3 チート能力は突然に
どたーん、ばたん。
騒々しい音を立てて、僕たちを引っ張る力から解放された。
「ぐえ!」
「起き上がってはいけません。伏せて!」
僕を地面に押し付ける強い力……は、マスター・カガチのものだった。咄嗟に守ろうとしてくれたのは理解可能なんだが、気分はダンプカーに潰されるアマガエルだった。
そんな僕とカガチを見て、けけけ、とかくくく、みたいな意地の悪い笑い声を立てる存在がいた。
あたりをうかがうと、そこは魔法学院のどこでもなかった。
白い清潔な空間で明るく、闇に慣れた目が悲鳴を上げる。
「なかなかいいコンビじゃないか、君たちも…‥‥」
聞き覚えのある声がする。
部屋の中央に、清潔な何もかもに馴染まない黒い存在が立っていた。
見た目は十五歳の少年に過ぎない。
床につくほど長い漆黒のマント、両肩には貴人であることを示す肩布、そして長い指に黒い弓を携えている。少し陽にやけた肌と鋭いナイフみたいな目つき……忘れはしない。
「黒曜大宰相殿……!」とカガチは実に嬉しそうに。
「げえっ、黒曜ウヤク……」と僕は吐き気をこらえる感じで。
彼の姿を目にしたことで、僕は自分の身に何が起きたのかを察知した。
僕らは、彼に呼び出されたというか、誘拐された。魔法の力で。
あの黒い闇は……あの不気味な弓がもたらす魔法の力の副産物だ。
黒曜ウヤクは翡翠女王国の国政を司る女王府……の重鎮、大宰相だ。
ウヤクと僕は知り合いどうしで、ただならぬ因縁がある。何しろ、お互い出身地が同じ異世界人で、たった二、三度顔を合わせただけで最終的には殺されそうになった。これが親しい間柄と言わずして何と言おう。
黒曜はまず、カガチに見たこともないような笑顔を見せた。
「久しぶりだなカガチ将軍! いや、今はマスター・カガチと呼ぶべきだった!」
「息災のようで何よりです大宰相殿。会えるとわかっていたら……剣を持っていない時で幸いでした。うっかり両断していたかもしれませんよ」
「悪運に恵まれたようだ。急ぎの用件だったものでな」
ふたりは知り合い……よりもっと親しい関係みたいだった。
そりゃそうだ。カガチは王家を守護する騎士団の、前の副団長だ。
だが、二人には役職以上の親しさがあった。
カガチは生徒にするように、どう見ても十五歳の少年にしか見えない大宰相の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。一応、そいつは魔術で加齢を止めてるだけで……カガチよりだいぶ年上なんだけどな。
「お前……よくもまた平然と、僕を呼び出せたな……」
黒曜は僕を見てニヤリと笑った。邪悪な毒蛇そのものの眼差しだった。
「なーに、今回は裏も表もなく、親切心から呼び寄せてやったのだ」
こいつの親切心など信用して堪るか。
「……で、ここは翡翠宮なのか? 病院みたいだけど」
「ご明察。ここは翡翠宮の一部だが……《医府》。つまり、女王や王族のための専門病院といったところか。ま、見てもらったほうが早いな。来てくれたまえ、カガチも」
黒曜はさっと立ち上がり、廊下に出る。
病院というわりに、廊下には妙に人気がなかった。
看護師とか、医師の気配が全然しない。消毒のにおいが漂うだけ。
わざと人払いしているように見えた。
こんなところに連れてきて、何を企んでるんだ……?
黒曜は病室のひとつに入っていった。
ベッドと医療器具のほかには何もない、窓すら存在しない、徹底的なまでに無機質な部屋だった。
「……?」
ベッドには……ひとりの少年が静かな寝息を立て、点滴と心拍をチェックする計器に繋がれていた。
「この事実は、君たちふたりのみに伝える。昨夜、久しぶりに裁判所地下の《扉》が開いた。彼はそこで発見された……つまり、異世界人だ」
黒曜は僕に意味深な視線を送ってきた。
僕は自分が異世界から来たということを隠して、藍銅共和国から来た、と嘘の経歴を使って生活している。その生活のすべてをお膳立てしているのが黒曜なのだ。絶対にバラすな、とでも言いたいのかもしれない。
「極めて異例なことですな。《扉》が開かれるのは、魔術に才ある者のみ……ということは、彼も魔法使いということですかな?」
カガチの問いに黒曜は首を横に振った。
「そういった事実は認められない」
僕はベッドの上の彼を観察する。
あくまで雰囲気だけど、僕よりほんの少し年上のような気がする。
顔立ちは僕や黒曜と同じく日本人らしい。
髪を染めているからか、わかりにくいけれど……なんだろう、妙な感じだ。
スポーツをやっているのか体つきは結構しっかりしてる。精悍といえば精悍な顔立ちで、でも整っているかと言われれば、そういう感じでもない。
同じ年頃の高校生に混ぜたら絶対にわからなくなる自信がある。
黒曜のように、明確な個性というか、主張がないのだ。
その点はごく普通の高校生、と表現してもかまわなさそうだ。
確かなのは……彼は異世界転移者だってことだけだ。僕と同じ。
ベッドの脇に、血塗れの制服がかけられていた。
シャツは赤黒く染まり、二度と袖を通すことはできなさそうだ。
黒地のジャケットやズボンのいたるところが切り裂かれている。
「あれ、このジャケット……」
あることに気がつき、声を上げた僕の視界で黒曜が口元に人差し指を当てた。
いけない。カガチがいる。
「……メチャクチャになってるけどいい生地だね……」
無理やり方向転換したが、上手い隠蔽とはいえない。カガチは怪訝そうな顔つきだった。
「彼の持ち物だった。発見されたときは瀕死の重傷を負っていた。治療を受けたあと、意識がもどらないので詳しいことはわかっていないがな」
「ふうん……」
平静を装いながらも、心は違う。
予感めいたものを感じていた。
「それで、どうして僕たちを連れてきたんだ?」
黒曜が説明しようとしたとき、病室の扉が開いた。
後から、白衣を着た医者が入ってくる。
それは貴族のように華やかな容姿をした青年医師で、こっちも僕のよく知る人物だった。
あっという間に、病室は知り合いだらけだ。
医師の名前は玻璃・ブラン・リブラ。
彼は僕の姿を見つけると、青い瞳を細め、少しだけ逸らした。
「それは私が説明しましょう。《
彼は医療魔術の専門家だ。いつの間にか現れた杖で、呪文を唱える。
病床で寝ている少年のバイタルを記録したカルテが、空中にホログラムとして並べられていく。身長や体重……ごく普通のデータが並ぶ。
「これは……医聖殿に限って診断ミスということもないでしょうが……こんなことがあり得るのか?」
カガチのそれは、単なる驚きにしては呻くような声音だった。どうやら、この場で僕だけが状況を掴んでいないらしい。
「説明お願いしまーす!」
僕は間抜け面を晒すことを恐れず挙手した。
リブラが応える。
「異世界からの来訪者が我々にとって致死的な病因を保持していることも考慮し、この少年には種々様々な検査を受けて頂きました……ほぼ全ての項目で問題ありませんでしたが、竜鱗適性試験だけが……あり得ない結果になったのです」
竜鱗魔術師は、誰でもなれるわけではない。事前の適性試験を受けて、その結果に基づいて移植する鱗の枚数や竜種を決める。もちろん、結果が良く無ければ移植は行われない。異種族の魔力の塊のような移植を受けることは危険極まりなく、適性が無ければ瞬時に死をもたらすリスクの高い魔術だからだ。
「結果が良くなかったとか?」
「いいえ……彼は《完璧》なのです」
結果がよかったと言うわりに、リブラは深刻そうな顔つきをしている。
「この結果が確かなら、彼は《三海七天》及び女王国が有する移植可能な竜鱗すべてにおいて、九割以上の適性を持つちます。《奇跡》としか呼び難い存在です」
適合率は魔法学院の教師であるマスター・カガチをはるかに凌駕するという。
もし彼が竜鱗騎士となれば、傑出した戦士となる可能性を秘めている。
いや、秘めているどころじゃない。そうなることが約束されていた。
彼の前にその存在はなく、彼の後にも存在し得ない。
竜に蹂躙される人々にとっては、まさしく救世の英雄の誕生だ。
「それって、つまり……」
僕は思わず生唾を飲み込んだ。
平凡な高校生が異世界転移。
約束された栄光。
誰も敵わない戦闘能力。
こいつはあれだ。噂のやつだ。
「異世界チート能力者……! いって!!」
黒曜がひとつも笑わずに、真顔で、僕の後頭部を弓で殴りつけたため、迂闊な発言は誰にも聞きとがめられることなく済んだ。
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