7
天藍アオイの周囲が厄介なことになっている。
昨日のおかしな様子を思い出す。何かを見ているようで、視線はさ迷っていた。
迷っている。
戸惑っている。
そんな表情だった。それは、黒曜の言う《厄介なこと》のせいだったのか?
黒曜の口ぶりは何か知っていて、敢えて語っていない。
こういう物の言い方をするときの大宰相は厄介そのものだ。
あいつは嘘と真を使い分け、真実で人を操る術を知っている。再び、僕を翡翠宮に連れて来たいんだ。でも何のためなのかわからない。わかるのは、誰かが強制的に僕を連れて行くとまずい、ということだ。多くは語らず、部分的に気になることを言って、僕の足で越させたいんだ。
前にもこんなことがあった。
すごくすご~く、嫌な予感がする。
知らず知らずのうちに学院の中を走っていた。
途中、知り合いの事務官とすれ違い、不思議そうな顔をされた。
面接をしていると思ったんだろう。でも違う。
「マスター・カガチ、何か知りませんか?」
息を切らした僕の姿を見て、カガチは最初、戸惑っていた。彼は座学のための教室にいて、別の教員と話をしていた。彼も竜鱗魔術師だということは、頬に埋め込まれた濃い紫紺の鱗でわかった。
教室に天藍の姿は無い。
知らない、大人びた顔が並んでいるので、上級生たちかもしれない。生徒の目を避けて廊下に出て、事情を話す。
「申し訳ありませんが、翡翠宮を離れて以来、そういった話は私のところまで降りてきません。たとえ生徒のことでも、翡翠宮は翡翠宮。先生のほうが詳しいでしょう」
そう、カガチは戸惑った表情で告げる。
唯一の手がかりを失い、僕も戸惑っていただろう。
「ずいぶんあいつに入れ込んでますな」
「妙な言い方はやめてくれ。天藍には貸しがあるし、校内戦に出て貰わないと困るんだ。それとも、そっちであいつを出すつもりがあるのか?」
「先ほどマスター・サカキとも相談していましたが、上級生を出します」
だと思った。天藍はカガチに心を開きそうもない。というか誰にも開かない。
問題はそういうやつを使うか、使わないかの差だ。
カガチはきっと使わない……そう思っていた。
「じゃあ、何も問題はないだろ?」
カガチは渋い表情で溜息を吐いた。
「ま……噂でよければ、話してもいいでしょう」
噂とやらの入手先がどこなのか、見当がつかないわけではないが、本筋ではないので黙っておいた。
話を聞き終わり、僕はしばらく開いた口がふさがらなかった。
話が本当かどうかわからなかったからだ。
判断材料も存在しない。
「……先生、本当にご存じなかったんですか?」
問いに答える間もなく、僕は学院を飛び出していた。
~~~~~
マスター・カガチが話してくれた。
天藍アオイはいま査問を受けてる。
騎士団を私的に使ったことでも、団長であることを辞める、と切り出したせいでもない。
天藍アオイが人間かどうか疑わしい、という理由だ。
なんだそりゃ――という話だが、端的に言うとそうとしか言いようがない。
天藍は銀華竜との闘いで無茶な竜鱗魔術の使い方をして、力を暴走させ竜人化しかけた。そのときの後遺症がまだ残っていて、彼はもともと五鱗騎士だったのが、軽く四倍程度の竜鱗が体内に埋め込まれて摘出できないままになっている。
残念ながら、常人には耐えきれない。
現在は増えた竜鱗を不活性化させて、何とか自我を保っているといった状態だ。
その事実が明らかになったとき、それを問題視する声が女王府内からあがった。
何かの拍子に、すべての竜鱗が活性化したら、天藍アオイは人としての自我を失う可能性が高い。高いというか、絶対にそうなる。
そうなったら危険だ――というのが、査問の理由だ。
初任給で奢る、という安請け合いを代償に、イネスのバイクで天市まで行き、そこから先は馬車が待っていた。
馬車の座席には赤い薔薇が一輪、置かれていた。天市の先には、個人の車両は入れない。翡翠宮の門は開けておく――。それがこの意味だろう。
翡翠宮に入った瞬間、澄んだ音がした。
りん。
それから、強い薔薇の芳香。
音に導かれるように、宮の奥深くへと入り込んでいく。
りん。
りん、りん、りん。
こっちだ、と案内するかのように。
音のするほうに走り、僕は議場に辿りついた。
それが何をするための部屋なのかはわからないが、そうとしか言えない。床には厚い臙脂の絨毯が引いてあり、両側に向かいあうように、古めかしい衣装を着込んだ男たちが並んでいる。
正面、少し高くなったところに、みじかい黒髪の少女が席に着き、退屈そうに視線を背けている。薔薇が飾られた真っ赤なドレス、紅色の瞳。手元で、小さな鈴を弄んでいる。
そのそばには黒衣の男が立っている。
彼は……黒曜大宰相と全く同じ服装をしているが、別人だった。ウヤクの影武者だ。
「王姫殿下!」
議場の高齢の男が声を上げる。
紅華は心の底から面倒くさそうに告げる。
「私の家の扉を開けたまでですけれど?」
王姫、紅華は僕に入るように、と促した。
紅華と対峙するように、天藍が立っている。
腕を組んで、無表情に。
薄い唇がゆっくりと開き、言葉を紡ぐ。
「……何しに来た?」
久しぶりに声を聞いた。
めちゃくちゃ不機嫌そうな声だった。
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