34 黒鴉の力

                 *****


 爆炎と大量の煙が渦巻いている。

 煙から抜け出したのは天河テリハだった。見たところ、《勇気の盾》を一枚消失しているのみで負傷はない。

 テリハは刃を鞘から引き抜いた。


「一気呵成に片をつけるっ!」


 応、と煙の向こうから仲間たちの声がする。


「ヒギリ、行け!」


 刃をサカキに向ける……それが合図だった。

 その足元で激しい雷光が爆ぜる。

 稲光は文字通り光の速さで修練場を横断し、碧兄妹が構えた巨大な盾に着弾。

 表面に激しい閃光が撒き散らされ、衝撃が左右に流れて行く。

 ふたりは勢いが殺しきれずに後方に下がった。

 巨大な盾を下がらせたのは鉄靴を履いた黄水ヒギリの両足だった。若い騎士の卵は宙で翻ってから地面に降り立つ。

 ヒギリが移植しているのは《雷蛇竜》の鱗だ。

 雷蛇竜はその名の通り雷電を操る竜で、ヒギリは他に銀麗竜系を一鱗、同時移植して五鱗としている。

 それによって黄水は雷の性質と金属質の装甲を同時に用い、電磁誘導で自分の体を高速で撃ち出して盾にぶつけてみせたのだ。

 だが、碧たちの装甲もかなり強いものだ。衝撃を受けた金属製の盾が分解し、五角形の鱗の形となり、サカキ側の陣営に広がっていく。鱗の間には透明な空間があるだけだが、そこには竜の魔力が張り巡らされ、敵の攻撃を弾く守護壁バリアを形成していた。

 サカキ側の戦略は単純明快。

 マスター・サカキは《砲台》で、生徒たちは砲台を守る《防壁》だ。

 壁が厚ければ厚いほどサカキは自分の魔術に集中できる。あとは、カガチたちがサカキの絶大な攻撃力に総崩れになるのを待てばいいのだ。

 生半可な速度では盾が抜けないとみるや、即座にヒギリは竜騎装を展開する。全身に、黄色味を帯びた近い銀の装甲をまとう。全身装甲だが非常に軽量にみえ、両手の手甲には鉤爪、そして体の両側を挟むように帯電する黄の宝玉、金属でできた二対の翼が浮かんでいる。

 それと同時に、裁定者カリヨンの用意した厄介な《特別ルール》が発動。

 ヒギリの姿が影に隠れ、空から勢いよく《足》が落ちてきたのだ。

 真っ赤な皮膚をした足首から下の巨大な足……カリヨンが用意したルールは《影踏み大鬼》だ。


《昔々、天を突くような大きなオニ、という魔法生物がおりました。大鬼はある村の村人たちを踏み潰しては面白がっておりましたが、村人がそれよりもっと大きな鬼を連れて帰ってきたのでさあ大変、大鬼は巨大鬼に潰されてしまったのです!》


 などというカリヨンの口から出まかせの昔話風大ぼらなど、最早だれも聞いていない。


《しかし今度は巨大鬼が村に居着いてしまい、次は超巨大鬼を、さらに次は超超巨大鬼を……村はいつの間にか滅びてしまいましたとさ! なあ~んてステキなお話!》

「ステキ要素がどこにもねえよ!」


 ヒギリは足の影から飛び出した。

 直撃は免れたものの《影を踏まれ》、ヒギリの《勇気の盾》が問答無用で一枚減少する。

 先にカガチ側に足が現れたのは、試合前にカリヨンから罰ゲームを言い渡されていたせいだろう。盤面はどうあれ、お互いの鬼たちは《村人たち》を踏み潰しあう。潰し終わったらまた次の鬼が出て来る。カガチたちの《鬼》は《後攻》だったのだ。

 次は、青い足がサカキ側を襲う。

 すかさず碧チドリだかオクナだかが落ちて来る足を受け止めて自ら盾を減らした。

 青い足がゆっくりと空に戻って行き、消失。

 再び赤い足が現れる。その大きさは先ほどの二倍だ。

 この隙を逃さずサカキが第二波を放つ。

 ヒギリは足を避けながらサカキ側の陣地に退避――チドリとオクナがにやりと笑う。

 自分たちの防壁に相当の自信があるのだろう。

 けれど、彼は負けを認めて下がったわけではない。

 状況は悪くなっている。頭上からあの超質量の足が落ちてくるし、サカキは攻撃の手を休めず、修練場はまさしく小さな戦場と化していた。

 だが――ヒギリは迷わない。

 再び閃光となり荒れ狂う炎の中へと身を躍らせる。その軌道はバカのような直線。

 煙幕の向こうで閃光が三度爆発し、急加速。

 最高速度の飛び蹴りが盾に突き刺さり、突き出した左足が防壁に大穴を穿った。

 着地し、鉤爪で地面を裂きながら急ブレーキをかけたヒギリの竜騎装は爆撃によって半分以上が剥がれ落ちていた。被弾しながらも全力で、防壁を破るためだけに駆け抜けて来たのだ。《勇気の盾》は残り一枚。生命に関わるようなダメージでも、この試合中なら戦闘不能に陥らない。

 ルールを利用した捨て身の戦法だ。

「うそでしょ……」

 碧姉妹がもらした声が、試合を観戦する全ての者たちの代弁となっていた。

 ヒギリは露出した頭部からのぞく血の滲む顔面が碧姉妹を捉え、邪悪な表情を浮かべる。

「さっきはよくも笑ってくれたな、てめぇら、覚悟キメろよ! ……ン?」

 両の拳を打ち鳴らした瞬間、ヒギリの表情が違和感に歪む。

 彼の足元に一瞬、魔法陣が展開。何もないはずの床に黒っぽい鋼がせり出して来る。

 それはヒギリの全身を両側から勢いよく挟み込む。内側に無数の棘を持つ、見事な鉄の檻であった。全身を串刺しにされ、最後の勇気の盾が消失する。

 その時点でヒギリは参加者としての資格を失い、場外に放り出された。

「クソッ! 罠かよ! ズリーぞ、灰硼兄妹!!」

 残ったのは、灰硼兄妹が用意した死の鳥籠だけである。

 彼らは碧姉妹が破られたときの第二の障壁。サカキと防衛ラインの間に《罠》の地雷原を張り巡らしているのだ。転移魔術と悪辣な拷問器具たちは、ふたりが移植した竜の力だ。

 エンレイたちは再び防壁を張り巡らし、体勢を立て直そうとする。

 だが……。


「少し遅かったようだ……悪かったな、ヒギリ」


 声がして、振り返る。

 鉄の鳥籠が粉々に切り裂かれ、崩れ落ちて行く。

 そこに夜色のマントを翻した天河テリハが立っていた。

 彼は、この戦場に《突然現れた》ように見えた。

 竜騎装、なのだろう。顔の半分を、鴉を模した漆黒の仮面で覆い、奇妙な細さの、まるで針のような金色の槍が地面に刃を向けて並び、若き八鱗騎士を囲んでいる。

 彼のマントの内側から、白い靄のようなものが漏れだした。

 碧姉妹は盾よりも剣を選び、侵入者に斬りかかる。

 刃を受け止めたのは、テリハの刀ではなかった。

 だが、何かはわからない――二人の剣は、空中に浮かんだ二つの掌が握る、透明な刃によって受け止められていたからだ。

 手首のあたりに漂っていた靄は凍りつき、無数の氷の結晶となる。さらに結晶がそれぞれ結びついて氷の塊へ、彫像へと成長を遂げていく。

 それはすらりとした足になり、ほっそりとした体や首や頭になり、服になって色づき、髪や、氷色の瞳となって一人の――菫青ナツメの姿となった。

「こっちの相手してていいのかな? ふたりとも……」

 台詞が終わるか終わらないかのうちに、オクナの体が横薙ぎに吹き飛ぶ。

 チドリがすかさず防壁を展開。

 二撃目が鏡面に刺さり、防壁ごと砕け散る。

 カガチ側から桃簾イチゲが狙いをつけていた。

 目元はゴーグルのようなもので隠され、背中にキューピットの羽のように愛らしい装甲を背負っている。対照的に、手にしているのはどうみても遠距離狙撃銃だった。

 発射されるのは光弾で、オクナの援護を失ったエンレイを完全に狙い撃ちにしている。



                 ~~~~~



 目の前の小さな四角の中で、凄まじい場面が繰り広げられている。

 敵陣に乗り込んだテリハは罠の張り巡らされた地雷原を駆け抜けて行く。鎖を引きちぎり、足に食らいつこうとする虎鋏に背負った槍を撃ち込み、鳥籠を切り裂いて鉄片に変える。強い。

 彼はただまっすぐ進むだけで強さの証明を打ち立てていく。

 黒い疾風が灰硼兄妹の元に辿り着く。

 兄を守るように進み出たアカザの顔色は悪い。

 テリハは横薙ぎに刀を一閃。紙一重の差で逃げたアカザを追い、黒鴉が舞い上がる。

 剣と刀が鋭く打ち合わされる――その瞬間、信じられないことが起きた。

 テリハの剣が《ぐにゃり》と曲がったのだ。

 曲がった剣は鞭のようにしなり、アカザの剣と利き手を絡め取る。

 テリハはアカザを武器ごと引きつけ、膂力で以って振り回す。

 彼が解放されたのはちょうど落ちて来た《足》の下だった。


「あの力は《黒鱗麒竜》といって、白鱗天竜の眷属のものです。物質の硬度を自在に変動させる力を持つ竜ですな」


 カガチの解説によるとその力の及ぶ範囲は白鱗天竜とほぼ同じで、魔術に対する防御機構を備えていない武器や防具にも及ぶ。うかつに近づけば得物をふにゃふにゃにされてしまう危険もあるというわけだ。

 動画は何度も見直したので、展開はわかっている。

 そのあと、テリハは襲い来る《足》や罠を仲間たちの助けを借りながら破壊し、ふたりを撃破してサカキに敗北を認めさせた。

 他のメンバーの能力も凄まじい。ヒギリは言うまでもなく、ナツメの《氷幻水竜》は水を操れるだけでなく、全身を水・水蒸気・氷の三形態に《変化》させることが可能だ。イチゲの《光幻火竜》は背中のユニットで太陽光を貯め込み、銃弾にして発射する。近・中・遠距離に対応できる万能の狙撃手だった。

 個々人の能力が高いことは言うまでもない。

 何よりその上、連携がキッチリしてる。

 あの、いかにも《自分の力を見せつけたくてたまらない》ってタイプのヒギリが、誰よりも多く被弾し真っ先に戦闘不能、戦線離脱するはめになるかもしれないとわかっていて防壁を破りに行ったのだ。

 テリハの持つ統率力、そしてチームワークのなせる技だった。

 急ごしらえの僕のチームでは、こんなこと……つまり、正攻法に正攻法でねじ伏せて勝つ、なんてことはできない。


 勝てない。

 素直にそう思った。

 あのままぶつかっていたら、負けていたのは僕たちだ。


 僕とカガチ、そして人形になってしまったサカキは例の会議室にいた。生徒たちは授業中。七日後の試合に参加するメンバーを決めるため、彼らからレクチャーを受けていたのだ。

「ま、誰を入れるとしても、マスター・カガチを外すわけにはいかないでしょうね~」

 自鳴琴の蓋に腰かけたサカキがつまようじみたいな杖を掲げて言う。

「教師どうしで組むことってできるの?」

「昨晩から続けていた解析で、禁止事項のいくつかが解除されていることが判明しました。可能です」

 たとえ誰が相手でも、キヤラには勝算があるということか。

 マスター・カガチを組み込むことができるのだとしたら、戦闘力は各段に上がる。

 理屈で考えたらそうしたほうがいい。翡翠女王国の魔術で一番強いのは竜鱗魔術だ。そして竜鱗魔術師の強さは鱗の枚数で決まる。


 強い者が戦うべきだ。


 ……そのはずだ。

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