英雄の断章
81 クレイジー・ジーニアス
掌を閉じて胸に戻すと、彼らが託そうとした何かが僕にも伝わる気がする。
不思議に高揚と熱が消えていって、周りの風景がはっきりと見えた。
「ありがとう、ミクリ。君の勇気を借りて行ってくるよ」
小さな剣に血を吸わせて、三人分の盾を仕入れる。
これだけで深刻な考え事がだいぶ楽になる。
「五の竜鱗、《白鱗竜吐息》!」
結晶による堅牢な陣地を一瞬で築き上げた天藍が持ち場を離れ、鋭い刺突を五回分ミクリに叩きこむ。
「わたくしの盾はまだ消さなくていい。黒曜がいるからな」
「――準備はいいかね」
黒曜が漆黒の弓を握り、光の矢を番える。
天藍が僕を抱えて黒曜の矢を握り、準備は万端だ。
《黒き月のデナク》の矢はいかなる条件下で放たれても、必ず対象に当たることが確約された魔法の矢だ。
その特性の凄まじさは攻撃より移動方法に発揮される。何しろ、その矢は距離と障害物を完全に無視するのだから、現在人類に許されているどんな移動手段よりはるかに優秀だ。
「行って来るよ」
その声が届いたかどうかはわからない。
黒曜が矢をはなち、その瞬間、会場全体が暗闇に包まれた。
観客たちは城門に向かって迸る閃光を見ただろう。魔術による妨害も、物理障壁も切り裂く閃光だ。
引っ張られる感じはしないが、突然闇が開け、僕と天藍は罠の中に放り出された。
矢はキヤラではなく空間そのものを狙ったらしく瞬時に失速して霧散する。
目の前に広がるのは修練場ではなかった。
それをひと言で形容するなら、やたら豪華なダンスホールだ。
黄金色に輝くぴかぴかのフロア、緋色のカーテン、シャンデリアに鏡張りの天井。
《火に飛びいる夏のなんとやらっ! エー、飛び入り参加者の力を借りて、大胆にも侵入してきました~~~! 飛び入りとはいえ自身の人脈をフルに活用した人選で、ルール的には許容しますが汚い、流石汚い!》
滅茶苦茶な煽りを続けてくるカリヨンの声はすれども姿は見えない。
正面ステージには道化服をまとった獣の楽団が座り、弦楽器や管楽器を演奏し、鍵盤を激しく叩き旋律を奏でている。
「――うっ!」
反射的に両耳を塞ぐ。
音楽は滅茶苦茶で、音ではなく喧騒に聞こえた。
『別の旋律が混じってルな』
騒音の中に別の旋律が聞こえてくる。……歌、だと思う。不思議と耳に馴染む節回しだ。
いちのゆみ、まずうちならしのはじめよぶ。
にのゆみのねごいよばところのかみがみこそしょうじいれもうす。
さんのゆみのひびきよば……。
歌の元をたどると、フロアの中央に二人の少女が待ち構えていた。ひとりはアニス。もうひとりは紅白の二色に塗り分けられた派手な髪色の少女、レンブだ。
レンブは手に弓を手にしている。矢のないただの弓――あれは、梓弓だ。
「ようこそ、私たちのステージへ!」
僕と天藍がほぼ同時に魔法を撃つ。結晶の刃と黄金の剣が殺到する。
アニスがレイオマノを振るう。結晶のいくつかと黄金の剣が弾かれて宙に舞う。
それだけで攻撃の全部を防げるはずがないが、まさかが起きた。
レンブの周囲に熱風が巻き起こる。爆炎が攻撃の全てを吹き飛ばし、攻撃をかき消したのだ。
後には独特のガスの臭いが漂っている。
「なんだアレ……!」
黒曜からの情報で、姉妹が藍銅にて習得した魔術の類はこっちも把握している。
キヤラはカバラ、ガレガは魔術通信網の達人、シウリはブードゥー、アニスはカフナ、そして……レンブは。
「レンブは《イタコ》のはずだろっ!!」
イタコは、つまるところ恐山にいて死者を呼び寄せるあのイタコだ。
別にいつも恐山にいるわけじゃないのだが、そのへんは割愛だ。レンブは異世界人である尼僧に師事して、死者を呼び寄せ身に宿す《口寄せ》の術を習得したと聞いている。
炎を撒き散らす奇術のことは何も聞かされてないし、明らかに僕の知っている感じのイタコじゃない!
いちのゆみ、まずうちならしのはじめよぶ……。
レンブが弓の弦をかき鳴らすたびに炎が巻きあがり、近付けない。
不思議なのは、炎にモロに巻き込まれているアニスが平然としていることだ。
天藍は翼をはばたかせ、蛇のように追ってくる炎から逃げつつ、十の竜鱗を放つ。
投擲された刃をレイオマノが弾く。彼女の体が軽く羽のように飛び上り、殺到する刃を踏み台にして空中を疾走、押し寄せる炎と一体になってこちらに斬りかかってくる。
天藍は剣術に劣り、魔術の性質上、炎に対しても耐性のない僕を放り出してアニスの剣を受け止める。彼女は水平に、力任せにレイオマノを叩き込む。
反動で体が外側に流れるが、その勢いのまま回転し、反対側からも攻撃を叩きこんむ。続け様にレイオマノを掲げると、天藍は反射的に牙折りを防御に回す。
アニスはそれを嘲笑うかのように手首を返し、小ぶりな武器であるレイオマノを天藍の体の内側に潜りこませ、下から上に切り上げる。
木と牙でできているとはとても思えない硬質な打撃音が響いた。
勇気の盾が一枚消失する。竜騎装の下の表情は驚愕に染まっていた。
「――竜鱗の装甲を貫通するのか!?」
「ひひっ! どぉしたどぅした竜鱗騎士! 竜の力ってのはそんなモンか?」
怠惰だったアニスは目を見開き、刃越しに狂気的に笑ってみせる。
変わったのは性格だけじゃない。これまでアニスが使っていたのは防御を主体にして攻撃を誘い、相手が間合いに飛び込んでから仕掛けるような戦法だ。
それが一転して超攻撃的な戦法に変わってる。それに動きも滅茶苦茶に速くなってるし、一撃が重すぎる。戦法が変わったというより、実際に体重も増えてるんじゃないかって変わり方だ。
さて、床に放り出された僕こと《日長椿》のほうだが――天藍がアニスとやり合っている以上、こちらにも脅威が近づくことになる。
即ち、謎の炎技で接近してくるレンブだ。
僕は立ち上がり、魔術を放つ。しかし銀の茨も、盾も、圧倒的な熱の前には脆く崩壊してしまう。
一か八か――。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」
内臓が消失する感覚を味わいながら、最大の魔術を叩きこむ。
地面が揺れ、ダンスホールの床がひび割れる。
せり出してきたのは鋼鉄の大地だ。層をつくりながらせりあがり、津波のようにレンブを襲う。鋼鉄の牢獄が閉じる寸前、レンブは容赦なく炎を巻き上げた。
鉄は溶けた金属となってレンブを襲う。
銀麗竜の吐息を浴びるのと同じだが、彼女はそれを雨のように浴びながら、火傷ひとつ負わなかった。
彼女がイタコであるという情報が間違いなければ、おそらくその身に何かの霊を呼び寄せているのは確かだが、それが人のものとはとても思えない。
レンブと僕の間に、白鱗が殺到する。
天藍が竜騎装を解いて魔術を使ったのだ。これで飛行が使えない。天藍も地面に降り、アニスを正攻法で迎撃するしかない。
正直言って、五人姉妹にこんな使い手がいるなんて思っても見なかった。
アニスは肉体的に頑健で、レンブは広範囲に効果を及ぼす攻撃魔法。二つが組み合わさって、絶望を奏でてる。
「楽しんでくれてるかしら♪」
ステージの上に箒に腰かけたキヤラとカリヨンが現れる。
「外野が少しうるさいので、自鳴琴の力を借りて勝負に相応しい空間を作り出しました。貴方たちが追いかけっこしたときのやり方と同じよ♪ もちろん、この戦いは会場のみんなに伝わっているから安心してね♪」
「外野って……どうせ、お前たちの差し金のくせに!」
「みんなが求めているものと、貴方たちに対する感情は本物よ。口数は少なめだけど、これは貴方の望む戦いなのかしら? 本当は無駄ではない? 正しい戦いだと言えるの? ――白鱗の騎士」
「刃が自ら話さないように、私も貴様に答える言葉などない。強いて言うのならば戦いに善悪など存在しない」
天藍はそう言うだろうと思っていた。ただ一心に敵に立ち向かう剣、百合白さんの剣、それが天藍アオイだ。
「――無駄じゃない」
僕はアニスと刃をかわす天藍を静かに指で示した。
放り出された地面から、キヤラを――そして彼女の目を通して試合を見守っている誰かに、告げる。
「もしも僕ひとりがこの戦いを望んだとしたら、それは欺瞞だろう。だけど彼が流した血と振り絞った勇気は、決して無駄にはならない。その血と勇気のために奮い立つ者がいるだろう。それが僕だ。観客席から、旗を振るい彼の勝利を待つ者たちだ。僕は約束したんだ――戦う意味を見つけると」
キヤラの眉がわずかに顰められる。
日長椿の体がレンブが巻き起こした紅蓮の炎に囲まれる。
「見直したわ♪ 舞踏会のときとは大違いじゃない。てっきり、私たちの玩具になりにきたのだと思ったけど……でも、私たちを少しナメてたのが敗因ね。レンブ、そろそろ佳境でしょう。片づけてちょうだい♪」
「はい、お姉様」
弓をつま弾くレンブの喉の奥から、あの歌が流れだす。
ここはどこ、もりかはやしかふるさとか――おりてあそべや、ものがたろ。
『気をつけて、シウリがしたのと同じだヨ。魂を呼んでる……』
不思議な歌が繰り返し、その表情が変わる。トランス状態に入ったのだ。
もう一度弓が書き鳴らされ、炎の包囲網が完全に体を包んだ、肌を焼き、盾を奪い取る。
「ぐっううう!」
紅蓮に燃やされながら苦鳴を上げるその顔を、女のたおやかな、灼熱の両手が包みこんだ。
「――――お可哀想な先生。私が誰かわかりますこと?」
轟音の中で聞いたその声は、レンブのものではなかった。
記憶の中に、少女が蘇る。
すみれの瞳、金色の髪ををみつあみに束ねてた。
「あれだけ忠告したのに……。貴方は英雄になるべきだった。すべて捨て去るべきだったの。罪悪感もね」
マリヤ。
彼女の魂がレンブの中にいる。
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