第二の魔法

青春不幸リンゲージ

「ど――どうしたの、香澄ちゃん!?」


 朝、学校へ登校するなり、僕は頓狂とんきょうな声を上げた。

 驚愕の叫び、或いは悲鳴だったといってもいい。

 そんな僕の叫びを受けて、彼女――クラス委員長である叢雲香澄は「うふふ」と、場違いにはにかんで見せたのだ。


「今日もやってやったのだわ。まあ、名誉の負傷というやつなのだわよ」


 自慢げにそう言って、彼女は豊満な胸を張った。

 僕は唖然とする。

 聴けば、昨日別れてから、事故にいそうだった老婆を助けたということだった。

 だけど、だけれど彼女の、その右目は



 ――いま、病的な眼帯によって覆われてしまっているのだった。



 そして、その塞がれた右目からは、あの日払いのけたはずの黒いもやが、また蜿蜒えんえんと空に向かって立ち上っているのだ。


「さぁ、今日も張り切ってノブレス・イインチョ・オブリージを果たすわよ!」


 、彼女は笑顔で委員長としての仕事を始める。

 表面上は元気いっぱいの、だけれど無数の不穏を引き連れた彼女のうしろ姿を、僕はただ呆然と見つめていた。


「……チッ」


 舌打ちが、何処かで響いた。

 振り返り、教室のなかを見渡すが、別段誰も、普段と違う様子はない。

 いや――異変はあった。

 窓の外に、一匹の黒猫がいた。

 眉間の一房だけが白い鉤尻尾の黒猫。

 その猫が、教室の最後尾、窓際の席を見詰めて「ニャー」と鳴いた。隣の席の瀧宮たつみや悠希ゆうきが、いやそうにその黒猫を見詰めている。

 物語的にいえば、主人公が座るその席。






 そこは――叢雲香澄の席だった。



 ◎◎



「呪い――という可能性はあると思うよ」


 その日の放課後、終業式を翌日に控えた僕は、とある場所を尋ねていた。

 小さな、小さな四畳半。

 荷物と薬品がごった返す室内で、猛暑だからか窓を開け放ち、そのくせ汗一つかいてない普段着姿のお姉さん、初夏・アーデルハイトはそう言った。


「呪い、ですか。そんな魔法みたいなもの、存在するのですか」

「……少年くん。君は、あたしをなんだと思っているのかな?」


 それは、コスプレが好きな年上の女性に決まっている訳で。


「魔女だよ! この部屋見りゃわかるでしょう!? 君の前で二回も魔法を使ってみせたじゃないか!」

「二回……」

「治癒と飛翔の魔法だよっ」


 ああ、そっちか……。


「まあ、初夏さんが魔法使い(のコスプレが好き)だというのは解りましたが」

「解ってない!? 何一つ解ってない!?」


 キィーッ!と歯噛みする初夏さん。部屋の隅の止まり木で、梟のミネルさんが面倒そうにこちらを見遣る。

 初夏・アーデルハイト。

 とても美人で、初対面では近寄りがたい神秘的な雰囲気さえあったけれど、こういうところを見ると普通に愉快なお姉さんである。


「あのね、少年くん」


 その愉快なお姉さんが、表情を真剣に改めて、僕を見る。

 言った。


「あたしは魔法使いじゃない。だよ」


 もっと言えば、魔女ではなく白魔女だと、その人は語る。

 ……白魔女?


「そう、白魔女。悪魔と契約し、厄災をばらまき、病魔を蔓延させ、欲望を尊び、人の悪なる願いを叶え、不幸を請け負うのが魔女――黒魔女。んで、あたしはその逆。世界と契約し、厄災を祓い、傷病を癒し、愛と幸運を運ぶ魔女――それが白魔女なんだよ」

「愛と幸運」

「恥ずかしいからリフレイン禁止」

「世界と契約……」

「やめろよね、おねーさんのこと昨今さっこんの中二病患者見るような生温なまぬるい眼差しで見るのやめろよね!」

「まあ、それはともかく」

「流された!? この少年くん、年上への敬意が全く感じられない!?」


 うん、敬意とかはともかく。


「本当に、呪いってものは、あるんですね?」


 僕は、念を押すように、そう尋ねた。

 彼女は、


「……あるよ」


 僕と同じように真剣な表情で答えて、彼女は部屋の右側にある棚に手を伸ばす。

 2~3度、指を迷わせた末に、彼女が掴み取ったのは、紫色の液体が入った小瓶とマッチ、そしてキャンディーの包み紙のように両端がくるくるとまかれた細長い紙の包みだった。

 僕にはそれが、手巻煙草たばこのように見えた。


「それは、煙草ですか?」

「ん? 確かに煙草の起源に近いけれど、これはあたしが調合した魔除けのハーブを呪紙じゅしで巻いたものだよ。そうそう、タバコという言葉はもともと〝薬草〟という意味があって」

「そちらの小瓶は?」

「……こほん。これはね、これは――」



 ――呪詛じゅその〝塊〟さ。

 


「呪詛……」

「そう、人の怨念、ねたみ、そねみ――嫉妬や憎悪、憧憬どうけいといった感情を抽出して可視化したものがこれさ。魔女にとってものを可視化するというのはとても大切なことで――」

「憧憬……呪いには、そんなものまで含まれているんですか?」

「……そうだよ。あらゆる感情が、呪いだと言ってもいいぐらいだ。人の誰かを思う気持ちはすべて呪いだ。そして、魔女は、現世の黒魔女はその呪いを操る。魔法の、材料にしてしまう」


 例えば、こんな具合に。

 呟くと同時に、初夏さんは小瓶の蓋を開け放っていた。

 瞬間、


「魔法はこの世界のあらゆるものから〝ちから〟を借りて、そこに意志の導きを加えることで成り立つの。だから、いうなればこの状態の呪いは、未成立の魔法。これだけでも悪さをするけど、しかし形になる前なら、素人でも払いのけることができる」


 シュポッと音を立て、彼女の手の中で魔法のようにマッチが点火される。

 揺らめく火が灯ったマッチを、そして初夏さんは薬草を巻いた紙巻へと近づけて。


「すぅ……ふぅー」


 煙草のようにくゆらし、ゆっくりとその煙を小瓶へと吹きつけた。

 すると、瘴気のように立ち上っていた黒いもやが、たちまち薄らいで消えてゆく。

 もやは消え、比例するように高速でハーブも燃え尽きる。

 あとには、空っぽになった小瓶だけが転がっていた。


「……細葉海蘭トードフラックス黒根草ドクダミ千鳥草ラークスパーの粉末を桂皮シナモン聖油エッセンスで練ったもの。この調合ならよほどの想念じゃない限り、きちんと払いのけることができるはずだよ。じかに煙を吸うのは、訓練しないと辛いだろうし、肺に入れるなんて子供にはキツイ。そうだね。だったらにしてあげようか」


 サシャ?

 詐者?


「あー、サシャって言うのはね」


 僕の疑問を読み取ってか、彼女はまた棚を漁り、今度は何か、ファンシーな色合いの布の塊――ポケットティッシュの半分ぐらいの大きさをした小袋を取り出した。


「薬草をフェルト布なんかで包んで縫い上げたお守りみたいなものだね。包む薬草によって効果は変るけど、この調合なら一週間。少年くんの友達を、強い呪詛からでも守ってあげることができるはずだよ。処方してあげるね。で、その猶予ゆうよの間に、あたしが呪いの大元を探してあげるよ。もっとも、解呪には手間がいるかもしれないけれどね」

「……どうして」

「うん」

「どうして初夏さんは」


 そこまで、良くしてくれるのですか?


 僕は、それを尋ねる。

 そういうことを、聴いてしまう。

 ああ、僕は知っているはずなのに。

 どんな答えが返って来るかなど、


 彼女は、答えた。

 他愛のない問いかけに、屈託なく答えてみせた。


「それは、あたしが白魔女だから。あたしの名前が初夏・アーデルハイトだから。あたしは」




 初夏・アーデルハイトは――魔法殺しの魔女マギカ・イミニクスがゆえに。




 彼女は、口元を挑戦的に歪め、そう言い放った。

 それはまるで、世界へと決別を宣言するような、そんな言葉だった。

 自分にそうであることを課すような、やけに強い言葉だった。



 ◎◎



「ところで処方っていってもタダじゃないからね。ほら、この世にタダより高いものはないって言うでしょ? 割引券があるから相談料はひいておくけど、残りは身体で払ってね?」


 そんな余計なというか、背筋が寒くなるような宣告を受けた翌日、僕は登校するなり叢雲香澄の元を尋ねた。


「それでね、駅のホームから線路に転落しそうになっていたサラリーマンのおじ様を、私は間一髪助けたのだわ。まったく、あの黒猫ちゃんが通りかからなかったら、無視していたところだったわよ」

「へー、ふーん。そう……それで?」

「いろいろ感謝されたわ! この足の傷は謝られたけれど、名誉の負傷だもの、むしろ鼻高々よ!」

「ふーん」


 楽しそうに談笑する香澄ちゃんと、それに無関心な感じで首肯だけを返す隣の席の瀧宮悠希。

 二人の会話が一段落するのを見届けて、僕は彼女に声をかけた。


「香澄ちゃん」

「あら、おはよー。行火君」


 おはよーと返し(ちらりと見ると瀧宮はそっぽを向いている。僕と同じで、瀧宮は友人が少ない。そして僕と瀧宮は友人ではない。香澄ちゃんが誰とでも分け隔てなく接しているというだけだ。だからそれは、妥当な反応と言えた)、僕は香澄ちゃんを見る。

 彼女の右脚には、またも包帯が巻かれていた。既に露出している肌の多くの部分に、何かしらの処置がされている状態だった。

 そうして、その包帯の下からは、あの黒いもやが、にじみ出るように染み出している。

 苦虫をかみつぶしたような胸中を出来るだけ無視して、僕は件のお守り――サシャを取り出し、香澄ちゃんへと差し出す。


「これを」

「あら可愛い。なにかしら、これ」

「お礼だよ、この前――黒板から助けてもらったときのお礼を、まだしていなかったから」

「お礼って……私は当然のことをしたまでだわ」


 そう言って彼女はかぶりを振る。

 受け取る様子がない。

 解っている。そう言うだろうと思っていた。

 だから、僕はこう言うのだった。

 誤解を恐れず、躊躇わずに。


「僕は香澄ちゃんが好きだ」

「す――ぶるふぁ!?」


 ……香澄ちゃんが、何故かふきだした。

 そうして、「すすすすすすす、好きって」何度もどもりながらそう言って、次第に顔を真っ赤にして、それから、怒鳴るようにこう叫ぶ。


「好きなの!?」

「……うん」


 なにごとかと、既に登校していたクラスの一同が僕らを見る。瀧宮も目を大きく見開いて僕らを見ている。

 僕は、頷く。


「うん。僕は、香澄ちゃんが好きだ」

「ちょ――ちょっと待ちなさい! な、なにを言いだしているのあなた!? 脳みそが腸捻転でも起こしているんじゃ――そ、それとも宇宙からの電波に魂を売り払ってセル・アウェイ・ザ・ソウル――」


 ……脳みそは腸じゃないし、宇宙からの電波に魂を売り払ってもいない。

 僕はただ、ありのままを口にしているだけだ。


「僕は、叢雲香澄が好きだ」

「あ」

「その恩に、心からむくいたいと思っている」

「あ、あ」

「だから……好きな人にお礼がしたいっていうのは、そんなにおかしなことかな?」

「あ、あ、あ――ぁぅー」

 

 リンゴみたいに真っ赤な顔で、困ったように目を潤ませて、睨むように彼女は僕を見る。

 僕は微笑んで、サシャをもう一度彼女へと差し出した。


「受け取って、くれる?」


 彼女は。


「――――」


 叢雲香澄は。


「――――」


 僕の好きな、眼鏡のクラス委員長は。


「~~~~、はいっ」


 消え入るような声で、そう呟いた。

 サシャが、そっと彼女の手の中に納まる。

 瞬間、彼女の全身に及ぼうとしていた黒いもやが、まさに雲散霧消うんさんむしょうし、立ち消えるのが見て取れた。


「よかった」


 僕が安堵とともに心からそう口にすると。

 何故だか、クラス中から喝采が湧いた。

 口笛に拍手に「ちくしょう!」の声。

 それに混じって確かに。


「――チッ」


 確かに僕は、舌打ちを聞いた。



 かくして僕は、恩人である叢雲香澄に酬いることが出来た。

 翌日から何故か、妙に周囲の視線が生温くなったし、やけに香澄ちゃんがよそよそしかったけれどそんなことは気にならない。

 何故なら本題はここからだから。


 ――あと七日。


 サシャの効力が切れる前に、僕と初夏さんは呪いの大元を探し出さなければならなかったのだ。


 長い。


 長い夏休みが、はじまろうとしていた――


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