再会は必然に
◎◎
「――――」
言葉を失う。
まるで魅了の魔法にかけられてしまったようだ――そんなことを思う。
それは、それほどまでに美しい光景だった。
「もう、帰りたい」
森の中を進んでいるときは、心の底からそう思った。謎めいた鳥がボゥーボゥーと頭上では
LEDライトの明かり一つでは心もとなく、それでも僕は必死で前へと進んだ。
歩いて。
歩いて。
歩き続けて。
そして、その光景に出くわしたんだ――
「――――」
ぽっかりと、その場所だけが開けていた。
まるでミステリーサークル。
月光をため込む泉を、森が作りたがっているかのように、その場所に背の高い樹木は一つもなく、円形にひらけている。
その中心に、一輪の花が咲いていた。
いや、月光を浴び、
「――――」
先のとがった大きな帽子に、背に流れる長髪とマント。
マントの下は特徴的な、継ぎ目のない、まるで肉体と一体化しているような直線の服と、貴族がはくようなジョッパーズ。
そのすべてが白く、ただ、月光を受けて美しく輝き。髪だけが、夜を凝縮したように麗しい黒色。
おとぎばなしに出てくる魔女。
それがそのまま抜け出てきたような美しい人物が、そこにいたのだった。
彼女は、目を閉じ、祈りをささげているようだった。
その姿に、僕は
息が止まるぐらいに見詰め、
『ホォーゥ!』
「うわぁ!?」
ブワリと、強い羽ばたきとともに何かが僕の顔に影を落とす。
同時に、眼の下や鼻に、鋭い痛みが走った。
痛い!
熱い!
ギャ、ギャギャ、ギャギャギャ!
何度も何度も突き立てられ、引き裂かれる、連続する痛みの正体。
それは。
それは――
「た、助け――!」
あまりの痛みと、突然飛来した恐怖にたまりかねて、尻餅をついた僕が助けを求め手を伸ばしたときだった。
「ミ――ミネルさん、すとぉぉぉぉっぷ!」
誰かが、焦った声で、そう叫んだ。
途端に、顔の前から威圧感が消える。
『ホッ-ホゥル?』
「戻ってミネルさん! その子、悪い子じゃないって!」
『ホー?』
「不審人物でもないって! いいから戻って!」
『ホー……』
風が、頬を撫でる。
恐る恐る閉じていた目蓋を開けると、目の前に、あの白い魔女がいた。月光を背にして、魔女がたっていた。
その肩に、何かが舞い降りる。
白い大きな鳥――
「ごめんね? 大丈夫……じゃないよね。あちゃー」
ぺちりと額に手を当て、天を
先程まではあまりの美しさに見惚れて気が付かなかったけれど、どうやらその人は、僕より3~4歳ぐらい年上の女性のようだった。
ふと、眼が合った。
どんな宝石よりも深い碧色。覗き込めば深淵の果てまでも
「ごめんねー、久しぶりの森だからミネルさんに護衛してもらってたんだけど。もう、気が早いんだよ、ミネルさんはー!」
『ホッホルゥー!』
「うん。謝ってるから、この子も。ごめんねー」
器用に頭を下げる梟。
両手を合わせ「ごめんね?」と首を傾いで見せる女性。
彼女は僕が言葉を失っていると、表情を改めてそっと手を伸ばした。
純白の手袋がはまった右手が、傷まみれの僕の頬に触れる。
あっと言う間に血に染まる手袋。純白を
「……うん。大丈夫。大丈夫だよ。すぐに、あたしが治療するから」
僕の内心を知ってか知らずか、彼女は迷子でもあやすような調子でそう言って、そうして、沢山ポケットがついたウエストバックを
「ん、手持ちはこれしかないか――バーベイン……バーベナとヨモギの葉の粉末、それに――」
彼女が僕から離れる。名残惜しさから漏れ出しそうになった声を慌てて飲みこむ。いくら何でも空気が読めていない。
魔女の姿をしたその人は、速足でさっきまでいた場所――空き地の中心へと戻ると、バックから一振りのナイフを取り出した。
白い柄のナイフ。
それを、一閃すると、魔術のように一輪の花が宙に舞った。
「
戻ってきた彼女は、僕の前に膝をつく。
慣れた手つきで取り出したものを混ぜ合わせ、それを僕の頬に塗り付けた。塗りつけ、なにか文字のようなものを描きながら、不思議な旋律の言葉を
「『守護者の片割れが願う。祖なる母、月の女神、いとたかきものの妻よ。病めるもの、不当に傷つきしものに祝福と癒しを。血の流れ、地脈に添って
ボウ!
言葉の終わりとともに、僕の傷が燃え上がる。
「熱っ!?」
思わず声を上げると、「平気だよ」と彼女が優しく慰めてくれる。
それだけ。
それだけで、僕の心は平穏を取り戻し、だけど代わりに、心臓が高鳴った。
炎が熱かったのは初めだけで、すぐにそれは心地好いぬくもりに変わっていた。炎が夜の闇に解けて消える頃には、もう痛みは無くなっていて、
「OK. 傷跡一つなく塞がったよ!」
彼女にうながされ、実際に触れてみると、確かに傷跡は初めから存在しなかったみたいに消え失せていた。
まるで魔法のようだと、ありえないことを僕は思った。
「まったく、喧嘩っ早いなぁー、ミネルさんは」
『ホウー!』
「うんうん解ってる、守ってくれたんだよねー? ありがとう」
のほほんと呑気に談笑(?)する一人と一羽。
「えっと……?」
なにがなにやらさっぱりで、頭に疑問符を浮かべていると、彼女が笑顔のまま、こちらを振り向いた。
「あ、そうそう君! 君には迷惑をかけたね、少年くん? 立てるかい?」
僕へと手を差し伸べながら、彼女は言う。
その手には、さっきまであった血痕はもうない。
僕は「た、立てます……」と答えて、その手をとる。
……血痕がなくなっていたことを、ほんのすこしだけ残念に思ったことを、どうしてか後ろめたく思っていた。
握った手は、僕よりもずっと小さい。
だけど手袋の上からでも暖かいことがわかる手だった。
彼女は僕を引き起こすと、またウエストバックに手を伸ばし、そして何かを差し出してきた。
「これ」
「え?」
「受け取ってくれるかな、お詫びのしるし」
「…………」
「怪しいものじゃないよ! ちゃんとサービスするから、何かあったら、訪ねてきてね!」
戸惑う僕へ、無理矢理にそれを握らせた彼女は、言い終えるなり笑顔をつくって、そして走り出した。
「それじゃあ、また後日」
空き地の中心まで駆け戻った彼女が、僕へと向かってぶんぶんと手を振る。
それはそれは楽しそうに手を振るので、その手が千切れ跳んでしまうんじゃないかと、場違いな心配をしてしまうほどだった。
そうしてひとしきり手を振り終えると、彼女は何処からか――本当にどこからともなく取り出した丸い機械――全自動掃除機ルンバに、ぴょんと片足だけで飛び乗り、
「シーユーアゲイン!」
顔の横で二指剣をつくって、ピュッと空を切り。
そして彼女は。
お姉さんは、そのまま肩にとまった梟と共に、天高く舞い上がって行ってしまったのだった。
魔女はルンバで、空を飛んだのだ。
「……いまどきの魔女は、ルンバで空を
おとぎばなしか、夢のなかの出来事のような、遥かに処理能力を超えた非現実的な展開に遭遇し、バカみたいなことを呟いた僕は、そっと視線を手の中に落とす。
魔女はいない。
咲き誇っていた花もない。
顔の傷だって消えてしまった。
でも、確かな証が、そこには残っていた。
胸の内で何かに火がともることを感じる。その熱とともに、僕はそれをギュッと両手で握り締めた。
今度こそ、この想いを絶やさないようにと、そう心から誓って。
◎◎
後日、僕はそこを尋ねた。
触れたらいまにも倒壊しそうなおんぼろアパートの一室、その前に立つ僕の手の中には、あの日渡された紙切れが握られている。
『新装開店サービス無料割引券! いまなら無料でお見積り! 魔法道具・占い・その他専門店〝
無料なのに割引券、割引券なのに見積りだけ無料、その他なのに専門店とはどういうことなのかと、まあ、いろいろ突っ込みどころがオンパレードなそのチケット。
その裏に、ここの住所が書かれていたんだ。
13号室の木製の扉の前には、確かに祈望堂と書かれた看板が立てかけられていた。
ゴクリと、唾を飲みこむ。
……いや、行火否人。此処まで来て物怖じなんてするな。意気地を捨てるんじゃあない。
そう必死に自分に言い聞かせても、胸の高まりは落ち着かない。
いまにも口から飛び出してしまいそうなほど、心臓は早鐘を打っている。
ああそうだ、あの日からずっとこのざまだった。
ずっと贖罪のために生きてきた。
だけれど――もう、なにも理解できていなかったあの日とは違う。
僕は、明確な意志を
「ご――ごめんくださいっ!」
僕は立ち止まらなかった。
愚直さではなく、考え抜いて突き進んだ。
意を決し、叫びながら三回ノックをする。
返事は。
こたえは――
「あーい、どうぞー。鍵は開いているよー」
間延びした声。落ち着いた声。でも、確かに聞き覚えのある声。
なけなしの勇気を振り絞り、万感の思いと共に、僕は扉を
まぶしい夕陽が、僕の眼を焼いて――
右手側に並ぶのは、作業台とサイケデリックな色合いの無数の液体が封じられた小瓶の棚。
左手側に並ぶのは、
そして、そして小さな、小さな四角い部屋の中心に、彼女は
「ようこそ、あたしの居城、あたしの最後の領地、
屈託なく快活に笑う、あの日とは違うTシャツにハーフパンツ姿の素敵なお姉さん。
そう、彼女は――
――僕の恋した白魔女は、
◎◎
かくして行火否人と、初夏・アーデルハイトは再会を果たしたのだ。
僕と白魔女のひと夏の物語は、こうして幕を開ける――
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