37 交錯する過去


 屋上から、海市の夜景が見える。

 それは広大で、ここが一国の首都だとまざまざと感じさせられる風景だった。

 ビルの合間できらきら光る明かりの一つ一つの下に、誰かの暮らしがある。でもそれは大半が知らない人たちの暮らしで、そのことが心細い。

 ここは異世界で、知らない世界だ。

 空気のにおいもちがう。

 人の密度も違う。

 景色がちがう。


『センチメンタル感じちゃってるとこ悪いんだけどねえ~、そろそろボクも喋ってイイ?』

「いいぞ。どうせ青海の魔術師だけだ。存分に喋ればいい」

『やった~!』


 ぐずつきはじめたオルドルに返事をしたのは黒曜だった。

「勝手に許可を出すなよ……」

 黒曜は何やらにやにや笑っている。

 それからおもむろに、ベレノス私設植物園を知っているか、と切り出してくる。

「――――え?」

 確かに知っていた。

 だがなぜ、その名前が黒曜の口から出てくるのかがわからない。

 僕がそこに行ったのは偶然で、本当になんでもないような出来事で、黒曜がわざわざそれを気に留めたことが意外だったのだ。

 その回答は最悪の方向からもたらされた。

「植物園に隠れ住んでいた吸血鬼、ニムエの従者グウィンが殺された。ニムエ本人も、行方不明になっている。状況からしてかなりの重傷を負っているはずだ」

 ニムエ……。脳裏に、その姿が思い浮かぶ。

 ミルクティ色の髪の色や、薬草のにおいで満ちた古い屋敷。奔放で、老獪な、少女にしか見えない吸血鬼のことを。

「まさかとは思うけど、それもキヤラの仕業だっていうのか……? いったい、なんのために……」

 捜査中だ、と黒曜が短く答える。

 捜査の指揮を取っているのは海市市警のクヨウだ。

 なんでこんなことに? 疑問が渦を巻きはじめた。

 キヤラはこの国に来てから、殺し過ぎだった。

 僕が把握しているだけで、リブラの同僚、それから、大学生、ミィレイと菱亜イナブを罠にはめて、そして教師たちを人形にし、今度はニムエとグウィンだ。

 大迷惑姫という名に相応しい所業だ。彼女が歩く度に死者が、取り戻せない被害が生み出されて行く。だがそれ以上に、僕は目の前の男に怒っていた。

「なんで! 危険人物だとわかっていて、なんでアイツを好きにさせてるんだよ!」

 気がついたときには、黒曜の胸倉をつかんでいた。

『それはハンブンくらい言いがかりじゃないかナ~』

 言いがかりかもしれない。でも、衝動を抑えられなかった。

「誰にも止められない。キヤラは目的を達成するまで、必要なことは何でもやる。何人でも殺す。女だろうが子どもだろうが関係ない。これだけの被害で済んでいるほうが奇跡だ」

「それが藍銅公姫ってやつがやることなのか……?」

「あの災厄そのものの女を止めるなら、

 掴んだ服の襟から手を離す。彼女が目的のために築いた死体の山、その執念の凄まじさに、僕の陳腐な正義感が圧倒されてしまったからだ。

「どうして、そんなに古銅イオリを欲しがるんだ……?」

「……キヤラは私への復讐をしようとしているのかもしれない」

 理事の部屋では口にしなかった答えを、黒曜は感情の浮かばない表情で告げる。

「復讐?」

「あの女には、弟がいた」

 復讐と、弟。

 繋がらないキーワードに戸惑いつつ、大人しく言葉の続きを待つ。

「公的にはいないことになっている、腹違いの弟だ。キヤラはあるとき、その弟の亡命を求めてきた。王位継承問題が表に出るにつれ、国内に置いておくことが不安になったのだろう」

 彼女は、これまでの全ての罪状を認めること、そしてそれ以上、犯罪行為をおかさないこと――そのふたつを条件に弟の身の安全と保障を求めてきたという。

「彼女の振る舞いにどこかで歯止めをかけなければいけないことは、数国のうちで秘密裏に了解があった。受け入れ先として名乗りを上げたのが女王国だ」

 けれど、計画は失敗した。

 ふたりが乗り込んだ輸送機が何者かに襲われ、生き残ったのはキヤラだけだった。

「あれは私のおかした取り返せない過ちの、その最たるものだった」

 呟くような声音は、いつもの自信ありげな様子とはまるで違っていた。

「だからこそ――私はこの《試合》を回避すると言ったが、それはおそらく無理だ。キヤラは必ず戦いに来る」

 死んでしまった弟の、その復讐のために。


 まただ。


 マリヤもそうだった。

 オガルも。

 オルドルも。

 そして、かつての僕も。

 みんなが《怒り》のために血生臭く戦っている。

 日本では、こんなふうに戦う人たちを見たことがない。

 女王国では、みんなが自分をすり減らしながら戦い続けている。


「お前のせいじゃないか、結局」

「何とでも言え。私にできることは、せいぜいキヤラの手札を探ることだけだ」


 そう言って、黒曜が僕にデータを送信してくる。

 カフスを操作して送りつけられたモノを確認する。

 主に写真だ……でも、ただの写真じゃない。

 写っているのは圧倒的に《物》だ。

 それも、怪しい本や杖や、謎の壺とか、禍々しい鏡とか……魔術に関係するものだ、ということくらいは勘でわかる。

「これって、もしかしてオークションカタログ……?」

「そうだ。キヤラが参加予定のな」

 晩餐会の夜、彼女は競売のために女王国に来た、と言っていた。

「方便の可能性もあるが、そうではない可能性もある。一応、確認してみてくれ」

 内容は訳のわからないものが大半だが、空中に表示された画像をつらつらと眺めていると、画像を送る手が急に止まった。

 僕の意志ではない。

 オルドルが干渉して、指先の動きを止めたんだ。

『ソレ、見てよ!』

 オルドルが声を大きくした。

 なんだか、嬉しそうな声につられて画面をまじまじとみつめる。

 そこには《本》が写っていた。

 深い緑色の表紙に、黄金の鹿が描かれている。

 品物の名は《金鹿の書》。

 魔術書だ。作られた年代は不明、と書かれている。

 不吉な予感に誘われて、金杖を鞘から抜いた。

 オルドルの杖の形状は実は三つに変化する。

 ひとつが青海文書の切れ端、もうひとつが今の状態の短杖で、最後が、どう使えばいいのかいまだに教えてもらえない《本》と《黄金の羽ペン》だ。

 本に変化させた杖は、青い表紙に《蛟》が描かれている。

 蛟というのは、蛇の体に四つの脚と角を持つ架空の生物だ。


「これって、この本に似てる……?」

『そりゃそうだよ。だって、それはボクが書いた本だもの……』


 どこにもいないはずのオルドルがにやりと笑う気配がした。

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