第5話 モモの運命

「まったく、今晩の取引に間に合わねえんじゃねえかと、ひやひやしたぜ。おい! 分かってんのか、てめえのせいで大損ぶっこくとこだったんだ! 今度こんな間抜けたことしやがったら、ただじゃすまねえぞ!」

 解體屋を後にした、三台連なる黒塗りのワゴンの中。モモを連れ去ったかっぷくのいい筋者の男、チャン・ジュンは、目の前のシートを蹴りつけた。この騒ぎの元を作った若い衆が座っている。

 施設の見張りをしていなければいけないのに、うっかり施錠し忘れた上に、酒を飲んで居眠りをしていた。相当にどやしつけられたのだろう、顔を色とりどりのあざが彩っていた。

 車には他に、若い衆が二人、そして運転手が乗っていた。自動運転を切ってマニュアルで運転しているのは、行き先を知られたくないときの常だ。本来違法だが、ログも取れないように細工してある。

 運転手がチャンに話しかける。

「それにしても、もう五人目っすか。何したらそんなに死ぬんすかね」

「さあ、薬を打ってるってえ、うわさだけどな。アレのとき、反応がよくなるんだとよ。まあ、おかげでこちらの商売が繁盛するわけだし、悪い話じゃねえな」

 チャンはそう言うと、にやりと口角をゆがませた。運転手の若い衆も、それに追従の笑いを上げる。

 ああ、これだ。チャンの隣で小さくなっているモモは思った。

 あの時、エモンのまとっていた雰囲気はこれだ。殺すことに慣れた者が持つ、乾いた雰囲気。人をどこか物として見ているような、冷めた視線。

 料理をしているときにどうしてそんな雰囲気になるのか、それは分からないけれど、生まれたときからずっと囲まれてきた臭いだ。嗅ぎ間違えるはずはない。

 獣子ショウツ達を売りに出すとき。今みたいにその売り先で死んだという話をするとき。強く感じていた、いやな臭い。

 エモンはご飯を食べさせてくれたり、優しくしてくれたけれど、やはり裏社会の人間なのだろうか。ここにいる者達と、同類の人間なのだろうか。

 そうは考えたくない、とモモは小さく首を振った。

 ここにいるのは、大陸系の人身売買組織のメンバーだ。昔から、戸籍を持たない黒孩子ヘイハイツがいると言われてきた大陸では、このような組織が力を持っていて、赤子や幼児の誘拐など、社会問題と引き起こしてきた。

 それが国連自治区、実質の占領下となったオキナワに入り込んできたのだ。お目当ては日本の女性である。従順と評判の日本女は、性奴隷の商売では人気があるのだ。

 以前から世界各地で、日本のイメージを騙る売春宿などが横行していたほどだ。日本女となれば売値五割増しは固い。どこもこぞって目玉商品にしていた。

 まあ、中には違う地域からの子供が混じることもあったが、言葉さえ覚えさせてしまえば、遺伝子検査でもしなければ分からないのだから、そんなに気にしない。その辺は、他の商売と同じ。だまされる奴が悪いのだ。

 ただ、チャンの組織が売っているのは高級品だ。評判には気を配らなければいけない。火病持ちの半島女なんかが混じっていたら、後々の商売に響く。

 きちんと本物の日本女を手に入れるなら、現地で調達するのが一番だ。だからこのオキナワに、頭領自らやってきた。ここから、自治区だけではなく、大陸にも送り出している。

 日本女の卵子を手に入れ、遺伝子操作で胚をいじって獣子ショウツにする。それを現地の女に植えて生ませたあと、ある程度の年齢まで育てて、売り払う。

 金も手間もかかるが、しっかりした商売を続けていれば、自然と評判もよくなる。その辺りは日本人を学ばなければならないと、チャンは常々言っていた。そういう点では謙虚になれる男なのだ。

 そのおかげで今では、直接買い付けにオキナワに来る客もいるほどになった。今日の顧客も、そういう一人だ。

 政府にもパイプを持つ、表裏いくつもの顔を持つやり手の政商。普段は上海の住人だが、仕事でよくオキナワに来ていて、一緒に女を買っていく。要望はいつも同じで、従順でおとなしい、日本女の少女の獣子ショウツ

 すがすがしいほどの下衆な趣味だが、だからこそ、きちんとそれに応えられるチャンの組織を重宝している。金に糸目をつけない上客だった。

「まあ、ちゃんと見つかってよかったぜ。御大直々のご指名だったからな。商売には信頼が大切だ。裏切っちゃいけねえ」

 チャンはシートに深くその身をうずめて、満足げにモモの頭に手を置いた。モモはびくりと身をすくめる。

「金と手間をかけて育てたんだ。最後にきちんと売れてくれなきゃあな」

 そう、確かに、金と手間はかけられていた。

 養育部屋は本拠地となっているビルの上階にあった。実質占領下にあるオキナワでは、鼻薬はなぐすりでもかがせれば、その辺は簡単にお目こぼしを望める。

 モモはきちんと、健康に育てられていた。売り物なのだから、その辺は気を使う。不健康であれば、見た目も悪くなる。

 もし、やせこけた少女に興奮するというような、病的な趣味を持つ顧客であれば、要望を受けてから食事の量を減らせばいい。まずは健康なこと。その逆はだめだ。

 窓は開けられないようにしてあったが、明かりはきちんと入っていて、明るく清潔に保たれていた。家具も何も置いてない、殺風景な部屋。だが、健康に育てるという点では問題はない。

 食事はきちんと栄養を考えられてはいた。必要なカロリー、たんぱく質、ビタミン。

 ただ、栄養さえ取れればいいのだから、味は考慮されていなかった。余計なコストまでかけることはない。調理の手間も最小限。本当に動物の餌と同様だ。いやむしろ、動物の飼育員の方が、対象に愛情を持っている分、上等なものを用意しているだろう。

 寄生虫を避けるため、肉や魚は加熱はしてあった。だがそれだけだ。上等な部位は高くつくので、市場で手に入れたくず肉に、やはり二束三文で手に入るくず野菜。それに安いサプリメントや、抗生物質を振り掛ける。

 そんな中、一番のご馳走は、熟しすぎて捨て値で売られている果物だった。それが餌を入れたボールに混じっていたときは、モモ達は本当に喜んだ。

 何度か食べたことのある桃は、本当にほっぺたが落ちるような味だった。

 仲間は時々増え、時々消えた。どこに連れて行かれるのか、その先で何が起きているのかは、周りの男達の言葉で、なんとなく分かっていった。

 自分の運命は、そういうものなのだと、モモは特に感想もなく受け入れた。

 自分が売り買いされる運命であることについて、あきらめていたというよりも、それ以外の生き方があることが、想像つかなかったのだ。閉じ込めて育てられ、世間を知らなかったから。

 だが、予定されている自分の売り先で、次々と売られた子供が死んでいると聞いて、さすがに恐怖を覚えた。他を知らないので不満もない、そんなただ生きているだけの人生だったが、死ぬことだけは怖かった。

 そんなとき、運命のくびきを逃れるチャンスがやってきた。

 上階から下の階に降りる階段やエレベーターは、獣子ショウツ達には使えないようになっていた。エレベータは動かすときにセキュリティチェックが入り、非常階段はいつも施錠されていた。

 だが、その日。

 明らかに仕事に熱心ではないその若い衆は、休日に一人世話を任されたことに不満を持っていた。食事を与えるためやってきたときに、すでに飲んでいるのはすぐ分かった。

 獣子ショウツ達の健康には気を使っていたから、施設は禁煙になっていた。酔っ払った男がタバコを吸いに非常階段へ出たあと、鍵を掛け忘れて戻ってきたのに、モモは偶然気づいた。男はそのあと居眠りを始めた。逃げ出す機会はここしかなかった。

 恐る恐る、階段へ出る。強い風が吹いてきて、腰が抜けるほど驚いた。ずっと室内で育ったモモは、せいぜいエアコンのそよ風ぐらいしか知らなかったのだ。

 第一歩目から前途多難だったけれど、死の恐怖がモモの体を動かした。見つかるのではないかとびくびくしながら、隠れるようにしつつ階段を下りた。

 部屋を出る前に気づいて、フード付きの服を借りてきたのは正解だった。かぶると自分の耳が隠せる。実際出荷するときに、万が一見られても目立たないように着せるものだった。

 地上では、大勢の人が往来を行き交っていて、モモは足がすくむのを覚えた。

 窓から下の世界を眺めることはできた。でもずっと自分は、向こうの人とは違う生き物なんだと感じていた。同じだなんて、思ったこともなかった。それがモモの当たり前で、そんな世界しか知らなかったのだ。

 まるで異世界に踏み込んだような心細さを感じながら、とにかく遠くに逃げなくてはと、歩き続けた。歩き慣れないモモの足では、そう距離は稼げなかったが、それでも一生懸命に歩いた。

 夜は茂みの奥にもぐりこみ、夜露をしのいだ。のどの渇きは公園の水道でいやせたが、やがておなかがすいてたまらなくなった。


 そして、エモンに出会ったのだ。


 その日の朝に、食べ物はお金を払わないと売ってくれないということを学んでいた。それを教えた八百屋の主人は、モモのことを泥棒、乞食と激しく罵倒した。その時蹴られたわき腹の辺りには、まだ鈍い痛みが残っていた。

 おなかがすいて仕方なかったけれど、お金なんて持っていない。匂いにつられて近寄った屋台で、店員と客がけんかしているのが見えた。客はこんなものが食えるかと激昂している。食べないものなら、泥棒しても許してくれるかもしれない。

 台の上に置かれていたパックをつかんで逃げ出した。

 けれどすぐに捕まってしまった。

 今朝みたいに蹴られるかもと覚悟したけれど、エモンはそんなことはしなかった。

 それどころか、お店に連れていって、ご飯を食べさせてくれた。

 初めておいしいものを食べた。

 優しくしてくれる人もいた。

 ここにいてもいいと言ってもらえた。

 それはモモが初めて感じた、とても小さな、でも代えがたい、生きている喜びだった。

 だが、それも束の間の夢に過ぎなかった。

 今、モモは組織に連れ戻され、今夜顧客に売り渡されようとしている。

 チャンの言葉によれば、そう長くは生きられそうもない。

 結局、祝福されずに生まれてきた時点で、運命は決まっているということなのか。それに逆らうのは、無意味なことなのか。

 そんな想いが一瞬脳裏をよぎったが。

 もう考えても仕方のないことなので、それっきりになった。

 黒塗りのワゴンは夜の街を進み、うつむくモモを、もといたビルへと運んでいった。

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