第03話:猫は空気なんて読みません!

 牛乳まみれになったルナをシャワールームに連れていったあと、夏梅はテーブルの片づけをしていた。


 動悸を抑えるように、深呼吸を繰り返す。


「どうしてこうなった」

「猫を助けたからだよ」

「まあ、そうなるんだろうけど――って誰!?」


 驚いた夏梅は咄嗟に、声の聞こえたほうへ振り向いた。なぜなら、部屋に他の人間がいるはずないのだから。


 しかし、夏梅の視界に飛び込んできたのは、拭いたばかりのセンターテーブルで頬杖をつく一人の少女。セーラー服を身にまとい、その恰好には似合わない銀色のロングヘア―が目立つ。褐色の肌と青色の瞳は気温の高い大陸から来たと思わせるような、否、それよりも謎の神秘さが纏わりついていた。


「やあやあ、驚かせてしまってすまない夏梅くん。私は猫たちの闘いを取りまとめている――女神だ」


 そう名乗った少女は、幼さの残る悪戯な笑みを浮かべた。


「め、女神……?」

「そうだよ。夏梅くんもみただろ? 猫が人の姿となり闘うなんてことは普通あり得ない。しかしそれが起きている。これはもう、この世界を超越した力が介入していると思わないかい?」

「それが……神の力だと」

「そういうことだ。私が突然現れたのも、神の力といっていい」


 そんな話を信じられるわけがない、と以前の夏梅なら思っただろう。だが、ルナの闘いをみた後では、それも無粋である。


「……わかった、ひとまず女神様の話は信じよう」

「賢い子で助かるよ。面倒な子はすぐに信じないし、原理だ法則だのくだらないルールの中でしか考えないからね」

「そりゃまあ、こんな非日常に巻き込まれたら、誰だって思考停止するさ」

「それじゃあ、思考を止めないためにも、夏梅くんには情報を与えよう」

「情報?」


 夏梅は女神にお茶を出してから向かい側に座り、その話を聞くことにした。


「まずは私たち、神についてだけど……夏梅くんは神を信じているかい」

「信じてたわけじゃないけど、いま目の前にいるのが神って名乗ってるし……って、?」

「何も神は一人ってわけじゃない。八百万の神々と言われるくらいだ。有り余ってるんだよ」

「それはちょっと聞きたくなかったなあ……」

「そんなわけだから、一人ひとりが対応する地域を細かく分けたんだ。おかげで、小さな部分にも手が届くようになった」

「それで……猫にも手を差し伸べたと?」

「私たちだって不幸はみたくない。可能な限り幸せにするのが、務めってものだ」


 だから猫に手を貸している、と女神はお茶を啜りながら言う。


「なんで闘わせる必要が? そのまま人間にしてあげればいいのに」

「それではダメだ。幸せっていうのには、相応の努力と対価が求められる。だから、闘いという過程が必要なのさ」

「……本当に?」

「救うための余興、という考えの否定はしないよ」


 意地悪げな笑みを浮かべる女神をみて、夏梅の口から大きなため息が漏れた。


 女神の言わんとしていることは理解できるし、納得もできる。


「だからって、殺し合いみたいなこと……」

「みたいなこと?」


 夏梅の言葉に女神の訂正が入る。


「みたいじゃない。、あれは」

「……え?」


 夏梅の表情が固まった。


 部屋には一瞬だけ静けさが生まれたが、すぐに廊下の方から、シャワーを浴び終ったのであろうルナの鼻歌が聞こえてくる。


「彼女たちは願いを叶えるため、命を懸けて闘っているんだよ」


 女神は目を細めながら続ける。


「猫たちには、闘いのための架空領域、そして架空生命を与えている。夏梅くんもみただろ?」

「青い……世界」

「あの世界では現実に影響が及ばない。だから死ぬにしても、偽物の死だ」


 偽物であろうと、死そのものに変わりはない。


 夏梅は、全身から変な汗が噴き出るのを感じた。


 ――なら、先ほどの闘いは?


「さ、さっきは……」

「ルナの負けだよ。ビルにつぶされて死んだんだ」


 ルナは一度死んでいる。


 その事実を聞いて、夏梅は胸のあたりに痛みを感じた。


「で、でも、ルナちゃんはそんな素振り……」

「潰される時は痛みもあっただろうけど、まあ一瞬だからね」


 夏梅は言葉が出てこず、女神のことを見つめ続ける。


 その不穏な空気入れ替えるかのようにリビングのドアが開いた。


「にゃー、さっぱりしたわ。夏梅、ありがとね」

「げっ」

「あら、女神様じゃない」

「こんにちは、ルナ」


 ドアの向こうから現れたのは、身体をタオルで巻いたルナだ。そんな彼女と女神があいさつの言葉を交わす中、夏梅が目を逸らしながら顔を青くする。


「ごめんルナちゃん。お風呂の間に下着を買っておこうと思ってたんだけど」


 女神との話に夢中で行きそびれていた。服はなんとかなるとしても、女性用下着は買いにいくしかない。近くのモールまで一走りしようと思っていた夏梅だったが、


「気を使わなくていいわ。猫は下着なんて穿かないわよ?」

「いやいや、僕が気にするから!」

「外をみなさいよ。猫はみんな裸でしょ」

「それは猫だから!」

「夏梅くんの趣味が、女の子の裸ワイシャツはだYでも、女神は受け止めるよ。下着を与えない性癖だって自由さ」

「そんな性癖もないから!」

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