6 予感

 イネスと話したあと、新しい教室の生徒を募集する、その面接があるので、三時間だけ眠って図書館を出た。十五分ほど歩けば学院に到着する。今日は朝早いので、ウファーリは無しだ。

 さて、僕の教室の、仰々しい両開きの扉の前には人だかりができていた。

 告知だけ事務官に頼んではいたけれど、こんなに集まるとは思わなかった。

 二十……いや、三十人はいる。

 おいおい、こんなに集まってどうするんだよ、という言葉が喉から出かかった。

 全員を面接するのは骨が折れそうだ。

 でも、彼らから僕の姿が見えるくらいの距離になると、それは全くの杞憂だったことがわかった。

 彼ら、彼女らは表情を明るくさせて僕に挨拶して、口々に同じことを訊く。


「先生、銀華竜をどうやって倒したんですか?」

「魔術を見せてください」


 その瞬間、僕の体温が二、三度下がっていくのを感じた。

 あと数秒もすれば、たちまち僕は冷酷な人間になってしまうだろう。


 銀華竜――――。


 昔から、基本的には僕はあまり周囲になじめない性格だったと思う。だからこういう空気は何度も経験がある。


「……悪いけど、銀華竜とのことは僕からは話せない。それから、僕の魔術は簡単にみせられるものじゃない。ものを買うのと同じように代償がいるんだよ、ただじゃない。それに今日の募集はマスター・カガチと戦うことが前提だ、彼と戦う覚悟がある生徒だけ、入って」


 それだけ言うと、あたりがしんと静まりかえる。

 この沈黙と、自分と他人の境界線がハッキリする一瞬。

 全身が緊張して、息がしづらくなる。僕が折れれば、適当にあしらえば、すべては丸く収まるのに、という一瞬だ。

 でもこの話題だけは、おざなりにはできなかった。

 日本にいた頃なら、そうではなかったと思う。適当に楽しませて、ごまかして、冗談を言って、それで終わりにしたと思う。

 自分が本当は何を考えて、どうしたいのか、黙っていられたはずだ。

 異世界にきて、僕は変わった。

 本来の、人付き合いの悪いいやな奴になってる。

 沈黙を背負って教室に入り、教卓の前に立つ。

 誰も入って来ない。

 そりゃそうだ。

 僕が生徒の立場だったら……というか、僕だってほとんど生徒の立場なのに、僕に教えられたくはないだろう。


 先月、僕は天藍アオイと組んで、一頭の竜を殺した。


 伝説やアニメに出てくるような竜だ。準長老級といって、女王国のランク付けで上から二番目に来るような巨大なやつだった。

 僕たちはこの竜を殺し、その過程で二人の人間を殺した。

 玻璃・ビオレッタ・マリヤという少女と、《僕》だ。



            ~~~~~



 結局、面接会場に人は集まらず、教員食堂に行ってだいぶはやめの昼食を摂ることにした。


「どうしようかなあ……校内戦のメンバー。今の僕はウファーリよりもぼっちだよ」


 もともと教員のためにしか解放されない食堂の利用者は僕ひとり。

 立ち働く食堂の調理員がいるだけ。


「暗い顔してるな。何もかもうまくいかない、くすぶってるやつの顔だ」


 訂正する。前の席の椅子を引き、自然に腰掛ける制服……姿の、大宰相がいた。


「くすぶってなんかいない」

「そうか? そうは見えない」

「そんなことより、コスプレして不法侵入するのはやめろ……というか、よくここがわかったな」

「教室にはいなかった」


 そういう意味じゃない。

 黒曜ウヤクは目が悪い。彼の魔術は使えば使うほど、視力を要求するのだ。

 だが、大宰相は何でもなさそうな顔だ。


「ああ……一度、暗闇にしてしまえば見えるからな。そうして距離を覚えておけば問題ない」

「あ、そう。……それで、昨日のチート能力者はどーなった?」


 たぶん、黒曜はその話をしにきたんだろう。


「察しがいい。……まだ意識が戻っていない」

「歯切れの悪い言い方だな」

「目覚めないほうがいいかもしれない」


 ケガ人が、目覚めないほうがいいなんて、縁起でもない。


「まあ、それはいいんだ。そっちの話を聞かせてもらいたい」


 黒曜は机の上に、血まみれのカードを置いた。

 その隣に、食事の皿があるのが見えないのだろうか。ちなみに皿の上には小さな芋の丸揚げと、春巻きの皮みたいなやつで包まれた何かしらがある。

 学生証みたいだ。カードには、昨日のチート能力者の写真が張りつけられている。


「……古銅こどうイオリ」


 そして、記載された高校名は、やっぱり僕の思った通りのものだった。


 私立緑都館高校。


「私立の進学校だよ。超有名。政治家とか医者とかどこかの会社の社長の息子とか……まあそんなやつらがこぞって入れようとするところ。頭もめちゃくちゃいい。大したことじゃないけどさ」

「いや、私の知識にはない校名だった。頭脳明晰、家柄もいい……何故そんなやつがナイフを振り回して大暴れするのか想像もつかないが」

「ナイフ持って大暴れ? なんの話だ?」


 黒曜が言うには、だが。

 リブラと紅華は、扉から現れた《古銅イオリ》とやらを迎えに行き、そこで襲われたらしい。よく殺されかけるやつだな、というのが僕の感想だ。


「部活動に優れている、という話を聞いたことは無いか?」

「いや、そういうのは全然。体育会系が強い、みたいな話は無いよ」

「情報提供、感謝する」


 聞くだけ聞いて、黒曜はさっさと立ち上がった。

 こちらとしても、あまり長く顔を合わせていたくはない。


「そうだ、ひとつ教えておこう」


 彼は右目をぎゅっと歪め、左右非対称の顔になった。


「情報の礼だ。昨日、天藍アオイに会ったかね? あいつの周辺が少々厄介なことになっている。伝えておこう」

「はあ? 厄介って」

「翡翠宮の門をいつでも開けておく。それじゃ」


 黒曜は詳しいことは何も言わず、去っていった。

 相変わらず、何にもぶつかったりしない。


「……どう思う?」


 僕はテーブルの上のグラスに向かって話しかけた。


『…………』


 返事はない。

 ここのところ、ずっとだんまりだ。

 原因はなんとなくわかってる。

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