その5・夏・臨海学校でハプニング!?

 トンネルを抜けると、そこは海原だった。

 俺と生徒たちとピンクを載せたバスが海岸沿いの道を走っていく。開いた窓から入ってくる潮の香りに、これから海に行くんだという期待感が煽られる。

 今日と明日の二日間。うちのクラスは海の近くに泊まりで学習に来ている。早い話が臨海学校というやつだ。

 生徒たちはみな浮き足立っている。山本……もとい、聖霊院が無駄に風に髪をなびかせて遠い目をしているのはいつものことだが、普段冷静な「真面目な委員長」高橋すら、少しそわそわしているようだ。


定期テストなどランキングイベントと違って臨海学校は他のプレイヤーとの競争要素はありませんから、先生もゆったり羽根を伸ばしてくださいね」

「引率としてあんまり気を抜くのも良くないとは思うんだがなあ……」


 とは言ったものの、恥ずかしながら俺も久々の海に少し心が踊っている。

 普段と変わらないのはピンクぐらいなものだ。

 ピンクはいつもどおりどこで買ったのか分からないパステルピンクのスーツを身にまとい、小脇に「臨海学校開催中」と書かれたボードを抱えていた。


「あ、ほら先生!あれを見て下さいよ!」


 ピンクが少し身を乗り出して窓の外を指差した。いつもと変わらないように見えるが、もしかしたらこいつも浮かれているのかもしれない。

 ピンクの指差した先をみた生徒たちが何やら歓声をあげた。歓声というか、ほとんどの悲鳴と聖霊院の歓声といった感じだ。

 俺もそちらを見てみると、空に何かが飛んでいた。自動車ほどの大きさの翼のはえた爬虫類。ドラゴンとか、たぶんそう表現するのが正しいやつだった。


「え、いや……え……ドラゴン!?」

「その表現は適当じゃないね。場合によって定義はずれるが、四肢とは別に羽根が生えているものをドラゴンと呼ぶ場合が多い。あれは前肢と羽根が一体化しているからワイバーンと呼ぶべきかな」


 山本……もとい、聖霊院がそう訂正してきた。

 他の生徒は、普段は冷静な高橋すら悲鳴を上げているのにこいつだけやけに冷静だ。中二病の面目躍如といったところだろうか。もっとも、俺に返事をする余裕はなかったが。


「驚きました?驚きましたね?はーい、では、サプラーイズ!」


 俺が言葉を失っていると、ピンクは小脇に抱えたボードを俺の目の前に持ってきた。

 「臨海学校開催中」の「臨海学校」の上の部分に、よく見ると何かを隠すように細長い紙が貼られていた。

 ピンクはその紙を、勢い良く剥がした。


臨海学校コラボイベント開催中ですよ!先生!今回のコラボ元はあの人気ファンタジー『普通の俺が普通に異世界を救う件について』!幻想的な世界を楽しんでくださいね!」

「ファンタジー!?コラボ相手と世界観違い過ぎない!?」

「無理があってもやらなくちゃいけないのがコラボイベントなんですよ?」


 窓の外、ピンクの背後では、ドラゴンが今まさに炎を吐こうとするかのように息を吸い込んでいた。

 俺がピンクに向かって何かを叫ぶより、ドラゴンの吐いた炎でバスが吹き飛ばされて落ちていく方が早かった。


―――


 バスは何故か降りやすい姿勢で止まり、生徒と俺たちが全員降りて荷物も降ろしてから爆発炎上した。今更そこをどうこういう気分にもなれなかった。


「はあ……しかし、これどうしろって言うんだ」


 さっきまで海の近くにいたはずなのに、周囲はいつのまにか荒野になっていた。空は紫色だし、あたりには乾ききってひび割れた大地と半ば風化した動物の骨ぐらいしかない。

 正直もう帰りたい気持ちでいっぱいなのだが、どこにいけば帰れるのか、どうすれば帰れるのか全くわからない。


「イベントを進めれば帰れますよ?」

「まさかお前の雑さをありがたく思うことがあるとは思わなかったよ……で、イベントってどうすれば進むんだ?」

「まずアレを倒す所からですね」


 ピンクがそう言って指差したのは、空からこちらへ向かってくるさっきのワイバーンだ。


「先生、ファイト!」

「無理がある!」


 とはいえ、生徒を矢面に立たせるわけにはいかない。


「ここは俺に任せてお前らは逃げろ!高橋、委員長として皆をまとめてくれ!」

「先生……」


 俺は生徒とワイバーンの間に立ち、目をつぶった。これで少しでも生徒が逃げる時間が稼げればいいと思った。

 爆発音、何かが落ちるような音、金属音。何かに弾かれ、俺は尻もちをついた。ああ、ここで殺されるのだ、と俺は覚悟を決めた。

 だが、いつまで経っても俺がワイバーンに殺される気配がない。恐る恐る目を開くと、そこには首のなくなったワイバーンと、見知らぬ人物が三人立っていた。

 一人は騎士のような重鎧を着た気の強そうな女性。

 一人はバンダナに軽装でダガーを持った女性。

 一人は魔法使いのような帽子に魔法使いのようなローブを羽織りローブの下に……控えめに言って全身タイツとしか表現できない服を着た女性。

 そして最後の一人が、学生服を着て大きな西洋剣を構えた男性だ。


「間に合って良かった……大丈夫ですか、みなさん」


 呆然とする俺に、男が手を差し伸べた。俺はその手を取った。

 いつの間にか俺と男の横にはピンクが立っていた。


「彼らが今回のコラボ元『普通の俺が普通に異世界を救う件について』の主人公達ですよ!」


 そこでピンクはこらえきれない、というふうに笑い出した。まるで人が死亡フラグみたいな台詞を吐いた挙句へたり込んで助けられたのが面白くてたまらないとでも言うようだ。


「先生!高橋さん!大原さん!これを見てくれないか?」


 ピンクに何かを言おうとしたところで、聖霊院が俺たちを呼んでいるのに気づいた。

 聖霊院は主人公パーティの女性たちと一緒にワイバーンの死体を調べていたようだった。


「どうした?」

「こいつから取れた素材……これ、バスの修理に使えないかな?」

「お前は何を言っているんだ」


 状況に適応しているように見えたが、案外聖霊院も追い詰められているのかもしれない。

 生徒のメンタルケアも教師のつとめだ。俺が聖霊院を諭そうとしたところで、聖霊院に渡されたワイバーンの骨だの皮だのを見ていた高橋が口を開いた。


「確かに……これならバスの修理が出来そうですね」

「高橋!?お前まで何言ってんの!?」

「全然勉強してないから詳しくないけど、私もバスの修理に使えると思う」

「バス修理に関しては本当に勉強してねえだろ大原ァ!」


 どういうことだ。これが集団ヒステリーというやつか。正気なのは俺しかいないのか。

 ピンクが困惑する俺の肩を叩いた。


「まったく、察しの悪い先生ですね。つまり今回の臨海学校コラボイベントはモンスターを倒して手に入れた素材でバスを直すのが目的、ってことですよ」

「無理があるだろ!?」

「ワイバーンが出てくることよりも?」

「そっちも無理があるけどさ!」


 というか、無理があることがわかってるならコラボ先を選んで欲しい。そもそもコラボってなんだ。


「まったく、現実を受け入れてくださいよ先生。今回のイベントでは学力はバス修理能力のことで、運動能力は戦闘能力のことなんですよ」


 ピンクがそういいながら指差したのは、ヒート属性の生徒たちが集まっている場所だ。

 生徒たちはワイバーンを囲みバットだのテニスラケットだので殴っていた。程なくしてワイバーンは倒れ、素材がドロップした。


「ね?」

「……ああ、まあ、うん」


 反論はいくらでも思いついたが、これはもう受け入れた方が早そうだった。


「でもだとしたら、今回は俺にやることあるのか……?」

「先生は生徒に指示を出してください。計画立案と責任を取るのは大人の役目ですよ」


 なんかシミュレーションゲームみたいだな、と俺は思った。

 ピンクと俺がそんな話をしていると、コラボ元の主人公らしき男が口を挟んできた。


「では、私達もみなさんに協力しましょう」

「いいんですか?」

「ええ、見捨てはおけませんし、それに……」


 男は空を見上げた。何かを睨むような、厳しい目つきだった。


「……ワイバーンぐらいならともかく、《反魂侯はんごんこう》が出てきたら、まずいですからね」

「《反魂侯はんごんこう》?」

「いえ……気にしないでください。杞憂なら、それでいいんです」


 男はそういうと、ヒロインらしき女性たちを連れてワイバーン狩りに加わりにいった。


「そう言われると気になるんだけどな……」

「《反魂侯はんごんこう》は原作中盤のボスですね。死者を操る術を使う不死の魔術師ですよ」

「でもお前は空気読もうな!」


 ネタバレピンクの奴は悪びれた様子もなかった。


「ちなみに今回の臨海学校コラボイベントのラスボスですので、期待していてくださいね」

「ネタバレやめろって言ってんだよ!」


―――――


 意外にも、本当に意外にもバスの修理はスムーズに進んだ。


「……ドラゴン素材で修理されたバスって……」

「まあ、コラボイベントなので難易度は低めですからね」

 

 ワイバーン殺しの難易度が低いと言われる日が来るとは思わなかった。


「乗り心地は悪く無いと思いますよ」


 バスを完成させた達成感からか、高橋は少し誇らしげだった。

 いくら頭のおかしい状況とはいえ、生徒が何かを成し遂げたのだから教師としては評価せねばならない。


「ああ、流石だな、高橋」

「いえ、これくらい大したことでは……」


 高橋は少し恥ずかしそうに謙遜した。

 ドラゴン素材でバスを修理するのを大した事ではないと言われる日が来るとは思わなかった。


「まあ、ともかくこれでバスは直ったんだから、あとは……」

「ラスボス戦ですね!」

「……あるって言ってたもんな、ラスボス戦」


 そんな話をしていたところで、背筋に怖気が走った。


 まず感じたのは絶対的な死の気配。

 荒野の風景や風化した動物の死骸からも感じていたものだったが、今ならわかる。それすらもすべてがもたらした余波に過ぎない。

 空気が乾燥していく。大地がパキパキと音を立てひび割れ、使わなかったワイバーン素材が風化し崩壊していく。

 空間に瘴気が渦巻き、穴を作った。はそこから訪れた

 ボロボロの黒いローブを纏った、人型。ローブから出ている手足は白骨だ。

 普通ならばみすぼらしい、と表現すべき姿だったが、アレに関しては違うと断言できた。すべての崩壊は、アレがもたらした破滅の残骸でしかない。


「《反魂侯はんごんこう》……!」


 コラボ元主人公が西洋剣を構え、ヒロインたちもそれにならった。だが


無駄也むだなり


 反魂侯が軽く片手を振った。たったそれだけの動作で、彼らは弾き飛ばされた。


如何いかな勇者と言えど、此方こなたいては運命の加護も受けられぬ。星の中心は汝ではなく。故に我が死を止めることあたわず」


 反魂侯は俺と生徒達へと向き直った。ローブの中、顔があるはずの部分には闇が渦巻いていた。


「星の中心足るは汝らなり。運命は汝らに加護を与えど、それを操る力も覚悟も汝らには無い。故に、我は機と見る。この場にて希望は潰え、世界には死がもたらされる」


 何を言っているのかはわからなかった。

 だが、俺はここで死ぬ。それだけはわかった。


「この世界には、運命なんてないさ」


 誰もが動けなくなる中、ただ一人、山本……いや、聖霊院が口を開いた。


しからば、何が汝らを導くか」

「決まっている。それは僕達の意志に他ならない。僕らは、僕らの意志で進むんだ」


 聖霊院の後ろ、生徒たちが立ち上がっていた。

 反魂侯は片手をあげた。


定命じょうみょうの者よ。汝の楽観は余りに罪深く、凡庸だ。我が前で同じ事をのたまった者達は、皆しかばねを晒してきた。汝もその一人となろう」


 反魂侯の手から、死の気配がもたらされた。

 それが生徒たちに届く寸前


『★限定生徒指導イベント発生☆』


 という表示が誰かの頭の上に出ていた。


「限定生徒指導イベントは期間限定イベント中しか発生しないイベントですね!ここでしか出来ない経験で生徒が一皮剥けますよ!」

「お前本当に空気読めよ!」


 死の気配は、生徒たちにたどりつかなかった。反魂侯の前に、誰かが立っていた。

 聖霊院ではない、高橋でもない、大原でもない。

 そこにいたのは、田中だった。初期メンバーただ一人のノーマル、塾に通っている以外特徴のない、「普通の生徒」田中だった。 


「運命とか……私にはわからないけれど……」


 田中の体が、温かい光に包まれていた。


「それでも……みんなと居る普通の日常を、守りたい!」

「馬鹿な……その光は……!?」

 

 反魂侯が一歩、退いた。明らかに田中を包む光に反応してのものだった。


「先生、あの光が《運命の加護》ですね。本来、コラボ元の主人公だけが持っているものですが、今回は田中さんに宿ったみたいですよ!」

「解説どうも……」


 もうピンクに空気を読むことは期待しなかった。


★特別生徒指導成功☆

『クール属性ノーマル「塾通い」田中よし子→クール属性Sレア「『普通』の護り手」田中よし子』


 システムメッセージにも空気を読むことは期待しなかった。

 

 田中の《運命の加護》に圧されて、反魂侯が呻いた。

 コラボ元主人公達はその隙を逃さなかった。魔法で、剣で、反魂侯を食い止めていた。


「さあ!君たちは行くんだ!」

「……でも!」

「同じ《運命の加護》を持つ僕にはわかる……君には君の守るべき場所がある!ここは、僕に任せてくれ!」


 田中はうなずき、他の生徒を連れてバスに乗り込んだ。俺達もその後に続いた。


「……君たちと一緒に居られて、元の世界に戻ったみたいで楽しかったよ!」


 バスは主人公パーティを置いて発車する、その背後から彼が叫んだ。


「もしも運命がそれを許したらコラボガチャから排出されたら僕も、君たちの仲間になれるといいな……さあ、行くんだ!」


 格好いいことを言っているような気はしたが、ほとんど販促だった。

 バスは速度を上げていき、主人公と反魂侯の姿はどんどん遠くなっていった。


「ふう……これで今回のコラボイベントは終了ですよ、先生。いかがでしたか?」

「……色々と言いたいことはあるんだけどさ」


 俺はバスの中の生徒を見回した。

「『普通』の護り手」となった田中は、《運命の加護》とかいう光をまだ纏っていた。


「田中ってずっとあのままなの?」

「それはもちろん。生徒指導の結果ですから」

「……眩しくて授業やりづれえなあ……」


――――


 バスがしばらく走ると、ウソのようにすぐに学校へと帰り着いた。


「……なんだか今回のイベントはすげえ疲れたよ」

「お疲れ様です、先生。はい、イベント達成報酬ですよ」


 ピンクはそういって中世風の装飾が施された転入届を渡してきた。


「一回分の無料コラボ転入届けです。SRでは『普通の俺が普通に異世界を救う件についてのキャラコラボ元キャラ』の衣装を着た初期Sレアのバージョン違いが、SSレアでは『普通の俺が普通に異世界を救う件についてのキャラコラボ元キャラ』が排出しますよ!」

「そういや排出するって言ってたな、あの主人公のやつ」


 まあ、無料だしやらない理由もないだろう。俺は転入届を開いた。

 教室の扉が虹色に輝いた、随分久しぶりに見るが、たしかこれはSSレア確定演出だ。


「……なぁんで無料でSSレア引くんですかね、先生」

「お前のその嫌そうな顔見るのも久しぶりだな」


『SSレア生徒!アウトロー!』


 どうやらひいたのはアウトロー属性生徒らしかった。あの主人公はアウトローって感じじゃなかったと思うし、ヒロインの誰かなのだろうか。

 扉が開いた。だが、誰も入ってこない。

 

――そんなことを考えていたら、背筋に怖気が走った。

 

 空気が乾燥していく。床がパキパキと音を立てひび割れ、教室の机が風化し崩壊していく。

 空間に瘴気が渦巻き、穴を作った。はそこから訪れた

 ボロボロの黒いローブを纏った、人型。ローブから出ている手足は白骨だ。

 普通ならばみすぼらしい、と表現すべき姿だったが、アレに関しては違うと断言できた。すべての崩壊は、アレがもたらした破滅の残骸でしかない。


「我は映し身、死の落とした数多の影の一つ。定命の者よ、我に道を示してみせよ。《反魂侯はんごんこう》到来せり」

『SSレア 「破滅の影」《反魂侯はんごんこう》』


 もう、否定のしようがないほど人類の敵アウトローだった。


「………転入ガチャからこいつでるの!?」

「ええ、《反魂侯はんごんこう》はコラボ元の人気キャラですから」

「主人公の人は!?」

「やだなあ先生、ここは女子校ですよ。来るわけないじゃないですか」

「あの販促台詞を言っておいて出ないってひどくない!?というかこいつはいいの?」

「《反魂侯はんごんこう》は性別不明ですから」


 俺とピンクが醜いやり取りをしていると、二人の生徒が《反魂侯はんごんこう》に近づいていった。田中と聖霊院だ。

 田中は何も言わなかった。ただ、まっすぐ《反魂侯はんごんこう》を見据えた。


「安心せよ、《運命の加護》を受けし者よ。此度は、汝の「普通」を崩す気はない」

「……だったら、構いません」


 構って欲しかった。田中が受け入れてしまうと、もう《反魂侯はんごんこう》に対抗できる人材はうちにはいないのだ。


「今度は、君に人の意志を見せてあげるよ」

「……期待しておこう、定命の者よ」


 聖霊院はポーズを取ってそんなことを言った。一度あんな目にあったのに、あまりにも順応が早かった。

 

「来学期から授業どうしよう……」

「《反魂侯はんごんこう》は学力も運動能力も高スペックな優良SSレアですよ?」

「そういう問題じゃねえよ……」


 案外クラスに馴染んでいる《反魂侯はんごんこう》を見ながら、俺は頭を抱えたい気分になっていた。

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