旅立ちの日1

 カテリーナがモンタニェスカ領から帰ってきた年の冬。

 アルンレイヒとザイエンの戦争が始まった。

 王太子自らが戦地へ赴き指揮を執ることになった戦はなんだかんだと長引き春が終わり初夏に差し掛かろうというころ終わりを迎えた。徹底抗戦を構えたザイエン王家だったが、持久戦ではあっけなかった。


 リューベルン連邦の皇帝が連邦軍を出撃させなかったからだ。そんなことをすればフラデニアやその他周辺諸国も黙っていない。またアルンレイヒにちょっかいをかけているうちに今度は内部で反乱がおこらないともかぎらないからだ。

 政治とはなかなかややこしい。

 どうしてカテリーナが遠い北の国境沿いで起こった戦のことを気にするかといえば、彼女の仕えるオートリエの義理の息子がモンタニェスカ領に駐屯する部隊の指揮官として赴任しているからだ。


 それとは別のところで。

 カテリーナはモンタニェス領で久方ぶりに旧知の人間と一瞬だけ邂逅した。

 カテリーナの中ではもう終わった話なのに。


(どうして死んだ人間から手紙が来るの?)


 パニアグア侯爵家宛てに届いた郵便の中に、懐かしい人物からの手紙が紛れ込んでいてオートリエが届けてくれた。それが今朝のことだった。彼女の中でこれをカテリーナに渡すかどうか悩んだらしい。一晩考えて、『やっぱりあなたに渡して、あなたが読むかどうか決めた方がいいと思って』という結論に達したらしくオートリエの朝食が済んだあとに渡された。


 カテリーナは封筒の差し出し人の名前を読んで突っ込みを入れた。心の中でだ。

 封筒の差し出し人の名前はジョルシュ・ホッフマン。リューベニア系フラデニア人で、カテリーナの恋人で死んでしまった相手。


 どうやらジョルシュ改めアウグストはカテリーナの所在をつかんだらしい。

 手紙には『天国からこんにちは』と書きだされていて読んだ時に思わず脱力した。

 天国からってなんなんだ。勝手に死んだことにした嫌味だろうか。


 アウグストからの手紙には彼の近況報告と、きみの娘さんきみに似て美人さんだね。変な虫が付いているようだけど、彼とダイラはいったいどこまで進んでいるのか。若い娘さんの親としてきみがもっと特大の箒を持って追い払わないと云々……という言葉が続いていた。


 カテリーナとしてはあんたが言うか、といった心境だった。

 変な虫とは二十年ほど前のあんたのことだろう。あれだけ女々しくしつこくまとわりついてきて。

 と心の中で毒づいても、その変な虫にほだされて最終的には愛してしまって子供まで生んだ。


 ダイラもそういうところがカテリーナと似ていると思う。

 おもにしつこくアプローチを重ねてくる男に陥落してしまうところが。陥落したら一途に一直線なのだ。


 そんな手紙が届いたあともカテリーナの生活は相変わらずで。

 その後も不定期だけけれど、ぽつりぽつりと手紙が届いた。

 ある時は詩が送られてきた。『題名 愛について』とあり、白い便せんにびっしり愛の言葉がつづられていたときだけはとっさにびりっと破ってしまった。


 びっしり愛してるなんて書かれると、怖い。

 そういえば昔も似たような手紙をもらった気がする。あのときは『怖いわ!』と叫んで咄嗟に暖炉の中に放り投げてしまった。昔から情緒のかけらもない詩を送りつけるような男なのだ。


 カテリーナは一切返信を書かないのに一方的な手紙はその後も続いた。

 季節はめぐり戦争が終わり、秋になり、冬が近づいていた。




「もう! フレンたらせっかくわたくしが段取りをしたお見合いをすっぽかしたのよ! わたくしは彼のことを思ってお相手のお嬢さんを探しているのに! ちっともわたくしの甥への愛をわかってくれないのよ」


 オートリエは今日も屋敷に到着するなり癇癪を起した。

 いや、帰りの馬車の中でもぷりぷりと怒っていた。

 理由は簡単だ。彼女の兄の息子、ディートフレン・ファレンストにご令嬢を紹介しようと張り切っていたのに肝心のフレンが会場に姿を現さなかった。


 一対一の席ではなく、オートリエが懇意にしている画家の作品展で二人を引き合わせようともくろんだのに、急にフレンがキャンセルした。招待客はほかにもいたから令嬢に恥はかかせていない。ただオートリエが先走っただけの話だ。


「奥さまったら、張り切り過ぎなのです」

「カテリーナ。ことは重大よ。フレンはもう二十五なのよ。あっというまに三十になるわ。それなのにいまだに独身街道をまっしぐら。お兄様ったらすっかり諦めたのか最近は本人の自由にさせておけなんておっしゃるし」


 オートリエは外套を脱がせてもらいつつ元気よく論を立てる。

 カテリーナは適当なところで相槌を打つにとどめている。


「大体あの子には母親がいませんからね。わたくしがしっかりして、ちゃんといいお相手を見つくろってこなければいけないのよ。今日のお嬢さんはね、男爵家の娘さんなのだけれど、元は商家の出でしょう。きっとフレンとも気が合うと思うのよ。一度話せばあとはほら、婚約をするだけでしょう」

「一度話しただけで婚約に持っていくのはさすがに乱暴ですよ」

 カテリーナはやんわりとオートリエの暴走をなだめる。

 さすがにそれはフレンにしてみればいい迷惑だ。


「奥様だって昔そうやって男性に引きあわされてぷりぷり怒っていたじゃないですか」


 カテリーナがオートリエの少女時代のことを引き合いに出せば、途端に彼女は思い当たる節があるのか居心地悪そうに肩を揺らした。


「だってぇ……。あの子ったらちっとも自分でお相手を探してこないじゃない。どこかのお嬢さんをエスコートしても、それきり。一度だけなことが何回あったことか。」


 しかしオートリエはまだ唇をとがらせている。

 オートリエもさびしいのだ。娘が結婚し家庭を持って、しかもお相手が王太子だからひるんでしまう。王家相手だと嫁の実家で主導権を握って孫の世話だってできない。


「それにエリセオ様だって独身じゃないですか」

「それはそうなんだけど。エリセオってばいつもこの話題になるとにこりと笑ってだんまりをきめこむんだもの」

 義理の息子へはあまり強くも出れないらしく、そのせいもありオートリエは血のつながった甥に向かって有り余る暇と労力をぶつけるのだ。

「そのうちきっといいお相手を見つけてきますよ」


 カテリーナはそう言ってこの話題を閉じる。

 オートリエの私室には年若い侍女が控えており、彼女に外套を手渡す。

 侍女は外套を受け取ってブラシをかける。

 侍女の名前はミレーネ・ヒョルスナー。オートリエが知人の紹介を受け雇い入れた少女だ。年のころはダイラと同じくらい。赤みがかった金髪の少女は快活で物おじしない頼もしい後輩だ。


 ふとした気まぐれのようにオートリエはミネーレを雇った。

 彼女は執事から接客についても学んでおりゆくゆくは客用使用人も兼用していくのだろう。両親ともに貴族の家で使われていたという典型的な使用人一家に生まれ育った彼女はパニアグア侯爵家に溶け込むのも早かった。


 カテリーナとしては頼もしいと思う反面少しさびしくもある。

 そろそろお役目ごめんってことかしら、と。

 若さには勝てないのである。


「そういえば、最近りんご商人から手紙が来ていないようだけれど」


 オートリエは室内着に着替えながらふいに聞いてきた。

 りんご商人とアウグストの通り名だ。オートリエはジョルシュの由来を知っている。カテリーナとオートリエは主と使用人という間柄だが、それとは別に強いきずながあった。

 ともに若いころから一緒にいるから、苦難を共にしてきたから固いきずなで結ばれているのだ。


「そうですね。もともと、文通しているというわけでもないですし。一方的に送ってきているだけですし」


 カテリーナはそっけなく返した。

 手紙はパニアグア侯爵家宛てに届くから、オートリエの耳にも入っているのだ。


「そうなの」

 オートリエはとくになにも聞いてこなかった。




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