旅立ちの日2

 次に手紙が届いたのは、冬も終わり春が訪れたころの話だった。

 戦争が終わってそろそろ一年経とうかという頃のことだった。

 カテリーナは、彼からの手紙を待っていたのだろうか。よくわからない。


 好きか嫌いか問われれば。好きと答える。でなければ子供なんて産まない。女が一人で子供を産み育てていくのは決して楽なことではない。カテリーナは運が良かったからなんとかなった。娘もしっかり育ち学を身につけ独り立ちをした。もしも、あのとき。身ごもったカテリーナをオートリエが見捨てていたら。カテリーナもダイラも今頃はどうなっていたかわからない。


 カテリーナとしてはダイラを与えてくれただけで十分で。愛しているけれど、それとこれとは違うということをちゃんと理解している。お互いの人生、この先交わることがないことくらい承知しているのだ。だから会おうと思わないし返事だって返さない。なのに、こんな風に便りがくるとカテリーナのなけなしの決心が鈍ってしまいそうでつらくなる。


 それなのに手紙を開封せずに暖炉にくべるなんてこともできなくて、結局は開けてしまう。

 封筒の中には手紙と一緒に切符が入っていた。


『カテリーナへ。

 しばらくぶりだね。実はこの冬、いや、秋ごろから父の体調が思わしくなくてね。先日ついに天に召された。ゲルニー公国最後の大公が亡くなったんだ。私の進退をめぐっての調整が難航して手紙を出すことができなかった。待っていてくれたらなら、申し訳なかったね。ゲルニー公国はアウスバーグに吸収されることになった。反対がなかったわけでもないし、うっかり暗殺されかけたこともあったけど正式に調印に署名もしたし、財産分与などの手続きも済んだ。母は実家に身を寄せることになったよ。私はただのアウグストになった。これから私はアルメート共和国に行こうと思う。最近多くの人間が新たな人生を賭けて彼の大陸に渡っているね。


 こちらの大陸の、どこか適当な国に亡命してもいいんだけれど、いろいろと厄介事に巻き込まれないも限らないし、いっそのこと海を渡ってみることにしたよ。王様のいない国って面白そうだろう? それで、ここからが本題なんだけど。


 カテリーナ、一緒に来てくれないか?


 これからはただのアウグスト・モルテゲルニーだ。身分だって持っていない私だけど、残りの余生をきみと一緒に過ごしたい。もちろん、きみにだってきみの人生があることくらいわかっている。ダイラと一緒にアルンレイヒで過ごしてきた時間もある。いまさら大陸を渡ってくれとか、都合のいいことくらいわかっている。きみになにもかも捨てされるなんて、傲慢な考えだってことも承知の上だ。それでも私はきみと一緒に新しい生活を切り開いていきたい。本音を言えばダイラも一緒に。家族になりたいんだ。

 いまでもきみのことを愛している』


 手紙を読み終わってカテリーナは茫然とした。

 大陸を渡る?

 手の中にある切符は確かにアルメート大陸行きの船の切符だ。フラデニアから出航するものだ。彼はおそらく、アルメート大陸を終の棲家とするのだろう。


 カテリーナは顔をゆがめた。

 自分も年を取り過ぎた。

 故郷を捨てて身重の体でアルンレイヒにわたってきて二十年が過ぎていた。お嬢様について隣国へと渡った。オートリエ以外見知らぬ人ばかりだったミュシャレンだけれど、二十年のうちにたくさんの知り合いや友人ができていた。お屋敷に勤める使用人の同僚たち。出入りの商人やオートリエの友人らに仕える他家の使用人。カテリーナにとってミュシャレンはいつの間にか第二の故郷になっていた。


 フラデニアとアルンレイヒは同じ言葉を話す。けれどアルメート大陸では主にロルテーム語が話されているという。ダイラは語学が堪能だが、カテリーナはかろうじて文字が読めて簡単な単語を理解するくらいだ。


 カテリーナは泣きそうになった。

 彼は旅立つ。

 もう帰ってこない。

 一緒に来るか分かれるか。今度こそ本当に選択の時だった。




 母から手紙の話を聞いたダイラは仕事の休みの日街へとやってきた。

 これまでカテリーナはダイラに泣き言なんて一つも言わかなった。泣き言どころか悩みの一つだって打ち明けられたことなどない。その母が、ダイラにさりげなくではあるけれど「アルメート大陸についてどう思う?」と漏らして、何かと尋ねれば何も答えなくて。そのくせそわそわして、何度かお茶を飲んで。最終的に手紙を見せてくれた。


 ああ迷っているのだな、とダイラは感じた。

 それはそうだ。

 大陸続きとは違う。アルメート大陸へは船で約ひと月。

 移住は決死の覚悟を伴う、と思う。そうダイラが思うのは周りに経験者がいないから。


 海に面しているフラデニアやロルテームでは移住者が多くいるという。労働者の若者が一発逆転を狙って金を買い集め船の切符を買う。それも船底の三等切符。それならまだいいほうで、金がない者は下働きとして雇ってもらう。それで目的地で下ろしてもらうのだ。


 ダイラは書店でアルメート大陸に関する書籍を買った。

 新聞には移住商売をする事務所の広告が掲載されていて、その広告を頼りに事務所に寄った。アルンレイヒでも移住に興味を持つ人はいるらしく、やはりというかそういう人たちは労働者階級の人間が多いようだった。


 別の日に母と面会した時、ダイラはさりげなく聞かれた。

 あなたはどうする? と。カテリーナも不安なのだろう。


 四十を超えて、まったく頼る当てもない未知の国への移住。命の危険があるのなら勢いでできてしまうけれど、昔好きだった男についていくにはリスクが高すぎる。

 そうやって止めることだってダイラにはできた。


 何をいまさら熱くなっているのか。相手は一度カテリーナのことを捨てた男なのだ。そんな男の甘言にいまさら乗ってどうする。大体、アウグストには妻だって子どもだっていたのだ。

 ここはきっぱり袂を分かつ時だ。

 そんな風に以前のダイラなら厳しく諭しただろう。実の親だどうと、そういうときは遠慮なんてしない。


 けれど、いまのダイラには頭ごなしに母を叱ることはできそうもなかった。

 カテリーナの胸の中にくすぶる情熱の熱の一部がわかるから。

 ダイラも知ってしまった。


 人間、理性ではどうしようもない、制御できない感情があるということを。

 ずっとずっと、一方的に恋われていた相手のいいところを知っていった。仕事に真面目な姿勢で取り組むところとか、軽薄そうに見えて主と決めた男性にひたむきに忠誠を誓うところとか。


 少しずつ知っていった彼の人となりと、彼から受ける愛情。そういうものを積み重ねて、彼が死にそうになった時ダイラは彼の想いを受け入れた。

 だから、なんとなくわかる。


 カテリーナがどうしてアウグストを受け入れたのか。

 そして今も悩んでいるということを。

 カテリーナがアウグストについていくかいかないか。


 切符に記載された日付は刻一刻と迫ってきている。結局ダイラも母のことが気になって、アルメート大陸についての情報をあさってしまう。


 オートリエからそれとなく言われたのだ。

 賛成も反対もしないでほしい。これはカテリーナが結論を出さないといけないことだから、と。

 おせっかいの世話やきのオートリエにしては珍しい言葉だと思った。


 しかし心の中で、これまで傍らでカテリーナが苦しんできたのを知っているから彼女は今回何も口を出さないことにしたのだな、とも思った。


 カテリーナに口を出さないと決めたオートリエはそれでもやっぱり気になりすぎるらしくことあるごとにダイラにそれについての話を振ってきた。

 季節は初夏に差し掛かろうとしていた。母がどんな答えを出そうと、ダイラはそれを受け入れるつもりだった。




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