元引きこもり殿下の甘くない婚約生活3

 ベルナルドはレカルディーナの後頭部から垂れ下がっている髪の毛のひと房をおもむろにつまんで指でくるくるともてあそんだ。


(いや、だから近いんですって)


「え、えっと。髪の毛短いと目立つので。街に行くときは変装を」

「変装?」

「レカルディーナのように短い髪の毛はまだアルンレイヒでは珍しいですから。どうやら王太子妃に内定した令嬢は短い髪の毛をしていると新聞社が報じたようで、用心のためにつけ毛を付けているんですよ」


 レカルディーナが何て言おうか考えている間にディートフレンの方が先に口を開いた。

 ベルナルドはここでようやくその他人物の存在に気が付いたようだった。声のした方へじろりと視線をやった。


 ディートフレンはベルナルドの不躾な視線を悠々と受け止めた。口元には笑みが浮かんでいるところを見るにまったく臆していないらしい。さすがは大きなファレンスト商会の次期当主といったところである。


「この男は誰だ?」

 ベルナルドはレカルディーナに向かって質問をしてきた。

「えっと、彼はディートフレン・ファレンスト。私の母方の従兄に当たります。フラデニア留学時代によく遊んでもらってて」


 レカルディーナの答えを受けてベルナルドはもう一度ディートフレンへと視線を戻した。レカルディーナはベルナルドを見上げた。なんだかとても機嫌の悪い顔をしている。ずいぶんと待たせていたに違いない。というか来るなら来ると言ってくれればいいのにと思った。


「ディートフレン・ファレンストです。ベルナルド・レムス・ローダ・アルンレイヒ殿下」

 ベルナルドは片眉を器用に持ち上げた。

「レカルディーナは昔から妹のようなものでして。話に聞いては居たんですが、まさか本当に殿下と婚約していたとは……。レカル、冗談じゃなかったんだな」

「もうっ、フレン兄様ったら」

 最後の言葉はレカルディーナに向けられていた。

「ベルナルドでいい。俺の婚約者が世話になったようだな」


 ベルナルドはまっすぐ射抜くような目をディートフレンに向けた。およそ王太子らしくない言葉遣いにディートフレンは驚いたように眉をあげた。二人ともレカルディーナをはさんで怖い顔をして対峙している。


「いえ、殿下の婚約者の前に、私にとって彼女は可愛い従妹ですから」

「……そうか」


 なにやら含みのある言い方をするディートフレンである。

ベルナルドの愛想が無いのはいつものことだが、社交的なディートフレンまでどうしたのだろう。

 レカルディーナのほうがなんだかいたたまれなくなって二人を交互に見た。




 一見すると和やかな場のようにみえて、みるみるうちに吹雪が吹き荒れそうな空気になり、耐えきれなくなったレカルディーナはお互いの紹介もそこそこにベルナルドを連れて自室へとやってきた。部屋に招き入れてから、今朝屋敷を出るときのままだったことに気が付いて慌てたけれど、侍女が片付けてくれたのか出しっぱなしにしていたドレスはきちんと仕舞われていた。


 後ろから付いてきた侍女が暖炉に火種を入れてくれた。

 もう少ししたら部屋の温度も上がるだろう。

 ベルナルドは物珍しげに室内を眺めていた。


「殿下、恥ずかしいのでそんなにも見ないでください」


 ちょうど暖炉の上に飾ってあった家族一緒の絵を見られてしまい、レカルディーナは顔を赤くした。レカルディーナだが十歳になるかならないかくらいに描かれたものだ。


「どうしていつまでたっても名前で呼ぼうとしないんだ」


 ベルナルドは少し拗ねたような声を出した。初対面の頃から殿下と呼んでいたため癖になっているんです、と何回も説明しているのにベルナルドはしつこく名前で呼べと言い募ってくる。意識するようにしてはいるものの、恥ずかしいのだ。理由はわからないけれど、ものすごく。


「だって……」

 ベルナルドは照れて言葉を探しているレカルディーナを無造作に引き寄せた。

「ここがレカルディーナの育った部屋なんだな」

「といってもわたし四年間留守にしていたので、どちらかというと子供部屋みたいな内装でしょう。改装する間もなく家を出ちゃったし」

「俺ばかり色々と見られていたから、レカルディーナの部屋が見れてよかった」

「そ、そうですか……」


 あんまりじっくり見られるとそれはそれで恥ずかしくてレカルディーナは目を泳がせた。見られてまずいものは置いていないと思う。

 ベルナルドは一通りレカルディーナの部屋を見渡して満足したのか、部屋の中央に置かれているソファに腰を下ろした。寝室とは別のレカルディーナ専用の応接間なのである。ベルナルドに促されるままレカルディーナも隣に腰を下ろした。つけ毛はそのままにしてある、というか取る暇がなかったのだ。長い髪の毛を半分ほど持ち上げて結っているのだ。長い髪のレカルディーナが珍しいのかしげしげと眺められて自然に頬が火照ってしまう。


「で、いつ帰ってくる?」

「ええと。せっかくなのでもう少し実家にいたいんですど」

「もう少しとはどのくらいだ」

 望んだ答えではなかったのかベルナルドの声が少しだけ低くなった。


「来週、両親がお茶会を開くんです。わたしアルンレイヒに帰ってきてから慌ただしくて親族ともあまり顔を合わせていないですし、お祖母さまたちも出席するっておっしゃってて」


 レカルディーナはおずおずと切り出した。ベルナルドは数日分の空白を埋めるようにレカルディーナの額や目じりに口づけを次々に落としていった。くすぐったいのとひさしぶりの感触にレカルディーナは喉を鳴らした。ベルナルドは離してくれそうもない。

 それでもレカルディーナの話はちゃんと聞いていてくれたようだ。不承不承ながらも了承をしてくれた。


「お茶会が終わったら迎えに来る。あと、あいつもこの屋敷に滞在しているのか」

「あいつって?」

「あの男だ。お前の従兄とかいう」

 ベルナルドは再び眉間にしわを寄せた。


「フレン兄様? 彼は明日にでもミュシャレン中心地のホテルに移動するって言っていましたよ。やっぱりこの家の中だと落ち着かないみたいで。ホテルの方が自由に動けるし、仕事の話もできるからって」

「まったく恐縮しそうには見えなかった」

「たしかに。少しびっくりしました」


 ベルナルドは憤然とした様子で吐き捨てた。それはたしかにレカルディーナも思ったことだった。


「昔から仲が良かったのか?」

「んん~、兄様も寄宿舎に入っていたので休暇中に顔を合わせるくらいでしたけど。でも一緒に旅行とかしましたよ。祖父母も一緒でしたけど」

「ふうん」


 ベルナルドは面白くなさそうに眉根を寄せた。

レカルディーナはくすくすと笑いながらディートフレンがアルンレイヒに来た目的やファレンスト商会について説明した。こうしてベルナルドの側で話をするのもなんだか久しぶりだった。王宮にいたころは毎日何かにつけてレカルディーナの元を訪れるベルナルドとたわいもない話をして笑い合った。


 数日ぶりなのに妙に懐かしい。ベルナルドにすっぽりと抱きしめられている。

近い距離で、耳元でこそこそ話をすればベルナルドの表情も次第に柔らかいものへと移っていった。


 ベルナルドの触れた個所が妙にじんわりと暖かくって、暖炉の火のおかげで部屋は寒くないのに離れたくないと思うレカルディーナだった。




 その日の夜である。

 レカルディーナは遅くまで家族用の居間でくつろいでいた。

 祖母カルラがなかなか離してくれなかったのだ。必然ディートフレンもそのまま居残ることになって三人で談笑していた。こうして三人で過ごしているとフラデニアでの休暇を思い出す。


「それにしても本当にレカルディーナ、王太子と婚約したんだな」


 ディートフレンは今日何回目になるだろう言葉を再びしみじみとした様子で呟いた。レカルディーナがベルナルドと二人で話しこんでいたところに、下でお茶の用意をして待ちわびていたオートリエらを代表してディートフレンが呼びにきた。「お邪魔しちゃいまいしたか」とさして悪びれもせずに二人の間に入ったディートフレンの態度にベルナルドがあからさまに不機嫌になったけれど、なんとか平穏無事にお茶の席は過ぎた。


「フレン兄様、大丈夫だった? ベルナルド殿下はその、ちょっと気難しいところもあるけれど、基本的には優しい人なのよ」


 お茶の席で始終むっつりしていたベルナルドの弁解をした。なぜだか普段よりも愛想がなかったけれど、きっと初対面の人の前で緊張していただけだと思うレカルディーナだった。年上の従兄との仲の良さを見せつけられてやきもちをやいていたベルナルドの心中をまるで察していないレカルディーナである。


「俺は気にしちゃいないさ。俺が驚いているのはレカルの方」

「わたし?」

「あんなにもお転婆で、男よりもメーデルリッヒ女子歌劇団の方が大好きって公言していたレカルがお嫁に行くって聞いた時は絶対何かの間違いかと思ったのに。なんか殿下の前だと普通に女の子してたよな」


 おそらく他意は無いのだろうが身内にそういうあけすけなことを言われる日が来るなんて思ってもみなかった。

 レカルディーナの頬は瞬時に赤く染まった。


「ちょ、ちょっと兄様! なんてこというのよ」

「あ、ほらその顔」

「もう!」


 ディートフレンとは年に数回しか会うことが無かったといえども、お互い長い休暇の時には同じ屋敷で過ごすことも少なくなかった。ベルナルドにとってアンセイラが気の置けない幼なじみであるならば、レカルディーナにとってはディートフレンがそのような存在だった。そう思い至って、なんとなくベルナルドの言いたいことが分かったような気がしたレカルディーナだった。ついでに、そんな近しい相手に恋の話をされると反応に困ってしまうことも初めて知った。


「それにしてもレカルディーナ。本当にあなたいいの? 相手はいずれ国主になられるお方なんでしょう。そんなお人のところにお嫁に行くなんて」

 それまで二人の話に加わることのなかったカルラがやんわりと会話に混ざってきた。その表情は思いのほか固かった。


「それは、まあ確かに大変かもって思うこともあるけれど」

「思う、ではないですよ。あらぬもめ事に巻き込まれることだってありますからね。大体レカルディーナは本当に殿下のことが好きなのかい? 聞けば殿下のほうから熱心に打診してきたっていうじゃない。おまえの意思を無視しているんだったら、わたしがなんとかしてあげるよ」


 レカルディーナは改めて祖母の顔をまじまじとみた。

 そういえばレカルディーナの結婚について彼女が自分の意見を述べるのは初めてのことだった。祖父ディートヘルムは少し複雑そうな顔をして、「そうするとなかなかフラデニアにも来れなくなるなあ」と言っていた。その祖父はアルンレイヒについて早々ファレンスト商会のミュシャレン事務所に通い詰め財務状況や営業成績などの資料を丹念に読みふけっている。昨日からミュシャレンの拠点を一足先に中心部のホテルへと移している。ディートフレンも明日からは祖父の元へ赴き、彼と同じ部屋に滞在するのだ。


「お祖母さま、もしかして結婚に反対しているの?」


 レカルディーナは恐る恐る尋ねた。

 孫娘の問いかけにカルラは小さく居心地悪そうに身じろぎをしてレカルディーナから視線を外した。その仕草がすべてを物語っているように感じられた。

 カルラはおもむろに口を開いた。


「そりゃあね。オートリエがパニアグア侯爵家へ嫁いだのだって大変なことでしたからね。それがあなた王家へ嫁ぐなんて。一般人が王子様と結婚したら苦労するに決まっているじゃないですか」

「お祖母様、レカルは侯爵家の令嬢ですよ」

 ディートフレンがやんわりと口をはさんだ。


「お黙りなさい。たとえそうだとしてもファレンスト家の血だって入っているんです」


 カルラは昔からレカルディーナをパニアグア侯爵家の娘ではなく、ファレンスト家の娘として扱いたがっていた。そういうわけだから彼女の中では平民の娘が王家へ嫁ぐという感覚なのだ。

 確かにレカルディーナも不安が無いかといえば嘘になる。ベルナルド自身はああいう人なので元から格式とか伝統とかあまり気にする性質ではないけれど、それでも王室へ嫁ぐのだからレカルディーナも今後はまったく無関係というわけではない。現国王の妃であるカシルーダを見ていると、自分にもあんな威厳とか気品が備わるようになるのだろうか、と疑問に思うことだって多々ある。


「わたしは大丈夫よ。殿下……じゃなかった、ベルナルド様とも約束したもの。ずっと一緒にいますって」


 レカルディーナはやわらかく微笑んだ。

 その笑みを、ディートフレンがなにかまぶしいものをみるような顔つきで眺めた。カルラはまだ言い足りないのか不満げにレカルディーナのことを見つめていた。


「一緒にって。またそんな。精神論だけでは結婚なんてできませんよ。一時の熱に浮かされた状態で結婚しても失敗するに決まっています。オートリエだって人の忠告なんてまるで聞かないで、勝手に結婚して。まったく」

「あら、お母様とお父様は仲良しよ」


 まるで両親の結婚がさも失敗だったかのように言われたレカルディーナはつい反論をした。カルラはぴくりと片眉を持ち上げた。


「けれどあの子だって苦労し通しじゃないか。大体……」

「まあまあ、お祖母様。今日はもう遅いですしこの辺で。レカルディーナも部屋へ戻りなよ。冷えると体に良くないよ」


 ディートフレンがカルラの声を遮ってくれてレカルディーナは少しだけホッとした。お言葉に甘えてそのまま挨拶をし、自室へと向かった。

 階段を上っていると、先ほどの会話を思い出してしまいレカルディーナは表情を曇らせた。結婚するなら皆に祝福されて結婚式を迎えたい。


 ベルナルドの長年の引きこもりを知っている国王と王妃はレカルディーナのことを手放しで迎え入れた。今まで誰もなしえなかった王子の政務復帰に貢献し、また孫は絶望的だと諦めていたのに、彼の方から妃にしたい娘がいると請うたのだ。国王とベルナルドの実父であるモンタニェスカ公爵は涙して喜んだくらいだった。一方のパニアグア侯爵家といえば、手放しで祝福をしてくれたのはオートリエだけだった。先日の食卓でも分かるように、父は本心では、まだ認めていない。こちらは主にベルナルドのこれまでの生活態度が響いている。たしかに引きこもりをしていたけれど、彼にも彼なりの事情や想いがあったのだ。別に怠けるのが大好きというわけでない、と思う一応。面倒くさがりなところはあるけれど。


 やっぱりレカルディーナに王妃の資質なんてないのだろうか。

 レカルディーナはため息をついた。今一人になりたくないな、と思うと途端にベルナルドに会いたくなってくる。当然のように腕の中に招き入れてくれて、まだ結婚前なのに距離がとっても近くて、正直まだまだ心がついていかないことのほうが多いけれど、不安なときや心細い時に浮かぶのはベルナルドなのだ。


 昼間に会ったばかりなのに、それでも会いたくて会いたくて胸の奥がきゅっと痛んだ。

 どうしてもう少し実家にいたいなんて、言ってしまったのだろう。


「どうしたんだ? こんなところで。風邪ひくぞ」

 後ろから優しい声音が響いた。レカルディーナが振り向くと微笑を浮かべた従兄の姿があった。

「お祖母様は」

「ちゃんと客間に送ってきた」


 ディートフレンはレカルディーナに近づいてきた。

 三歩ほど離れた位置で立ち止まった。レカルディーナが不思議そうに彼を見上げるとディートフレンは小さく苦笑を浮かべた。


「まあ、あれだ。お祖母様のあれは、なんつーか。さびしいんだよ。フラデニアにすぐに帰ってくるって息巻いていたお前が全然戻ってこなくて、手紙もこないとやきもきしていたらいきなり王子の嫁になるなんて叔母上から手紙が来たもんだから」


 今度はレカルディーナが身を縮こませる番だった。

 女優になりたい、フラデニアの方が自由な雰囲気で大好き、卒業してもフラデニアで暮らしたいな、友達もこっちのほうが多いし、と何かにつけて言っていたレカルディーナだった。


「それは……その」

「分かっているって。いろいろとあったんだろう。今日のでちゃんと分かったから。レカルが殿下のことを好きだって。殿下もめちゃくちゃお前のことしか眼中にないって感じだったもんな」

「え……」


 ディートフレンの言葉にレカルディーナは二の句を継げなかった。

 人から指摘をされると恥ずかしすぎて反応に困るのだ。しかも、ベルナルドが自分しか眼中にないとか、指摘されると恥ずかしい。


「ほらその顔」


 おもむろにディートフレンが腕を伸ばしてきてレカルディーナの髪の毛をぐしゃっと少し乱暴に撫でた。ベルナルドとは力の強さが違う。彼はもっと大事な宝物を愛おしむようにレカルディーナの髪の毛をやさしく梳くのだ。従兄の仕草につい婚約者のことを想い浮かべてしまってレカルディーナは慌てて身を引いた。なんとなく、他の男性に触れられたくなかった。


 レカルディーナの行動にディートフレンが寂しそうな表情を浮かべた。

「お祖母様のことはもうちっと待ってやれ。多分そのうち踏ん切りがつくだろうからさ」


 そして俺もな、と続けた言葉は口の中だけで呟いたものだったためレカルディーナが気づくことは無かった。


「ほら、もう寝ろ」

 ディートフレンは大きな声を出してレカルディーナを寝室へと追いやった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る