35 僕が消えたとしても
「それでよろしいか、ヒナガ先生」
どうもこうも、あるはずない。
選ばれるべきは彼とテリハたちで、僕はそこに迷い込んだ異物みたいなものだ。
「……それが妥当だと思います」
「言葉の割に納得のいかない顔をしておられる」
図星を当てられて、少しだけ気まずい。
「カガチ先生のことは信頼してる、けど……。もう少し考えさせてください」
時間なんて無いとわかっているのに、僕は逃げるようにその場を後にした。
止めようと思えば止められただろう。
なのに、ふたりは僕を行かせてくれた。
それとも、呆れて物も言えないのだろうか。
振り返ってその答えを探す気にはなれない。いざという時になって決断を下せずに、ひとりぼっちで廊下に立っている自分が不甲斐ない。
『何を気にしてるのさ……』
「オルドル、少し黙っててくれ」
わかってるんだ。こうしてる間に状況はどんどん悪くなっている。
学院の門の前は、キヤラたちの起こした事件について詳細を聞きたがる記者たちでいっぱいだ。天市の境では、もっとひどいことになっている。記者たちはあくまでも仕事で来ているだけだが、市境に集まっているのは有志の市民というやつだ。
古銅の処遇について疑義を持つ者たちが、大挙してデモを行っているのだった。
こうしている間にも、すべてがキヤラのいいように進んでいってしまう。
それなのに、首を縦に振れない。
戦う、と言えないでいた。
~~~~~
カガチたちのところを離れて、足が懐かしい赤煉瓦の普通科校舎へと向いた。
ちょうど授業が終わったところらしく、生徒たちが校舎が出て来る。
燃えるように赤い髪はすぐに見つかった。何故か玄関の脇の植え込みのところで、ひとりで突っ立っている。
緊張した面持ちでウファーリは拳を握っていた。
古めかしい扉を開けて、女生徒ふたりが連れ立って出てくる。
すかさずウファーリは二人に声をかけていた。
たぶん……時間もちょうどいいし、シチュエーション的に昼食に誘ったんだろう。
だが、見知らぬふたりは声をかけられた瞬間、びくりと肩を震わせた。
まるで獅子に声をかけられたか弱い兎が、当然のように恐怖を感じて怯えているみたいに。
そして、逃げるように立ち去ってしまった。
「ウファーリ……」
取り残された彼女の背中に声をかける。
こちらに全く気がついていなかったのか、びっくりした顔をみせた。
彼女は普通の生徒じゃない。僕の隠す気も無い気配など、いつもならすぐに察してみせるはずだ。
「あー……えっと、その。カッコ悪いとこ見せちまったな……」
そうやって気まずそうに視線を逸らす仕種で、大体のところはつかめた。
思った通り、復学したウファーリと同級生たちの関係はうまくいっていないんだ。
ウファーリは海音の持ち主で、暴力的なことを好む性格はそのままだけど、確実に変わろうとしてる。
でもそれは僕だからわかることで、周囲の人たちにとってはそうじゃない。彼女はいつ暴れだすかわからない爆弾のまま。
それでも勇気を出して、クラスメイトに声をかけようとしたんだ。
かっこ悪いのは逃げてばかりの僕のほうだ。
逃げたくない。
でも、いったい何から逃げているのかさえ、今は理解不能だった。
それからもうひとつ、僕には行かなければいけないところがあった。限られた時間で、どうしても。
それは《病院》だった。
いつか来た覚えのある個室の前で、リブラが担当医と話している。
病室では若い女の子がベッドに寝かされている。
マスター・オガル教室の生徒、ミィレイだ。
家族に寄り添われ、彼女は虚空に視線をさ迷わせたまま、物言わぬ人形のように横たわったままになっていた。
時が止まったかのように、静かな光景だった。
声をかけようか迷い、でも、とても部外者が入っていける雰囲気ではない。
「治療に問題点は見当たりません。医療にできることはこれ以上、何もありません」
リブラは医師としての厳格さと個人的な同情心が入りまじった表情でそう言った。
ミィレイのために何かできることはないかと、リブラに様子を看てもらえるよう頼んだのだが、それも無駄だったようだ。
「もうひとりの生徒は亡くなった、ということは……」
「《自死》の可能性が高いでしょう」
現実に帰還できる望みがないと悟り、何らかの方法で、意識の消失をはかったのだ。痛ましい事実に気分が否応なく重たくなる。もしも、意識不明の状態が長引けば、ミィレイも……。
「これもキヤラがやったんだよね」
「おそらくは。ガレガ・アガルマトライトを覚えていますか」
晩餐会で会ったキヤラの妹たちのなかでも、一際、《異常ではない》という点において異常だった女の子だ。
「ガレガは魔術通信の専門家なのです。この手の工作はお手の物でしょう。もちろん、証拠など残してはいない。元来、魔術通信は魔術捜査官の追跡を逃れるための通信手段として発達したものですからね……」
晩餐会の夜の印象で、気の弱い妹キャラだと思っていた。
でも違った。彼女もキヤラと同じように人の命をなんとも思わない悪魔だった。
「すみませんでした」
突然の謝罪に僕は狼狽える。
「なんで謝るの?」
「こうなった以上、古銅君を無傷で帰す望みは無いに等しい……結局、私は貴方のような異世界人を、道具のように使うことしかできない。そう思い知りました。あなたにも償いはできていないというのに」
青い瞳が、まるでナイフで刻まれているかのような苦痛を映し出す。
リブラは紅華の側近で、確かに酷い目に遭わされた。
でも、それは彼が悪人だからじゃない。
リブラはもう十分すぎるほどの罰を受けたはずだ。そして僕が何者であっても、力になりたいと言ってくれた。そうすることが彼なりの償いだったはずだ。
ならば、それを受け入れたい。
もう一度、紅華やリブラとの関係をやり直したい。
もしも状況が違えば、彼らは僕にとって違う意味を持つ人たちになったと思うから、だから……僕はカガチたちではなく、リブラや、ウファーリや、イネス、そして天藍たちのために戦いたいんだ。
リブラの償いのために。
僕を友達だと言ってくれるウファーリのために。
復讐心を抱えながら、それでも小さな義理で戦ってくれたイネスのために。
それから、たった一人で、大きなものを抱えこもうとしている天藍のために。
それなら、この短い記憶が意味をなくして、消えてしまってもいい。
もう一度死んでもいい。
何度死んでも構わない。
僕は《日長椿》の記憶の塊になりはてても、自分の死に、その痛みに値する意味が欲しい。
カフスから呼び出し音が響いた。
リブラも同じ通信を受け取っている。
呼び出しは灰簾理事からだった。
憂鬱そうな理事が画面に映し出される。
《校内戦の参加者全員にお知らせします。女王府からの返答が来ました。今後の方針を固めるために、一度集まって……》
画面に、灰簾理事ではない男の顔がうつりこむ。
黒髪黒瞳の男、というか少年が、気楽そうな笑顔で両手でピースサインを作っている。年の割にやたら鋭い瞳は、今は笑みの形をつくっている。
《はぁ~い。初めましての奴は初めましてだ。私が誰かわかるかな?》
もちろん。
それは、黒曜ウヤクだった。やたら上機嫌の。
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