第9話 部下からのメール

「ご相談したい事がありまして、お時間をいただきたいのですが、室長のご都合はいかがでしょうか?」

 オフィスの和哉宛てに送られて来たメールは、部下の小林由美香からだった。

「直属の上司ではない自分に、ということは日常の業務の話ではないな……」

 自席でPCに向かう彼女の横顔を一瞥した和哉はそう思った。

入社五年目の由美香は、この四月で和哉の所へ来てちょうど一年になる。彼女の担当は、和哉の秘書業務を含めた庶務的なものが主だったが、半年前からは一部の専門業務もサポートという形で携わっている。細かな点によく気がつく反面、誰もが一見して判るような凡ミスを仕出かす所もあり、そのギャップが彼女の屈託のない笑顔と相まって職場では好意的に受け容れられていた。

「15時から16時で、何処か会議室を取ってください」

 和哉は通常の業務連絡と変わりない体裁の返信をした。男性社員からの相談ならば、退社後何処かの飲食店で気兼ねなく話をさせるということもあろうが、昨今の人事室からのうるさいお達しも然ることながら、彼は元々、男性女性にかかわらず、部下のプライベートの時間に立ち入ることに消極的だった。

 由美香は、和哉の返信を受ける前から、指定された時刻に会議室を押さえていた。立場上、室長のこの日のスケジュールが午後三時からの一時間しか空いていないことは承知していたし、問題の先送りを嫌う和哉の仕事振りを普段からよく見て知っている。だから、翌日以降の日時を指定してくることはまずないだろうと踏んでいた。

 和哉は、由美香が予約した、定員六名の会議室が三十分前から空いているのを予め確認し、五分前に入室していた。固有の業務を持たない彼女が一人、会議室で待つのは、他から見れば不自然である。仮に誰かが間違って扉を開けた場合、相手によっては彼女が応対に窮すると思ったのである。

 五分後、――それまで扉の向こうで待機していたかのように、ノックする音がした。

「どうぞ――」

 和哉の声に反応して扉に隙間ができた。由美香はそこから覗き込む仕草を見せ、部屋の中に滑り込んだ。和哉に掛けるように促されると、彼の正面の椅子を引いた。

「すみません、お忙しいのに……」

「いや、ちょうどこの時間は空いてたから。どう?最近は――新しい仕事は慣れてきた?」

 和哉はいつもの、オフィスでの軽い挨拶と同じ調子で切り出した。同時に、普段は真正面から接することの殆どない彼女の、朝より若干濃い頬紅の色はともかく、顔全体の雰囲気が誰かに――誰かは俄に思いつかないが、何処となく似ていると、この時初めて思った。

「ええ、まだ分からない事もたくさんありますけど、何とかなってきました」

「そう。――これからも疑問に思った事があったら、そのままにしないで、周りに訊いたり、自分で調べたり、――皆そうしてきてるからさ」

「はい……」

「ええっと、今日はそんな話じゃないんだったよね?」

 和哉は身を乗り出しながら机に両肘をついた。(つづく)

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