第14話 後輩

 それから一年が過ぎた。

 転職した当初、前職では経験豊富だった和哉も、仕事の進め方や職場環境の違いに戸惑うことが少なくなった。が、三月を過ぎた頃から一気にキャッチ・アップし、彼の関わる仕事は全て彼の色に塗り替えられてしまった。

「三ヶ月で見切ったみたいだな。まだ五分くらいの力だろ?」

 上司との人事考課の面談ではそんな言葉も出る程だった。

 こうして比較的充実した毎日を送っていた和哉は、前職のことなど下意識に埋もれ掛かっていた。

 そんな或る仕事帰りの夜、もう十時近くなっていただろうか、和哉は改札を出ていつものように地上への階段に向かって歩いていた。

「伊藤さん――」

 見ると、かつての職場の同僚、村山泰二だった。

「おう、タイジ。久しぶりだな」

 泰二は和哉の二つ下の後輩である。今の和哉からすれば最も刺激のある毎日を送っていた営業時代に自身がリーダーを務めていたチームの一員だった。

「ちょっと、その辺に寄って行きませんか?」

 変わってないな、と思いながら、和哉は泰二の誘いに乗った。


 彼は現場の営業を上がって一年前程前からこの駅ビルの支社で販売促進の仕事に就いているという。このくらいの時間まで残業になるのはざらで、この日は寧ろ早い方らしかった。

「中にずっといるより、外でお客さんに会っていた方が楽ですよ」

 泰二はおしぼりの袋を開けながら、斜に構えて言った。

「でも、いつまでも外回りじゃ、体が持たないだろ?」

 和哉は仕事帰りに赤坂界隈で彼とよく食事をしていた頃のことを懐かしく思い出していた。

「まあ、そうなんスけどね。俺、伊藤さんみたいに、頭よくないから……本社って大変なんでしょう?――今の所でも本社なんですか?」

「ああ……」

「やっぱりすごいなあ、いきなり本社なんて。あっ、お疲れさまです……」

 ――二人は届いたジョッキを近づけた。

「タイジ、こんな遅くから飲んで大丈夫なのか?俺は歩いて帰れるけど」

「大丈夫ですよ……」

「今日は夜勤か、――奥さん」

 和哉は以前、体調を崩して通院していた自分を心配してくれた、看護師である彼の妻を意識した。

「別れたんスよ……」

 泰二はお通しを箸で突つきながら、素っ気ない横顔で言った。

「そうか……」和哉はジョッキを持ち上げて傾けた。

「まあ、そういうのもありかなって、――ねえ、伊藤さん?」

 泰二は却っておちょくるような笑みを浮かべ、和哉の顔を覗き込んだ。

「そんなことまで真似する必要ないだろ?――まあ、色々だよな」

 和哉はおしぼりを畳み直しながら、泰二を気遣った。

「ええ、……でも伊藤さんはそろそろ――彼女とか、いないんスか?」

「ふっ。お前なあ、……まあ、いるような、いないような……」

 和哉は頬杖をついて、店内の壁にぶら下がった品書きの短冊に目をやった。――いつにない気安さを泰二に見せた。実際、和哉はいつになく気安かった。

「いいなあ、伊藤さんは。モテるからなあ……」

 泰二は空になった小鉢を脇によけながら首を左に傾けた。

「そういうお前はどうなんだよ?」

「俺っスか?まあ……」

「まあ――何だよ?」

「いや、気になってる子はいるんですけどね、でも何か声を掛けづらくて……」

「――らしくないな」

「ちょっと歳が違い過ぎるかなって……前がタメだったし」

「別に拘る必要ないだろう?前と違うパターンの方が却っていいよ」

「ああ、なるほど。そうですよね……じゃあ、がんばって誘ってみようっかな」

「おお、がんばれ」

「なら、上手く行ったら、四人で飲みましょうか?」

 泰二は子供の、きらきらさせた目を和哉に向けた。――和哉はそれが妙に嬉しかった。

「ああ、そうだな」――和哉は自分にも、そう言った。

「じゃあ、そういうことで――」

 その後、他愛もない昔話に花が咲いて、二人が二軒目のショットバーを出たのは二時近くだった。(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る