5 残酷



  翡翠女王国のどこか。

 どこかの暗がり。

 学生街の一角で、そこは家賃の安い下宿で、閉め切ったままの狭い部屋だった。

 まだ昼間で、他の部屋に人はいない。


「ふ……くくくく、くくくくくくくっ。これはすごい、すごいぞ」


 灰色の画面に映る景色を見て、痩せ、眼鏡をかけた男はひくついた声を上げた。

 手のひらの内側で籠った声で「ええ」とか「おお」といった、意味の無い、興奮した声を漏らす。

 テーブルの上にはモニターがいくつも並んでいて、そのひとつに映像がうつっている。

 それは動画ではあるが、電子通信網を利用して公的に観ることのできる映画や音楽などの娯楽ではなかった。その画質の荒さから、どこかの監視カメラの映像だと思われる。

 暗い部屋の中で、何度も何度も無意味に巻き戻しと再生を繰り返す。

 周囲には絵を多用した軽めの読み物の並んだ棚と、それらの作品をモチーフとした精巧な人形が置かれていた。こういった品物は、本来は《天恵》として流れ着いた高級品だが、その複製や模造品が女王国の若い世代で、ひそかな人気になっているのだ。

 ただ、スポーツなどの社交的な趣味や読書といった知的な活動に比べれば、不健康な遊びだと思われる傾向にあることは否めない。

 ボトル入りの飲料と体に悪いスナック類といった食べ滓が散ったテーブルの上で、男の興奮は最高潮に達している。

 動画には薄闇が映っていた。

 そこには開かれていく石の扉がある。

 激しい発光で画面が飛び、次の瞬間には、閉まりつつある扉と、その前に跪く血まみれの少年の姿。

 そして、彼に近づいていく男女の姿が映りこむ。

 それは本来あってはならない、存在しないはずの動画だった。

 だが、裁判所の職員である仲間がこっそりと隠しカメラを置き、仲間内にその映像を共有してきたのである。

「こ、これって、王姫殿下じゃないか……!? いや、まさかな。くく、くくく……」

 飲料に伸ばした、と思った手が、何かを掴んだ。


「んふふ♪ 勘違いじゃなく、私もおんなじ意見だよぉ、窃視症のド変態さんっ♪」

「…………!?」

「あれはどこからどぉみても紅華ちんだと思うんだよねッ♪」


 掴んだと思ったものは、女の手だった。

 白くて柔らかく……。女の手に触れた経験があるわけではないが、そこには、部屋に並んでいる人形たちの一角を占める、美少女人形のような掌があった。

 実際の女には、しみもにきびも日焼けも皺もある。

 だが彼女の手には、そういったムダな一切が無く、ただ若い白い肌だけで構成されていた。

 彼の痩せた手を握り、するりと撫でて手首を掴んだ。


「なっ……! いったい、どこから!?」


 男はどちらかというと驚きによって表情を強張らせる。

 背後に、いつの間にか若い女が立っていた。


「さぁて問題です♪ 私はどこから入って来たでしょう! ――マヌケな質問ね! 実際問題入って来てるんだから、どこかしらから入って来たのよ。ルートなんて関係ないじゃない。そんな質問されたら、こっちまでバカになっちゃうわ」


 女は急に機嫌を悪くした様子で、鼻を鳴らす。


「マヌケな質問をした罰よ♪ 私に知性を返してちょうだい♪」


 そしてまた突然上機嫌になり、男の肩を反対の手でつかむ。

 次に手首を、無造作に《引っ張った》。凄まじい力だった。肩から肘、肘から手首にかけての筋肉繊維が伸び切り、皮が裂け、血管が切れて血が噴き出す。関節は外れ、力任せといっていい腕力で、引きちぎられていく。


「うぐぎゃッ!! あぐあ! ――――――――――――――――――ッ!!!!」


 男は声にはならない叫びを上げる。

 千切れた腕を無造作に捨てる。


「アナタたちどこに接続してると思ってンのよ。お行儀のいい電子通信網じゃないのよぉ? ずぶの素人がウロウロしてるんじゃないっつのよ」

「……お姉様、そろそろ時間です」


 狭隘な部屋の暗がりから、もうひとり、声がする。


「わ~かってる! 末妹はうるさいなあ♪」


 彼女はそう言って、イスの上でのたうち回る男の膝に腰かけた。女の臀部に押さえつけられ――さほどの体重があるわけでもなし――大腿部の骨がイヤな音を立てた。


「ぐあああ~~~~っ」

「あ~あ、退屈だわ。本当に退屈……退屈だから、この映像、貰っていくわね~!」

「なっ……テメ、てめぇ!!」

「動いたら殺すわよ♪ 大丈夫よ、私もそこまで鬼畜じゃないんだもん? 作業が終わるまで椅子として立派に役目を果たしてくれたなら、ちゃんと治してあげるから♪」


 男は掠れる声で「本当か?」と訊ねた。

 突然自室に押し入って来た不法侵入者に対する怒りはもう消えていた。

 恐怖で震え、縋る声音だった。

 女は男の胸に甘えるように寄りかかる。

 そして恋人にするように、甘える猫のように、額と柔らかな髪を擦りつけた。


「ほんとよ……♪ 私うそはつかないの。なぁに? 不安なの? じゃあ、ねえ……ちょっと、お話でもしてあげようか? 小さい頃ママがしてくれたでしょ? 昔々……って。男の人って結局はママみたいな女の子が好きなのよね?」


 男の泣き声が響きはじめる。

 いやだ、とか、もういい、とか、やめてくれ、といった懇願が聞こえる。

 声量はどんどん小さくなり、言葉は無意味になる。

 しゃくり上げるようだった嗚咽も力を失くしていく。


「昔々……」


 女は夢見るように、男の硬い胸の上で目を閉じる。


「ここは偉大な魔法の国♪ ――あたしは愉快な歌劇姫♪」


 事切れた心臓の音の上で、真っ赤な唇が弧を描いた。





                *****





 結局、当面の寝床である《市民図書館》に帰り着いたのは明け方近くだった。

 もう少し早く戻れると思ったのだが、海市に出た後にさんざん迷い、時代を感じさせる古めかしい装飾過多な建築物を前にしたときは空の片端が明るかった。

 正面は当然閉まっている。

 カフス型の身分証で裏手の通用口を開け、中に忍び込む。

 バックヤードにまで、古い紙とインクの臭いが凝り固まっている気がする。

 そんな闇の中を抜け、そっと足音を忍ばせて閲覧室へ。


「た、だ、い、ま~……よし、誰もいないな」


 カウンターの前を通り抜け……ようとしたところで、ぼすっと音がして頭を何かで叩かれた。

 振り返り、見上げると、警備員の制服を着た赤毛の若者が丸めた雑誌を手にしている。

 イネス・ハルマン。見た目は女王国の平均的な若者。僕の感覚で行くと、少し派手な頭の色をした欧州系の若者に見える。顔の目立つところに古い傷痕があり、気さくそうに笑うと引きつれるのがトレードマークだ。


「おはよーございますヒナガ先生。朝帰りとはやりますね!」

「ばれたか……。いや、そういういいモノじゃなくて、ただ一晩中道に迷ってただけなんだけど」

「なんです、水臭い。呼んでくれれば迎えに行ったのに」

「君、夜勤じゃなかったの」

「いいえ、昨日はアリスさんと徹夜で鑑賞会」


 イネスはそう言って腕につけた細身の腕環の、スイッチを押す。

 空中に投影された映像から、賑やかな音声や歓声が聞こえてくる。

 映像の中心に色とりどりに照らされたきらびやかなステージがあり、華やかな衣装をまとった若い女の子たちが踊っている。

 これは、僕の知識にもある芸能だ。

 アイドルのライブステージ。


「ミーハーだなあ……」

「いやあ、それほどでも!」


 イネスは照れ笑いの表情で頭を掻いている。褒めてない。全然、褒めてはない。


「今度、先生も一緒にどうです?」

「いやあ、僕はいいよ。あんまり興味無いし……」


 歌い踊る女の子たちが飛び切りカワイイことは認めるけれど、彼女たちを応援する気持ちにはあまりなれない。将来に対する不安と展望の無さのせいで、歌や踊りをのんびり鑑賞している心の余裕がないんだ。

 なにしろ、借金返済の期日はささやかな自己逃避の時間すら与えてはくれない。

 はやく校内戦のメンバーを揃えなければ、僕は謎の儀式に痛い目みせられる。


「にしても、こういう動画ってどこから入手してくるものなの?」


 訊ねると、「えっ」とひと言声を上げた若者が怪訝そうな顔つきになる。


「……違法なヤツじゃないっすよ」


 妙な顔をされる。それはそうだろう。よけいな心配をさせてしまったみたいだ。

 仕方なく僕は伝家の宝刀、《世間知らずなもので》を抜いた。

 本来、気の利く性格であるイネスは、苦笑しながら教えてくれる。


「最近じゃ、ほとんど電子通信網ですよね~」


 予想通り、というかなんというか。魔術が禁止されていた翡翠女王国は、それを埋めるためにある程度科学が発達している。僕がカフス型の通信機でメッセージを送ったりするのにも、要するに女王国版インターネットを利用しているのだ。

 通信機は、カフスにはまった鉱石の魔力によって動く。

 しかし、それは電気を利用するか、それとも魔力を利用するかだけの違いで、やっていることは日本とだいたい同じ。

 またもや、崩れていくファンタジー感。

 でも仕方がない。人間の便利な生活とは、究極的にいえばどの世界でも共通していて、賢い人類はどの世界線でも、その脳味噌を使って高度に張り巡らされた電子の海にてアイドルの動画を見るのだろう。いや、知らないけど。


「ただ……《魔術通信網》のほうは、それそのものが違法っていうか、根本が違いますけどね……」

「《魔術通信網》?」


 聞きなれない珍妙な言葉をオウム返しにすると、イネスは口元を覆って、まずいな、という顔を浮かべた。


「……それは品行方正な先生の知らなくてイイ世界の話です。それじゃ!」


 そそくさと朝食を買って来る、と言い訳して裏口から出ようとするイネスに、一応訊いてみる。


「あのさ……あとひとつ。イネス。君さあ、マスター・カガチと戦う気、無いかな?」


 いい歳した元軍人の青年が、通用口の段差を転がり落ちる派手な音がした。

 一応見に行くと、まさにその通りの現象が起きていた。


「無理です無理無理!!! 正気ですか!!? 正気で言ってるんですか!! 脳味噌ちゃんと頭蓋骨に入ってます!?」


 イネスはどちらかというと日頃、僕がよくやるような一般人らしい戸惑い方をしてくれた。


「あ……そう? やっぱり無理かな?」

「俺には先生が竜巻に立ち向かおうとするアリに見えてます!!!!」


 マスター・カガチは現在は魔法学院で教鞭を取る立場だが、以前は軍属で、女王国の南側を預かり指揮を取っていた。功績もものすごく、《英雄》と呼んで差し支えない立場だ。

 所属はまるで違うが、同じく軍人だったイネスはその凄さを僕よりよほど正確に理解してるのだろう。

 地面を這うアリには、嵐の大きさはわからないのだ。

 それにしても、天藍アオイが校内戦に出てくれないのなら、どうにかして代理を見つけなければいけない。

 今日、翡翠宮で偶然会った天藍の様子はやっぱりおかしかった。

 もともとあまり表情の変わらない、冷たい雰囲気の奴だったけど……中学高校とスクールカーストの底辺にいて、他人の顔色を伺いながら生きてきた僕にはその微細な変化がわかる。

 もちろん、僕とあいつは仲良しこよしのお友達、というわけでもない。

 天藍は竜鱗騎士団という、翡翠女王国の王室を守護する騎士団の団長だ。その縁で、なり行き任せに知り合いになり最初はお互いの利益だけで組んでいた。

 ただ、僕はあいつに何度も助けられたし、その実力も性格も知っている。

 校内戦に僕の教室のメンバーとして出ないかと誘ったのもそのためだ。

 竜鱗魔術の翼で空に上がってく姿が儚げな幻みたいだったのは、いささか現実離れした優れた容姿のせいだけじゃないはずだ。


 どこか悲しそうだった……そう感じたのは、何かの間違いだろうか。



 








 

 

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