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 深緑と金が混ざり合う。切れ味はさらに尖り、燐光をはなつ。

 これは竜の一部だ。武器として優れることはもちろん、魔力を蓄える機構を備えている。

 体力は限界で剣筋はフラフラしているが、魔力を込めた斬撃が易々と勇気の盾を切り裂いて行く。

「ごぶふっ……」

 それと同時に口と鼻から血が噴き出た。

 オルドルが僕の生命維持に回していた魔力を使ったからだ。

『ツバキ、思ったより消耗してル。……残りの肉体を使って再生したほうがイイ』

「駄目だ、まだ、ここで眠るわけにはいかない!」

 視界が霞む。まだだ、あと少し。

 そのとき、別の声が聞こえてくるのを感じた。体の奥から。

『私を使って』と囁く金鹿の声が。

 でもそれは……あまりよくない選択な気がする。

 がむしゃらに剣を振り上げる。二枚目。

「さ……せるかぁっ!!」

 されるがままだったアニスがこちらを見据える。手負いの獣、そう表現するのがふさわしい獰猛さで。

 彼女は僕の突きを、背後に身を逸らすことで防いだ。そして足で顎を蹴り上げた。慌てて距離を取ったので掠めただけだが、固定されたままの彼女の利き腕がイヤな音を立てる。

「!」

「ふっ……んぐぐぐぐぐっ!」

 脂汗を流しながら腕をねじり上げる。

『ボクが言うのも何だけど、アレは異常すぎル』

 腕を引きちぎって拘束を抜け出るつもりなのだ。たとえそんなことができたとしても、失血でじきに動けなくなる。痛みでショック死するかもしれない。

 でも彼女はそう言ったリスクを度外視して、レイオマノを自分の腕に向かって振り上げた。

「それこそ、させるかっ!」

 僕は彼女の顔の前に、あるモノを突き出した。

 キラキラ輝く硝子の小瓶だ。

《おお~~っとマスター・ヒナガが取り出したるソレは……一体なんですかな?》

「ニムエ謹製、性転換薬をくらえ!」

《性転換薬!?》

 プッシュ式のそれに力を加えると、ぷしゅっと音がして魔法薬が噴霧される。

 中身はその名の通り、性別を男性から女性へ、女性から男性へ変化させる薬だ。戦闘中、割れないように大事に隠し持っていたものだ。

 アニスは驚きの表情を浮かべてる。そりゃそうだろう。

 彼女は性転換したくないはずだ。正確には、戻りたくないはずだ。元の性別へ。

「あっ……あぁっ!」

 彼女の体がびくりと震え、微かに筋肉量が落ちる。

「な、なんで……わかったの、どうでもいいけど……」

 アニスがじとり、とこちらを睨む。

 全身が脱力して、逃げる気はなさそうだ。好戦的な顔は消え、すっかり元の彼女に戻ってる。

「君はずっと性別を換えてたはずだ。ブードゥーの鉄と戦の神、《オグン》を身に宿すために」

 豹変した性格を見る限り、レンブと同じことが起きていると予測はしていた。

「事前にマスター・サカキからレクチャーを受けてたんだ。神霊を身に降ろすのはなにもイタコの専売特許じゃない」

 ブードゥーの司祭も儀式を行い、様々な神霊を呼び寄せてトランス状態に入った人の体に降ろす。おそらく、シウリが呼び寄せた《神》がアニスに入っていたから、彼女は竜鱗騎士を圧倒する体術と剛腕を手に入れたのだ。

 はじめは何を降ろしたのかはわからなかった。

 でも、レンブの炎を受けても平然としてたから、それでわかった。

「鉄の神オグンはブードゥーの司祭が信仰する戦いの神だ。こいつが入った人は、炎を恐れないと言われてる。だがオグンは男性を選んで寄り付く神だ……。それが仇になったね」

 本来ならアニスには降りない神霊だが、ひそかに性別を換えていたのだろう。変化が少なすぎてわからなかった。女性に戻れば、憑依は強制的に解除される。

「それと、神様に体を貸してるのはレンブも同じだ。炎を操る能力、そして全員の能力を考えるに、あれはカフナである君が呼びだした女神ペレだ。ちがう?」

 女神ペレは端的に言うとハワイにある火山に住んでいると言われる火の女神だ。

 アニスはふんと小さく鼻を鳴らした。

「答える義務はないもんね」

「そりゃそうだね。《罪人を裁く剣を降らせたまえ》!」

 黄金の剣がアニスの頭上に落下する。三枚目。あと二枚……そのとき、僕は脇腹に衝撃を受けてのけ反った。

「なっ…………!!」

 なんで。

 脇腹から血が流れ出すのを、必死で手で抑える。

 僕の目がおかしくなったんじゃなければ、背びれを生やした水棲の動物が脇腹を抜けてざぶんと波音を立てて何もない空間に消える。

「あれは……サメっ!?」

「ただのサメじゃない。アウマクアのマーちゃんだっ」

 アウマクア……ハワイの家族神、先祖神のことだ。守護神だと言ったほうがわかりやすいかもしれない。

「そういえば、合宿所の近くでも似たようなのに襲われた気がする!」

「そんなのアニスが知るわけないな。それは別のアウマクアだろう」

「んなわけあるかっ」

 軽口を叩いているように見えるかもしれないが、内情は必死だ。

 サメは海中を時速70キロで航行する凶悪な生き物だ。その上、ロレンチーニ器官という微細な電位差を感知する感覚器官を有しているため、ちょろい幻術がきかない。

 攻撃力のほうは、やすやすと肉を裂くアニスのレイオマノが証明してる。

「惨たらしく食われて死ね!」

「いやだ! それだけはいやだ!!」

 アウマクアが出現するときは、水音がしている。

 だがそれを感知できたところで、避ける力が残されていない。

「だったら、負けを認めればいいじゃんよ。そうすればもう辛いことしなくていいしー……なぜそうしないの?」

 アニスは可愛らしく、そして心底不思議そうに首をかしげる。

「それもできない! 学院のために、僕を信じてくれた人たちのために、雄黄市のために――何より、友達のために。彼らが絶望しないために、未来に希望を持つために、僕らは絶対に負けられないっ、諦めない、二度と折れたりしない!!」

 だから戦う。

 絶対に自分からは降りない。

「これが最後の切り札だ!!」

 僕は首から鎖を引き出す。

 小さな勇気の剣を、胸に向かって差し込む。

 それと同時に、ざぶん、と音がして流線形をした灰色の鮫がこちらに突っ込んでくる。

 あふれ出した大量の淡水が鮫を包む。種によるが海に住むサメに淡水はキツイだろう。少しだけ失速。だが勢いのまま突っ込んで来る。

 次の瞬間、僕の周囲の温度が凄まじく下がる。

 呼気が凍りつく。

 鮫を包んだ水が氷塊となって落下する。


「……まったく、ヒヤヒヤしましたよ」


 僕の服の内側がモゾモゾと動く。

 そして、人形の顔が二体、飛び出した。

「ありがとう、マスター・オガル!」

 人形の指は少しだけ傷つき、綿が飛び出している。

 人形にされたマスター・サカキはカガチと共に残ったが、残りのふたりは牙折りと一緒にイブキが運んで来たのである。サカキと同じく、二人も人形の姿を介して魔術を使えるようになる可能性があるため、連れてきておいたのだ。

《こ、これは……またもや重箱の隅を包むような、ルールの悪用ですぞマスター・ヒナガ!》

「あらあら、駄目とは言われてないはずですわ~。さ、ヒナガ先生。私も参加者に入れてくださいな」

 人形化したマスター・プリムラが優雅に言う。

 僕は彼女の指に小さく傷をつける。

 カリヨンが表示させたモニターに、参加者としてオガルとプリムラの名前が載る。

 これが、僕が選びだしたベストメンバー、ということになるのかな。

「マスター・ヒナガ、ひどい傷ね。でも大丈夫。ブエルの力を知ってらして?」

「序列十番の地獄の大総統。薬草の知識が豊富な悪魔だね」

「そう。触れるだけであらゆる怪我を治す、と言われているのよ」

 僕に支えられ、プリムラの手が削り取られた腕や内臓の上を撫でる。出血が収まり、浅かった呼吸が戻ってくる。

 リブラと同じくらい優秀な治療者だ。

『同僚が頼もしくて助かルよ。ふん』

 なんで拗ねてるんだ、なんで。

「ずるい!」とアニスが声を上げる。「そんなのずるいよ!」

 疾走して間合いを詰めてくるのも忘れない。

 治療成功だが、意識が離れたことで彼女の拘束も解けている。

 オガルが大量の水を噴出させ、その勢いを殺すが、すばしっこく避けてこっちに来る。僕は牙折りを構え、天藍の剣を思い出す。彼の両手が僕の手で、彼の体が僕の体だと信じ込む作業だ。

 アニスはかなり疲弊しているが、打撃の鋭さは残ってる。

 捌くのだけで精一杯だ。

 左前から襲って来るネワを左の剣で受け止め、手首を返して右方向に流す。アニスの体が、僕から見て右方向へと傾く。すかさず右の牙折で胸を突くが、レイオマノで防がれてしまった。どうする、どうすればいい?

 不意に僕の左手に手が重なる。

 凄い膂力で、左手が押し込まれる。ネワが下がり、レイオマノと重なる。すかさず右手を引き、首筋目がけて振り下ろす。

 盾が一枚消失。残り、一枚というところでアニスが撤退、距離を大きく開けた。

「お前の勝ちだ」

「天藍……!」

 振り返ると竜鱗騎士の姿に戻った天藍がいた。

「レンブは!?」

「倒した」

 ひと言で済ませる。目を離した隙に、レンブは勇気の盾消失し、失格になったらしい。ただひどく焼かれたらしく天藍も残りの盾の枚数がギリギリで、あちこちに火傷のあとがある。

 アニスは距離を開けようとしているが、もう遅い。

「みんなの力で勝つって、主人公みたいだな」

 僕は懐から緋色に輝く宝石を取り出す。

 これは、サカキの仕込みだ。荷物の中に入れていてくれた、彼が魔術に使う人工鉱石だ。力を流し込みさえすれば、誰でも使える魔術……軍事転用可能な極めて危険な魔術だが、この場合は最高の魔術だ。

 しかも、これには既にサカキの魔力が込められている。

 天藍が僕の体を後ろから包み込むように支える。

「《解放リベラシオン》!」

 呪文を唱えると、反動で体が後ろに吹き飛ぶ。サカキもあれで騎士のはしくれだったんだな、と痛感しながらも十二条の光芒がアニスめがけて発せられる。

 そして一点に集中し、炸裂。

 オーバーキルすぎるやり方で、最後の盾が消失した。

「やった……!」

 爆炎と煙にせき込みながら、勝利を確信した。

 もちろん倒したのは五人姉妹のうち二人だけだ。でも、こちらにはプリムラもオガルもそばにいてくれる。そこに僕と天藍の剣が加われば、怖いものなしだ。

 その瞬間。

《ブブーッ! ルール違反ですぞマスター・ヒナガ殿!!》

 カリヨンが僕の目の前に現れた。

「ルール違反……!? そんなことしてないけど」

《いいえっ、貴方は先ほど仰いました! これが最後の切り札だ、と……》

「それは、言ったけど……」

 だから何だというのだ。人形になった二人を参加させるのは、僕の賭けだった。

《でも、切り札は二つあったじゃないですか!》

「えと、もしかしてマスター・サカキの鉱石魔術のこと……?」

《そうです。この血と勇気の祭典は、カリヨンへの無礼な態度を許さないことからもわかる通り、公明正大な式典なのです。嘘はご法度です!》

「はあ!? 嘘なんかついてない、先生たちの力を借りること自体が、僕の最後の切り札だぞ!」

《その反抗的な態度! マイナス百カリヨンポイーンット! 罰としてマスター・プリムラ、およびオガルの参加権をはく奪! マスター・サカキの魔術道具の提出を命じます!》

 そんな……これが、ルールを敵に回した戦いってやつか。

 呆然として言葉も出ない。

 だけど、条件を飲まなければ即座に敗北と言われてしまうかもしれない。カリヨンは裁定者、この試合でそれだけの力を持った存在なのだから。

「まったく、ようやく試合に参加できたと思ったら、これですか……」

 オガルが杖を構えたまま、溜息を吐く。

「残念ですが、マスター・ヒナガ、ここは条件を飲むべきですわ。それに、周囲を見てごらんなさい」

 プリムラが言う。

 その言葉に従い、天井を見上げる。

 鏡の天井に罅が入り、そのかけらが落ちて来る。

 それだけではない。壁が剥離し、床は穴だらけ。楽団は力を失って項垂れたままだ。

『この空間全体が軋んでル……崩壊しかかってる。力の供給源にナニかあったらしいネ』

「ルール管理者としての権限を乱用したせいで、観客の心が離れてるんだわ」

 何度も言っているが、青海文書は共感の魔術だ。

 共感が薄れれば、その恩恵は消える。

 ある意味、カリヨンの言う通りだ。試合は公正でなければ盛り上がらない。不正があからさまに入り込んでいると疑惑でも入り込めば、それは退屈な遊戯になってしまうからだ。

 しらける、ってコトバが近いかもしれない。

 そうして、この空間が崩壊するほどに、外の観客の共感は薄れてしまったんだ。

「今なら、二人だけでも勝ち目はあるでしょう」

「勝利をお祈り申し上げます、文字通り。どうか……仇を」

 人形たちに向かって頷く。二度と心折れないと誓ったのだ。

「戦うよ、最後まで」

 どんなにつらいことがあっても。

 彼らを失い、でもキヤラも二人の姉妹を失った。

 近接攻撃に長けるアニス、火力のレンブと、この欠員は痛手のはずだ。

 崩壊するダンスホールの中でキヤラは不敵に微笑んでいた。

 人形のように完璧な微笑はどこか仄暗い。

「マスター・ヒナガ……まだ向かってくるのね♪」

「観客だってバカじゃない。追いつめられてるのは、君だ。キヤラ」

「その発想力、ルールの裏を掻く能力、とでも言うのかしら。その才能、素晴らしいわ♪ ねえ……ツバキ」

 呼ばれた名前が、語尾が、わずかにかすれた気がする。

「その才能と魔術で、私を殺してくれる?」

「…………え?」

 聞き間違いかと思った。

 だが、問いかける間も無かった。

 彼女はホウキから降り立ち、マイクを握った。

 大きく息を吸い込む音が響く。

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