自分に素直になって
31 魔女の胎動
誰かが肩を叩いている。
重たい瞼をこじ開けると、そこに彼女の名を必死に呼ぶ者がいた。
キヤラが薄目を開けて手を伸ばすと、彼は血に染まった掌を握りしめた。
「よかった……!」
神様、と口走ったのが聞こえた。
そんなに都合のいい神様なんていない、と彼女は思ったが口に出す余裕は無かった。
ふたりは燃え盛る炎と煙に包まれている。ちりちりと肌を焼く熱が、生命の限界を伝えてくる。
「大丈夫。絶対に君を守るよ」
彼は華奢な彼女の体を強く抱きしめた。
「守らなくていい……守れるわけない……」
生きるため、生き残るための道筋がゆるやかに閉じていくのを感じた。
だが未来が断たれるこの瞬間をこそ、彼女はずっと待ち望んでいたのだ。
これで、炎がふたりを焼き払うまでの間、ずっと一緒にいられるのだから。
「ごめんね、僕は最後まで君の力になれなかった」
彼は優しく彼女の頬を撫で、瞳を覗き込む。
彼女は微笑んだ。血塗れで歪んでみえただろうが、それでも構わない。
「ずっとわかってたんだ。僕がそばにいたら、君はいつか死を選ぶことになる。君にそんなふうになってほしくないのに……」
こんなにも幸福な瞬間を共有しているのに、彼は寂しそうな瞳をしている。
どうしてなのか、彼女には理解できなかった。
「誓うよ。ずっと、ずっと君のいちばん近くにいるって。そして君を守るよ……」
その瞬間、若者の体に刃がねじ込まれ、腹部から鮮血が噴き出すのが見えた。
苦悶の表情も。
それはふたりを執拗に追い回していた死神だった。
「大丈夫だ」
悲鳴を押し殺し、彼はそう言った。
「ずっと一緒だよ、キヤラ……!」
血塗れの体は持ち上げられ、焼かれながら炎の向こうへと消えて行く。
そこで、炎の世界から、キヤラ・アガルマトライトの意識もまた現実へと引き戻された。
目の前に広がる光景は、過去の地獄とはまた別の事象により真っ赤に染め上げられた地獄だった。
年月によって廃屋と化し、手入れされないまま朽ちかけた屋敷の一室。
かつて絢爛豪華な晩餐が並んだだろう長机の上に燕尾服を着た若い男の死体が寝かされていた。両手両足に杭を打ち込まれ、身動きできないでいる男の呼吸はとうに止まっている。
キヤラは男の灰色の髪を撫で、乱れを直してやった。
胸を縦一文字に切り開かれ、肋骨はへし折られて、むき出しになった心臓に杭が打ちこまれた首なし死体を、キヤラに抱えられた頭部が見下ろしているのだ。
「お姉様……あの~、終わりましたぁ?」
キヤラの妹、シウリが隣の部屋から妙におどおどしながら顔を出す。
「終わったわよ。でも本命のニムエには逃げられちゃった♪」
「ええぇ?」
カーテンを開けると、日差しが差し込む。
太陽を浴びたところから、全てが灰になっていく。
あっという間に成人男性一人分の灰の山が完成した。
残っているのは、天井や壁紙に飛び散った大量の血液のあとだけだった。
彼女は手の中で灰になり、さらさらと流れ落ちて行く執事の最後の一粒が床に落ちるのを見届け、台所へと移る。
そうして、目をつけていたベレノス夫人の遺した薬棚を開いた。
夫人が末期のときまで捨てきれず、己と違い老いもせず死にもしない吸血鬼を引き入れてまで遺そうとした妄執の結晶だ。
真理を求め、探求の果てにあるある種の美を探しながら、魔術師たちの死に様はいつも醜悪だ。
「……聞いていた数よりひとつ足りないな。それで思ったより足が軽かったんだ。吸血鬼を縛り付けておくならも少しシッカリやっといてよね」
「逃げちゃったほうは、どうするんですかぁ?」
「今はそれより舞台に行きましょ。そろそろい~い感じに会場、あったまってきてるハズよ~♪」
キヤラは邪悪な笑みを浮かべながら瞳を爛々と輝かせた。
~~~~~
マスコット人形を拾い上げる指先が、どうしようもなく震えた。
手の平サイズの人形は、どこからどう見ても消えたオガルにそっくりだった。
着ている制服も、容姿も、デフォルメはされているもののかなり精巧に再現されている。
「こ、これ、マスター・オガル……なの……?」
震える声で誰へともなく訊ねる。
確かに、ルールに違反すれば何らかの罰があることは示唆されていた。
でも、こんなことまでやるなんて、まるで狂気の沙汰だ。
「カリヨン殿、オガル先生を元に戻してくれませんかな?」
マスター・カガチはカリヨンに向けて剣の切っ先を向けたままでいる。
言葉遣いは丁寧でも、断れば斬る――剣とともに抜き放たれたままの、凄まじい殺意がそう言っている。
カリヨンを力任せにどうにかしようという奴は、カガチだけじゃない。
天藍も師とともに双剣を抜き、観覧席のサカキも魔術を発動寸前まで組み上げている。何らかのキッカケでカリヨンはこの場にいる全員の全力による総攻撃を食らうことになるだろう。
それでもカリヨンは余裕をみせていた。
《なァ~にか勘違いされておるようですな~。これは魔法による、魔法のための、魔女と魔術師たちの祭典なのですぞ? 命がけの狂乱、血と肉を断つ絶望の果てにこそ真理を見出さんとする心意気、それが魔術師の神髄というもの!》
オルドルといい、こういうバケモノどもの理屈は心の底から吐き気がする。
「いけませんわ、カガチ先生。抵抗は無駄です」
紫水プリムラがカガチに語りかけた。
「血を奪われているのよ。それを取り戻さないかぎり、今のあいつは私たちを猿にだって変えられます。マスター・オガルには気の毒だけれど、試合が全て終わり、自鳴琴の儀式が完了すれば元にもどるかもしれません」
断定しないということは、戻れない可能性もあるということだ。
カガチは鋭く目を細めた。
「魔法生物の良心に賭けるか、それとも己の技に賭けるか、その答えは自ずと出るようなものですがな」
自鳴琴を即破壊しようとしたカガチの行動もある意味正しい。
カリヨンの良心にオガルの命運を預けるより、この場の誰かの攻撃がわずかな可能性をかいくぐって届くなら、それはある意味確実なやり方だ。
「どうすればいい、いったい、どうすれば……?」
僕はオガルに聞かなくてはいけないことがたくさんあるんだ。
「そんなの簡単♪ ルールを変えてしまえばいいのよ♪」
聞き覚えのある声が空から降ってきた。
見上げると太陽の眩しさで目が眩む。
光の中に隠れるようにして、箒が急速に降りてきた。輝かしい桃色の髪がふわりと広がり、逆さまになりながら、長い指がカリヨンを掴んだ。
「つ~かまえたっ☆」
ピンク色の唇で無邪気に笑い、箒から飛び降りる。正しい上下で地面に降り立ち、愛想をふりまく――キヤラ公姫だ。
誰もが突然現れた藍銅共和国公姫、という存在に唖然としている。
騒動の渦中に、こんなにも平然と、さも当然と言うふうに飛び込んで来る神経は確かに理解できない。
キヤラはどこからともなく、小さな鍵を取り出した。
鍵は彼女の手元で虹色に輝いている。
《アーッ、チョットチョット、おやめください!!》
カリヨンが逃れようともがいている。
「みてみて♪ 自鳴琴の鍵よ。これがあればルールを書き換えることができるの」
「なんでそんなものを、キヤラ……公姫が持ってるんだ?」
僕の当然の疑問に、彼女は平然と答える。
「カンタンよ。もともとこの装置は学院の創立と同時期に藍銅から贈られたモノだから。すっごく古いモノよ。でもこの鍵だけは王室が二つに分かれたときに、藍銅側だけに伝わったみたい」
「え~と……もしかしてそれを使って、オガルを元に戻してくれるってこと……?」
言いながら、違和感があった。彼女がそんな親切にしてくれる理由はどこにもない。
「んふふ♪」
《イヤーッ、汚されるゥー!!》
彼女は虹色の鍵をカリヨンの腹に近づけていく。
虹色の鍵穴が開き、先端を飲み込んだ。
放たれた七色の光が、それぞれ別の魔法陣になる。
キヤラの指先が魔法陣のあちこちに凄まじい速さで触れていく。その度に文字が反転し、図形が書き代わり、ひとつの大きな魔法陣に組み変わる。
「それは、キミたちの態度しだい♪ ってトコかな。見返りが欲しいなら要求を呑んでくれなきゃ」
彼女がパチン、と指を鳴らすと、台の上に設置されていたオルゴールの蓋が跳ね上がった。
開いただけではない。側面の板が四枚ともパタパタと外れて、中の仕掛けがせり出していく。大量の歯車が飛び出し、床一面に広がった。
キヤラは何かしようとしてる。僕はオガル人形を抱えたままウファーリと空中に逃れる。
危険を感じた天藍やカガチも退避する。
歯車はまるで目隠しのように重なりあい、かみ合いながら僕たちとキヤラを遮るカーテンになる。
カーテンが完成すると、今度は真ん中に亀裂が入り、次々に左右に開いていく。
仕掛け絵本が開くように、修練場の幅いっぱいに石造りの城が僕たちの前に現れた。
「おいで~、かわいい妹たち♪」
どこからともなく、彼女の声とオルゴールの音が鳴り響く。
合わせて、おごそかに門が開き、白い煙と光が噴出した。
何かの攻撃かと思ったが、違う。
煙が晴れたそこには、キヤラを中心に四人の姉妹たちが並んでいた。
妹たちはそれぞれミニスカートの衣装を着ている。白を基調としてガレガは紫のスカート、アニスは黄色い帽子、シウリはオレンジのバンダナ、レンブは赤いグローブ……といった小物を身に着けている。
キヤラだけが黒いミニドレスにピンク色のブーツをはき、姉妹たちの中央でポーズを取っている。
まるで、五人組アイドルみたいだ。ただし、狂ってる。
「藍銅共和国公姫の名において宣言します。私たち――この《校内戦》に参戦するわ」
壮大すぎる演出に、人形を握りしめたまま呆気に取られていた。
人間が人形になったり、犠牲者が出たり、おかしなことが続き過ぎて脳の処理がもう追いつかない。
「あの女、頭がおかしいんじゃないのか」
天藍が真顔のまま言う。
「ああ、ほんとにイカレてる」
反論材料がどこにも見当たらなかった。
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