第4話

♯わたしのこと


夢を見ているのだろうか?


昨日は緊張して眠れなかった

白々と、明るくなる空を恨めしげに

眺めながら何度も寝返りをうった。

小鳥のさえずりがうるさくなる頃

やっと眠りについたのはいいが

目が覚めたときは

もう、家を出るギリギリの時間だった

とりあえず、何日も前から着ていくものは

決まっていた、それでも、

数分鏡とにらめっこしたあと、

駅のトイレで仕上げようと

軽く日焼け止めの下地を急いで顔にぬると

玄関を飛び出した。


どうしてこうなんだろう

肝心なときに、バタバタして

いつも、後悔するのに。

駆け込んだ車内は冷房が良く効いていて

私は空いた席に腰かける

ハンカチで汗を押さえていると

空席が沢山あるにも関わらず

隣に座るおじさんを、

少し面倒に感じながらも

約束の駅に着く5分前にアラームをあわせて

あっという間に眠り込んでしまった。


気付いたら、くろちゃんと

笑いながら走っていた。

狐につままれるってこういうこと?

まるで、魔法にかけられたみたい

しっかりと繋がれた手が熱い

ほんとに、どういうことだろう?

くろちゃんは速度を緩めずどんどん

早足で歩いていく

さすがに辛くなってきた

なにより、ちゃんと化粧がしたい

キョロキョロと、辺りを見回すと

コーヒーショップを発見

くろちゃんを引っ張ると

強引にそちらに誘導した。

オーダーを済ませ

フロアに席を確保すると

くろちゃんが二人分のコーヒーをもって、

店内を見回している

私に気付くとちょっと

はにかんで、こちらに向かってくる。

思ってたより、ちょっと、背が低くて

思ってたより、ちょっと、ぽっちゃりだ

思ってたより、優しそうで

なにより、はにかんだ顔がかわいい。

もし、ちょっと格好つけた感じの

若いお兄ちゃんだったら、

さっさと帰るつもりだった。

そんな事を考えている自分が

恥ずかしくて顔が赤くなるのがわかった

私はくろちゃんが席に着くと同時に


ちょっと、トイレ


といって、席を離れた

もう、恥ずかしくて逃げ出したという方が

正解かもしれない。


少し濃いめのリップを丁寧にぬってから

不自然じゃないかと心配になる。

まだ、出会ってほんの数分(のはず)

しかたっていないのだから

気づくはずもないだろう。

鏡の中の自分をみつめる

そこには、少しでも綺麗にみられたい

そんな私が途方にくれた顔でうつっていた。


わからない事だらけだったけれど

なんだか、どうでも良くなってしまった

私の中の不安も、

今は驚きが勝ってしまって

今日は、ただ、二人の時間を楽しもう

私はそう、自分に言い聞かせると

ゆっくりとフロアに戻った。


見馴れない店内でも

すぐに、くろちゃんの背中が目にとまる。

凄く不思議。

くろちゃんのシャツの色

耳にかかる少し癖のある、明るい髪の色

ちょっと、緊張したような

真っ直ぐに伸ばした背中

年齢は、同じくらいかな?

今日は何を話そうと思っていたっけ?

頭のなかは真っ白だ

しばらく、ぼんやりと

店の隅からくろちゃんを眺めていると

くろちゃんが、不安そうに、辺りを見回す。


トイレにいくといって、こんなに待たせたら

変な誤解を受けるんじゃないかと

今更ながらに気づいた私は

バタバタと席に戻る


ごめん、待たせて


ちらりと、くろちゃんに視線をなげて、

声をかけると


帰っちゃったかと思った


ホッとしたようにくろちゃんが微笑んだ


キュンとした。

まさか、そんな事を考えていたとは

思いもしなかった。

私はただ、

くろちゃんに見とれていただけなのに。

くろちゃんは、自分の飲み物に全く

手をつけておらず、

小さなテーブルの上で

カップの回りに

小さな水溜まりができていた

くろちゃんはそれを取り上げ

手際よく紙ナプキンで水滴を拭うと

私に差し出した


ありがとう


小さく呟いたあとくろちゃんが、

自分のカップを手にして

ストローを口に加えたので

私もストローに口をつける


会話の糸口を探していると

私を見つめるくろちゃんと目があった


ぽっと、くろちゃんが赤くなって

目をそらす。

やめて、私まで恥ずかしくなる。

急に心臓がドキドキしてきた

今まで、ざわざわと感じていたお店の喧騒が

急にしん、と静まり返ったかのように

私の鼓動が大きくきこえる。

この音が聞こえませんように

そんな事を祈りながら

その音をごまかすように、

何か話しかけたいのに

言葉がでてこない。


くろちゃんも、ストローを加えたまま

外に視線を向けてしまい動かない。

動かないというより

固まってしまったようだ。

なにかの動物に似ている

なんだろう?熊?たぬき…コアラ

ああ、カピバラだ

昔テレビで見た、お日様を浴びて、

気持ち良さそうに

目を細めてじっとしている

カピバラだ。

そんな事を考えていたら

自然に笑みがこぼれていたらしい

くろちゃんが、不思議そうに

私の顔に視線を移し、ちょっと首をかしげて

とまどったように微笑んだ。


正直、なんの特徴もない、

一見ぱっとしないくろちゃんが、

私が不安に思ってしまったようなことを

SNSで知り合った女の子と

簡単に関係を持つなんて

本当にできる人なんだろうかと

疑い始めていた、

私の思い過ごしなんじゃないかと

でも、微笑む、くろちゃんをみて確信した。

この人はまわりが放っておけるような

人じゃない、そして

SNSで、寂しさをまぎらわすような女の子が

放っておくはずがない。

そうなったら、きっと、この人は断れない。

さっきまで、激しかった私の鼓動が

違った意味で私の胸をぎゅうっとしめつける

一瞬で、回りのざわめきが

私の耳に戻ってくる。


カップをもつ、私の手が震えた。


それに気づいたくろちゃんは

不安そうな顔で、


どこか、静かなところに移動する?


と、私にたずねる

わたしは、ただ、だまって頷くしかなかった。


さっきまで、あんなに無口だった

くろちゃんが、店を出て、二人ならんで

歩き始めると、堰を切ったように

話はじめた。お腹はすいてないか、

疲れてないか、具合が悪いんじゃないか、

昨日は良く眠れたか、どこに行きたい?

何か食べたいものは?


ときおり、私の顔を心配そうに

伺いながら、さっきとは

うってかわって、私の歩調にあわせた

ゆっくりとした足取りで

くろちゃんは喋り続けた。

なんとなく、上の空で

相槌をくりかえす私を

くろちゃんが、もて余しているのがわかる。

このまま、困らせたくて

でも、早く静かな場所に落ち着きたくて

でも、二人きりになるのが少し怖くて

自然に私の足がとまる


一歩先に足を踏み出したくろちゃんが

振り向いて何かを言いかけて口をつぐむ

ちょっと、うつ向いたままそっと

手のひらをこちらに差し出す


あぁ、わたしは、やっぱりこの人が好きだ


泣きそうになるのを無理矢理こらえて

笑顔をつくったわたしは、

くろちゃんの手をぎゅっと握りしめた。


以前、会社の飲み会で利用した

大型のカラオケ店はレストランも併設していて

食事もそれなりに美味しくて

気分転換に歌ってもいいし

なにより、人目をきにすることもなく

二人でゆっくりと話をするには

最適だと思った。


あいにく、満室で

次に部屋が空くのは30分ほど先らしい。

また、街に出るのも躊躇われて

待ち合いスペースで

案内を待つことにした。

くろちゃんは、人の多い所は苦手だと言った

私の言葉を覚えていてくれたようで

どうも、人当たりして具合が悪くなったと

勘違いしたようだった。

二人でベンチに腰かけると

私が楽に寄りかかれるように

そっとからだの角度をずらし

私のためのスペースを作ってくれる。

その優しさが嬉しくて

でも、切なくて

ちょっとためらったけど

誘惑には勝てなくて

くろちゃんにもたれ掛かる。

くろちゃんは暖かい

冷房の効きすぎたフロアは

私には寒すぎたが

そこだけはぽっかりと暖かい空気に

包まれていた。


くろちゃん


私が呼び掛けると

うん?と仕草で答える。


今日はくろちゃんにあえて嬉しい。


繋いだままの手を

くろちゃんがきゅっと握りしめて

今度はちゃんと

うん

と、声を出して答えてくれる

僕も嬉しい

私もくろちゃんの手を握り返す。


青に、ずっと会いたかった

青の声を聞きたかった


青にあえて、凄く嬉しい。


そのまま二人で、黙りこんだまま

名前を呼ばれるまで、

静かに寄り添っていた。


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