40 気になるあの娘の二面性


 何故、カガチが僕に命令するのかというと、そこには複雑極まりない事情がある。

 つまり、愚者の中でも最も極められた愚者であるこの僕が、合宿の間は学生と同じ待遇で扱ってほしい、と事前に頼んでおいたからだ。

 そうでなければカガチとサカキ、そして僕の間で指揮系統が混乱するし、僕にはどう客観的にみても、この短期間で何かをなせるほどの指導力が存在しない。

 そう、僕はただの馬鹿じゃない。

 合理的な馬鹿なのだ。

 おかげさまで、僕たちは僕のせいで罰走を食らうという災難に遭った。

 仲間達がこちらを見る瞳は、言葉はなくとも凍え過ぎていた。

 罵ってくれたほうがマシだった。

「竜鱗学科って……学生のくせに、厳しすぎじゃない……?」

 うじ虫のように廊下を進みながら、遠すぎる寝所を目指す。

 竜鱗学科がいつもこんな……軍隊式というか、前時代的な指導方法を繰り返しているのだとしたら、天藍みたいな人格破綻者が生まれるのも納得だ。

《おい、ヒナガ! マスター・ヒナガ!! 話を聞いてるのか!?》

 カフスから苛立った声が聞こえてくる。

《さっきから荒い呼吸音しか聞こえないのはなんだ? 救急か、それとも事件か? 事件だったとして市境のこっち側で怪死するのだけはやめろ。我々の仕事が増える》

「…………安心して、必要なのはどっちかというと医者だから」

 クヨウの心底迷惑そうな声音が、繊細な神経に少しだけ傷をつけていく。

 なにしろ二十往復は時間の問題で流石に無理なので半分に減らしてもらい、三往復目でドクターストップがかかる、という役立たずぶりを披露したばかりなのだ。

 天藍だけだ。平然とした顔で二十往復したのは。竜鱗騎士は体力のストックが人間の比じゃない。

 この惨憺たるありさまを伝えると、クヨウは同情するどころか思いっきりバカにした声つきになった。

《フン、お前のような軟弱なヤツは市警の採用係ですら見放すだろうよ》

「じゃ、今後のご活躍をお祈りして頂くってことで、さよなら」

 彼女の異常なまでの皮肉癖と悪口をやり過ごすために大事なのは、忍耐と、何事も爽やかな春風が吹くようなものだと思って気にしないことだ。

《待て待て、魔術捜査官の採用については別だ》

「……というと?」

《採用だ、マスター・ヒナガ。そのくそったれな合宿がひと段落したら海市に来い、そして力を貸せ》

「来いって言ったって……」

《二藍なら近い。夜がいったい何時間あると思ってる。じゃあな、切るぞ》

 少し急いたような声で、クヨウは一方的な通信を切った。

 昼は合宿。夜はクヨウ。……僕はおそらく、遠からず死ぬことになるだろう。

「黄水ヒギリじゃありませんよ~に、できれば知り合い、百歩ゆずって菫青、天河、千五百歩ゆずって天藍でありますよ~に!」

 柏手を打ち、念入りに願掛けしながら指定された二人部屋のドアの前に立つ。

 宿舎に到着したのが最後だったので、合宿期間中を共に過ごす同室者の顔も確認していない。宿舎の部屋は二人部屋だ。一室まるまる使用する権利が与えられているのはリブラだけ。あいつの部屋は、救護所を兼ねている。

 開けると、二段ベッドと収納式の書き物机が二台あるだけの簡素な部屋があった。

 同室者らしき姿は無い。

「あれ……出かけてるのかな。ま、いいか。昼食準備があるけど、あと五分はきゅうけ~い……」

 どさり、と音を立てて下のベッドに倒れこむ。布団が汚れるのも気にしない。

 柔らかい布の感触が疲れた体を受け止めて離さない。

 僕も、これは生き別れの妹とか恋人なんじゃないかって気がしてきた。

 そのときふと、上のベッドからもぞもぞ動く音がした。

 それから、梯子を無視して飛び降りて、ぺたりと裸足が床に着地する音が続く。

 なんだ、昼寝でもしてたのか……。


「お疲れ~、特製ドリンク、飲む?」


 後ろから手が伸びてきて水筒を差し出され、受け取る

 中身を確かめる前に口をつけてしまったあたり、だいぶ水分を失っていたんだろう。ほの甘くて少し酸っぱい味の……たぶん、スポーツドリンクみたいなものだ。水気が体に染みわたり、気がきく優しい同室者に対する感謝の意がこみ上げてくる。

 そこで、やっと……あれ? 参加者の中で、気が利く優しい男なんて、存在したか? という残酷な疑問が浮かぶ。

「誰か知らないけどありがと…………う?」

 ベッドから起き上がり、自分でわかるほど不格好なポーズで固まる。

 そこには予想外すぎる人物がいた。予想外っていうか、ノミネートすらされてない人物だ。

 同じ水筒の中身をチビチビのみながら、壁に背を預けているのは……。

 その、ミルク色の髪や、甘ったるい表情を浮かべる大きな瞳は……。

「いちお~聞くけどさ、なんで魔法使わなかったわけ? 銀華竜と戦ヤったんなら、魔法使えば肉体強化みたいなコトはできるんでしょ。でなきゃ潰されて死んで終わりだし」

 その人物は、いつもは天河テリハだけに向けられる声や視線を、惜しみなくこっちに向けて来る。

「次からは使えるものはなんでも使ったほうがいいよ。べつに敵対するつもりもないけど、手を抜いても肩を並べられる相手だと思われてるなら心外だなぁ」

 自然に、ごくりと喉が鳴る。

「……桃簾イチゲ、君、なんでここにいるんだ?」

 彼女は訝し気な表情を浮かべたあと、納得した表情でひとり頷く。

「あれ? ということは、まだ知らないんだ? クジ引きの結果、先生と私が相部屋になったんだよ」

「え…………えええええええ~~~~!?」

 まさか、まさかとしかいいようがないが、それって僕と彼女が合宿の間、同じ部屋で過ごすって意味か!?

「なぁに、いやなの?」

「イヤっていうか、むしろ全然イイけど!」

 女の子とひとつ屋根の下どころか同室なんて、正直言って、最高以外のなにものでもない。

 でも桃簾は天河のことが好きなわけだし、竜鱗学科だし……っていうか女子と男子が同じ部屋って時点でダメだ!!

「何かの間違いだよ! 部屋、変えて貰ってくる!!」

 焦る僕と裏腹にイチゲはにやにやした笑みを浮かべていた。

「先生、照れてんの? かぁ~わい~ぃ反応だね~。竜鱗魔術師との間に間違いなんて起きるはずないんだし、折角だもん。よろしくしちゃおうよ」

 胸を、桃簾の指がつん、と突いた。

 指一本でベッドの上に倒される。こうみえて、イチゲは天藍と同じ五鱗騎士だ。

 だけど、動けないのはそのせいだけじゃない。

 ベッドに押し戻された僕の体の上に、イチゲが跨ってきたのだ。

「先生のコト、ちょっとだけ気にいっちゃったかも♪」

 下半身に感じる確かな重み。

 運動用の衣装の、薄すぎる布地越しに感じられる皮膚と肉の感触と、あと体温。僕の胴体を挟みこんでくる両脚の力が、これは夢じゃないぞって訴えてくる。

 魅力的な女の子に馬乗りになられている、という煽情的すぎる光景……どうにかなりそうだ。むしろ、どうにかなりたい。

 でも僕はある事実に気がついてしまった。

「あの……イチゲさん…………」

「な~にぃ? ヒナガせんせい☆」

「当たってるんですけど……」

 何がって、イチゲには……そう、なんというか、年頃のお嬢さんにはあってはいけないモノがあった。

 具体的には、股の間に。

 彼女は一瞬、獰猛な目つきになり、気だるげな猫のようにしなやかな上半身を乗せてきた。動けない。たぶん、カガチや天藍に本気の剣の切っ先を向けられたら、こんな気分だと思う。


「ソレは当たってるんじゃなくて……当ててンだよ」


 心なしかドスの利いた声。それは天河の腕に甘えて縋りつく少女のそれとは、百八十度、方向性の違うものだった……。



                ~~~~~



 天地がひっくりかえるような驚きによって発せられた絶叫が宿舎中に響き渡った後、食堂では、サカキ人形が無言でカガチに手を出していた。その手に、カガチが札入れから抜いた紙幣を渡そうとして「人間の体に戻ってからですな」ととぼけたことを言いながら元の場所にしまった。

「賭けてたでしょう! マスター・カガチ!! いつ彼女のホントの性別に気がつくか!」

 叫んだ僕は、エプロンを身に着けていた。

 昼食の準備は当番制だが、罰走を走り切ることのできなかった僕にはさらなるペナルティが課せられているのだ。

「何、寝ぼけたこと言ってるんですか。桃簾先輩は男ですよ。最初から。いいからさっさと運んでください」

 鍋から汁物をよそいながら、イブキは心底くだらなさそうに、そう言った。

 衝撃的すぎる事実だが、桃簾イチゲは男性だ。

 それは確認したから知っているが、全然まったく気がつかなかった。

「もう隠してるのはそれだけだよな? 菫青ナツメが実は女の子だとか言わないよな?」

「そうですよ」

「ええええっ!?」

 まさかナツメが……いや、ナツメのほうは、言われてみればあまり違和感が無い。

 男子の制服を着てたから勘違いしてただけで、そう言われるとそうかなって気がする。

 それより恨めしいのは、知ってて黙ってた天藍の野郎だ。

 天河にじゃれつくイチゲを見て羨ましがる僕に意味深なことを言っていたのは、このことだったんだ。

「あとさ、なんでイブキがここにいるのか訊いてもいい?」

「ここでみんなの食事を作ればバイト代くれるっていうから」

「わかりきったことを聞いてごめん……」

 貧乏少女、真珠イブキはカガチに要請されて後からこの合宿所に入ったみたいだった。

「ひどい、騙された……卑怯だよ、二人ともあんなにかわいいなんて」

「べつに騙してなんかない……。制服はあるけど、何を着るかは決まってない」

 間近で声がして、びっくりする。

 そこに昼食の膳を持った菫青ナツメがいた。

 オガルのこととか聞きたいけれど、咄嗟に言葉が出て来ない。ナツメの目の下には隈ができているし、表情には生気がない。

「これ、量が多すぎる。ぼくのは全部、半分以下にして……体内に異物があると、魔術がうまく使えないから……」

 ナツメの魔術は、確か自分の肉体を水に変える、というとんでもないものだった。

 その魔術は肉体に強く働くもので、着衣や武器、体内に入った水分以外の食物は別なのか。

「でも、そんな量じゃ足りないんじゃない?」

 そう言うと、感情のこもらない声が返ってくる。


「べつに、いつものことだから」


 竜鱗騎士は、魔力の消費が半端じゃなく、総じて大食らいなはずなのだが。

 彼女はほんの少しになった膳を持って席に戻って行った。

 昼食をかねて、今後の訓練についてブリーフィングがある。

 まずは一通り注意事項や、周辺の地形についても説明があった。竜鱗学科には勝手知ったる場所だが、僕らには初めての地形、それも野外だ。


『ボクこういうの大好き!』


 半分鹿だから、自然に囲まれたフィールドが得意なのだろう。オルドルの声が跳ねる。

 続いて食堂に檻が運び込まれる。


 ギイイ、という耳慣れた音が響く。


 かけられた目隠しの布を外すと、そこには予想通り、鱗をびっしりとまとい、羽を生やした醜悪な動物が蠢いていた。色はうっすらと緑がかっている。


『前言撤回。ボクこれ大嫌い』


 オルドルが不快そうな声になったのも無理もない。そこにいたのは体長は一メートルから一メートル半。大きな鉤爪と鋭い牙という特徴を持つ、ホンモノの竜種・飛竜だったのだから。

「今日は各自の実力を見る。手始めに結界内にこいつを百、離しておいた。夕刻までに全個体を駆逐して戻ること! ただし行動は二人一組、両者の間が十メートル空いた時点で警告が鳴る」

 リストバンド型の追跡装置が各自に配られる。これが各自の位置を把握するとともに、討伐した個体数を記録する。誰かの支援によって討伐された場合でも、記録される。まるでゲームのような、数値で個人の能力を把握する装置だ。もちろん、校内戦の参加者を決める参考にもなるスグレモノだ。

 キヤラたちの能力がわからない以上、この地上で最強の生物である竜を利用する、というのもいい手だろう。ただ、もう少しびっくりするようなのが来ると思ってただけに、意外と簡単だったな、という印象だ。

 チーム分けは、初日は黄水・天河、桃簾・菫青、ウファーリ・天藍、僕とイネスが組まされた。リブラは待機だ。もともと、リブラには戦闘員としての役割は期待されていない。

「さて、イネス・ハルマンとウファーリ、そしてヒナガ先生はこちらに着替えてください」

 サカキは非竜鱗魔術系の三人に、特別な衣装を配る。

 見た目は迷彩柄のつなぎだが、腰のあたりに装置がとりつけられていて酷く重たい。米袋を抱えているみたいだ。

「共同研究をしている企業から急きょ取り寄せた最新型の対魔術戦闘服です。三鱗までの魔術なら、かなり相殺してくれますよ。流石に《息吹》までは無理ですけど」

「お、それは便利かも」

 まだ実験段階のものだが、少なくとも、これを着ていれば重たくて動きにくい代わりに身内の流れ弾が刺さって死ぬことはない。

 そういえば、サカキは軍事研究に携わってるとか、リブラが言っていた気がする。

 準備は整った。

 ようやく合宿本番だ。

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