第4話 神代文字
大量の雪解け水が飛沫をあげて流れ落ちる。
滝壺に朝ぼらけが散乱して、ほんのりと赤く染めあげた。
淵に張りだした岩に腰掛けて、一人の女が横笛を奏でていた。
この時期に薄衣をまとっているだけだ。白い素足が笛にあわせて水面をかく。
天女のような美しさであった。不思議なことに女の体はぼんやり光っていた。
オニヒコは滂沱の涙を流し、ただ聞きほれている。
「だれ?」
女がオニヒコのすすり泣きに気づいた。
振り返って息をのんだ。
「……この山の主様?」
「ガウガウ」
オニヒコは大げさな身振りで否定した。
「どうして泣いてるの」
女はまじまじとオニヒコを見つめた。
覆面がとれていることを思い出し、あわてて背をむけるように顔を隠すオニヒコ。
「泣き顔を見られたくないのね」
オニヒコの醜貌におびえるどころか笑ってさえみせた。
「わたしはフジ・ヌブリ国から逃げてきたサクヤ。あなたは?」
オニヒコはそれには応えず立ち去ろうとした。
「あ、お願い、待って……」
ひざまずくサクヤ。
無邪気さは消え、思いつめた表情となる。「神様でもだれでもいいから、わたしの願いをきいてください」
「どうかわたしを……壊してほしいのです」
「グエッ?」
突拍子もない頼みにオニヒコの足がとまった。
「こちらへ、ご覧にいれたい物が……」
サクヤはささとオニヒコにすり寄った。手を引き滝壺のほうにいざなう。
「水底へ」
身を切るような冷たい水に、ためらいもなく滑りこむサクヤ。
オニヒコもうながされるまま沈んでいった。
朝もやが薄らぎ、早春の風がそよりと吹きわたった。
折れた巨木の根元で気を失っているツグミ。
その顔を舐めるガロウの頭には、雪が爆発のはずみで乗っかっている。
「……ガロウ、無事だったかい?」
ようやく意識をとりもどきしたツグミ。
雪をはらってガロウを撫でる。
草擦れの音がした。
上半身をおこして見るとフブキが下草をかきわけ、窪地からよじ登ってきたところだった。
丈夫なはずの革合羽が大きく裂けていた。
「きのうの空飛ぶ光はなんだ」
ツグミが昨夜フブキが焼いていた干物を拾い集めながらきいた。
「雷神さまか」
「フジ・ヌブリ国の飛行戦車だ。カミナリさまよりおっかない代物だ」
フジ・ヌブリの名前は畏怖の対象として辺境にまで知れわたっていた。
「ちくしょう、この借りはいつかかえしてやる……」
銀髪をかきあげて復讐を誓った。そして、
「おれの飯だ、かってに食うんじゃねぇ」
ガロウとツグミを追い払う。
木々もまばらになった石ころだらけのガレ場のようなところに影がおちた。
階段ピラミッドのような形状をした飛行戦車が外輪状の着陸脚をせりだして降りてきたのだ。
「四人、かくれています」
小人のコポラが計器の神代文字を読み取った。
「コポラ、威嚇射撃だ」
ハッケ博士が命じる。
「それがハッケ博士、昨晩射ってわかったのですがサクヤが火器管制に何かしてったらしく、まだ調整が……」
「このノロマめ!」
睨みつけられただけで矮躯が制御板に打ちつけられた。
「ホロ、ナガ、確かめてこい」
ハッケ博士が命じる。
「サクヤでなければ全員始末しろ。あれは自分では機能を停止できんから他のものに頼むやもしれん」
「は」
頭部全体ををすっぽり覆ったフルフェイスのような兜をかぶったナガが応じた。
ホロがゆっくりと淡い日差しの中に降りたった。
3メートルほどの巨体は剛毛と鎧に包まれている。よくみれば鎧はほとんど皮膚と同化していてた。
つづいてハッチからナガが肢体をくねらせるように現れた。
「隠れたって無駄だよ」
手にした銃口が連続して火を噴いた。
着弾が木の幹や石くれの破片を四方に散らした。
と、岩と見えていたものが不意に人に変じてとびかかってきた。
オニヒコを襲った仮面の賊だった。
三人が手ごわそうなホロに打ちかかった。
しかし刃はまったく通じず、それどころか奇怪にも悲鳴をあげて悶絶した。
ナガを狙った男はあと半歩のところで肩を撃ち抜かれていた。
「お前たち、こんな顔の女を知らないか」
ナガが兜をとると長い髪がこぼれおちた。
その白い面貌はサクヤと瓜二つだった。
ガロウが臭跡をたどるその後ろをフブキ、少しはなれてツグミが追う。
「よお」
ツグミが呼びかけた。
「あんたの以心通とかでみつけられないのかい」
フブキのいらえはない。
「ケッ、小魚の一匹や二匹で……器の小さい奴はいやだね」
悪態をついて雪玉を投げつけた。
振り向きもせずそれを避けるフブキ。
やがてガロウに導かれてたどり着いたのは、くだんの滝壷だった。
「いきどまり?」
「ガロウがまちがえるはずない。オニヒコはこのあたりにいるよ」
しきりにオニヒコの臭いを嗅ぎまわるガロウを、ツグミは信じていた。
「まさか足をすべらせて滝壺にはまったりしていないだろうな」
両手で水をすくい、口に含むフブキ。
「ぶびっ!」
鼻の穴からも水を吹き出してフブキが腰を抜かす。
水面に映ったのはフブキの顔ではなく、オニヒコの恐ろしい素顔だったのだ。
「プハーッ!」
尻餅をついたフブキの前に、オニヒコが水しぶきをあげて浮かび上がった。
その手には神代文字が刻まれた木簡のような巻き物があった。
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