元引きこもり殿下の甘くない婚約生活2

 レカルディーナが王宮から姿を消して早六日後。

 レカルディーナが自由気ままな最後の独身生活を謳歌している頃。ベルナルドはというと、そろそろ我慢の限界だった。


毎日辛うじて一通手紙は届くが、内容はとても簡潔でそっけないものだった。毎日届く内容が、わたしは元気です。の一言と兄と父が入れ換わりレカルディーナに構おうとしているようで、相手にするのが面倒になってきましたとか書かれているきりである。ベルナルドについては一言も触れられていないのが少々、いや、ものすごく面白くない。なんだかこちらばかり彼女のことを気にしているみたいではないか。一言くらいは寂しいとかなんとか書いてもらいたいものである。


 彼女が王宮にいないのに政務を頑張る気もおきなくてベルナルドは隙をみてはさぼっていた。それでも王太子用の執務室に座っているのは「義務も果たさない王子に娘をやれるか」と息巻いたパニアグア侯爵家当主の言葉があるからだ。寄宿舎から帰ってきた娘が全然屋敷に居着かないまま、今度は王太子に取られてしまいセドニオは他の貴族の当主がこぞって娘をどうぞ嫁にもらってくださいと言うようなところなのに、あろうことかベルナルドとレカルディーナの結婚を反対したのだ。引きこもり王子に渡すくらいならまだ女優になってくれた方がましだ、とか真正面から言われてものすごく腹がたったベルナルドだった。


 自分が周りからどう思われているか十分理解をしていたベルナルドは、もちろんレカルディーナを王宮に閉じ込めたまま自身一人でセドニオと対峙したのだけれど。国王夫婦の許可を取った上で、ベルナルド一人で挨拶のためにパニアグア家を訪れたことがお気に召さなかったらしい。


 そういうわけで外堀を完全に埋めて、レカルディーナが次代の王太子妃であると周知徹底させたこの時期だからこそベルナルドも彼女の一時里帰りを許したのだ。いくらなんでも一介の侯爵家が婚約取り消しなど出来ない段階になったからこその余裕だった。


 ベルナルドは本日片付けるべき書類に署名をした後執務室を後にした。

 自室に戻って適当に上着を手にとってそのまま回廊へと引き返した。


「殿下、どちらへ」

 レカルディーナの抜けた穴を埋めるために新たに側近となったイスマエルが尋ねてくる。彼は侍従というよりもベルナルドの政務の手助け、または貴族議会との橋渡し的な役をする色合いが濃い。今日の執務は(ベルナルドの中では)終わったのだからいちいち付いてこなくてもいいものを、なかなか口うるさい男である。


「外へ行く」

「殿下! まだほかにもやるべきことが」

「知るか。うるさい。ついてくるな」


 ベルナルドは不機嫌そうに言い捨ててそのまま歩いた。

 後ろにはアドルフィート以下数名の近衛騎士らが付いてくるのみである。


 王宮から馬車を遣わしてベルナルドはパニアグア侯爵家へとやってきた。ミュシャレンの北側にある屋敷街の一角にパニアグア侯爵家の屋敷はあった。これの他に領地にも大きな屋敷があるとレカルディーナから聞いていた。屋敷を尋ねたが、あいにくとレカルディーナは外出中とのことだったがベルナルドはとくに頓着せずに屋敷の中に上がり込んで待たせて貰うことにした。




 時間は少し前にさかのぼる。

 レカルディーナが実家であるパニアグア侯爵家へと里帰りをして三日後、母方の祖父母と従兄が遊びに来た。レカルディーナにとっても去年寄宿舎を卒業する前に会ったきりだったから数か月ぶりの再会だった。


 レカルディーナは優しい祖父母が大好きだった。父方の親戚はあまりオートリエに対して好意的ではないので、彼女の娘であるレカルディーナも侯爵家側の親族とはあまり深く付き合うことは無かった。父方の祖父はまだ健在で、彼自身はオートリエとレカルディーナには優しいのだが、他の親族はどちらかというと嫌味を言ってきたりするのである。


 それに比べるといつでも好意的な母の両親や親族はレカルディーナにとっても安心して甘えられる存在である。ファレンスト家側も昔はオートリエとセドニオとの結婚に反対をし、母は駆け落ち同然でセドニオのいるアルンレイヒへ嫁いだそうなのだが、レカルディーナが生まれた後に和解をしたのだ。唯一の娘の産んだ孫娘の存在にほだされたのだった。


 今回アルンレイヒを訪れたのは祖父母と従兄のディートフレンの三人だ。ディートフレンはオートリエの一番上の兄エグモントの長男であり、ゆくゆくはファレンスト家を継ぐことになる。彼自身はまだ修行中とのことで、フラデニアの大学を卒業しようやく二年が経ち、このたび本格進出となるアルンレイヒ支店立ち上げの為遣わされたとのことだった。今回祖父母に同行したのもミュシャレンで手ごろな事務所を探すためだという。


「フレン兄様、今日見て回った建物でよいところはあったの?」


 レカルディーナは馬車の中で正面に座る従兄に尋ねた。ミュシャレンについて早々彼は毎日のように支店候補を内覧して回っているのだ。今日は祖母カルラとオートリエと一緒に買い物がてらいくつかの候補地を一緒に見て回った。ミュシャレンでも一等地と呼ばれるような場所を中心に適当な空き事務所を訪ねたが、どこも大きな面積を持ち、入口からして立派だった。


「うーん。どうだろう。いくつか候補は絞ったからあとはお祖父様と改めて見学をして相談ってところかな」

「どこもとても立派だったわ」

「こういうのは箔付けが必要だからね。特にうちみたいによそから来た商会はね」


 ディートフレンはのんびりと外の景色を眺めながら答えた。大きな商会、今後は会社と呼ぶようになるらしい、を背負う人物ということで警戒心を持たれることも多いが、彼はそんな風にはみえないくらい気さくな人だった。人当たりのいい笑顔を浮かべるし、あまり裏表がないのでレカルディーナとしてはエリセオやディオニオよりも心を許せる。


「それよりも君の方こそほしいものは買えたのかい?」

「そうねえ。わたしのほうよりもお母様たちのほうが楽しんでいたけれど」


 レカルディーナの買いものとは嫁入り支度の細々としたものである。王家へ嫁ぐためリネンや食器類など通常の嫁入り支度で必要な物を持参する必要は無いけれど、それでも親心として身の回りの細かい装飾品や日用品を持たせてやりたい、とのことだった。


 レカルディーナとしても税金で色々と揃えてもらうのは心苦しいので、自分で用意できるものはできるだけ持参したいところである。

 よほどはしゃぎ過ぎたのか二人とも現在は揺られる車内で船を漕いでいる。船の漕ぎ方がそっくりで面白い。


「でもレカルの買っていたものって、劇団の人物画とか雑誌……」

「いいでしょうっ! 兄様。これだって必要なものです」


 装飾品を楽しそうに選んでいたのは主にオートリエでレカルディーナが一番熱心に買い物をしていたのはミュシャレンで一番大きな書店だった。大きな書店と言うだけあって品ぞろえが良く、フラデニアの雑誌も一通りそろっていたのである。一角にはメーデルリッヒ女子歌劇団の女優らの似顔絵なども売っており、レカルディーナは真剣にどれを買うか選んでいた。

 女優の道は諦めたけれど、心のときめきまでは捨ててはいないのだ。


「いや、レカルは変わらないなって思って」


 大事そうに戦利品をぎゅっと握りしめるレカルディーナをにディートフレンは少しだけ呆れた目線を寄こしてきたけれどレカルディーナは気づかないふりをした。

 馬車に揺られてパニアグア侯爵家へと帰って来たレカルディーナは馬車寄せに見覚えのない馬車が止められているのを見て首をかしげた。今日は誰か訪問者の予定でもあったのだろうか。


「誰かお客さんかな」

 ディートフレンが少しだけ面倒くさそうに呟いた。

「そうねえ……」


 その疑問はすぐに判明した。

 屋敷に足を踏み入れると血相を変えた執事が玄関ホールまで慌ててやってきたからである。レカルディーナが髪の毛をばっさり切り落としたときだってここまで挙動不審にはならなかった。理由はすぐに察せられた。なにしろアドルフィートら見覚えのありすぎる人物らが待機をしていたのだ。一国の王太子が何の前触れもなしにふらりとやってきたらそりゃあうろたえもするだろう。


 ということはレカルディーナの婚約者が現在この屋敷に滞在をしているらしい。

 オートリエが「あらあら、まあ」と言いながら慌てて上着を脱ぎ玄関ホールにある大きな鏡で自身の姿を確認している。カルラとディートフレンは互いに顔を見合わせた。二人ともレカルディーナの婚約者が王族、それも王太子であることは手紙で知っていたものの、まだ半信半疑だったのだ。それも失礼な話だとは思うが、オートリエに日ごろのじゃじゃ馬っぷりを指摘されては反論ができなかった。


「レカルディーナ」


 ベルナルドは待ち切れなかったのか、自ら扉を開いて姿を現した。こういうときの行動力だけは人並み以上なのだ。アドルフィートが少しだけいたたまれないように頭を垂れた。


「殿下……」

「ベルナルドと呼べと言っているだろう。それよりもおまえ髪の毛、つけ毛をつけているのか」


 ベルナルドは相変わらずのようだ。家族の前もあり気恥かしいのに、そんなことにはまるで無頓着で、彼の方から距離を詰めてくる。いつものように両手でレカルディーナの両頬を包み込み、こちらの顔を覗きこむように見つめてきた。レカルディーナは顔を真っ赤にした。普段だって恥ずかしいし、慣れないのに家族の前でこういうことをするのは止めてほしい。別の意味でも口から心臓が飛び出してきそうだった。

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