33 誰のために、何のために

 本当は、こんなはずじゃなかった。


 天藍は星条百合白の騎士として、竜鱗騎士団の団長として、色んなものを背負い過ぎてる。だから、学院の《校内戦》でなら、騎士でもなく団長でもない何も背負わないあいつの実力が示せるって……でも途中からおかしくなっていった。

 議場に戻るとウファーリとイチゲがしげしげと人形を眺めているところだった。

 ふたりは人形の両腕を掴んで引っ張ったり、制服の下がどうなっているのか確かめようとしている。

『丁寧に扱ったほうがいいよ、ソレはあくまでも人形に見え、人形としてしか扱うことができないだけで、本人なんだから……ま、ボクはどうでもいいケド』

 慌ててふたりが弄んでいる人形を奪いとった。

 手に持つと気味がわるい感触がした。見た目はただのフェルト人形で布と綿の感触がするだけなのだが、なんだか人間の皮膚と肉を直接触っているかのような生々しい重みがあるのだ。

『手がちぎれれば本人の腕がもげるし、水に沈めれば溺死するよ。何しろ本人の魂丸ごと入りだからね~、ちなみに感覚も意識もあると思う』

 僕は慌ててふたりにもそのことを伝えた。

 イチゲは目を見開き、唇を戦慄かせた。

「何ソレ……じゃ、私たちも試合に負けたらこうなるってこと? そしてテリハ先輩もお人形になれば、身も心も永遠にイチゲのものってこと……?」

 後半の台詞は聞かなかったことにして、僕は頷いた。

 試合に参加した以上、カリヨンの裁定と自鳴琴のルールは絶対だ。

「ハ! 上等!」

 黄水が闘志をあらわに、右手の拳を反対の掌に打ちつける。

「腹は立つが、俺は天藍の意見に賛成だ。要は勝てばいいんだろ、勝てば!」

 単純だが、こんな訳の分からない展開に巻き込まれて闘志を維持し続けているというのは凄い。たぶん才能だ。

 テリハは物憂げではあるが、静観、といった風でもある。

 僕たちの側はというと、無理やり巻き込んでしまったイネスが落ち着いてくれているのが幸いだった。

 ウファーリに視線をやると、金色の瞳が僕をまっすぐに見据えてくる。

「先生、あたしはこの試合に参加したこと、これっぽっちも後悔してないからな」

 心の中を見抜かれたみたいで、僕はかえって言葉を失う。

 僕が選ばなければ、イネスもウファーリも天藍も、負けたら人形になるなんてバカげたルールに巻き込まれなくて済んだはずなのにって気持ちを。

「でも、これからいったいどうすれば……」

「政府との交渉は理事に任せるとして、至急、新しいメンバーを選出し、調整をすまさなければいけませんねえ。自鳴琴の解析も急がれます」

「ああ、そうか、そうだよね……」

 キヤラは学院の最強の魔術師五人と、と言っていた。

 彼女はこれまで、学院と藍銅の魔術、その決戦に持ち込むために手段を選ばなかった。

 試合は絶対に危険なものになる。そして、今度は借金返済のためのその場しのぎではなくて、僕とともにその危険を背負う者を選びださなければならない。

 無意識にここにいるメンバーの顔を見回していた。

 全員が、僕を妙な目つきで見つめている。


「……んッ?」


 ようやく、違和感に気がついた。

 さっき、僕の独り言に答えたのは……誰だ? 女でも、子供でもない声だった。

 手の中で、むずむずと妙な感覚がする。緊張に凍りつきながら、視線を巡らせると、手にした人形がもぞもぞ動いているのを発見した。

「わ、うわーッ!!」

「ちょっと、落とさないで! 私ですよ、サカキです」

 文句を言ったのは、手にしたサカキ人形だった。ひょこひょこ手を動かして、抗議している。

 僕は必死に正気を保ちながら、恐怖のあまり人形を投げ捨てないように耐えた。

「マスター・サカキ!? 喋れるの!?」

「ええ。コツを掴めば簡単でしたよ」

 台詞に合わせてデフォルメされた口や表情が、アニメーションのように動いている。

「プリムラとオガルには当分、無理でしょう。何しろ私は天才ですので……。いやあ、いいですね、欠陥の無い健康な肉体って。生まれたときからこの体があれば、女王国の魔術研究はあと十、いや百年は進んだものとなっていたことでしょう」

「っていうか、そんな性格だったっけ……」

 カガチがにこやかな笑顔で「いつも通りのサカキ先生ですな」と太鼓判を押す。

 いいのかな、その判は。押しても。 

「ちょうどいいわ、マスター・サカキ。動けるんなら、自鳴琴の解析を任せます。キヤラ公姫が鍵を使ったせいで、ルールに異常が出ている恐れがあります」

 まるで何も起きなかったかのように灰簾理事が指示を出す。

 魔法の学園では、こんなことは日常茶飯事なのかもしれない。

 あるいは、時間がないのだ。

 期限は一週間。何かをするためには短く、何もしないでいるには長すぎる時間だった。


「……あれ?」


 事態は解決していないものの、騒動が落ち着きをみせはじめ、ようやく気がついた。

 誰かが足りない気がする。

 タイミングよく「遅くなりました」という声とともに扉が開いた。

 革靴を履いた足が、僕の方にやってくる。

「すみません、海市に入った途端、多重追突事故に巻き込まれまして。重篤な患者の治療をしないわけにもいかず……!」

 僕と同じくらい最高に運が悪い男、リブラだ。きっとオガルの占術がまともに効いたのだろう。

 だが、それより――僕はここに至って、自分のいたらなさで招き寄せた事態に気がついた。

 まずい。

 イネスがその場に立ち上がった。

 顔に消えない傷を刻んだ若者を視界に入れて、リブラが息を詰めるのがわかった。

「どうして……ここに……?」

 焦燥に焼かれた声が、いつもは冷静な唇から吐き出される。

 リブラと、図書館の警備員の間にはただならぬ因縁がある。ふたりは五年前、銀麗竜の侵攻の際、出会っている。そしてイネスは銀華竜の一件で、親しい付き合いをしていた元上司を亡くした。


 その上司を殺したのが、リブラの養女だ。



             ~~~~~



 中庭を挟んで、リブラとイネスが深刻な顔をして何事かを話している。

 物陰からこっそり、ふたりの様子をうかがう。

 気まずいオブザイヤーを大受賞しそうな光景だ。

『何してるの?』

「血みどろの復讐劇が始まらないかどうかの監視だよ……」

 もしかしたら、ふたりはお互いの存在を知ってはいても顔までは知らないかもしれない、という甘い考えはとことん甘かったみたいだ。

『マリヤといい、命を助けて貰ったんだから感謝こそすれ、恨まれるいわれはナイと思うけど』

「人間はそんな単純にはできてないんだよ」

 あくまでも事件を起こしたのはマリヤだ。養父であるリブラに怒りをぶつけるのは間違っている。

 でも、感情の伴わない正しさは、親しい人の死を納得する理由にはならない。

『じゃ、どうしてイネスをチームに入れたのさ』

 殺されかけて、必死で、あとのことを考えていなかった、というのが本音だ。

 ふたりはしばらく話し込んだあと、イネスのほうが黙ってその場を去っていった。

 流血沙汰も、殴り合いのケンカも無し。

「彼のことを知っていたんですか?」

 リブラがやってくる。盗み見していたのはバレバレだったみたいだ。

「しばらく前にね……」

 ここまで来たら、もう、観念するしかない。

 リブラは深いため息を吐いた。

「仕方ありませんね。彼は試合のことを知って、元々会うつもりでここに来たようでした」

「マリヤのことは、言ったの?」

 リブラは肩を竦めてみせた。

 マリヤのことは、無かったことになったから、大尉の事件も解決しないままだ。何も進展の無いまま取り残される形になった事件の関係者の気持ちは、想像を絶する。

「それも、紅華のため?」

「それ以外に何かありますか」

 紅華、という名前を耳にした瞬間、リブラの顔つきが変わった。

 リブラは紅華のためなら、どんなことでもやってみせる。どんな理不尽も飲み込むし、納得し難いことでも耐えられる。憎しみの対象になったとしても、構わない。

 星条百合白を守ろうとする天藍と同じだ。

 大切なものを守るためだ。


 なんのために戦う?


 その問いに答えることのできなかった僕とは違う。

 もちろん、暴力はいけないことだ。きちんと話し合って誤解は解くべきだし、それこそが正しい判断で、間違ってなかったという自信もある。


 でも、あのとき――。


 天藍は自分の信念に基づいて剣を抜いた。

 僕を友達だと思うから、ウファーリは立ち向かった。

 それなのに、僕は誰のためにも戦わなかった。


 そのことが、喉に刺さった魚の小骨のように、思考から取れない。

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