天才少年魔術師、別名借金を背負った十五歳
1 はじまりは負債とセクシー美熟女
僕は日長椿。
ついこの間までは、ごく普通の高校生……だった。
あの日、僕が古本屋で本を買うまでは。
あの日、誰かが僕を殺そうとするまでは。
あの日、異世界への《扉》が開き、翡翠女王国に来るまでは……そうだったんだ。
つまり、今の僕は普通の高校生ではなくなった。
それどころか翡翠女王国の王姫、紅水紅華と出会い、何もかも失った。僕が日本人であることも、高校生であることも、僕が僕自身であることも、その命も。
今の僕は、ひどくあやふやな存在だ。
ただ、日長椿としての人格だけが辛うじて存在している。
魔法学院の教師、マスター・ヒナガとして。
「――――えくしっ!」
ここのところ、寝不足が続いているせいかもしれない。それとも、まさかと思うが、どこかで誰かが僕の噂でもしているのか……いやあ、まあ、それはないか。
こちらの世界に来てから、何しろ一月も経っていない。
知り合いだってそんなにはいない。
何かの間違い、ただの気のせいだ。
「ちょっと!」
咎める声に顔を上げると《青灰色のスーツの胸のところから大きく露出した谷間》というとんでもない風景が目の前に広がっていた。視線を上方向にずらすと、セクシー美熟女……こと
そのためだけに屈んだせいで胸元が僕の視線の間近になっているわけだが、彼女は気がついていなさそうだ。視線を逸らすとタイトスカートから伸びる長い肢が目に入り、非常に心臓に悪い。
年上の女性も、女性の胸部も、嫌いじゃない。むしろ好ましい存在ではある。
でも別人だったらもっとよかったのにな、というのが正直な感想だ。
豊か過ぎる胸をわざわざ強調するかのように腕を組んで仁王立ちする彼女は、様々な紆余曲折と誤解と偏見があり僕を徹底的なまでに嫌っている。
僕自身も彼女を厄介な存在だと感じているので、その点においてのみ両想いだった。関係修復は難しい。
「本当に決行されるおつもりですか、マスター・ヒナガ?」
彼女に言われ、周囲を見回す。
そこは本部棟にある薄暗い部屋で、いつも会議に使う部屋ではなかった。
何らかの魔術の《結界》が張られていて、外から中の様子がわからないようになっている。
僕たちは円を描くように置かれた一人掛けのソファに腰かけており、中央には灰簾理事と金色の小箱が置かれた机がある。
「えーと……そのために集まったんじゃないんですか?」
冗談を言ったつもりはなかったのだが、周囲から笑い声が起きて、連鎖反応で理事は赤面した。
椅子に座っているのは学院の教師たちだ。
男女比は半々くらいで、少し男性が多いだろうか。同じなのは、僕も含めたみんなが青い地に金色の縁取りが入った制服を着ていること。この服は女王府立魔法学院の教師たちの制服だ。
翡翠女王国は魔法使いの王国だ。
かつては、そうだった。
魔法の力が国を乱した過去から、現在はその扱いを厳重に禁止している。
魔法や魔術を自由に扱っていいのは資格を持つ限られた職種の人々だけ、そのうちのひとつが魔法学院の教師である。つまり、僕たちだ。
教師になってから日が浅いため、名前を知っているのは左側三つ隣に腰かけている体格のいい男性教師だけだった。長い黒髪をひとつ結びにして、彼だけは笑い声も立てずに穏やかな緑の瞳で議場を見守っている。
全身に満ち溢れた自信が、彼を一回りか二回りほど大きく見せていた。
名前はカガチ。マスター・カガチ。
おそらくこの場に集っている教師の中で最も強い魔術師だ。
「ずいぶん自信がおありのようね」
灰簾理事が理解し難い皮肉を口にすると、カガチ先生が助け舟を出した。
「こちらは一向にかまいませんよ、理事。その挑戦、受けて立ちましょう。むしろ受けさせてください、マスター・ヒナガ。貴方と刃を交えるのが楽しみだ」
笑いながらこちらを睨む。あいかわらず目が全然笑っていない。
僕たちは、先程からある議題について話し合っている。
それは通称、《校内戦》と呼ばれる学校行事についてだった。
正式名称が別にあるのだが……それは置いておくとして。
魔術学科は各教師たちが運営する教室ごとに分かれ、それぞれに生徒たちが在籍する形式を取っている。もちろん、学びたいことが多岐に渡れば教室への所属は重複してもかまわない。
そして、定期的に教師と生徒たちが組んで、どの教室が最も優れているかを競う。
これが校内戦のあらましだ。
勝者には名誉と、賞金が与えられる。
この単純明快な催しは長い期間、開催されていなかった。
というのもマスター・カガチが教えている竜鱗魔術が《あまりにも強すぎるため》だ。
僕はこの魔術がどんなものなのか、残念ながら少し詳しい。
こちらの世界では、人間はあまり強い魔法の力を持たない。
だが竜鱗魔術師は体に竜の鱗を移植し、竜の莫大な魔力を使い、破壊と殺戮にかけては右に出る者のない魔術を行使する。無茶な使い方をすると竜人化してしまう、というリスクはあるものの……彼らとまともに戦えば、死人が出かねない。
だから校内戦はしばらく幻の行事となっていたのである。
だが、僕は新任の教師として、この校内戦に名乗りを上げた。
それは、ただひとつ。
ある目的のためだ。
その目的のためなら、僕はなんでもすると誓ったのだ。
そう。
借金返済のためだ。
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