その3・春・マラソンは自分との戦いです
「やっと授業が終わった……」
スタミナが切れると同時に、俺は教卓に突っ伏した。
辛かった。レベルアップがこんなに辛いものだとは知らなかった。
「成長は痛みを伴いますからねえ。これで先生も一皮剥けたわけです」
ピンクは偉そうにウンウンと頷いていた。
それに対して反論する気力すら湧いてこなかった。
「実際、新任教師の2割がレベルアップの連鎖に耐えかねて仕事を放り出しますからね。頑張りましたよ」
「妥当な結果だ……」
この仕事を放り出すのをゆとりと罵る気にはなれなかった。
ブラック企業には毅然とした態度で立ち向かうべきだ。ヘタな我慢が悲劇を生む。たった今実感した。
「とにかくこれでスタミナが回復するまで休憩できるんだろ……?」
「基本的にはそうなんですが、今回はイベントがあるみたいですね」
ピンクはちらっと、生徒たちの方に目を向けた。俺もその視線を追った。
休み時間、生徒たちは思い思いに過ごしている。
高橋と大原は机をくっつけて一緒に勉強をしていた。高橋の委員長スキルの効果が早くも出ているようだ。
「大原さん、そこの解き方はこっちの公式を使って……」
「あー!なるほどなー!いや、昨日全然予習してなかったから分からなくてさー!なるほどなー!」
大原は言い訳さえなくなればもうちょいステータスが伸びるだろうになあと思った。
山本……もとい聖霊院はフンフンと頷きながら本を読んでいた。
表紙がイラストなのでラノベかと思ったが、よく見ると「よく分かる!哲学入門」と書いてあった。こいつはこいつで変な方向に真面目だ。
そして、田中を見ると目があった。何やら話しかけたそうな、ためらっているような雰囲気だ。
「気づきましたね、先生。生徒指導イベント発生ですよ!」
「生徒指導……普通のソシャゲで言うところの進化みたいなシステムだっけ」
「はい!条件を満たすとイベントが発生しますよ!今回はノーマルの田中さんなので、信頼度を上げるだけで発生条件を満たしましたね」
「延々と授業してるだけで信頼されるのってすごいな……」
思春期の青少年の指導に悩む世の教師が聞いたら泣きそうな話だ。
「では、イベントを発生させるために田中さんに話しかけてください」
「いきなり話しかけるのって変じゃない?」
「悩みを抱えてる生徒なんて話しかけるだけでOKですよ」
「思春期をなんだと思ってるんだ……」
若者を舐めたピンクの言動はともかく、田中がこっちを意識していることは明白なのだ。話しかけないことには始まらない。
俺は田中に声をかけようと近づこうとした。
だが、その前に当然のような顔をして後ろからついてくる舐めピンクに声をかけた。
「……待て」
「なんですか?」
「なんでついてくるの?」
「生徒指導イベントについて解説するためですけど」
「悩み相談してる横に解説役がいるのは流石にどうかと思うんだけど!?」
悩みを吐露してる横で「ノーマル生徒の悩みなんて適当に答えてもあんまり変わりませんよ!」なんて言う奴が居てうまく行くはずがない。
「えー……まあ、生徒指導なんて難しいことはないですし別にいいか」
「お前は生徒の悩みをどれだけ甘く見てるんだ……」
「先生が自分で一人でやるって言ったんでしょうが。まあ、そういうなら頑張ってください。応援してますよ!」
というわけで、ピンクを置き去りにして俺は田中の下に近づいていった。
「どうした、田中。何かあったのか?」
「先生……」
田中は少しためらいながら、言葉を紡ぐ。その頭上に
『★生徒指導イベント発生☆』
というメッセージが表示されていた。両脇の星は交互に点滅していた。
田中は、本当に話して良いのか悩んでいるようだった。当然だ。俺はまだ昨日担任になったばかりの新任の教師だ。
それでも、教育者として生徒の成長を助けたいと思う気持ちは本物だ。ピンクとは違う。思春期の複雑な悩みにも正面から向き合いたいと思っている。
だから俺は、田中の目をまっすぐ見て言葉を告げた。
「大丈夫だ。どんなことでも、力になるぞ」
田中は俺の目を見返して、こくんと頷いた。
「あの、放課後暇なので何かしようと思ってるんですけど、何がいいと思いますか?」
「……………放課後、か」
俺は軽く目を閉じた。思ったより深刻じゃない悩みだった。
まぶたの裏では、シリアスな雰囲気出しといてぷぷー!と笑うゲスピンクの姿が見えた。このやろう。
そもそも、こういう相談は同年代にしたほうが良いんじゃないだろうか。俺は目を開いて辺りを見回した。
「すごい、大原さん。やればできるじゃない」
「えー?マジでー?別に勉強してたわけじゃないんだけどなー!偶然だよ偶然ー!」
「ふふ……偶然、か。果たしてこの世界にそんなものは存在するのかな?」
あとはモブだ。高橋以外ろくな同級生が居なかった。高橋にしたって、放課後の使い方を相談するに向いているタイプとは思えなかった。
だったら答えるのもやぶさかではない。と俺が考えたところで、田中の頭上に浮かんでいた文字が変化した。
A.部活に入ってみるのはどうだ?
B.勉強してみるのはどうだ?
C.趣味に打ち込んでみるのはどうだ?
選択肢だった。しかも、どれもアドバイスとして妥当だった。
どう答えようか迷ったところでひらめいた。
確か、生徒指導すると属性が変わることがあるというのをあのピンクが言っていた。で、3つの選択肢はそれぞれの属性に対応している可能性は高い。
うちのクラス委員長はしばらく高橋固定だ。ならばクール属性になってくれたほうがありがたい。
「そうだな……予習復習は大事だぞ、勉強してみるのはどうだ」
「そうですね。授業もちょっと難しくなってきましたし、そうしてみます。ありがとうございます、先生」
田中は嬉しそうに頭を下げ、去っていった。その後ろに
★生徒指導成功☆
『無属性ノーマル「普通の生徒」田中よし子→クール属性ノーマル「塾通い」田中よし子』
と表示されていた。
「………クールになっても普通だなあいつ」
「所詮ノーマル生徒ですからね」
「普通って意味のノーマルじゃないと思う……」
いつの間にかピンクが再登場していた。
「どうですか、先生。初めての生徒指導はうまくいきましたか?」
「ああ……まあ、うん……」
「田中さんは信頼度だけで生徒指導イベントが発生しましたけど、他の子はアイテムやステータスやランキングなど様々な条件が存在する場合もあります。がんばってくださいね!」
ピンクは小さくガッツポーズを作った。
俺はさっき目蓋の裏に出てきた脳内ゲスピンクを思い出して、少し辟易した。
ーーーーー
生徒指導も終わったことだし、今度こそスタミナが回復するまで休憩を取ることができるようになった。
俺は一旦職員室に戻り昼食を取ることにした。
教室で昼食をとっても良かったのだが、まだピンク以外の教職員に会っていないことを思い出したのだ。
こんな学園だが……いや、こんな学園だからこそ、職員同士仲良くしておきたい。そういうわけで俺は職員室に戻ったのだ。
「
「人間関係すら支配するのかこの学校のシステムは……」
ピンクとそんな話をしながら自分の席に戻った。
だが、右を見ても左を見ても誰も座っていない。この学園の職員室はやたら広いのだが、それにしたってガラガラだった。
「そういえば昨日から他の教員と全然合わないんだけど……」
「皆様、まだマラソン大会の最中ですからね?」
「マラソン大会?」
長距離走のマラソンのことだろうか?
確かに学校行事としてよくあるが、走るのは生徒だ。教師が走るというのは聞いたことがない。
「ええ、リセットマラソン大会」
「それか……」
わりと予想通りの答えが帰ってきた。
「でも、この学校でリセマラってどうやってやるんだ?まさか新卒採用試験からやり直すわけじゃないんだろ?」
「ええ、ですので……」
ピンクがそういったところで、職員室の扉が開いて汗だくの男が入ってきた。
キラキラした封筒……たしかアレは最初のログインボーナスのSSR5%転入届だ。
男が転入届を開くと、教室の扉が銀色に光った。男はどの生徒が出てくるかも確認せずに職員室から出て行った。結局生徒は入ってこなかった。
「ああいう風に、マラソン一回ごとに最初のログインボーナスを引き直せるというルールになってますね」
「非効率的だ……」
「あ!マラソンって言ってもフルじゃなくてハーフマラソンですよ!」
「21km走って
「リセマラってそういうもんでしょう……先生は本当に幸運でしたね」
陰湿ピンクは思い出し舌打ちをした。未だに一発でSSレアを引いたことを根に持っているようだ。
だが、このルールを聞く限り多分一発でSSレアを引けなくてもリセマラはしなかったと思う。
そんな風に考えていると、隣に誰かが着席した。
「おや、リセマラが終わった方ですか?」
隣に座ったのは清潔な風貌の男だった。
短い髪、ヤセ型の体型。オシャレという感じではないが全体的な作りが整っているイケメンだ。
「ああ、いや。俺はリセマラしてないんですよ」
「お、先生もですか」
「ということは、貴方もリセマラをしてないんですか?」
「ええ」
男は爽やかに笑った。気持ちのいい笑顔だった。
「リセマラまでして欲しい生徒を引くより、引いた生徒に愛情を注ぐべきだと、私はそう思っているんですよ」
この学校の教職員とは思えない、まっとうな言葉だった。
「あ、申し遅れましたね。私は
「あっと、俺の
俺と尾上先生はフレンドコードを交換した。
フレンドとかそれ以前に人として好感の持てるタイプだったので、俺は隣の席がこの人で良かったと思った。
雑談をしながら昼食を取り出す。
白米と、冷凍食品のおかずを詰め込んだ普通の弁当だ。自炊ってほどではないが、コンビニ弁当よりは経済的だと思う。
俺が弁当を取り出すと、隣から「ぐー!」と驚くほど大きな腹の音がした。
俺はピンクを見た。ピンクは笑顔だったが、目が笑っていなかった。流石にこれは失礼だったかと思ったので素直に謝った。
「おっと、お聞き苦しいものを。申し訳ありません」
尾上先生が頭を下げた。腹の音は彼のものだったようだ。
「えっと……食べます?」
「…………………ああ、いえ、私も自分の食事がありますので」
長い逡巡のあと、尾上先生は首を横に振った。
尾上先生は鞄を開き、中から袋を取り出した。
もやしの袋だった。
「尾上先生、それは……?」
「私の食事ですが」
「あの、もやし以外には……?」
「ありません」
当たり前のように言われた。
「栄養がかたよると思うんですけど……」
尾上先生はにこやかに笑った。
「いいですか、先生。飯は食べればなくなります」
「はい」
「
「食事だよ!?」
頭を抱えたくなった。尾上先生もまともな人ではなかった。
「冷静になってください、先生」
「冷静じゃないのは尾上先生だと思うんですけど」
「最初の
俺はうっ、と少し息が詰まった。
確かにモブで埋まったクラスを見て心苦しく思ったのは事実だ。
「だったら、多少無理をしても
尾上先生はもやしを頬張りながらそう言った。納得したくない。納得したくはないが、一理有る気がした。
「先生、少しいいかな?」
そんな時、一人の生徒が職員室に入ってきた。扉が光って居なかったので
俺は尾上先生に会釈をして、聖霊院に向き合った。尾上先生は特に何も言わなかった。
「ああ、どうした?」
「……風が、僕を呼んでいるんだ」
聖霊院は窓の外を見て、髪をかきあげながらそう言った。
「お前は何を言っているんだ」
「檻の中にいるのも役割なら受け入れるさ。だが、時に風の向くまま旅立ちたい時もある。そうだろう」
「……いい天気だから早退したい、ってことか?」
聖霊院は頷いた。やっぱりこいつもアウトローだった。いや、勝手に帰らないだけマシなのかもしれないが。
「ダメに決まってるだろうが」
「……ふ、所詮僕らは
聖霊院は職員室から出て行った。あいつは本当に何をしたかったんだ。
「いや、すいません尾上先生。あいつ、うちのクラスの生徒なんですけど困ったアウトローで……」
「山本を引いたんですか!?いいなぁ!?」
尾上先生は俺の両肩を掴んだ。ちょっと痛かった。
「え、ええ、最初のガチャで……せっかく出た生徒だから面倒みようかなあ、と……」
「いいなぁ!いいなぁ!うちの生徒と交換してくださいよォ!?」
「交換とかあんの!?」
ピンクの方を見ると、ピンクは頷いた。
「両
「生徒の合意は!?」
ピンクは鼻で笑った。要らないらしかった。このゲスピンクめ。
「交換してくださいよ!クールでもヒートでもSSレアだしますよ!」
「お前、引いた生徒に愛情注ぐべきだって言ってたろ!?」
尾上先生は俺の肩を掴んでガクガクと揺さぶった。人の話をまったく聞いていなかった。
「だって、何回も回しても山本引けなかったんですよォ!お願いします!トレードしてください!だって山本使いづらいでしょう!」
「生徒に対して使いづらいとか言うな!」
「クールがいいですか?ヒートがいいですか?なんならSSレアだけじゃなくてSレアもおまけに付けますよ!ほら、「蘇る復讐鬼」
「いや、そういう問題じゃ……ちょっとまって!?星ってヒートの初期Sレアの生徒だよね!?あいつ「陸上部の星」から「落ちた流星」になった後そんなんなるの!?」
「そんなことはどうでもいいですよ!交換するんですか!しないんですか!」
「しません!」
俺がそういうと、やっと尾上先生は俺から手を離してくれた。
だが、彼の目はまだすわっていた。
「分かりました……身を切るような思いですが、私の一番大切なものも差し出しましょう。どうか、これで……」
「いや、だから別に……」
尾上先生はぎゅっと、俺の手を握ってきた。そのまま、俺に何かを渡した。
俺は渡されたものを見た。もやしの袋だった。3分の1程度すでに食べ終わった後だった。
「要らねえよこんなもん!」
「いらねえとはなんですか!俺の一日分の食事ですよ!」
「これで一日食いつなぐの!?
俺がもやしを返すと、尾上先生は非常に悔しそうな目でやっと諦めてくれた。
「……でも先生、実際、そろそろクラス構成考えた方がいいですよ。体育科にするのかとか進学科にするのかとか」
「体育科?進学科?」
「ああ、
なるほど、確かにイメージにあっている。なかなかいい俗称だと思った。
「アウトローで埋めたクラスは通称学級崩壊」
「そうだね!確かにそうだけどね!」
身も蓋もなさすぎた。
「もちろんうちのクラスは見事な学級崩壊ですよ!」
「教員失格すぎる……」
「いや、でも、本当に方針は決めておいた方がいいですよ。何せもうすぐアレですからね」
「アレ?」
なんだろうか、と訪ねようとしたところで、ピンクが遮ってきた。
「ここからは私が説明させていただきます。来月半ばにはついにお待ちかねの
ピンクはそういってカレンダーを指差した。カレンダーには確かに中間試験の日程が書いてあった。
自分のクラス構成を思い出す。
クールが
「真面目な委員長」高橋
「塾通い」田中
「昨日全然勉強してない」大原
アウトローが
「治らない中二病」山本こと聖霊院
あとは全員モブ生徒だ。
「……あれ、うちのクラス結構ヤバイ?」
尾上先生は可哀想なものを見るように、ピンクは満面の笑みで、頷いた。
「今だと10連
ピンクは悪魔の笑みを浮かべてそう言った。
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