新婚ですが、なにか? 前編

「ダイラ! あなた結婚したのにどうして女官部屋で平然と暮らしているのよ!」

「だって結婚はしていても働いているもの。当然でしょう?」


 女官部屋でダイラは同僚から攻められている。

 相手はイゾルテ。かれこれ二年くらいの付き合いだ。


「あなたね。仮にも新婚さんが何を言っているのよ。夫を官舎に預けたまま、妻も王宮に住み込むってどういうことよ。嫁に行ったんだからお里下がりをして家庭に引っ込め!」

「イゾルテの言う通りよ。ダイラ、あなたがさっぱりしているのは認める。塩のダイラという名は伊達じゃないわ。でも……さすがにこれはやりすぎよ」


 と、もうひとりが話に加わってきた。

 彼女はダイラよりも五つ年上のジョリー。王太子妃付きのダイラとは違って、主に王宮を訪れる客人の世話に当たる役を請け負っている。

 彼女は独身主義者らしく、浮ついた話ひとつない。それでもダイラの結婚後の態度に一言物申したいようだ。


「これって?」


 ダイラは首をかしげた。

 夫婦ともに仕事を持っているんだから、仕方ない。これがダイラの意見である。

 それがたとえダイラが王宮の女官部屋で寝起きをし、夫のカルロスがいまだに近衛隊の官舎で暮らしていようとも。


「だから全部よ! 自覚ないの? 新婚なんだから家用意するでしょう、ふつう。いや、リバルス卿は用意していたって話よ? それをあんた! あんたのそれはあれか、新手の嫌がらせか」

 イゾルテはダイラの両肩に手を乗せてダイラのことを揺さぶった。

「家賃もったいないじゃない。お互いに住む場所あるのに」

「そういう問題かーっ!」


 イゾルテが大きく突っ込みを入れた。

 ダイラがカルロスの根気に負けてついに彼と結婚したのが二月。

 母が遠い地へ旅立ってから数カ月が経っていた時のことだ。ちなみにいまの季節は四月である。


 うっかり彼の求婚の言葉に返事をしてしまったダイラだったが、その後はかわしつづけた。その間にカルロスは家族への根回しを済ませていたらしく、ダイラがカルロスに連れられて彼の実家を訪れたとき。歓待こそされなかったが反対もされなかった。どうやら諦めの境地に達したらしい。


 そもそもダイラは結婚する気もなかったのに。

 なぜだか結婚する羽目になった。

 けれど一番大きかったのは、『ダイラは俺が別の女性と結婚してもいいの? 俺が別の女性を抱いてもいいんだ。いちゃいちゃしちゃっても』とカルロスが言ったことだった。


 カルロスがダイラ以外の女性を抱く。嫌だと思った。ほかの女性の肌になんて触れてほしくない。

 本当の意味でダイラがカルロスに陥落した瞬間だった。


 いつの間に、ダイラはこんなにもカルロスのことが好きになっていたんだろう。

 彼がベルナルドについて戦場に行く時、彼から小袋を渡された。戦地に赴く軍人は、自身の髪の毛の入った布袋を恋人や妻に託す習慣があるらしいことをそのときダイラは初めて知った。


 初めて知ってどうしてわたしに、と困惑した。その頃はまだカルロスのことは少し信頼してもいいかなと思う同僚という位置づけだった。その彼がベルナルドをかばって銃で撃たれて重傷。そんな知らせを聞かされて、目の前が真っ白になった。冗談半分で持たされた布袋。それがずしりと重くのしかかった。


 レカルディーナにうながされるままダイラは北へ向かった。彼は確かに意識不明の重症で、病室で青白いかをしていた。固く閉ざされた瞼を見下ろせば足元が急にぐらついて、自分がどこかの崖の淵にでも立っている気分になった。いてもたってもいられなくてダイラはカルロスの手を握りしめてずっと傍らに座り続けた。奇跡が起こって彼が目を覚まして、ダイラは泣いた。


 どうして涙が流れるのか不思議だった。

 彼が唇を少しだけ動かして、ぴくりと動いた指を閉じ込めるように強く握りしめた。

 そのあと、数日たってダイラはカルロスの口づけを受け止めた。


「夫婦であることには変わりないもの。それでいいじゃない」


 二人は夫婦になった。

 だから住む場所が分かれていようと問題ない。

 その考え方のどこがいけないのだろう。


「いいわけあるかーー」

 イゾルテの絶叫がこだました。




「いいわけないだろう! ダイラ、俺たち夫婦だよ?」

「知ってる」

「なら、俺の言いたいこともわかってくれるよね」


 ダイラは短い休憩時間に夫に呼び出されていた。

 昼食を食べ終わったころ合いだ。


「どうしてみんな一緒に住むことにこだわるのかしら」

「こだわるだろう! ダイラの両親だって突っ込むところだよ。二人だって今頃仲良く同じ屋根の下にすんでいるよ」


 ダイラだってわかっている。夫婦が同じ家に住むのは当然だということくらい。

 でも……。


「俺、みんなからめっちゃかわいそうな人って見られてるんだけど。ほんとに結婚したのか? お前の妄想なんじゃないのか? っていまだに言われ続けるし」


 カルロスが力なく笑った。

 王太子周辺に仕える者の間で、カルロスがダイラに懸想していたことは周知の事実である。


「わたしオートリエさまにお金返すまでは辞めたくない」


 上級学校に行くためのお金を出してくれたオートリエに学費を返したい。これはダイラのたてた目標だ。女官としての給金の大半を学費返済に充ててきた。もうすぐ完済できる。


「きみの、その気持ちもわかるけど……。せめて王宮に近いところに家を借りよう?」

「使う頻度が少ないのに、もったいないわ」

「もったいなくないから! そこ必要な経費だからね」


 ダイラは基本根が庶民なのでもったいない精神を発揮する。月に何度しか使わないのに高い家賃を払ってまで家を借りる必要があるのか。その分貯金に回した方が堅実的だと思うと言うと、カルロスは引きつった顔をした。


「いや、あのね。俺だって一応伯爵家の人間だから……」


 カルロスは言外に金のことはきにするな、と匂わせたが根が庶民のダイラには貴族の経済観念なんてわかるはずもない。

 ダイラは首をかしげた。

 ちなみに二人きりで話しているとき、ダイラはカルロスに抱きかかえられるように腰に腕をまわされている。夫になったカルロスはダイラに過剰に触れてくる。人目もあるのに、あまりべたべたとひっついてきてほしくない。ダイラは自然と眉間にしわを寄せるがカルロスは引く気もないようだ。


「俺はダイラといちゃつきたいの。……俺たち初夜だってまだなんだよ?」


 ダイラの究極な塩対応はまさにこれだろう。

 彼女は結婚契約書に署名をして、式が終わるとあろうことかその日のうちに王宮の女官部屋へと帰ってきた。これには同僚以下レカルディーナも呆気にとられた。レカルディーナがカルロスに同情したのは別の話である。というか二人を知るほぼ全員がカルロスに同情した。いきさつを耳にしたベルナルドでさえ『それはさすがに無いな……』とつぶやいたほどだ。さすがに、これはない。塩対応の極みである。頑張れカルロス! 本当の意味で春は近いぞと幾人もの人間たちがエールを送った。


「それは……その……」


 ダイラだってわかっている。

 結婚をした女性に課せられる役割が。

 それなのに今一歩踏み出せない。彼のことが嫌いではない。というか好きだ。なのに……。


「大丈夫。俺が守るから。きみの全部を含めて。生まれてくる子供もダイラもみんな」


 ダイラはぎゅっと強く抱きしめられた。

 別にそれだけじゃないんだけれど。


 ダイラの出生の秘密はカルロスにも伝わっている。だからカルロスは、ダイラがゲルニー公国の血を引く子供を産むことにためらいがあるのではないかと思っている。確かにそれも、怖い。ダイラのほうの血が濃く出てしまったら。カルロスは伯爵家の人間だし、長男一家に万一のことが起ったら爵位はカルロスのもとに転がってくるからだ。リューベルン連邦の情勢はいまだに不穏さを保っている。


 ダイラはカルロスの胸に自身の頭を預けた。温かいぬくもりが伝わってくる。抱きしめられることにいつの間にか慣れた。

 意地を張っているつもりもないのに。

 やっぱり、心のどこかで怖いのだろうか。

 変わってしまうことが。




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