第一話 秘密結社と邪神教団

 その夜です。

 わたしは一人、自室のベッドで悶々としておりました。

 お夜食もお風呂もいただいたので、あとはもう明日に備えて眠るばかりです。

 が、とうてい眠れるものではありません。


 ベッドで大の字に寝転んで、指先にからみつけた銀灰色のペンダントを見つめながら、わたしは本日この身に訪れた非常識かつ非現実的な出来事を反芻していました。


               ◇ ◆ ◇


「あの怪物は、邪神教団の信徒が遣わした使い魔だ」


「じゃしんきょうだん」


「それで俺は、邪神教団を殲滅するために設立された秘密結社、《K・O・D》の一員だ」


「ひみつけっしゃ」


 夕暮れ時のファミリーレストランにて、わたしは阿呆のように反復するばかりでありました。

 周囲の席ではデートにいそしむ若者たちや家族連れの人々などが実になごやかな会話を繰り広げているというのに、この温度差は何なのでしょう。


「あいつらは、ガン細胞みたいに世界中にはびこっている。だが、活動区域の中心はヨーロッパとアメリカだったから、俺たちもこんな極東の島国には注目していなかった。それで後手を踏むことになったわけだな」


 語っているのは、もちろんドルヒさんです。

 紫色の粘液も綺麗に蒸発し、奇怪な形状をした短剣は鞘に収めて背中に隠しています。

 だけどやっぱり、目ざとい人々はドルヒさんに好奇の視線を向けてきておりました。


 いくらフードを深くかぶったって、その秀麗な容貌は隠しきれていないのです。ひょっとしたら、ドルヒさんを女性と思い込んでいる人間も少なくはないのではないでしょうか。身長は百六十センチていどで、そこそこ華奢な体格をされているようですし、そのハスキーな声を聞かなければ絶世の美少女としか思えないような容貌をしたドルヒさんなのです。

 そんな周囲からの視線をうるさがるように、ドルヒさんはとても不機嫌そうなお顔をしています。


「……どうだ、サチ・タナカ。なかなか信じ難い話だろう?」


「あ、え、そうですね。信じ難いというか、信じたくないというか……」


「だから俺は、あいつらがちょっかいを出すのを待ち受けていたんだ。当事者になってしまえば信じる他なくなるだろうからな。……おかげで三日間も時間を無駄にすることになった」


 そのように言ってから、ドルヒさんはグラスのお冷を一息に飲み干しました。

 わたしの前にはアイスセイロンティーが置かれていましたが、彼の注文した品はまだ届けられていなかったのです。


「お前も使い魔の姿を見たのだから、頭ごなしに俺の言葉を否定したりはできないだろう。どうだ、サチ・タナカ?」


「ああ、はい、ええと……そうだとすると、今度はまた新たな疑問がわいてきてしまうのですが」


「何だ。疑問はすべて解消しておけ。お前にはそれをする義務と権利がある」


「ありがとうございます。それではおうかがいいたしますが……どうしてわたしみたいな人間が、その邪神教団の使い魔とやらに襲われなくてはならないのでしょうか?」


「ふん」とドルヒさんは鼻を鳴らしました。

 お腹が空いて、余計に不機嫌になっているのかもしれません。


「それはお前が、邪神の巫女だからだ」


「じゃしんのみこ」


「正確に言うなら、邪神を現世に降ろすための憑代よりしろだな」


 また話が中二病的な方向に転がり始めました。

 なのに、ちっとも胸がときめかないのは何故なのでしょう。


「やつらの崇める七本腕の蛙神を復活させるには、七人の巫女が必要だとされている。お前はその巫女としての資質を持つ数少ない人間なんだ」


「はあ。それじゃあ世界にはわたしと同じ境遇の人間があと六人存在するということですか?」


「違う。邪神の巫女というのは、太古にこの世界に君臨した蛙神の血を強く残した人間のことだ。その数はいまだに判然とはしていないが、少なくとも数百人単位で存在するとされている」


「数百人ですか。多いのか少ないのかよくわからない数字ですね」


「それもコンピューターで演算した数値だからな。どこまで正確なのかは知れたものじゃない。……とにかくあいつらは、七十億人の中に潜むその数百人を捜し求めて、世界中にはびこっているわけだ」


 そのように言いながら、ドルヒさんは銀灰色の瞳をぎらりと光らせました。

 ヒョウやオオカミを思わせる、おっかない目つきです。


「ドイツを根城にしていた連中は壊滅させることができた。それで手空きになった俺が、まずは先行してこの国に派遣されてきたんだ。後手を踏んだが、あいつらだってまだこの国ではそれほどのネットワークは構築できていないはずだから、まあ条件は五分だろう」


「はあ……その邪神とやらの復活を許したら、今のこの社会はどうなってしまうのでしょう?」


「滅ぶ」


 実にシンプルなお答えです。


「だから俺たちは、あいつらが七人の巫女を集めるより早く、教団を根絶させなければならないわけだ。理解できたか?」


「はあ、まあ、いちおう……でも、だったらわたしたちはこのような場所でのんびりくつろいでいて大丈夫なのでしょうか?」


「このような場所だからこそ、くつろぐことができるんだ。俺たちもあいつらも、今の段階で自分たちの存在を公にすることは避けたいからな」


 確かにまあ、あのような存在はこれまで噂でも聞いた覚えがありません。これだけ情報化の進んだ社会であれだけの騒ぎを隠匿できるなんて、ひょっとしたら物凄いことなのではないでしょうか。


「……そうだ。本題に入る前に、ひとつ尋ねておきたいことがある」


 これだけ話が膨張しきっているのに、まだ本題には到達していなかったようです。

 わたしは内心の疲弊感を隠すのに苦労しつつ、「何でしょう?」と応じます。


「ここ一週間ばかりで、お前の周囲に見知らぬ人間が現れなかったか?」


 言葉の意味がよくわかりませんでした。

 見知らぬ人間なんて、町中にあふれかえっています。


「俺は四日前、トウキョウに設立されていたあいつらの支部を壊滅させた。そこの資料からお前の存在に行きついたわけだが、この町からトウキョウにお前の存在が報告されたのは、およそ一週間前だった。だから、あいつらはここ一週間でお前の存在を発見した、ということになる」


「はい」


「巫女の資質を見抜くには、相応の手間と時間が必要になるんだ。道端ですれ違うぐらいじゃあ、資質を見抜くことはできないんだよ。だからこの一週間でお前のそばに現れて、その姿をじっくり観察することのできたやつが、教団の信徒だということになる」


「一週間……」


 頭はまったく回りませんでしたが、それでも答えはそんなに遠くないところに転がっていました。


「だいたい十日ほど前に、水嶋みずしま鳩子はとこさんという方がクラスに転入してきました。あの人、何だかやたらとわたしにかまってくるのですよね」


「ハトコ・ミズシマか。ちょっと待っていろ」


 と、ドルヒさんはおもむろに携帯端末を操作し始めました。


「情報部の連中に精査させる。……ただ、俺はお前のそばを離れられないからな。さっさと後続部隊が到着しないと、また後手を踏むことになるだろう」


「はあ……ドルヒさんの所属されている秘密結社というやつは、ずいぶん近代化が進んでおられるようですね」


「ああ。《K・O・D》の正式名称は《暁の騎士団ナイツ・オブ・ドーン》といって、結成されたのは十九世紀らしいが、いつまでも古い因習にとらわれていたら、とっくに邪神の復活を許してしまっていただろう。俺たちは魔術と科学を総動員させて、ようよう教団の連中と渡り合うことができているんだ」


 携帯端末をパーカーのポケットに戻しながら、ドルヒさんはぶっきらぼうに言い捨てました。


「たとえば俺が着ているこの衣服なんかは、ケブラー繊維を織り込んだ防刃服だ。こんなものでも着込んでいなければ、使い魔に引っ掻かれるだけで内臓をぶちまけることになる」


「はあ……」


「で、俺が使い魔を浄化するのに使っていた短剣は、純銀でできた退魔の聖具だ。通常の刃物や銃器なんかじゃ、使い魔を一匹駆逐するのにだって相当な手間がかかってしまうからな」


「……そういえば、ドルヒさんは尋常ならざる身体能力をお持ちのようでしたね。あれも科学か魔術の恩恵なのですか?」


「あれは、魔術だな」


 その言葉を口にした瞬間、ドルヒさんの白い面から一切の表情が消失しました。

 ただその銀灰色の瞳ばかりが、凍てついた炎のように燃えています。


「自分の仕事を果たすために、俺は自分の肉体の組成を造りかえた。俺みたいに無力な人間があいつらに対抗するには、それぐらいしか手段がなかったからな」


 わたしは椅子の背もたれにぴったりと背中を張りつけて、そのまま動けなくなってしまいました。

 それぐらい、ドルヒさんの瞳には凄まじいまでの気迫と覚悟がみなぎっていたのです。


(この人は……心の底からその邪神教団ってやつを憎んでいるんだ……)


 あと数秒もその眼光を受け止めていたら、わたしの脆弱な神経は限界を迎えていたかもしれません。

 が、その張り詰めた空気は外側から叩き壊されることになりました。

 エプロン姿のウェイトレスが、注文の品を携えてちょこちょこと歩み寄ってきたのです。


「お待たせしましたあ。鉄板がお熱いのでご注意くださあい」


「ああ、やっと来たか。腹が減りすぎて胃袋がねじ切れそうだ」


 わたしは誰にも気づかれないよう大きく息をついて、どくどくと脈打つ心臓にそっと手を押し当てました。

 その間に、注文の品がドカドカと並べられていきます。

 ちょっと信じ難いのですが、ドルヒさんが注文したのは六百グラムのアンガスステーキセットという代物でありました。


「こちらの小皿をお使いくださあい」


 きっと二人でシェアすると思ったのでしょう。ウェイトレスはわたしのもとにも小皿とフォークを置いていきました。

 それを見たドルヒさんは、ウェイトレスが名残惜しそうに立ち去っていくのを待ってから、肉塊の載った皿を両手で囲います。


「おい、これは俺の分だからな。食べたいのなら自分で注文しろ」


 まるで子供みたいなドルヒさんです。

 今しがた見せた気迫と殺気はいったい何だったのでしょうか。


「ドルヒさんはそんなにほっそりしているのに、ずいぶん食欲が旺盛なのですね」


 セイロンティーをすすりつつ、平静を装ってわたしはそのように答えます。

 フォークとナイフを取り上げながら、ドルヒさんはまた「ふん」と鼻を鳴らしました。


「あれだけ働いたんだから、これぐらいは食べないと身体がもたない。俺の肉体にかけられた術は、無茶苦茶にカロリーを消費するからな」


「はあ、それは食費がかさんでしまいますねえ……」


 わたしの阿呆な答えには眉ひとつ動かさず、ドルヒさんはステーキを切り分けていきます。

 わたしはしばし迷ってから、思いきって問うてみました。


「あの、わたしは邪神の巫女とかいう素っ頓狂な存在なのですよね? そうだとしたら、わたしにも、その……何か特別な力が芽生えたりはしないのでしょうか……?」


「ないな」とあっさり言いきって、ドルヒさんはフォークに刺した牛肉にかぶりつきます。


「もちろん教団に入信して修行を積めば、使い魔の一匹や二匹は召喚できるだろうが、巫女というのはあくまで邪神の憑代だ。そういった力は、後付けで邪神の細胞を取り込んだ司祭たちのほうが強いぐらいだろう」


「……そうですか……」


「ついでに言っておくと、邪神の巫女として祭壇に捧げられたら、お前の魂は木っ端微塵だ。お前の肉体だけが邪神の器として使われることになり、お前自身の魂は跡形もなく消滅することになる」


 わたしは深々と溜息をつくことになりました。

 半ば予想していた通りの答えでありましたが、やはりこの世界には夢も希望もないようです。


「それじゃあ、そろそろ本題に入らせてもらおうか。サチ・タナカ、お前には三つの道が残されている」


 と、ドルヒさんは旺盛なる食欲を満たしつつ、わたしのほうに指先を突きつけてきます。

 そのしなやかな指先を一本ずつ立てながら、ドルヒさんはわたしの進むべき道を提示してくれました。


「一つ目は、邪神の生贄として祭壇に捧げられる前に、その生命を捨てる道」


 嫌ですね、それは。


「二つ目は、その身を《K・O・D》に預ける道。……教団の連中はどうやって巫女の因子を見分けているのか、それを探るために実験体として身柄を提供する、ということだ」


 それは何だか、死ぬよりも苦しそうな道です。


「三つ目は、教団の連中をあぶりだすために協力する道。いわゆる、囮役だ」


 死ぬか実験動物か囮役の三択ですか。

 何て心の弾むお話でしょう。


「選ぶのはお前だ。どの道を選んでも、俺が責任をもって案内役を果たしてやる」


 そう言って、ドルヒさんは血と肉汁のしたたる肉片を口の中に放り込んだのでした。


               ◇ ◆ ◇


 そうしてわたしは自室のベッドに寝転がり、ドルヒさんから託されたペンダントを手に、悲嘆に暮れることになったわけです。


 このペンダントは、通信用の端末装置なのだそうです。

 より正確に言うならば、念話のための魔術道具なのだそうです。


 六芒星の形をした可愛らしいペンダントで、チェーンもトップも純銀製です。中にはドルヒさんの毛髪が封印されており、ドルヒさんのほうはわたしの毛髪が封印されたペンダントを所持しています。


「それで念じれば、相手に思念を届けることができる。ただし、魔術の嗜みがない人間は、実際に肉声で話さないと正確に伝えることは難しいだろう。何かあったら、俺の名を呼んでからそのペンダントに言葉をかけろ」


 とのことでありました。

 お察しの通り、わたしは囮役となる道を選んだのです。

 そりゃあ一度は死を覚悟した身でありますが、まだ事態を把握しきれない内に自害したり実験動物になったりする覚悟は固められません。たいていの人間は、わたしと同じ道を選ぶと思います。


「お前はいつも通りに生活していればいい。やつらが現れたら、俺が始末してやる」


 ドルヒさんは、そんな風に仰っておりました。

 現在は、わたしの家の周囲のどこかで、身を潜めているはずです。

 この魔術道具の有効範囲は半径五キロメートルだそうなので、常にそうしてわたしの身を警護してくれるのだそうです。


 つまり、これからドルヒさんは寝ずの番に従事するわけです。人混みならば危険はないという話であったので、きっとわたしが学校で授業を受けている間にでも睡眠を取られるのでしょう。ドルヒさんは、もう三日も前からそうしてわたしを守ってくれていたのでした。


 わたしとしては、溜息が止まりません。

 けっきょくどのような状況に陥っても、わたしは役立たずのお荷物でしかないようです。


 わたしは世界が変貌を遂げることを望んでいました。

 だけど、こんなポジションを望んでいたわけではありません。

 被害者モブ少女Aに比べればまだしも名のある役ではあるようにも思えますが、とどのつまりは厄介者です。


 わたしが望んでいたのは、ドルヒさんのようなポジションでありました。

 我が身の犠牲もかえりみず、世界の秩序と安寧を守るために悪しき存在と死闘を繰り広げる。実に素敵な役割ではありませんか。


 だけどきっと、ドルヒさんの前でそんな妄言を吐いたら、使い魔と一緒に首を刎ねられてしまうことでしょう。

 ドルヒさんの瞳には、それぐらいの覚悟と気迫がみなぎっていました。

 生半可な気持ちでつとまる仕事ではないのです。

 おそらくドルヒさんには、そういった覚悟が固まるだけの壮絶な過去だとか深刻な事情だとかが存在するのでしょう。あれは、そういう目つきでした。


 そんなもの、わたしなんかには耐えられないに決まっています。

 わたしには、ヒーローの資質なんて欠片も存在しないのです。

 そうだからこそ、こんな冴えない人生を送ることになってしまったのでしょう。


(なんだか、最後の逃げ道を閉ざされた気分だなあ)


 わたしはこの格式張った現実というのが嫌でたまらず、妄想をふくらませることで逃避していました。

 だけど、そういった現実が打ち砕かれてなお、自分の無力感と劣等感に苛まれていたら、もうどこにも逃げようがなくなってしまうではないですか。


 かといって、邪神教団などというものに身を投じる気持ちにもなれません。

 邪神がわたしに憑依して、この世界を滅亡させる。それはそれで蠱惑的な吸引力を持つお話でなくもありませんが、わたしには自分が邪神の血を強くひいているなどという自覚がありませんし、理念も信念もないままそんな恐ろしい破壊活動に加担するのはまっぴらです。


 それに、わたしの肉体がどれほどのことをしでかしたとしても、自身の魂や意識などが残っていないのなら、そんなものは死と同義です。

 自分が死んだ後にこの世界が滅んだって、わたしには面白くも何ともありません。


 それに───ドルヒさんは、その身を捧げてまでこの世界を救おうとしているのです。

 あの銀灰色に光る瞳は、ぞっとするほど冷たいのと同時に、なみなみならぬ覚悟と気迫を宿しておりました。


 あんなに崇高で悲壮な目つきをした人間を、わたしはこれまでに見たことがありません。

 あんなに崇高で悲壮な目つきをした人間を前に、薄ぼんやりとした破滅願望だけを胸に立ちふさがることなんて、どうしてできましょう。


 繰り返しますが、わたしが望んでいたのはドルヒさんのようなポジションであったのです。

 わたしはドルヒさんのような立場で、この小憎たらしい世界というやつに関わりたかったのです。

 しかし、蓋を開けてみれば、邪神の巫女です。ドルヒさんの手をわずらわせる、厄介者のいらない子です。


 なんだかちょっと泣きたくなってきてしまいました。

 なので、魔法のペンダントに呼びかけてみることにしました。


「……ドルヒさん、聞こえますか?」


 すかさず脳内に『どうした?』という声が返ってきます。

 すでにファミレスからの帰り道で実験済みではありましたが、何度やっても慣れることの難しい不可思議な感覚です。


『何か異常でもあったのか? 俺には何も感じられないが』


「いえ、こちらは変わりありませんけれど……水嶋さんのほうはどうなりましたか?」


『ハトコ・ミズシマか。まだ通り一辺倒の情報しか届いてはいない。そんな若さで邪神の巫女を見分けられるとしたら、よほど幼い頃に入信して修行を積んでいたとしか考えられないのだがな』


 通り一辺倒なんて、ずいぶん難しい言葉を知っているものです。

 ドルヒさんは日独のハーフでしたが、この国を訪れたのは初めてのことで、言葉も超自然的な記憶術によって習得せしめたのだという話でした。


『言っておくが、お前からハトコ・ミズシマに近づく必要はないからな。余計な真似をしても、相手を警戒させてしまうだけだ』


「近づきませんよ。わたしは水嶋さんみたいな人、苦手なんです」


『お前に苦手じゃない相手などいるのか?』


 せいぜい小一時間ていど喋ったぐらいで、ずいぶん知ったような口を叩くではないですか。

 まあ図星なので、何も言い返せないのですけれども。


『教団の連中は、お前を邪神の生贄に捧げるのが目的なんだ。だから、あいつらがこの段階でお前に危害を及ぼすことはない』


「はい」


『だけど、手足の一本や二本がなくても復活の儀式に不都合はないだろうからな。何かあっても逆らわず、俺が到着するのを待て』


「……はい」


『用が済んだのなら通信を切れ。俺も仕事に集中したい』


 どうやらわたしの心のアフターケアまでは業務に含まれていないようです。

 わたしは溜息を噛み殺しつつ、「仕事のお邪魔をして申し訳ありませんでした」と詫びておくことにしました。


「ただ、どうにも不安でたまらなかったので、ドルヒさんの声が聞きたかっただけなのです。……もう休みますね。おやすみなさい」


 一瞬の沈黙の後、ぐーてなはと、という聞き覚えのない言葉が聞こえた気がしました。

 ひょっとしたら、ドイツ語でおやすみなさいを返してくれたのでしょうか。


「……通信、終わります」


 わたしはほんのちょっぴりだけ救われた気持ちになり、やわらかい枕に顔をうずめることにしました。

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