82
「玻璃・ビオレッタ・マリヤか……!?」
それは恐ろしい筋書きだった。
僕の知っている世界では、死者は決して蘇らない。
その声を聞くこともない。
だけど、この世界では僕が殺してしまった女の子の、その魂をこうして間近にすることもあるんだ。
マリヤは――マリヤを宿したレンブは頷いた。
「その通りですわ、お会いしたかった。ヒナガ先生……だって、あなたは私を殺した男なんですもの」
炎の中の再会に、僕は頷く。死なない程度に火力を弱めているあたり、精神攻撃で削ってやろうという気だろう。炎を強めれば、すぐにも消し炭にできるのに……夜会のときと同じだ。彼女たちは僕を、日長椿を、他の大半の人間たちと同じ《オモチャ》としか見ていない。
痛めつければ泣き叫ぶおもしろいオモチャだ。
「初めてだったのでしょう。貴方の必死な表情、ぜんぶぜんぶ覚えてますわ。貴方も忘れられないはず。初めての血の臭いや肉の感触……」
「だからどうした」
「え?」
《僕》は突然、杖を捨てた。
そして触れて来るレンブの腕を掴み、勢いよく引き寄せる。
突き出された頭部が女の顔面を抉る。
「気安く触れるな。そして地獄へと帰れ、亡霊っ!!」
吠える、という形容が相応しい。
痛みから咄嗟に逃げようとしたレンブの腕を掴み、体が浮くくらい強烈なブロー、間髪いれず裏拳が叩き込まれる。あれは痛い。痛いが残念ながら死ぬような衝撃ではない。
半分意識を飛ばしかけながらよろめくレンブの勇気の盾が一枚消失する。
隠し持った小刀が心臓を貫いたからだ。そのまま頸動脈を斬り捨て、二枚目を消失させる。返す刀で梓弓の弦を切り捨てる。
「い、いちのゆみ……!!」
火炎の気配を察知すると地面を蹴り、見事な後方回転でその場を離れる。
「……き、貴様、《誰》だ!?」
あのキヤラでさえ、驚愕の表情を見せていた。
しかし一番驚いていたのは他ならないアニスだ。
「いや、その回答よりむしろ、こっちが誰なのかってことのほうがちょ~気になる! 久々に関心ありあり!」
アニスは容赦なく剣を振るってくる。
その腕に銀の茨が巻き付き、途中で不格好に止まる。
「――気がついたみたいだね。でももう遅い。君たちは罠にハマった」
白磁の美貌から放たれるのはほかならない《僕の声》だ。
幻影が溶け落ちて、滑らかな肌も光輝をはなつ純白の髪も、銀の瞳も、すべてが血と汗と苦渋に塗れた僕――日長椿のものに早変わりする。
そして炎のカーテンの向こうで剣を逆手に腰を低くして構えていた日長椿もまた、天藍アオイのものに変わった。
「あり得ない!」とアニスが嬉しそうに叫ぶ。「あり得ないあり得ないあり得ない!! 竜の力も無ければ、貴様は天藍アオイですらない!!」
「――ひとつだけちがう」
ナイフを構えながら、天藍が注釈を入れる。
「そいつの剣は俺の剣だ。ツバキは異常に目がいい。単純な記憶力は凡人並だが、一度見た他人の動きを完全に追跡し、自身の肉体で再生する。――地味過ぎて誰も気がつかなかったが、ツバキが持つささやかな《才能》だ」
「あのさあ、こういうときくらい純粋に褒めてくれないかな!」
この作戦を立てたのは合宿中だ。
キヤラたちと戦うと決めたときから、訓練が終わったあと天藍に付き合ってもらい、彼の剣を全て見せてもらった。普段の訓練中からある程度決まったパターンがあることは読んでいたから、後は僕の体格やシチュエーションによる微調整を加え、覚え込むだけだ。その覚え込む過程が死ぬほど大変だったわけだけど、僕は努力をひけらかさない主義だ。
「お陰様で寝不足だよ……もちろん、それだけではないけどね」
さすがに見て覚えるだけでは、天藍アオイの強さは再現できない。
このために僕たちはいくつも布石を打ってきた。
「なるほど、つまり《天藍アオイは最初から本気では無かった》のだな」
茨に全身を拘束されたアニスがが悔しそうに表情を歪める。
「何もかも暴露してやるいわれはないけど、そうだよ。天藍ははじめから、僕の強さに剣を合わせていた。入れ替わったときに君に疑問を持たれたら終わりだからね」
だから、アニスに押されているようなふりをしていたのだ。
これが天藍アオイ、これが竜鱗騎士の剣だと錯覚させた――黒曜の調べでは、いかに藍銅公姫といえど、翡翠女王国の魔術の神髄である騎士たちと剣を合わせたことはない。
「それで、いつ、ふたりは入れ替わったのかしら♪ 貴方たちがここに来た時点で、ふたりはまだ入れ替わってなかったはずよ」
箒の上からキヤラが微笑む。
「もちろん、黒曜ウヤクが魔術を使ったのと同時だよ」
それだけで、大魔女にはすべての理由がつかめたはずだ。
デナクの弓は全ての障害を取り払う。
すなわち、その過程にある魔術は全て無効になる。彼女はカリヨンとともに自鳴琴を支配しているため、幻術を見抜く探査魔術において一枚上手となるが大宰相の魔術の影響下では障害となる全ての術が破れる。一瞬だけ無効の時間が生まれる。
そのときに入れ替わったのだ。それ以降、僕たちは互いを演じ続け、あたかもお互いが魔術を使っているように竜鱗魔術を青海の魔術を操っていた。
竜鱗魔術の気配で正体を悟られないために、天藍は竜鱗を不活化させている。
生身で、あの炎に飛び込んでいける勇気が、彼の本当の武器だ。
それを蛮勇とは思わない。銀華竜から僕を救った英雄、それが僕にとっての《天藍アオイ》なのだから。
「ということは、黒曜大宰相は飛び入り参加に見えて、貴方たちの作戦を知っていて一枚かんでいたというわけね」
「そう。ああでも、彼が参加するというのは、実は君たちが絡む前からの約束なんだ。だから、誰にも予測不可能で見抜けなかったはずだ」
僕が試合で勝ち抜くためには、なんらかの布石が必要だというのは知っていた。
黒曜の力を借りることは、マスター・カガチを倒すために事前に打っておいた布石のうちのひとつだった。
「私も見直したわ、ツバキ。いえ、敬意を払ってマスター・ヒナガと呼びましょう♪ その用心深さには負けました」
「銀華竜との戦いで、僕も少し勉強したんだよ」
正確には黒曜と百合白さんたちのやり口を真似ただけだ。
彼女たちの周到さには一段落ちる。
「キヤラお姉様、どうすればいいの!?」
レンブが叫ぶ。
キヤラが指示を与える前に、僕は天藍に指示を飛ばす。
「数珠と、どこかに《お守り》があるはずだ! たぶん背中! それを狙え!!」
「レンブ、ごめんね。あとで埋め合わせはするわ」とキヤラは言う。「アニス、青海文書の使い過ぎで、マスター・ヒナガは限界よ。力押しでも勝てるわ♪」
キヤラはレンブを見捨てた。
アニスの相手が僕に、そしてレンブの相手が天藍にすり替わった時点で、この勝負は彼女たちにとって分が悪いのだ。
レンブは火力はあるが、天藍の剣を捌ける体術が無い。
身体能力に優れるアニスは、魔術によって封じられれば身動きが取れない。
だが、キヤラが言ったこともまた真実だ。
僕の体はあちこちオルドルに食われて、限界に達してる。
「でも、負けない」
僕は天藍から託された《牙折り》に魔力を込めた。
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