ始めたのだ。

 そうして――歌う。


いつわりのすがたを――偽称境面――ここにはきゃくすこれあらわすぐうぞうこそ――現正真姿――わがしんじつのすがたなり


 一切のよどみなく流暢りゅうちょうに紡がれた言の葉が、その鈴を鳴らすような声が僕の鼓膜を揺らしたとき、黒猫の姿が奇妙に揺らいだ。

 ついで、その小さな身体からもうもうと煙が立ち上がり、視界を覆い尽くす。

 煙。

 呪いのもやに似て、しかし異なる煙。

 その煙が晴れたとき、僕の眼前に立っていたのはもはや黒猫ではなかった。


「ふむ。やはり、この姿の方が、落ち着くのう――」


 黒いとんがり帽子に、漆黒のマント。その下にはこれまた黒い軍服のようなごたごたと装飾のついた特異な衣裳をきて、体躯は矮躯わいく、少女のように華奢で触れれば壊れそうなほど儚く。

 瞳は縞瑪瑙オニキスのように黒く、くらく、幾つもの階層が重なり合ったようにどこまでも深い。

 肌の色は浅黒い褐色で、やや明るい。

 顔付きからして自信とプライドにち溢れているその少女は、何もかもが黒く、だけれどその髪の毛の、前髪の一房だけが、銀糸のように白かった。


「アーシェラル・アイリーン・ヘカテリーゼ――いにしえの盟約めいやくにより参上した」

「へ、へかてー……?」

「……愚鈍な奴だ。よい、特別にアイリーンと呼ぶことを許そう。わざわざアヤツの留守を狙い領域に侵入したのは、行火否人、きさまに用向き合ってのことだからな」

「僕に? あなたが? というより……あなたはいったい」


 困惑を隠せない僕に、その少女は笑みを作り応じる。

 喉の奥でくつくつと笑い、猫のような瞳を歪めながら、しかし――どうしてかその口元に寂しげな笑みを刻んで。




「はっ、ははは……愚鈍な凡人よ。終わった可能性から来たものよ。吾は世界が認知する真実の魔法執行者。完全なる魔女。大魔法の具現。現世唯一、正統なる黒魔女にして――」




 ――きさまの親友ともに、呪いをかけた張本人だ。




「くふ……くふっはっはっはっはっ!」




 本来の魔女。

 真に魔女と呼ばれる存在。

 

 叢雲香澄を呪った黒き魔女が、僕の目の前で哄笑していた。



 ◎◎



「単刀直入に言うてやる。吾が軍門に降れ。吾の言うことを一つだけ遵守そんしゅせよ。きさまがそれをとするのなら、叢雲香澄の呪詛は解いてやろう」


 その黒き幼女――黒魔女、アイリーンさんは不遜な表情でそんな勧告を僕へと突き付けてきた。

 僕は、一度顎に手を当て、少しだけ考えて、尋ねる。


「保証は、ありますか?」

「保証」

「僕があなたのものになれば、香澄ちゃんが本当に助かるという、保証です」


 くふっ、と。

 黒魔女が、耐えきれなかったようにふきだした。


「失敬……しかし、くふふ、保証、保証よなぁ」


 彼女は取り澄ましたようにクイリと、とんがり帽子を目深にかぶり直し、口元だけ笑みの形で留めて、そっと肩をすくめて見せる。


「自らの事は一顧いっこだにせんか。。吾の軍門に降る。命令を順守する。それが何を意味するかさえ考慮にいれぬ。世界渡航者ワールド・ウォーカー常理否定者ディナイアル・アンカーとはそういった存在か――やはり、救いがたい」


 帽子の下から覗いたのは、ゾッとするように冷たい。ちろりちろりと鬼火が燃える暗闇の瞳だった。


、如何なるものにも成就できない大魔法――常世界人理接続。封密ふうみつ状態にありながら、それでも意志の力のみで呪詛のけがれをはらう強靭なる願い……やはり放置するわけにはいかぬ。すべて管理する必要がある」

「えっと……」


 そういう、中学二年生がするような話は、初夏さんだけでお腹いっぱいなので。


「ああ、アイリーンさんは、中学生ぐらいなのですね。身長もそのくらいですし――」

「ちっちゃくない」


 ん?


「チャーミングなお姿だと思います。元来この国では小柄で平坦な方こそ大和撫子と呼ばれ幼女とはいえ」

「ちっちゃくない! 平坦じゃない! チャーミングでもない! あと幼女って言うな!」


「いえ、可愛らしいです。すっぽりと手の中に納まるぐらいのそのサイズが、こう、ちょうどい――」

「ちっちゃくないわい! 身長も胸も本当は小っちゃくないのだ! これは仮初かりそめの姿ゆえだ!」


 ……つい先ほど、これが真実の姿だとかなんだとか言い張っていた凛々しい魔女の姿は、そこにはなかった。

 冷たい眼差しも、ゾクリとするような美貌もない。あるのは見た目相応に、ほっぺを真っ赤にして膨らませている、不機嫌そうな幼女の姿だけであった。

 ……あれか、魔女というのは、こういう人種ばかりか。よく似てるな、誰とはいわないけど。

 僕はゴホンと咳払いをして、話を本筋へと戻す。


「ともかく、保証です。香澄ちゃんが無事でいられるという、保証がなければ、僕は初夏さんを頼ります。初夏さんを信じます」

「……なぜ、アヤツをそこまで信じられる?」


 吾の知る限り、きさまとアーデルハイトは出会ったばかりではないかと、アーシェラル・アイリーン・ヘカテリーゼはそう言った。

 冷たい、冷たい眼差しで、羨むような眼差しで、僕の内面を計測するように、分析するように、そう問うた。

 一瞬、ほんの一瞬、僕は言葉に詰まる。

 僕の記憶、想い、心。

 それをいまここで口にするのは簡単だ。だけれど、それでも眼の前の魔女を納得させられるとは思えない。僕だって、それでは納得できない。

 だから、僕はこう返答するのだ。

 真実だと信じるたった一つを口にするのだ。

 あの日の願いを。


「僕は、世界なんて滅べばいいと思いました。だけれど」







 だけれど、滅んで欲しくないものも、確かにあったのだと――






 僕はあのとき、間違いなくそう、願ったのだから。

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