2 怪しい儀式、やっぱり死ぬ系

 借金。


 古来より人類史を右往左往させ、幾多の賢人たちをも堕落させてきた害悪である。

 非常に情けない話だが、僕は現在、高級スポーツカー程度の借金を背負っている。異世界で身よりもなくおまけに未成年である僕には、これを返済するためには、どんな危険にかじりついてでも賞金を勝ち取ることが必要不可欠なのだ。

 なんでこんなことになったのかっていうと、とある女子生徒のためなのだが、いまさら文句は言うまい……。

 もしも返済が滞ったりでもしたら。

 灰簾理事は容赦なく、僕を教師の席から外そうとしてくるだろう。

 異世界人にとって、この世界は優しくない。あっという間に路頭に迷う未来が目に浮かぶようだ。


「マスター・カガチがそこまで言うのなら……いいでしょう」


 灰簾は手に持った鍵で美しい細工ものの小箱を開けた。

 それはやや大型のオルゴールだったらしく、蓋を開けた瞬間にきりきりと仕掛けが動く音がして、やや不協和音気味の不気味な音楽が鳴り始めた。

 奥のほうに、精巧な細工のお城の模型が飛び出した。

 お城には美しいプリンセスの人形が置かれ……彼女が合図を下すと、その前に剣を掲げた騎士の人形たちが次々に現れた。

 人形たちは円になり、それぞれの剣を掲げる。


「参加される方は剣を取りなさい、血の契約が必要です」


 マスター・カガチが真っ先に立ち上がり小さな人形から剣を預かった。

 僕も、同じように適当な剣に手を伸ばす。

 それは本物の剣と全く同じつくりをしていた。精巧なミニチュアなのだ。

 刃は銀色に光り、切っ先は鋭く尖っている。剣の各所に透明な石がはまっている。柄頭にひとつ、柄の両端にひとつずつ、中央にひとつ、刃にひとつ、計五か所。


 血の契約って何だろう?


 様子を窺っていると、マスター・カガチが躊躇うことなく本物そっくりの刃で指の腹を切り裂いた。

 玩具の刃が一瞬、血に濡れて……一瞬できれいに吸いとられて行く。

 すると剣の柄頭にはまった宝石が、深い緑に染まった。

 僕も見よう見真似で同じことをする。

 刃が血を吸い、同じ位置の宝石が金色にきらめく朱色に変わった。

 そして、オルゴールのほうの剣を取り上げられた騎士の人形が、いつの間にか剣の柄だけを持っていることに気がついた。柄頭には、やはり朱色の石だ。

 ……なるほど。この剣は参加表明になっているらしい。

 魔法の学園っぽい、いくらかまどろっこしいやり方だ。


「当日までに、参加する生徒を決めてください。補欠要員として三名までは追加が認められています。補欠要員のみ、学院に所属していない者からの選抜も許可されます」


 それは僕にとっては有利な条件だった。

 何しろ、僕の教室はまだ在籍者がゼロなのだから。こればっかりは、発足して間もない新教室にとってはどうしようもない。


「今のところ参加は二教室のみですが、当日まで参加は受け付けます。わかっていると思いますが血の契約をした以上、棄権や試合放棄はすなわち《死》を意味しますから注意なさってくださいね」


 ……ん?


 何か恐ろしい単語が聞こえたような気がするが。


「……いま、死ぬって言った?」

「難聴気味ですの? マスター・ヒナガ。これは呪いの儀式ですから、約束の不履行には報いがつきもの。最悪、死にます。まあ、皆さま仮にも学院の教師なのですから、最悪でも半殺しくらいで済むとは思いますが……」


 僕は《一応念のために聞いてみただけなんですよ》という顔でにこっと微笑んでみせた。

 しかし内心はまったくの別だ。真逆だ。


 マジかよ……聞いてないって!


 ヤバくなったら棄権すればいいや、くらいに考えていた。

 複雑な僕の胸中を知ってか知らずか、マスター・カガチが声をかけてきた。


「正々堂々」


 そう言って、握手を求めてくる。僕は左手を差し出した。

 握り返してくる手の圧力はめちゃくちゃ高い。

 大きくて、その甲には緑の竜鱗が輝いていた。

 校内戦では、教師も代表メンバーの欠くべからざるひとりとして戦う。賞金を手にするためには、何がなんでもマスター・カガチに勝たなければいけない。


「貴方が勝負を挑んで来るとは思いませんでしたな」

「ああ……負けるつもりはないからね」


 もう逃げられないぞ、自分。


「では、これより《校内戦》を――第十六回、《血と勇気の祭典》の開催を宣言します」


 血と勇気の祭典。

 どういういわれかは知らないが、それが《校内戦》の正式な呼び名らしかった。勇気は理解するが、血……なんだか生臭い感じのする名前だ。

 とにもかくにも灰簾の宣言により、いよいよ後には引けなくなった。

 今のところ、他に名乗りを上げる教室は無く、このまま当日を迎えればマスター・カガチ率いる竜鱗魔術師どもとの一騎打ちということになる。

 その場はお開きになったが、カガチはまだ僕に用があるらしかった。


「……先生、私の教室の生徒に早速、声をかけたらしいですな」


 僕はぎくりとした。

 この校内戦のために、僕は早速ある人物をスカウトしていた。

 しかも、それはマスター・カガチの教室の生徒だった。


「いえ……その、そんなつもりはありませんが……」

「あいつは団体戦では使い物にはなりませんよ」


 しどろもどろになる僕に向けられた言葉は意外なものだった。

 卑劣なスカウト行為自体を批難されていると思ったが、どうやら違うらしい。


「あいつはほかの生徒を信用しない。竜鱗魔術師以外なら、なおさらです。誰とも協力せず、ひとりで戦う。それがあいつの強みであり弱点です」


 そこまで言ったところで、何かイヤな気配がした。

 カガチも気がついたと思う。

 ちょうど、誰かが部屋を出ようとして扉を開けた瞬間だった。


 なんていうか、僕の経験上こんなことは初めてなのでうまく言えないんだけど……。


 扉の奥から闇が溢れて来る。

 一瞬で、部屋中が暗闇に包まれた。

 どよめく様々な声の中で、耳元で何者かが僕に囁くのが聞こえた。


 ――わたしだよ、わたし。


 そうして、ぐいっと襟首を引っ張られるのを感じる。

 闇の中に引っ張りこまれる、その直前。


「先生!」


 マスター・カガチが咄嗟に僕の体を掴んだ。


 ――あれ、妙なのがついて来ちゃったな。まあいいか。どうせ、わたしが誰なのか知ってるんだろうし。ふたりとも来なさい。


 そう言う声が聞こえたのが最後だった。

 僕とマスター・カガチは一瞬で闇の中に取り込まれ、あとのことは……なるようになれ、だ。

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